作品タイトル不明
幸せな人生とは 其の三
『狂気を宿す姫の場合』(アグノス視点)
『貴女様は【お姫様】なのですよ』
『ですから』
『誰にでも優しくせねばなりません』
『……ほら、ご覧なさいませ』
『物語に出てくる姫君達は皆、【とても優しい】でしょう?』
そう言いながら、乳母は私に沢山の絵本を見せ。多くの物語を語って聞かせた。
それは幼い頃から、乳母に言われ続けた言葉。……私が『そう在らねばならない』と、彼女は絶えず言い聞かせた。
彼女の声はとても心地良くて、優しい響きを持っていた。私へと向けられた慈しみを感じ取ったゆえに、そう思えたのでしょう。
侍女達が口々に言う。『お可哀想な王女様』と。
騎士達が恭しく首を垂れる。『我らが守りし精霊姫』と。
どうしてなのか尋ねたら、『我らにとっては、事実なのです』と返された。だから……だから私はそれが『正しいこと』だと思ったの。
――そもそも、私は自分の何が『可哀想』なのか判らなかった。
お母様のことなど、覚えているはずもない。だけど、誰もが『とても美しくて、お優しい方だった』と口にするから、きっとそれは『正しいこと』なのでしょう。
だって、乳母もそう言っていたのだから。
私にとって『何より正しい彼女』が、心から称賛していたのだから。
『素晴らしい方だった』と語る乳母の表情はとても誇らしげで……彼女が心底、そう思っていることが理解できた。
乳母は私によく言った。『亡きお母様のような方におなりください』と。
彼女が最も素晴らしいと感じる存在……今は亡き、私のお母様。亡くなるまで私を慈しんでくださったという、愛情深く美しい側室。
だけど、私にはそれがどういうことか判らなかった。
私にお母様の記憶はない。姿こそ、肖像画で知ることはできるけれど……話したことなど、一度もないのだから。
皆に聞いても、彼らは、彼女達は、口々に同じことを語るだけ。
――『とてもお美しい方だったのです』
――『大変優秀でありながら、驕ることもございませんでした』
――『誰にでもお優しい方でした』
……。
それは具体的に『どういうこと』だったのかしら? 私は『お母様のような人にならなければいけない』のでしょう?
乳母に尋ねると、彼女はちょっと驚いて。そして、困ったような顔をして。やがて、どこからか沢山の絵本を持って来て、私に読み聞かせるようになった。
そこから読み取ったのは……『弱い者には優しくしなければならない』ということ。
王族である以上、私は強者に該当する。だから困っている人、弱い人には『手を差し伸べなければならない』。
物語に登場する多くの『お姫様達』だって、民には優しくしていたもの。だからきっと、それが正しい。
同時に、『お姫様』は沢山の人に守られ、敬われる存在だと思った。私を殺そうとした賊を切り殺した騎士は言ったもの……『そのようなこと、許されるはずがない!』って。
強い口調で、厳しい言葉で、『私を害する者は悪だ』と。皆もそれに賛同していたから、私はそれが『正しいこと』だと思ったわ。
だから……私は、私の邪魔をする者達が嫌い。
私が『正しく在ろうとすること』を邪魔をする全てが大嫌い!
乳母だってよく口にしていたもの……『どうか、【幸せな人生】を』って。それがお母様の望みだからって。
そう決めてからはずっと、ずっと、努力してきたわ。『皆が望むような姿』こそ、私のあるべき姿なのだから。
私は『御伽噺に出てくるようなお姫様』でいなければならないの。それが私の『幸せ』なのでしょう……?
それなのに時折、『私の幸せ』を壊そうとする人達がいる。
「今のあの方は、御伽噺の王子様には相応しくないわ。……要らないわ」
決して結ばれない、美しい王子様。御伽噺に出てくるような金の髪に青い瞳の、とても優秀で孤独な王子。
肖像画でしか見たことはないけれど、恋をするには十分だった。だって、本当に『御伽噺に出てくる素敵な王子様』そのものだったのだから。
なのに……なのに、あの方は変わってしまった。御伽噺に出てくる王子様ではなくなってしまった!
許せない……あの方は『御伽噺に出てくる王子様』でいなければならないのに。
許せるはずがない……私の世界を壊すなんて!
