作品タイトル不明
第二百三十八話「二つ目」
魔大陸ガスロー地方、ネクロス要塞。
魔大陸で最も難攻不落なその要塞の奥。
滅多に使われない牢獄の奥に、その罪人はいた。
「……グゥルルルル」
その罪人は、手に枷を付けられていた。
足には鉄球が付けられ、青と白のストライプのパジャマを着せられていた。
無残な姿だ。
「グルルルルルル」
牢獄に響く唸り声は、罪人の腹の奥底から鳴っていた。
不機嫌なその音は、罪人が今の状態を快く思っていないことの証左とも言えよう。
あるいは、ただ腹が減っているだけかもしれないが。
「出ろ!」
唐突に、牢獄の扉が開けられた。
やってきたのは、漆黒の鎧で全身を覆った二人の偉丈夫。
彼らは罪人を立たせ、牢屋の外へと連れだした。
鉄球がゴリゴリと重い音を鳴らしながら引きずられていく。
しかし罪人に鉄球を気にする様子はない。案外力持ちであるらしい。
罪人は黒騎士たちに連れられて、牢獄を出た。
長い廊下と階段を上り、罪人が連れて来られた場所は、謁見の間であった。
「早くいけ!」
罪人は裁きを受けるかのように背中を押され、よろめきながらも紫色の燭台に囲まれた円形の広場へと引き出された。
顔を上げた先には、玉座がある。
かつて罪人も座ったことのある玉座には、魔王が座っていた。
「アトーフェ……」
漆黒の鎧を身にまとった、女の魔王が。
彼女を見た瞬間、罪人の顔に、怒りの色が浮かんだ。
「……これは、何の真似じゃ!」
罪人は叫ぶ。
腹の奥底から叫ぶ。
腹の中に何も入っていないせいか、声はよく響いた。
「フン、オレはオレより強い者につく! ラプラスの時も、その後も、そうだった!」
対するは魔王。
魔大陸で最も恐れられる魔王は、開き直るかのように、罪人を睥睨した。
「嘆かわしい、死んだネクロスが嘆くぞ!」
「親父は言った、オレはオレの好きなように生きろと!」
「それは、貴様が人の話を聞かん阿呆だからじゃ! どーせ、好きなようにしか生きられないと匙を投げたのじゃ!」
「オレは馬鹿じゃねえ!」
激高する魔王。
しかし罪人は怒りなど気にも留めない。
飄々とした顔で、鼻で笑う。
「馬鹿じゃ。お主は昔っから大馬鹿じゃ。自分でもわかっておろう。目の前に餌をぶら下げられると、なーんも考えられなくなるオツムだって事をのう」
「違う! カールはオレを賢いと言ってくれた! 物覚えもいいと言ってくれた!」
「それはなアトーフェよ……」
罪人は言い放つ。
魔王に対して言い放つ。
言ってはならない言葉を。
「ただの世辞じゃ」
魔王がキレる。
怒髪天をつく勢いでキレる。
周囲の黒鎧たちがすがりつくが、すぐに蹴散らす。
しかし黒鎧たちも負けてはいない、スクラムを組んで、ガッチリと魔王を止めた。
魔王は手をブンブンと振り回しながら、罪人に死刑を宣告する。
「てめぇ! 死んだぞ! ぶっ殺す! もう一度死ね!」
「へーい、へーい! 悔しかったら算術でも覚えてみぃ」
「うがあああぁぁぁ!」
罪人のさらなる挑発に、魔王は渾身の力を以って黒鎧たちを押し返す。
「キシリカ様、おやめください! これ以上のアトーフェ様への挑発は!」
「うるさいわい! うまいもんを食わせるというからついてきたというのに、この仕打ちじゃぞ! このぐらい言わんと気がすまんわい!」
そう、罪人は罠にハメられたのだ。謀られたのだ。
トレードマークの黒鎧を脱ぎ去った男たちに「お嬢ちゃん、おいしいものをあげるよ、ちょっとついておいで」と言葉巧みに誘われ、落とし穴に落ちたのだ。
そう、目の前に餌をぶら下げられ、なーんも考えずにホイホイ付いていき、落とし穴に落ちたのだ!
約束は破られた。
罪人はうまいもんにはありつけなかった。
「大体、未だになんで捕まったのか、理由も聞いておらん!
妾が何をやったというのだ!
