軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

40 上級侍女管理官メリッサの願い

ここは上級侍女を管理するメリッサの行きつけという食堂で、上品な店構えだ。二人は今、隅の席で定食を頼んで果実水を飲みながら話をしている。メリッサは苛立ちを抑えているような雰囲気だった。

「あなたにまず、二つ伝えなきゃならないことがあるの」

「なんでしょう」

「ひとつ目。王妃殿下のお付きの女性が『あなたを十日間、衣装部に通わせるように』という指示を私に伝え忘れていたの。王妃殿下に叱られたらしくて、半泣きで謝りに来たわ。お付きの方も目が回るほど忙しいから、許してあげて」

「はい。それはもちろんです」

そこでメリッサがひとつ深呼吸する。

「二つ目。あのね、あの王子は悪い人ではないと思うけど、知っておくべきことがあるの」

「はい」

「あの王子、結婚はしていないけど、一緒に暮らしている恋人と、子どもが三人もいるのよ」

「さんっ?」

「しいっ。声が大きい。実は数年前にも同じようなことがあったのよ。真珠を売りに来て、声を掛けたのはやはり上級侍女。あなたほどじゃなかったけれど目立つ美人だったわ。伯爵家のご令嬢だった」

「それで、どうなったんです? どうして子供のことがわかったんですか?」

メリッサは『まあまあ落ち着いて』と言うように片手をシャーロットに立ててから、事細かく話してくれた。

伯爵家から行儀見習いと結婚相手を探しに来ていた令嬢は、ノエルに告白されて本気になった。

仕事を辞めるつもりでメリッサに報告に来たので、メリッサは「ちょっと待って」と退職を思いとどまらせたのだそうだ。

メリッサは、ノエルが毎年いろんな侍女と仲良さげに庭を歩いているのを知っていたからだ。城の外でも会っているという噂もあった。

行きつけの酒場で働いている女性に声をかけ、チュニズの船乗りたちに接触させてノエルのことを聞き出させたのだ。

「あなた、聞いてびっくりよ。あの第三王子は本国の屋敷に恋人と三人の子どもがいるの。もちろん母子の生活はちゃんと面倒を見ているけれど、その他に外にも恋人がいるらしいのよ。どちらも正妻にはしていないの。三年前の話だから恋人と子どもの数は増えている可能性もあるわ」

「私、なんとなく納得できる気がします。あの感じですものね」

「あなた、チュニズに一緒に行こうって言われなかった?」

「言われました。妻にって」

「さすがに今度は妻にするつもりなのね。なんて返事をしたの? まさか……」

「考えさせていただくことになりました」

「よかった」

メリッサは胸に手を当ててホゥッと息を吐いてから果実水を飲み干した。

三年前の伯爵令嬢は話を聞いてチュニズ行きを断り、今はそこそこ裕福な伯爵家の夫人となっているそうだ。

「養わなきゃならない家族がたくさんいるとか、結婚しなくてはと焦ってる人ならともかく、あなたはまだ十七よ。第一王子ならともかく第三王子だもの。そんなところに行く必要はないわ。あなたならもっといいお話が来る。私が保証するわよ」

「私、一緒にチュニズに行かないかと言われた時、咄嗟に嫌だと思ったんです。もっと働きたい、もっと自分でお金を稼いで、自分のために生きてみたいって思ったんです」

シャーロットの言葉を聞いたメリッサが両手でシャーロットの手を握った。

「なんとなく同類の匂いがすると思ったわ。私ね、まだ若い頃に母に何百回も言われたわ。『結婚しないで生きるつもり? 変人扱いされるのよ?』って」

「変人だなんて、そんなことないです!」

「母に言わせると、十六歳を過ぎた女は結婚して子どもを産むか、後妻に入って先妻の子を育てるか、結婚せずに変人扱いされるか、この三つしか道はないらしいわ。だから私、ある日我慢できなくなって『喜んで変人と呼ばれる道を選びます』って返事をしたの。おかげで親とはすっかり疎遠になったわ。疎遠のまま親は旅立ったの。でも後悔はしていないわ」

自分の母は主の子を愛情たっぷりに育てて、人生を終えた。だけどいつも父と仲良しで、ちっとも変人じゃなかった。

「私、メリッサさんのお母様のおっしゃる道のほかにも別の道があると思います」

「そうよ、その通り。『気楽にひとり暮らしを楽しむ生き方』だってある。私がそれ。でも母は独り者の強がりだって馬鹿にしていたわね。『可哀そうなメリッサ』って何度言われたことか」

メリッサは少しさみしげな顔になって、当時のことを話してくれた。

「母が幸せそうならともかく、私の目には全く幸せそうには見えなかった。その母の言うとおりにしたら私まで同じ不幸にどっぷり浸かると思ったわ。母はね、父に申し出てお金の使い道を説明しないと靴下一足も自由には買えなかった。ミモザ色が好きでもそんな色は派手だと言われてミモザ色の服を着ることは死ぬまで一度もなかった。髪型も、お茶会に呼ぶ相手も全部父が選んでいた。それ、うちだけに限ったことではないわ。そういう夫婦は結構多いのよ」