だから、壊すことにした。御伽噺にだって、不幸な死を遂げる王子様はいるでしょう? 新たな役割を振ってあげる。
悲劇はその主役が美しいからこそ、皆の涙を誘う。優秀だからこそ、その存在が失われることを惜しまれる。
あの方をそんな悲劇の主役に見立てて、私は恋い焦がれる王子を失った姫として嘆きましょう。……そんな『お姫様』も、物語には登場するのだから。
「ねぇ、私のお願いを聞いてくれる?」
私のお願いを聞いてくれる人は沢山いるわ。私がずっと『御伽噺に出てくるようなお姫様』だったからこそ、私に跪いてくれるのよ。
……ねえ、お母様。こんな私は『幸せ』なのでしょう?
時折、騒がしかったり、痛ましい目を向けられるのは煩わしいけれど、その原因を消してくれる人達を得ることができたのですもの。だから……『これまでの生き方は正しかった』のでしょう?
貴女が最も信頼を寄せた乳母が示してくれた在り方だもの。間違っているはずはないわよね?
私は貴女の願い通り、『幸せな人生』を送るのよ。それが貴女にしてあげられる唯一のことであり、私にとっての幸せなのだから。
そうでしょう? お母様……――
※※※※※※※※※
『とある従者の場合』(従者視点)
『我らは産まれた時より、隷属する人生が決まっていた』
――諦めきった口調と表情で諭したのは、祖母だった。
大陸の端に位置する国『イディオ』。大陸の中では最も古き国であると同時に、先の時代に栄えていた種族を滅亡へと追いやった国というのが自慢の、差別が根強く残る国。
この話を聞く度、俺の胸に湧くのは『呆れ』だった。……差別を正当化するためなのか、あまりにも自国を美化し過ぎている。
そもそも、かの種族の衰退は自業自得と言えるようなもの。いくら種として高い魔力を有していようとも、それだけでは後進達に負けるのも当然だ。
先の時代に栄えていた者達は魔力こそ高かったが、新たに作り出すことは不得手。
新たな術式を生み出す才を持つ者達に追い越されるのは、『当然の結果』。
要は、魔力の高さのみを重視し、他者の努力を軽んじた結果なのだ。それを認めず、他者と手を取り合うことを拒んだ結果、じりじりと滅亡への道を歩んでいった。
今となっては、地図にも載らぬ地にひっそりと暮らすのみ。もっとも、それは純血の者達に限るが。
彼らの排他主義は相変わらずで、他者と血を混ぜた者を認めない。それなりの数の混血達が大陸中に居る今なお、純血を守る彼らだけが『尊い血を受け継ぐ者』であり、『不純物』など認めはしない。
限りなく好意的な解釈をするのならば、『誇り高い』とでも言うのだろうか? 傍から見れば『敗者の強がり』でしかないものであっても、血を繋げていく糧となるならば、意味があるのだろう。
……少なくとも、俺達よりはマシだろうから。
イディオはかの種族と最も争ってきた国――他国のように、受け入れることを良しとしなかったことも大きいと思っている――であり、当然、互いへの憎しみも大きかった。
互いに譲らず争えば、自然と国は疲弊する。イディオ国内には王族・貴族への不満が湧き、その不満の受け皿とされたのが、戦によって得た虜囚達だった。
虜囚と言っても、そこには巻き添えになった民間人も含まれる。通常ならば国同士の遣り取りで解放されるのだろうが、かの種族は『敵の手に落ちた者など要らぬ』とばかりに切り捨てたのだ。
こうなると、イディオにおける虜囚達の扱いは底辺を極める。……ここで殺されていれば、そこで終わっていたのだろう。そうならなかったのは、ある『善良な』王の言葉だった。
――『彼らを隷属させ、居場所を与えよう』
最悪なことに、魔法の応用などはイディオの魔術師の方が上だった。だからこそ、隷属させることが可能だったのだ。……いくら魔力が高かろうとも、解呪を行なえなければ意味がない。
この『温情』は受け入れられ、虜囚達は自分達ばかりか、その子孫達までイディオに隷属させられる未来が決定したのだ。
『居場所がない』という言葉も、当時ならば正しかったのだろう。時代の移り変わりとも言うべき情勢に多くの国は疲労し、厄介事を抱え込む余裕などなかったのだから。
まして、自分達とて争っていた国の民。他者を認めぬ頑なさは熟知しており、良い感情などなかったことも一因だった。