妾は何も……何も……なんぞ、悪いことでもやったかの?」
そこで罪人は手をもじもじとすりあわせた。
悪いことの心当たりが多すぎたのだ。
思い返せば、罪人は悪いことしかしてこなかったような錯覚すら覚えるほど、悪事に手を染めてきた。
誰かが怒るのも無理はない。
「フン! 貴様は悪いことなどやっていない!」
だが、魔王はそう言い放った。
ほんの数秒で怒りは収まっていた。他の者ならまだしも、この罪人相手に怒ってもあまり意味が無い事は、魔王も知っているのだ。
「じゃあ、なんでじゃ! いくらお主と言えど、なんもしてない妾にこんな事するほど嫌な奴ではないじゃろうが! お主がこういう事する時ってのは、勘違いした時か誰かに騙された時で……」
そこで罪人はハッと気づいた。
「そうか、貴様、また誰かに騙されておるな!」
「違う! 俺は騙されてなどいない!」
「騙されてるヤツはみんなそう言うんじゃ。よし! そういう事なら妾に全て話してみよ。今ならまだ間に合う、取り返しの付かぬ事になる前に、妾が助けてやる。じゃから、はよこの手錠を外さぬか……!」
ぐいっと手錠を前に出す罪人。
対する魔王は、遠く、明後日の方を向いて黄昏れた。
「騙し合いは話し合いで行われる。だがオレたちは違う。オレたちは戦った。戦い合った。その合戦の後、敗北を認めたのだ」
「嘘つけぃ! 負けず嫌いのお主が素直に負けを認めるものか!」
「オレに負けを認めさせた男……それは、こいつだ!」
魔王が指さした先。
それは……鼠色のローブを身にまとった一人の魔術師だ。
魔術師は悪い顔をしていた。
女を三人ぐらいはべらしていそうなぐらい、スケベな顔だ。
あるいは、それが男の渾身の笑みである可能性もあったが。
「お、おぬしは……ルーベンス!」
「おしい」
「た、確かに貴様なら、あの魔力総量ならアトーフェも……」
おそれ慄く罪人。
過去に二度だけあった人族の魔術師。
最初に出会った時はその気持ち悪いほどの魔力総量に笑い、
二度目に出会った時は、魔王を退けるほどの魔力に笑った。
三度目は笑えない。
アトーフェを従え、自らを捕まえさせた男……笑えない。
「フフ……」
魔術師は静かに見下ろしつつ、口元を歪めて笑った。
「実は、キシリカ様に差し上げたいものがありましてねぇ……」
「ななな、なんじゃ、引導か?」
「フフフ、もっといいものですよ」
魔術師は愉悦のたっぷりと篭った、ニチャっとした笑みを作った。
「だだ、騙されんぞ! 人族はいつもそうじゃ! 甘言を弄して妾を陥れようとする!」
罪人は抗うが、もはや退路は無い。
あわわと震え声を発し、失禁寸前のおまたを押さえながら、オロオロと逃げ場を探す。
「これを見ても、まだそんな事が言えますかねぇ」
魔術師は、己の背負っていた袋を降ろし、中に手を入れた。
そこから出てきたのは、黒い箱だ。
「ヒッ……!」
罪人の喉から、小さな悲鳴が漏れた。
黒々とした箱!
こんなに黒々とした箱に何が入っているのかを想像するだけで、罪人の恐怖心はどこまでも膨れ上がってしまう。
一体何が入っているのか。
なにせ黒々とした箱だ。
黒い箱ではなく、黒々としているのだ。
とてつもなく恐ろしいものが入っているに違いないのだ!
だって黒いんだもん!