「そんなことまで旦那さんが決めるんですか」

「この仕事に就いていろんな貴族令嬢の打ち明け話を聞いたけれど、多いわね」

母は好きなように生きていた。楽しそうで幸せそうだった。いつも笑っていた。それが普通なのかと思っていたが、自分は幸せな家庭で育ったのだ、と気づく。あの頃は普通のことだと思って気づかなかったけれど、とても幸運だったのだ。

「あの王子が恋人をどう扱ってるかは知らないけれど、綺麗な女性を身の回りに集めているのは確かよ」

「確かに、罪悪感無しでそういうことをしそうな人でした。メリッサさんは仕事がお好きなんですね」

「仕事は好きよ。私を自由にしてくれる。夫の言いなりになってる女性は、子どもを育てるにしても自分一人では生活できないから我慢してる部分もあるんだと思う。お金は大切。お金は私を自由にしてくれる大切な道具よ。あの王子とチュニズに行ったら、贅沢はできるだろうけどあの人に捨てられたら生きていけなくなる。あの人にすがって生きることになるわ」

それでもいい、という人はいるのだろう。だけど自分は嫌だ、とシャーロットは思った。

父と母は対等だった。いや、むしろ母のほうが強かった。スザンヌの両親も仲良しで、互いを大切にしてるように見えた。

シャーロットは自分がどんな夫婦になりたいか、心の中で夫婦の理想像がぼんやりと形になった。

「私、与える人と与えられる人、みたいな関係は嫌です。私の両親はそうじゃありませんでした」

「そうね。幸せな夫婦もある。私、母には可哀想な娘と思われていたけど、好きな色の服を着て、大好きなパイを食べたい時に食べることができて、お休みの日は好きなだけベッドで本を読める。十分満たされてるの。それを親にわかってもらわなくてもいいってふっ切れるまで、ものすごく時間がかかっちゃったけどね」

メリッサの世代だと、今よりずっとずっと『結婚して子どもを産まないと半人前』と思われたはずだ。シャーロットはメリッサが乗り越えてきた時間を思いやる。

「下級侍女管理官のリディさんは?」

「彼女は男爵家の夫人よ。出産のあとは少しお休みしたけど、復帰したのよ。衣装係のルーシーは平民だけど、やはり出産してから仕事に復帰してる。二人とも仕事を愛している人たちよ」

「私も、リディさんやルーシーさん、メリッサさんみたいな生き方がしたいです。働きたい。働き続けたいです」

メリッサはウンウンとうなずいている。

「あの王子は結婚を無理強いはしないはずよ。三年前も強引なことはしてないの。もし無理にあなたを連れて行こうとするなら私から王妃殿下に止めてくれるように頼んであげるわ。王妃殿下はあのお立場なのに私の考えを理解してくださる柔軟なお考えの持ち主よ」

確かに、あのノエル王子は無理強いはしないだろう。去る者は追わずの人のように思える。

「私ね、百年後か二百年後か、もしかしたら五百年後かもわからないけど、女性の生き方が結婚と出産だけじゃない時代が来るといいな、と思ってる。好きな仕事をして好きな本を読んで気楽に人生を過ごすことが責められない世の中が来ることを願ってるの」

そう言って微笑むメリッサには内側から知性が滲み出るような魅力があった。

店の前で別れて部屋に戻り、ベッドに入ってからシャーロットは考えた。

(ノエル殿下にとって、妻ってなんなのだろう。王族だから私なんかとは考えが違うのかもしれないけど)

自分が趣味の収集物として見られたようでなんとも居心地が悪い。

(私は平民として生きる道を選んだんだもの、結婚するなら好きな人としたい。仕事を楽しみたい。なによりも自由に生きたい)

そう思って目を閉じた。

翌朝、シモンと鍛錬をしようとしたら、挨拶もそこそこに

「兵士たちから君がチュニズの王子に気に入られたと聞いたんだけど」

と尋ねられた。

(どこまで話が広がっているんだろう)と噂の広まる速さに怯えながら、シャーロットはノエルの話をした。

視線をシャーロットの肩辺りに置いたまま話を聞いていたシモンは眉を寄せて

「第三王子は毎年城に来ているが、そうか、あの人がいたな」

と呟く。

「シャーロット、君……」

「行きません。私、もっと自由でいたいし、城仕えが好きなんです。まだまだ働きたいんです」

「そうか」

その日のシモンは全く剣が冴えず、立て続けにシャーロットに打ち負かされた。

「面目ない」

「お疲れなんですね」

「それと、明日から立太子式が終わるまで朝の鍛錬は来られそうにない」

シャーロットに労わられ、シモンは兵舎へと帰って行った。

昼休みに外で日向ぼっこしながら一人でパンを食べていたら、庭師長のポールとレオンにもことの展開を尋ねられた。正直に話すと、ポールは

「断るのか。相変わらず欲がないなぁ。まあ、シャーロットらしいが」

と笑い、レオンは何も言わなかった。

目玉焼きと茹でた鶏肉が挟んであるパンを食べながら、シャーロットは庭の花々を眺める。ノエルの申し出はひとつの分岐点だったのだろうと思う。だが、どちらの道を選ぶのかに迷いはなかった。

「お母さん。私、森での暮らしは質素でも楽しかった。そちらの暮らしはどうなの?」

と雲を見ながらつぶやいた。