それ以上に、他人事である。一体、何を虜囚達と引き換えにするというのか。たとえ誰かが救援を口にしようとも、賛同など得られるはずもない。
そして、虜囚達はイディオの民として扱われることとなった。と言っても、『受け入れてくれたイディオに感謝し、生涯尽くす』と、制約によって無理矢理に誓わされてのことだったが。
あくまでも『善意によって、忌むべき者達を受け入れた』のであり、奴隷ではないと言いたかったのだろう。たとえ本人達の意思を無視した、明らかに他国に対しての建前だったとしても。
その後も、子が産まれる度に制約を施し、隷属させられ続け。元より、イディオの民であった者達は彼らを使うことが当然となった。
そうして時は流れ……俺が存在する現在となった。その頃には俺達の一族は隷属することが当然となっており、誰もが諦めの表情を浮かべ、日々を誰かに従って生きるのみ。
自由を知らないからこそ、それを得ようと足掻く者はいない。子孫までも隷属させた背景にはそのような思惑があったのだろう。
……そう、俺とてそんな風に生きる一人だった。
転機が訪れたのは、ハーヴィスのある貴族の暗殺任務の時。思わぬ反撃を受けて失敗し、傷を負ったまま木陰に隠れていた俺はあの方――アグノス様に出会った。
『あら……貴方、怪我をしているのね』
『すぐに手当てをしましょう。大丈夫、手当てをするだけよ』
色素の薄い儚げな容姿に見とれていた俺は当初、自分にかけられた言葉などと思いもしなかった。
だって、仕方ないだろう? 俺達は使われるのが当たり前で、怪我をしようとも気遣われたことなんて皆無だったのだから。
任務の失敗を叱責され、暴力を振るわれるのが『いつものこと』だった。優しい言葉なんて、かけられた記憶はない。
『ああ、そんなに警戒しないで。貴方は私のお客様よ』
怪我のせいで身動きが取れず、睨み付けるばかりの俺に……アグノス様は自ら手当てをしてくださった。侍女達の止める声も聞かず、不審者でしかない俺のために……!
後に、俺は彼女が『精霊姫』と呼ばれる王女だと知った。美しく優しい、亡き側室の一人娘だと。
同時に、自分が彼女の所有となっていることも聞かされた。どんな対価を支払ったかは判らないが、イディオはあっさりと俺の身柄を引き渡したらしい。
まあ、俺に暗殺を命じた負い目もあったのだろう。下手なことを喋られてハーヴィスに抗議されるよりも、王女の所有物として献上してしまった方が責任は転嫁できる。
そもそも、他国の人間を客という形で保護し、その挙句に『欲しい』と言い出したのはアグノス様。『無茶を通す以上、拙いことには目を瞑れ』とでも言ったのかもしれない。
だが、結果として俺はアグノス様の所有となり。以前からは考えられないほど、自由に満ちた生き方ができるようになったのだ。
――その時、俺は決めた。何があろうとも、アグノス様に尽くすと。
それは俺だけでなく、アグノス様に保護された者達全てが思うことだった。
アグノス様が『虚ろの精霊姫』と呼ばれる存在であり、血の淀みの影響を受けている方であることも知っている。だが、それが何だと言うのだろう?
俺を助けてくれたのも、望まぬ隷属から解き放ってくれたのも、優しくしてくれたのも、アグノス様だけだったじゃないか。
重要なのはそれだけだ。『それが可能だった奴』は沢山いても、『実際にやってくれた奴』はアグノス様だけだった。恩を感じて、何が悪い?
アグノス様の望みが正しいか、正しくないかは、どうでもいいことなのだ。俺は主と定めるアグノス様が満足するなら、それでいい。
世界から悪と罵られようと、知ったことじゃない。
国が傾こうとも、重要なのは『アグノス様の望みを叶えること』だけ。
「ねぇ、私のお願いを聞いてくれる?」
「喜んで」
だから、この『お願い』がどういう事態をもたらすかなんて、どうでもいいことなのだ。ろくに学のない俺に難しいことは判らないし、そもそも『主の命は絶対』と教え込まれている。
その未来がどういうものであろうとも、俺はアグノス様の傍に控え、願いを叶え続けるだけ。
それが破滅の未来であったとしても。……アグノス様が真実、俺を憐れんでくれたのではなかったとしても。
唯一、差し伸べられた優しい手であったことは事実なのだから。俺にとっては、それが全て。
心から主と呼べる存在に出会えた。それはきっと、『幸せな人生』と言えるものなのだろう。