軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16.俎板の上の鯉

「遅い時間に申し訳ない、いや、こういうことは早めに解決するのが我が家の方針でね」

夜気を連れて届いた低い声に、部屋の空気がぴんと張り詰めた。応接室のランプが、揺れる橙色の光で来客の影を長く伸ばす。

「いや、大丈夫です。 我々も真実とは違う噂に心を痛めているのです。 さ、お掛けください」

お父様が穏やかな笑みを向けながら椅子をすすめる。

対座したのはホフマン伯爵家の親子……そして、その後ろに控える影の薄い人物は誰かしら――執事か護衛か。

無言で佇むその存在が、妙に場の緊張を際立たせていた。

お父様は、事実を話すなとおっしゃったけれど……じっと黙っていればいいのかしら。

心臓が早鐘を打ち、指先が落ち着かない。どこまで演じ、どこまで沈黙を守るべきなのか判断がつかない。

迷いの中で瞬きをしたそのとき、セレナ様がふわりと微笑み、とても柔らかい声で口を開いた。

「王太子殿下の婚約者であるミレーナの実の妹があんなことをするなんて、私も本気で思っていないのです 」

……嘘だわ。

でも、まあ、ここで否定しても得にはならない。

「まあ、よかったですわ。 セレナ様にそうおっしゃっていただいて……」

そう応じながらも、胸の奥では別の疑念が渦を巻く。

では、いったい何のためにわざわざ夜分に押しかけてきたのか。思惑がまるで読めない。

セレナ様は、紅茶のカップに軽く指を添えながら、今度は小首をかしげた。

「でも、オレリア様? 火のないところに煙は立たないっていうでしょ? だから、いくつかお聞きしようと思って。ほら最近学院に来ていらっしゃらなかったから聞く機会がなくて」

白々しい――胸の内に冷たい言葉がひらめく。

「新聞に〝叶わぬ恋〞と書かれていた件ですが……皆さんてっきり私という婚約者がいるヴィクター様に恋を? と勘違いしていらっしゃったように思うのです。私、実は叶わぬ恋とは、身分違いの恋かもしれないと思っていますの。どうかしら?」

テーブルの下で、お父様が小さく足を動かし、まるで「話に乗れ」と言わんばかりに合図を送ってくる。

――仕方ないわ。

「じ、実はそうですの? どうしてお分かりに?」

「そうなのですね!! ヴィクター様は隠れ蓑だと思ったの。よかったわ、勘が当たって」

見事に外れていますわよ……本当に、なんて単純な人。

セレナ様はそこで軽く息をついて、わざとらしいほど困ったような表情を浮かべた。

「でもそうなると私を貶める噂……あれは何かしら? と考えたの。もしかしたら、あなたの想い人が私のことを慕っていると勘違いして、あなたがやってしまった……ということでしたら納得ですわ」

その瞬間、お父様が待っていたと言わんばかりに身を乗り出した。

「すみません、ホフマン伯爵令嬢。娘は、実は……あなたのおっしゃる通り、勘違いをしていまして。想い人を取られたくないと……その……謝っても許していただけないと思うのですが、ここは恋をした愚かな娘とお許しください!!!」

頭がテーブルに着きそうな勢いで深々と下げられ、私も慌てて姿勢を正す。

ここでどう振る舞うべきか、一瞬迷ってしまう。

「まぁ!! また勘が当たったわ。そうでしたか、ヴィクター様じゃなければ……大丈夫ですわ。 違っていたら名誉棄損で訴えようかと思っていましたけど……そうならば、ええ、私もそこまで狭量ではありませんから。許しますわ」

セレナ様は優しげな表情で微笑む。

はは。

なんて簡単な女。

「いいのかい、セレナ?」

ホフマン伯爵が低い声でセレナ様へ問いかけた。その声音は抑えられているのに、妙な圧があり、場の空気を再びざわつかせる。

――やめて!!

せっかくまとまりかけていたのに、なぜ余計なことを言うのかしら。

心の中で悲鳴を上げる私とは裏腹に、セレナ様は落ち着いた面持ちで答えた。

「ええ。それに、ここまで勘が当たったのですもの。最後の勘もきっと当たりますわ」

えぇ……まだあるの……。

胸の奥が重くなっていく。さらに何を言い出すつもりなのかしら。

お父様もわずかに固まり、私の方をちらりと見た。

嫌な予感が背筋を這い上がる。

セレナ様はゆっくりと椅子から身を乗り出し、視線を私に向けた。その目には確信めいた光が宿っている。

「オレリア様、ずっと、あなた私たちの後ろを気にして見ていたわね。それはそうよね、この方、あなたの想い人ですもの!!」

部屋の空気が凍りつく。

静止した時間の中で、私の視線だけが反射的に後方へ跳ねた。

……はぁ!?

胸がどくん、と強く跳ね、呼吸が一瞬止まる。意味が分からない。いや、理解したくない。あの後ろに控えている人物が、私の想い人? 一体だれよ!

頭の中が真っ白になり、言葉どころか思考すら追いつかない。

周囲の視線が一斉に私へ集まるのを感じ、心臓が破裂しそうなほど脈打ち始めた。