「これをもらえば、俺の言うことを何でも聞きたくなるはずです」
「な、なんじゃと……!?」
箱が開けられた。
そこには、こぶし大の大きさを持つ輪っかが、ギッシリと詰まっていた。
輪は黄色だが、カビのような白い何かがビッシリとこびり付いている。
その不気味な形と危険な色、そして漂ってくる甘い匂いに、罪人は総毛立つ。
「な、なんじゃそれは……それを、どうするつもりじゃ……!」
「フフ、これはね、こうするんですよ」
魔術師はそれを一つ手にとり、キシリカの口元へと近づけてくる。
同時に、黒騎士の二人が、罪人の肩を掴み、身動きを取れなくする。
「はい、アーン」
「や、やめ……やめ……やめろぉぉぉぉ!!!!!」
--- ルーデウス視点 ---
魔界大帝キシリカ・キシリスは、俺が持ってきたドーナツを泣きながら食べている。
「こんな旨いものが世界にあったのか、こんなものが……!」
ミリス神聖国から仕入れてきた新鮮な卵と砂糖を使ったドーナツだ。
製作者はアイシャ・グレイラット。
なんでも昔、ナナホシからそんな食べ物があると聞いて、独学で作ったらしい。
ウチでは油を使った料理は結構作っているから、材料を集めるのは簡単だったそうだ。
「なんということだ……! 妾はこの味に出会うために生きてきたのかもしれぬ……!」
キシリカは、謁見の間に来た時はなんだか機嫌が悪そうだったが、今はもう大丈夫そうだ。
ドーナツの魔力だな。
このドーナツ、試食の際にはロキシーにも食べてもらったが、効果は抜群だった。
あんな幸せそうなロキシーは、今までに見たことがなかったかもしれない。
俺じゃあ、あんな幸せそうな顔にはさせられない。
否、ミリスからの仕入れルートを作ったのは俺だ。だから俺があの幸せそうな顔をさせたと言える。
お義父さん、お義母さん、俺はロキシーを幸せにしています。アイシャの作ったドーナツで。
ともあれ、ドーナツには魔族をダメにする魔力がある。
「あ……」
しかし魔力は有限、魔法は回数制だ。
キシリカは12個のドーナツを食い終えて、悲しそうな表情をした。
「これしかないのか……?」
「ええ」
「…………もし、おかわりを持ってきてくれたら、なんでも望みを叶えるぞ?」
「その言葉が聞きたかった」
そう言って笑うと、キシリカはハッとした表情を作り、己の体を抱きしめた。
「クッ……やはり体か……いかにあんなうまいものを食わせてくれたとしても、妾の体はバーディの……しかしあんなうまいものを食わせてもらっては……クッ!」
「今、禁欲中なので、そういうのは別にいいです」
「そうなのか……我慢は体によくないぞ?」
「仮に我慢できなくなっても、妻に頼みます」
「妻? おお、そうか。もう結婚しとるのだったか。いやはや、人族の成長は早いのう……」
さて、本題だ。
今日は、これを聞くためだけに来たんだ。
キシリカは飯をくれた相手に褒美をやるからと、わざわざドーナツまで作ってもらって。
「まず一つ、キシリカ様の力で、ギースという男を探して欲しいのです」
「ほう、ギースか……」
「はい、特徴は――」
俺はギースの細かい特徴と、手紙に書いてあった本名と思わしきものをキシリカに教えた。
「ふむふむ、どっかで聞いたような奴だの……ちょい待っとれよ」
キシリカは口元を汚したまま、目をギュルギュルと動かした。
パチスロのようにカシャカシャと変わる目が、ある瞬間にピタリと止まる。
キシリカの魔眼の一つ、『万里眼』だ。
彼女はそれをもって、宙を睨む。
むむっと顔をしかめつつ、どこかを見始める。
「ほう……む……これは……あ、うまそう……」
ブツブツと呟くキリシカが、キョロキョロと視線を彷徨わせる。
そして、あるタイミングで、キシリカがピタリと止まった。
「見つけた」
あっという間だ。
「北方大地の東端、ビヘイリル王国。
そこにある森の中で何者かと話しておるのう……いやはや、悪い顔じゃなぁ……」
キシリカはイヒヒと笑いながら、更にグっと身を乗り出した。
「さてさて、一緒に話しておるのは……ムッ?」
途端、キシリカの表情が曇った。
「見えなくなった」
キシリカは先ほどと打って変わって真面目な顔をして、目を閉じた。
彼女は、眼を休めるかのように、眼を瞑ったまま顔を空へと向けていた。
だが、しばらくして、ゆっくりと眼を開いた。
「この感覚は…………そうか。お主が今戦っとるのは、 人神(ヒトガミ) ……じゃな?」
いつもとは全く違う、別人のような静かな気配をたたえていた。
「はい」
「ヒトガミと戦っておるということは、つまり、お主は龍神についたのだな?」
「……はい」
「ふぅむ……」
キシリカは腕を組み、顎を引いた。
わざとらしいほどの考えるポーズ。
数秒後、彼女は空を仰いだ。月を見るように。
もっとも、今は昼間で空は晴天だ。
雲しか流れていない。
「それで、アトーフェ。お主はこの男についたのだな?」
「ああ」
「そうか……これも天命かのう」
いつものおちゃらけた雰囲気が感じられない。
まるで賢者のようだ。
どうしちゃったんだろう。
ドーナツが悪い所に入ったのかな……?
