作品タイトル不明
第十三話 父とジャムと忘れていた過去
すっかり熱が下がり、いよいよ王都に戻る日。身支度を終え、朝食をとろうと食堂に入った途端、シモーヌは誰かにギュッと抱きしめられた。
「く、苦しい……」
「会いたかったよ、シモーヌ!」
いきなり抱きしめてきたのは、父のブライアン・ベルジック侯爵だ。アランとシモーヌと同じ紺色の髪は、いつもと違い乱れに乱れている。
「シモーヌに会いたくて、夜の間中、馬を走らせたんですって」
すでに座っていたイネスが呆れたように言う。今回の帰省でシモーヌに会うことを諦めていたブライアンは、シモーヌが熱を出したと聞いて居ても立ってもいられなくなったらしい。
「もう二週間、いや、一ヶ月ほどゆっくりしていけばいいじゃないか」
ブライアンはなかなかシモーヌを離そうとしない。シモーヌは体を 捩(よじ) ってブライアンの拘束から脱出を試みる。
「今日戻らないと、二学期に間に合わなくなってしまいます」
執事がシモーヌを助けようとブライアンを羽交い締めにして、ようやく親子は間合いを取り、ハァハァと荒い息を吐いた。
やっとのことでテーブルに着いたシモーヌに、ブライアンは袋を一つ渡した。
「これが今作っているジャムだ。ふたを開けなければふた月は持つ。学園の友人に渡してくれ」
そのジャムをまだ口にしていないことは、ブライアンには黙っていた方が良い気がする。シモーヌは曖昧な笑みを浮かべた。
「可愛らしい小瓶がたくさん入っていますね。クラスメイト全員には無理ですが、お話できるようになれた人たちに配ります。お父様、ありがとう」
それを聞いて、ブライアンもウンウンと満足そうに頷いた。
「王都にも販路を伸ばしたいのだが、大きな商会に卸すほどの数は作れなくてね。ここにしかないジャムだよ。そうだ、クリストフ殿下にもぜひ……と言いたいところだが、口に入る物は色々難しいだろうな」
婚約者候補時代のシモーヌの塩対応を許してくれた王家には、ブライアンは忠誠を誓う以上に頭が上がらない。
「じゃあ、あの子は? 宰相のところの……そうそう、ジル様」
イネスの口から意外な人物の名前が出る。
「ジル・ドルレアン侯爵令息ですか? 確かに同じクラスですが、どうして?」
首を傾げるシモーヌに、イネスが呆れたように言った。
「あら、忘れてしまったの? お茶会に参加してすぐの頃、どうしても帰りたいと泣くあなたを、殿下の側にいたジル様が王宮の図書室に連れて行ってくれたのよ」
イネスがそこまで話して、ようやくシモーヌは思い出した。子どもだけとはいえ、知らない人たちと過ごすことに苦痛に感じていたシモーヌは、何回目かのお茶会の時とうとう泣き出してしまった。その時にシモーヌより少し小柄な男の子が、泣いているシモーヌの手を引いて、王宮の大きな図書室へと連れて行ってくれたのだ。
「いくら王妃陛下と私が級友でも、王太子殿下とのお茶会で読書してお咎めがない訳ないでしょう? シモーヌを黙らせつつお茶会に参加させるには本だって、偉い大人の間で決まったのよ。後から聞いて、お父様と謝罪に伺ったりして大変だったわ」
てっきりお茶会中の読書は、クリストフによるシモーヌへの興味の無さから許されているものだと思っていたシモーヌは、恥ずかしさでまた熱がぶり返してしまいそうだった。
「すっかり忘れていました……」
「確かに、宰相には親子で世話になったな。ジル殿のところにはジャム二瓶だな」
ブライアンも言う。あの男の子は眼鏡をしていなかったので、今のジルとは結びつかなかった。ジルはその時のことを覚えているのだろうか。聞いてみたいが、ジルが覚えていても恥ずかしい。
シモーヌは複雑な気持ちになった。