作品タイトル不明
9.井の中の蛙
「ほら見てセレナ。さすがね! やはり首位でしたわ。おめでとう」
陽光の差し込む廊下、貼り出された学力テストの結果表の前で、レティシアが嬉しそうに私の肩に触れた。
淡い花の香りがふわりと漂い、周囲には学生たちのざわめきが波のように広がっている。
「ありがとう。そして……当然のように、こちらを睨んでいる方たちがいますわね」
淡々と答えると、レティシアは「あれね」と視線だけで示した。
その先には、案の定、険しい顔の一団――。
テスト結果は、満点で私が首位。
2位は……僅差でマリアーノ侯爵令息様。僅差と言っても、彼の誇りには到底耐えられないほどの“僅差”なのだろう。
耳を澄ませると、案の定、聞くに堪えない声が届いてくる。
「……今度はどんな卑怯な手を使ったんだ」
「ドミニク、気を落とすな。ホフマン家の娘だぞ。実力ではないことは明らかだ」
「そうですよ、気にしたら負けですよ。正当な評価じゃないのですから」
よくそんなことが言えますわね。
そもそも、傍で涼しい顔をしている王子殿下とミレーナこそ欄外の成績なのだから、心配する順番が逆ではなくて?
取り巻きたちがあれだけ痛い目を見たというのに、ミレーナがまるで何事もなかったかのように振る舞っているのも……驚きを通り越して感心すらしてしまうわ。
その時、甲高い足音とともに、マリアーノ侯爵令息がこちらへ詰め寄ってきた。
「ホフマン伯爵令嬢! 今日という今日は我慢ができない。私が君に負けるわけがないんだ。化けの皮を剥いでやる!!」
怒気をまとった顔で、私とレティシアの前に立ち塞がる。
何を言い出すのかしら、と視線を向けると――
「そうだな……学院の試験では公正にかける。そうだ、王宮の文官長に試験問題を作ってもらい、二人で争ってみるというのはどうだ!」
王子、ミレーナ、マリアーノ侯爵令息の三人が、妙な一体感で頷き合っている。
……それは、テストを作っている学院の先生方に対して、ひどく失礼な提案ですわよ?
ほら見なさい、廊下の端で数名の先生方が、引きつった表情でこちらを見ているではありませんか。
存じませんわよ、私。
私は一歩前へ進み、静かに問い返した。
「私は構いませんけど、負けたらどうするのです?」
「は! 私がか? 負けるわけがないだろう。負けたら退学でもいいぞ。しかしその条件は、ホフマン伯爵令嬢、あなたにも当てはまることになるがな」
あら。
目の前からいなくなるのは魅力的ですわね。
「では、書面に残しましょう。退学は可哀そうですから……隣国の全寮制の学院で一年生からやり直すというのはどうでしょう」
すると彼は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「何が可哀そうだ。行くのはあなただ。目にも当てられないくらいの差で負けたら、卑怯な手を使い成績を改ざんしたと、皆の前で言ってもらう!」
はいはい、よろしいですわよ。
もう、好きなだけ条件を並べれば?
その時だった。遠くから聞こえていた騒ぎに気付いたのか、ヴィクター様が廊下を駆けてこちらへやってきた。
「これは……いったいどういう状況だ」
私を心配して駆けつけてくれたのですね。ふふ、でも、ヴィクター様、貴族は廊下を走ってはいけませんわ。
周囲で見ていた先生の一人が、慌ててヴィクター様へ状況説明を始める。
その説明の声を聞きながら、私は息を整えた。さあ、次の“ざまぁ”の幕が上がるのですわね。
「…そうか。またセレナを責めたのか。マリアーノ侯爵令息、今回の試験。Aクラスに監督官がいつもより多かったのに気付いていたか?」
怒気を押しとどめた声音で、ヴィクター様が静かに問いかけた。
その抑え込まれた感情の奥に、はっきりとした怒りの色が宿っているのが分かる。
ああ、そういえば。確かに今日は、妙に教授陣の視線が多かった気がしますわね。
「君が卑怯な真似と騒ぐから、不正が行われないように多くの目で監督してもらった……結果、不正など行われていなかった!」
ぴしゃりと断じられた瞬間、周囲の空気が震えた。静まり返った廊下に、ヴィクター様の声音が澄んで響く。
そのすぐあと、彼がこちらへ半歩身を寄せ、小声で囁かれた。
『セレナに言ってなくてごめんね』
――胸の奥が、ふっと温かくなる。
怒りに染まりながらも、私のことを気遣うその優しさに。
「っ! いや、しかし、事前に問題を手に入れていたということも……そうだ、多めの寄付金とか……賄賂とか!」
マリアーノ侯爵令息様は、無理に絞り出したような言い訳を連ねてくる。しかし、その目は泳ぎ、声は震え、もはや縋りついているだけだと分かる。
「はっ! この学院は王立だぞ。そんな馬鹿なことをする教師がいるわけないだろう。寄付金も一律だ。それとも何か? 王家の監督不行き届きだとでも言いたいのか!」
低く鋭いヴィクター様の叱責に、マリアーノ侯爵令息様の肩がびくりと震えた。
「いや、あの、その……」と声にならない声を漏らし、次第に言葉を失っていく。
王子とミレーナは、いつの間にかそろそろと後方へ下がっていた。
その控えめな動きや伏せた視線は。まるで貝のように口を閉ざし、責任の矛先から逃れようとしているようで、少し呆れてしまう。
「な、なにやら誤解があったようだ。すまなかった……ホフマン伯爵令嬢」
とうとう折れたのか、マリアーノ侯爵令息様は視線を伏せ、悔しさと屈辱を隠すように眉をひそめ、ぎこちなく頭を下げた。
その姿を横で見つめるヴィクター様は、「許さなくていいんだよ」と言わんばかりに、少し不満そうな表情でこちらをうかがってくる。
けれど――私が選ぶ答えは、ひとつ。
「謝罪を受け入れますわ」
静かに、しかしはっきりと告げた。その瞬間、廊下の空気がわずかに緩み、周囲の学生たちのざわめきが戻ってくる。
――いいのですよ。私の勝ちは、揺るぎませんもの。