作品タイトル不明
結婚前の事情を話す妻
結婚式から半年が経っての相手側の家族との再会だ。
よく考えれば俺は父親と嫡男の兄マットとしか話したことがなかったので「そう言えば君の家族とはどんな人たちなんだい?」と馬車の中で声をかけた。
イングリッドは普段はとても表情が明るいのにその瞬間だけ僅かに曇った。
侍女長が俺の足を軽く叩く。(坊っちゃま少し黙って)そう目で脅される。
俺はこう言うところが本当にデリカシーがないらしい。自分でも近年嫌と言うほど理解しているが。
イングリッドは困ったように微笑んだ。
「……仲は悪くないと思っています」
そう言うと侍女長がそっとイングリッドの手の平を包んだ。
「今日は坊っちゃまがきっとイングリッド様をお守りしますから気になることは今教えてくださいまし」
白いものが混じり始めている侍女長はちょうどイングリッドの母親と年齢も近いであろう。
彼女の真剣な眼差しにイングリッドは覚悟を決めたように吐息を吐いた。
「いつか話さないといけないと思っていましたが私の婚約の解消のことお伝えさせてくださいね」
婚約者が妹と結婚するなど大事件だ。最初から気になることがあったにも関わらず俺は無関心を装い、打ち明け話を聞くのに半年も掛かってしまった。
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イングリッドには一つ上にマットという兄がおり、二歳下にブリジッドという妹がいる。
兄妹の関係は悪い方では無かったがブリジッドは兎に角体が弱かったそうだ。
「確か俺と同い年なのに王都の学園に通っていなかったってことだよね?」俺は記憶を辿ってみたが、ブリジッド・ホーライゾン伯爵令嬢は学年にはいなかったように思う。
「ええ、妹は体の弱さを理由に学校には通っていませんでした。そして私も最終学年の年はブリジッドを気遣って学園は通わず単位の取得で終わらせてしまったんです」
ブリジッドは幼い頃から心臓が悪かったので外出もままなら無い状態だったそうだ。
家族の中心はブリジッド。
年頃になると学園に行きたがっていたブリジッドだが、体調が安定しないことを理由に家庭教師で学ぶことが決まった。
ブリジッドは泣きながら『通うことが出来ないのなら、イングリッドにそばにいて欲しい』と切望したのだという。
成長と共に体は丈夫になるだろうという医師の見立ては叶わず、ブリジッドは屋敷で過ごす生活をずっと送っていたそうだ。
十四・五歳まではイングリッドも妹を本気で心配して学校から戻ればブリジッドのそばにいるようにしていたという。兄のマットもブリジッドのことを気にかけて、外出は控えめ。家族の時間を大切にするような男だったそうだ。
兄妹も両親もブリジッドが回復しないのを見て、『二十歳を超えていくことは難しいのでは』と考えていたらしい。
だが、年月はどんな状況でも過ぎていく。
やがてマットは嫡男として家を継がなければならないし、イングリッドも結婚しなければ行き遅れてしまう。
社交界にお披露目があると二人には正当な婚約者が出来た。
マットには侯爵令嬢のルヴィーセル。イングリッドには伯爵家の三男エリオット。残念ながらブリジッドは体の弱さを論われお相手は中々決まらなかった。
ルヴィーセルは婚約が整って一年後ホーライゾン伯爵家に嫁いできた。
その当時イングリッドは二十歳。ブリジッドは十八歳。
二人の姉妹はルヴィーセルを姉として敬い、仲良くしようとした。少々気位は高いが面倒見の良いルヴィーセルは姉妹に「よろしくね。仲良くしましょう」と声をかけてくれていた。
イングリッドは翌年には結婚を控えて準備しなければならないことが山積みだった。なのでルヴィーセルには、結婚式についての細々した相談を重ねていたという。
だが半年が過ぎた頃、ブリジッドの体調がかなり悪くなった。
「結婚式を今あげようとするのはいかがなものかしら?いえ、式をしたい気持ちはわかるんだけどブリジッドが出席できない状態なのは家族としてもあまり良い感じには見られないと思うのよ」
ルヴィーセルの意見に両親も難しい顔をした。