「キシリカ様は、ヒトガミの事を、ご存知で?」
「うむ。奴とは因縁があってな……正直、もう関わりとうないと思っておった」
「因縁、ですか?」
「なんてことは無い。ほんの4200年ほど前にな、利用されたのよ。ラプラスを殺したいヒトガミに、妾とバーディがな」
4200年前……?
ああ、第二次人魔大戦の頃か。
「確か、闘神と龍神が戦ったのでしたね」
「そう。妾を守るべく闘神鎧を纏ったバーディと、魔龍王ラプラスがな」
「えっ……バーディガーディ陛下が?」
今明かされる衝撃の真実、というべきか。
闘神の正体はバーディガーディ……ってことか?
オルステッドはそんなこと、教えてはくれなかったぞ。
でもどっかで聞いたような……。
あ、ランドルフか。
あれって本当だったのか……。
「闘神鎧は失われて久しい……だが、バーディガーディが出てきたら注意するがよい。奴は、未だヒトガミめに恩義を感じておる所があるからのう。向こうに回るやもしれん」
「…………はい」
あの陽気な魔王と戦いたいわけではない。
が、敵に回る事も、頭に入れておかなければならないのか……。
できれば、そんな恩義なんてとっくに忘れて、俺の味方についてもらいたいものだが。
「まぁ、アトーフェを味方につけたお主なら、今のバーディぐらいなんとかなると思うが、できれば殺さんでくれ」
バーディガーディはアトーフェの弟で、キシリカと婚約している。
身内だ。
魔族はおおらかだが、いくらなんでも身内を殺されて黙っているほどではないだろう。
「わかりました。もっとも、あの人を、そう簡単に殺せるとは思えませんがね」
「うむ。不死魔族は、しつこいのが取り柄じゃからな」
キシリカはそう言いつつ、アトーフェをチラリと見た。
アトーフェはキメ顔をしている。
だが、今のは多分、褒めていないと思う。
「それとな……もうちょいと、ちこう寄れ」
キシリカが手招きする。
俺はそれに誘われ、彼女に近づく。
彼女が手を口元に寄せる。
内緒話だろうか。
「もうちょい顔を近づけい」
「なんです――」
「ほれ、ずぶしゅー」
キシリカはいきなり俺の左目に指を突っ込んだ。
激痛が走る。
「ぐギアぁぁぁぁあああ!!!!!」
思わず後ろへと逃げようとする。
だが、キシリカに髪を掴まれ、逃げられない。
魔導鎧『二式改』も着込んでいるのに、なぜ逃げられない!?
痛い、痛い!
あ、いや、でもこれは……逃げなくてもいいのか。
「ほう、おとなしくなったのう」
俺はキシリカの行為を受け入れた。
痛みはある、脳髄にギンギンに痛みが走っている。
いきなり突っ込まれ、グリグリとほじくられるが、何をされているのかはわかっていた。
なにせ、二度目だ。
「終わりじゃ」
やがて、キシリカの指がズボッと引きぬかれた。
激痛の残る眼、失明の感覚。
だが、視力が失われていないことは、俺もよく知っている。
「うまいものには一つの礼を、というのが妾のマイルールじゃ」
「……」
「これは、二つ目になる」
俺は、痛みが引いていく目を押さえつつ、キシリカの前に片膝をついた。
「妾はこの戦いには関知せんが、 人神(ヒトガミ) に対しては、ちーっとばかし、因縁もある。じゃから、それは 餞別(サービス) じゃ」
手を外す。
視界は二重だ。
まるで、片方の目の前に手の平を置いたかのように、まったく違う景色が映っている。
頭が痛くなりそうだ。
「千里眼。遠くを見るだけの目じゃが、何かの役には立とう」
千里眼か。
早速、右目をつむり、左目に魔力を込める。
予見眼に使っているのと同じように魔力を調節し、遠くを見てみる。
謁見の間から見下ろせる、ネクロス要塞の入り口。
そこでは、一人の黒鎧が兜を外し、頭のてっぺんをボリボリと掻いている所だった。
更に視線を動かす。
魔力を込めると、視界が空を飛んだ。
際限なく拡大できるカメラのように、どんどん飛んで行く。
クレーターが見えた。
クレーターの中には、町があった。
だが、町の全体は見れない。
さらに遠くを見てみようと魔力を込める。
が、山でストップした。