教会の予約は一年はかかってしまうことが多い。特にエリオットが予約してくれた聖堂は二年近く予約を取れないことでも有名だ。
この機会を逃してしまったら同じところであげるのは無理かもしれない。
普段明るいイングリッドも流石に落ち込む。
「ごめんなさいね。でも伯爵家がどう思われるかも気になるわ。病弱な妹を蔑ろにしていると思われるのもちょっと気になるもの」
その時イングリッドは僅かにブリジッドに期待したそうだ。
『お姉様は今まで十分に私に寄り添ってくれたわ。だから結婚式は予定通り挙げてはどうかしら?私はそれまでに体調を整えるわ』と言ってくれないだろうか?と。
だがブリジッドは
「大好きなイングリッドの結婚式だもの。どうしても参列したいわ。必ず治すから一年待って欲しい」
ガーンと胸に痛みが走ったとイングリッドは言う。
(私ったら自分のことばかり考えていたわ。ブリジッドは参列したいと言ってくれているのだもの。私が待ってあげなくっちゃ)
そう思ってエリオットに延期を頼むと彼は快く受け入れてくれたそうだ。
「君たち兄妹は本当に思いやりがあって素晴らしいね。僕もブリジッドを可哀想に思う。彼女の回復を待とう」
そして家族は同意のもと一年間回復を待った。
しかし一年経ってもブリジッドは回復せず、もう一年待ってくれと言われた。
イングリッドは待った。家族全員に祝ってもらう結婚式にしようとブリジッドを励まし、エリオットの理解に感謝を述べた。
そして三年目。
結婚式の手前でルヴィーセルの妊娠が発覚した。
「結婚式にどうしても出席したかったのに悪阻が酷過ぎて出られそうにないわ」
「…………まさかまた結婚式を延期したのかい?」俺は驚いて予想した内容を口にする。
「ええ、実は大聖堂の予約はルヴィーセル姉様のご実家が行ってくれたものだったの。だから彼女だけを呼ばない結婚式はどうなんだ?って兄が嫌がったのよ」
「エリオット殿はなんて?」
「ここまで待ったんだからもう少し待つくらいはいいよ、と快諾してくれたの。でも私もバカだったわ。この年齢で快諾するなんていくら男性でもおかしいって気がつくべきだった」
俺は嫌な予感がして侍女長を横目で見ると彼女も同じように渋い顔をした。
延期の三年目で二十三歳になったイングリッドはその年までは『優しい家族愛に溢れる姉』と貴族社会では言われていたという。
病弱な妹を気遣って二年結婚を延期。翌年は優しい義姉の都合で延期。
二十四歳に手が届く結婚式の準備の真っ只中。ブリジッドとエリオットの浮気が発覚した。
イングリッドが花嫁修行でエリオットの実家の母親から色々と習っている間、ブリジッドとエリオットは二人で会う機会が増え、距離を詰めていたらしい。実際イングリッドは婚約期間が長かったことでエリオットの家の手伝いもしていたそうだ。
そして逆に時間のあるブリジッドを見舞っていたエリオットは一線を超えてしまった。
両親は大混乱。ブリジッドとエリオットは『一生のお願いだ。どうか結婚させてほしい』と懇願してきた。
そしてそれを擁護したのがルヴィーセルだったそうだ。
「元々……ルヴィーセルお姉様も私よりブリジッドの方が相性が良かったのもあるんです」イングリッドは苦笑いをした。
イングリッドは明るく元気で前向きな性格だ。どちらかと言うとちょっと跳ねっ返りのような気性である。
侯爵家の令嬢として楚々として育ったルヴィーセルはイングリッドをいつも苦笑いで見ていた節がある。
それに比べるとブリジッドは大人しく、読書が趣味で、深窓の令嬢という言葉がピッタリの性格らしい。ルヴィーセルと本や会話の趣味も合い、病弱なブリジッドへの気遣いは自分よりも深いものがあったとイングリッドは話した。
『元気で子供が望めるイングリッドの方が結婚の見込みはあるけれど、ブリジッドは出会いもなければ体のこともあるから結婚の可能性は今後厳しい。それならばエリオットを譲ってあげた方が良いのでは?』
ルヴィーセルの意見に両親は非常に渋い顔をしたという。
母はイングリッドをとても心配したという。