山の石の細かい模様や、あくびをする大王陸亀の姿は見えるが、そこまでだ。
直線上に障害物があると、そこで視線が遮られるのだ。
魔力を込めるのをやめると、すぐに視界が元の場所に戻ってきた。
単に遠くが見えるだけ。
使い勝手がいいとは、お世辞にも言えない。
だが、悪くはない。
「今のお主なら、二つの魔眼を同時に使いこなすこともできよう」
「ありがとうございます」
俺は素直に礼を言った。
「うむ。では、ルーデウスよ! また困った事があれば妾を頼るがよい! ヒトガミに関わらんことなら助けてやろう!」
キシリカは手錠をカパッと外し、ていっと足に付けられていた鎖をチョップで斬った。
さらに、バッと音を立てて青縞のパジャマを脱ぎ捨て、いつものボンデージ姿へ。
そして、大きく跳躍する。
「サラバじゃ! とうっ――――ぶっ!?」
キシリカは顔から落ちた。
アトーフェが、その足をガッシリと掴んでいたからだ。
「まて」
「なんじゃい。妾の超絶カッコイイ退場シーンを邪魔しおってからに」
キシリカは鼻からダラダラと血を流しながら、アトーフェを睨んだ。
アトーフェは悪びれる様子もなく、キシリカを見下ろした。
「オレの願いも聞け」
「なんじゃと、いきなり妾を捕らえて牢にブチこんだ奴の願いなんぞ聞けんわい。手を離せ、シッ、シッ」
キシリカは鼻血を拭いつつ、アトーフェを手で払った。
だが、アトーフェはそんな事はお構いなしに、キシリカの胸ぐらを掴んだ。
ボンデージがビンと伸びて、キシリカの貧相な胸の先端が露わになった。
おおっ!
いや、禁欲のルーデウスはこんな誘惑には……クッ!
「アールとアレクの居場所を教えろ。ルーデウスには強い者が必要なのだろう? あいつらなら適任なはずだ」
「えー、ルーデウスにはさっき、教えてやったからのう……特別サービスで魔眼も上げたし……これ以上はダメじゃ」
アールとアレク。
何者だろうか。
アトーフェが言うからには、何かの役にはたちそうな人物なのだろうが……。
「教えろ」
「いー、やー、じゃー」
しかし、キシリカは聞いてくれる気配はない。
でも、ギースの居所は知れたのだ。
ギースが何をしているのかわからないこともあるし、ここは、ちょっと無理を言ってでも、味方を増やしておきたい気はする。
味方はいくらでも欲しいからな。
無理……?
あ、そうだ。
コレがあったな。
俺は自分の指にハマっている禍々しいドクロの指輪の存在を思い出した。
ランドルフの指輪だ。
「キシリカ様。キシリカ様。これを見てください」
「おう? なんじゃそれ、なんかどっかで見たような、どこじゃったか……」
「『ランドルフの願い』です」
「む……ランドルフか! 思い出した! それはヤツの指輪じゃな!」
キシリカの反応は劇的だった。
具体的にいうと、顔色が真っ青になった。
「そうかそうか、奴の願いか……奴には世話になったからのう、めちゃくちゃ世話になったからのう……なんであいつ、妾を世話するたびに、「お礼はそのうちでいいですよ、そのうちね、クフフフフ」なんて笑うんじゃろうな……あの笑顔見るたびに、何を要求されるのかと恐怖に震え……」
「これでチャラでしょう」
「そうか! そうじゃな! じゃあ、ちょいとまっとれ!」
キシリカは再度、眼をギョロリと宙に向けた。
探した時間はほんの数秒だ。
便利な検索エンジンだこと。
「アールはわからん。アスラの方だとは思うが、ちと魔力の濃い所におるのか、それとも魔眼封じでも使っておるのか、ボヤけておる。アレクは街道を歩いておるな……この行き先は、ビヘイリル王国の方向かのう」
またビヘイリル王国……。
偶然、かな?
考えた所で、アトーフェが、よしと頷いた。
「そうか。なら丁度いい。ルーデウス。ビヘイリル王国に行ったら、アレクサンダーという男を探せ。お前の力になるはずだ」
「どういう人なんですか?」
「北神カールマン三世だ!」
おお。
北神カールマン三世か!
見つけたら声をかけようと思っていた人物の一人じゃないか。
アレクサンダーって名前だったのか。てっきり、カールマンって名前だと思ってたよ。
……あれ?