「無理はしなくていいのよ。言いたいことがあるなら言っても構わないのよ。貴女は今まで十分家族のためにたくさんのことを捧げて来たと思うわ。ごめんなさいね。私たちがもっと気遣ってあげれていたらこんなことにならなかったのに」
父も母も頭を下げてくれたらしい。
「でも、思い合っている二人を引き裂いたところで私に幸せな結婚生活なんてありえませんよね。私、そう言うことは言われなくてもわかっているんです。だから婚約の解消には同意しました。ですがもうルヴィーセルとブリジッドの言葉には振り回されないぞと決めたんです」
婚約の解消にエリオットも流石に気まずかったのだろう。
「僕の友人を紹介するよ」と慌てて相手を探してくれたりもした。
だが、二十四歳のイングリッドに合う友人は中々居ない。
女癖が悪く離婚した男、歳が二回り離れた後妻の話。苛烈な姑がいる家。
どれもホーライゾン伯爵と妻が納得いく人物ではなかった。
エリオットたちは先に結婚式を挙げることになったが、外聞が悪いと小規模なパーティーのみに終わらせたそうだ。しかし社交界の人たちは耳ざとい。
イングリッドがエリオットに捨てられたという噂はどんどん大きくなり、本格的に相手が見つからなくなった。
「もう少し若い時に婚約を解消出来ていればこんなに拗れなかったんでしょうけれど……この時ばかりは流石の私も塞ぎ込みました」
自分一人で生きていかないといけないかもしれないと自活の道も探そうとしたそうだ。しかし王立学園を三年間しっかり通わなかったことが仇となり、人脈も完成していなかったことが足枷となる。
縁談は連敗。修道院に入ることを提案したら両親が泣き崩れる。
『それではあまりにもイングリッドが可哀想』母はブリジッドにも見せたことがないほど大泣きをした。
その頃になるとマットの焦りが伝わったのかルヴィーセルの表情も曇り始めたそうだ。
小姑が一生ホーライゾンの家にいると思ったら『まずいコトになった』と思うのも無理はない。
マットは兄としてブリジッドを甘やかし過ぎたと怒っていたし、肩入れしたルヴィーセルにもキツく言ったようだった。
だが、どう頑張っても相手が見つからないまま二年が過ぎた。
俺はその話を泣くでもなく、仕方なかったんだと穏やかな顔で話すイングリッドを見ていて切なくなった。
彼女は明るく振る舞うが、病人のいる家では誰かが底抜けに明るく振る舞わなければならなかったのだ。
姉としてきっと弱音も吐かず、ムードメーカーになろうと必死に生きてきたのだろう。
結婚を機に家を出て、当たり前の幸せを掴むことを希望にしてきたに違いない。だから三年間の式の延長にも耐えていたのだ。
ガッシュ家のように、暗い出来事や、病人を抱えてしまうと、館全体が陰気で寂しい雰囲気になることを俺は知っている。
だから今日まで彼女が頑張っていた努力を誰よりも認めていたし、自分が情けなくも感じた。
「たくさんのこと抱えていたのに今日まで俺と俺の家族を支えてくれて本当にありがとうな。俺はイングリッドにすごく感謝しているよ。誰がなんと言おうとイングリッドはガッシュ男爵家の太陽だ」
イングリッドの瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「旦那様……そんな優しい言葉を掛けてくださって……本当に嬉しい」
侍女長がウンウンと大きく頷く。
「イングリッド様は努力家でいらっしゃいますからきっと、皆様当たり前のようにそれらを享受なさっておいでだったのでしょうよ。居なくなって分かるイングリッド様の良さを今頃ホーライゾン伯爵家は感じておいでですわ」
温かい手のひらでオフショルダーのラインを優しく撫でるとイングリッドはクシャリと顔を歪めてさらに大きな涙を溢した。
「私、当たり前のことしかしてこなかったんですが、きっと認めて欲しかったんですね」
「誰かが、誰かを励まし続けるのはとてもパワーの必要なことだ。イングリッドの成し遂げたことは言語化するのは簡単ではないけれど、毎日の積み重ねで誰でもが簡単にできることじゃないんだよ」
俺は初めて両手でイングリッドを抱きしめた。
その体の細さに驚きながら、彼女に新婚初夜に掛けてしまった心無い言葉をさらに反省するのであった。