でも、そんなのがビヘイリル王国に?
ギースのいる所に?
偶然……か?
罠だな。
うん、罠だ。
「よし、以上じゃな? 妾はもうゆくぞ? 足よし、腰よし、肩よし、誰もつかんでいないの? では、サラバじゃ! ファーハハハハハ! ファーハハハハハ! ファーハファーハファーハーハー!」
俺が悩み、アトーフェが腕を組んで立つ後ろで、ドップラー効果を残して、高笑いが遠ざかっていく。
捕まっていたのはワザとだったのか。
相変わらず、嵐のような人物だ。
なんにせよ、だ。
俺はギースの居場所と、『千里眼』を手に入れた。
---
俺はアトーフェと別れ、シャリーアへと帰ってきた。
ギースの居場所は発覚した。
だが、同時に、あの場所に『七大列強』の一人、『北神カールマン三世』が向かっているという情報も得てしまった。
もう、嫌な予感しかしない。
さて、どうするか。
剣神に声を掛けるだけ掛けてから移動するか。
ギースが北神カールマン三世に声を掛ける前に移動し、北神カールマン三世を仲間にしつつ、さっさと倒した方がいいか。
できれば、敵を減らしつつ味方を増やす後者の選択肢がベターだが、もしギースが俺の気配を察知すれば、すぐにでも逃げるだろう。
逃げない場合は、すでに戦力を整えているということだから、前者の方がいい。
うーん……。
やはり、先に偵察すべきだな。
その上で、退路を塞ぎ、戦力を配置し、確実に追い詰める。
キシリカが行ってしまったのが残念だ。
彼女がいれば、もっと詳しい状況を知れたのに。
あの便利な検索エンジン、なんとかして飼い殺しに出来ないものだろうか。
なんて考えつつ、自宅へと戻った。
「おう、お帰りニャ」
「ちょうど帰ってきたの」
そこには、珍しい二人がいた。
リニアとプルセナだ。
彼女らは、我が家のリビングのソファに我が物顔で座っていた。
否、それは正確ではない。
我が物顔で座っているのは、エリスだ。
リニアとプルセナは、エリスの膝の上に頭を乗せ、耳の付け根あたりを撫でられていたのだ。
完全に服従している状態だ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
エリスは俺に見られてもその手を止めることなく、撫で続けていた。
「ボス、報告があるニャ」
「それも朗報なの」
二人はそう言いつつも、起き上がらない。
とても気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
もうすっかり骨抜きのようだ。
「はいなの」
プルセナが寝転がったまま、俺に一通の紙を手渡した。
態度悪いなぁ……。
いいけどさ。
「東の方から報告が来たニャ。『例の人形とそっくりの緑の髪に、額に宝石を持つ魔族――スペルド族を見つけたり』……それはその報告書だニャ」
「おお! ついにか!」
俺は紙を受け取り、中身を読んだ。
そこには、簡潔に発見報告と、その様子が書かれていた。
なんでも、ある国の商人が、一人の男と取引をしたらしい。
端に布を巻いた白い柄の棒を持ち、鉢金を装着。
分厚いローブを着こみ、フードを目深にかぶっていたが、強風に煽られてチラリと覗いた髪は緑で、ローブの下には、人形と同じ民族衣装のようなものを着ていたという。
彼は人目を避けるように行動しながら、薬を購入していったそうだ。
購入した薬の内容まではわからないが、外見はルイジェルドと酷似している。
「……え」
と、そこまで読んで、俺は最後の一文で目を止めた。
『発見場所:ビヘイリル王国、第二都市イレルより西に半日。地竜の谷森の近くの村』
ビヘイリル王国。
一日に、三度も聞けば、いくら鈍い俺でもわかる。
「そうか……」
ギースに、北神カールマン三世に、ルイジェルド。
ここまでくれば、偶然ではあるまい。
確実に、ビヘイリル王国で何かが起ころうとしている。
いや、ギースが、何かを、起こそうとしているのだ。
この手紙も、もしかするとギースの罠かもしれない。
ルイジェルドを盾に取るのか、それとも、まさかルイジェルドが敵に回ったのか。
それはわからない。
だが、わかることはある。
ルイジェルドが危険にさらされる可能性があるというのなら、
ルイジェルドが俺に対する餌とされるのなら、
俺は行かねばならないだろう。
準備期間は終わり。
決戦の時が来たのだ。