軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

間話 「田舎者、都会へ行く」

「ニナさん、手紙です」

『剣王』ニナ・ファリオンの元に手紙が届いたのは、夏の事だった。

万年雪で覆われている剣の聖地は常に寒いが、その日は春のように暖かく過ごしやすい日であった。

道場の主である剣神ガル・ファリオンは午前中のウチに「こんな日に修行するなんて馬鹿らしい、お前ら、今日は好きにしていいぞ」と昼寝を敢行。

「手紙?」

ニナは勤勉であったため、実直にも稽古に励んでいたが、手紙と聞いてその手を止めた。

「……イ……ゾル……あっ!」

汗だくになりながら配達人から手紙を受け取ったニナは、顔をほころばせた。

水神流の紋章が描かれた封筒の裏には、懐かしい名前が書いてあったからだ。

イゾルテ・クルーエル。

数年前にニナと共に修行をした、水神流の筆頭剣士である。

彼女は今、アスラ王国の剣術指南役として働きつつ、水神流の道場を切り盛りしているはずだ。

彼女とは友人関係にあるが、剣の聖地を発ってからは疎遠になってしまった。

こうして手紙が届くことは珍しい。

「……えっと」

ニナは喜びながら封筒を破り、中の便箋を取り出した。

しかし、その表情は、びっしりと文字の書かれたそれを見た瞬間、曇った。

「なんて書いてあるんだろう」

ニナは文字を読めない。

知り合いの名前ぐらいはなんとか読めるが、長文を読むレベルには達していない。

この剣の聖地では、それでも困らないが。

(誰かに読んでもらおう)

剣の聖地で生まれ育ったニナは文字が読めない。

だが、この道場に住む者の中には、きちんとした教育を受けて育った者もいる。

誰かは読めるだろう。

ニナは裏庭へと赴いた。

そこでは何人かの門弟が、麗らかな日差しを浴びてのんびりとお喋りに興じていた。

普段なら、サボっているように見える彼らを一喝する立場にあるニナである。

ゆえに、彼らも慌てて立ち上がり言い訳を始めようとしたが、

今日は道場主が直々に休暇を言い渡した珍しい日である。

ニナは彼らに対して特に何も言わず、手紙を持ち上げて読めるかどうかを聞いた。

彼らは顔を見合わせ、そのうちの一人が手を上げた。

ニナは「人間語ならなんとか」と言う彼に手紙を渡し、読んでもらうことにした。

内容は簡潔だった。

ここ数年の出来事と、近況である。

レイダが死に、道場を切り盛りしながらのあれこれ。

剣術指南役として、ギレーヌと仲違いする事もしばしば。

ニナはそれを微笑ましく思いながら聞いた。

真面目で潔癖なイゾルテがギレーヌのぶっきらぼうな言葉にムッとした顔をしている姿を思い浮かべながら。

そして、最後に書いてある文で、真顔になった。

『もうすぐ、アリエル陛下の戴冠式が行われます。

戴冠式の前後一ヶ月は、国を上げてのお祭りとなります。

それに合わせて、ぜひとも遊びに来てください』

ニナはそれを聞いて、即座にアスラ王国に行く事を決意した。

悩む事は無かった。

即決即断が剣神流のモットーであるから。

行きたいと思ったら行くのだ。

---

アスラ王国首都アルスの大通りは、人でうめつくされていた。

一歩横によろめけば人にぶつかるほど、数メートル先が見えないほど。

さながら、お盆の某祭典の三日目のような密度である。

戴冠式を目前に控えたアスラ王国の首都アルスには、世界中から人が集まってきているのだ。

最強国家の王を一目でも見られるかもしれないと思って田舎から出てきた者。

祝辞を述べるべく、親善大使として派遣された他国の貴族。

このタイミングでならいい仕官話が転がっているかもしれないとやってきた浪人剣士。

人手が必要だろうと予測をつけ、簡単で報酬のいい依頼を求めてやってきた冒険者。

木を隠すのなら森の中、これを機に追手から逃れようとしている賞金首。

人が集まる所には儲け話アリと、怪しげな商品を売りつけるべくやってきた商人。

などなど……。

中央大陸に住む、ありとあらゆる人種がこの国に集まりつつあるのだ。

その上、今日はアスラ王国の白騎士団がパレードを行うという事で、

憧れの騎士団の晴れ姿を一目見ようと、町人たちも大通りまで足を伸ばしている。

「うわぁ……」

そんな中、ニナはキョロキョロと首を巡らせながら、町の中心に向かって歩いていた。

これほどの人混みは生まれて初めてだった。

それなりに人の多い町には行った事があると思っていた彼女だったが、その想像を絶するほどの人の群れに、混乱せざるをえなかった。

「ちっ、どこ見て歩いてんだ!」

「なっ……そっちからぶつかっ……あれ?」

喧嘩を売られた、と思った時にはすでに相手は人混みの中に消えている。

こんな経験も初めてだった。

彼女は仮にも剣王だ。持ち前の鋭い感覚で、今悪態をついた男がどいつで、どっちにいったのかはわかる。

だが、向こうは悪態を付くだけついて歩き去った。

恐らく、ニナの顔すら見ていない。

(都会では、あの程度の悪態は挨拶みたいなものなのかしら……)

剣の聖地で自分にあんな口を効いた相手は、一瞬で治癒魔術師送りになるというのに……。

都会では悪態をつかれても、喧嘩を売られたと思ってはいけないのかもしれない。

「やぁやぁ、そこの綺麗なお姉さん、ちょっと見ていきませんか?」

「き、綺麗って……私?」

フラフラと歩いていると、唐突に商人風の人物に呼び止められる。

彼は近くの小さな店で、何かを売っているらしい。

「そうですそうです。あなたのような綺麗な方は初めてみました……ところで、見たところお姉さん、首都は初めてのように見えますが?」

「はい、でもなんで分かったの?」

「え? 一目見ればわかりますよ。この人混みでてんてこ舞いなのは、他国の人間の証拠ですもの……」

知らずしらずに田舎者らしい動きをしていたと聞いて、ニナは顔を赤らめた。

自分では都会にもちょくちょく足を伸ばしているつもりだった。

だが、本当の都会の人間からすると、ニナが都会と思っていた場所も田舎なのだ。

「すごい人混みね。やっぱりみんな、戴冠式目当て?」

「もちろん、それもありやすが、今日は騎士団のパレードがあるってんで、皆してこの大通りに集まってるんでさ」

「そうなの……」

「町の至る所に、看板があったでしょう。パレードを見るなら大通りを、用のない者は裏のサアルテン通りの方を使えって……」

「悪いけど、字は読めな――」

「あ、なるほどなるほど、パレードに用が無いなら、うちの裏からもサアルテン通りに出られるから、よかったら、通ってくかい?」

「いいの? でも、通行料が――」

「えあー、もちろん無料で……あ、そうだ。文字が読めないってんなら、うちの商品を買っていくといい。人形付きの絵本なんですが、巻末には字の読み方もついてるってんで、好評なんですよ……」

「本を買えるだけのお金なんて……」

「大丈夫大丈夫。うちの本は、そんじょそこらの本よりずーっと安いんですよ。アスラ大銅貨2枚……いや、これも何かの縁だ、アスラ大銅貨1枚と銅貨8枚に負けときますよ、いかがです?」

気づけば、ニナは幾分か人通りの少ない道にいて、手には絵本と人形を持っていた。

サイフの中身は、きっちりアスラ大銅貨1.8枚分の金が減っている。

自分の発言を遮られて、矢継ぎ早に言葉を繰り出された結果だ。

気付いたら詐欺にあっていた感じだが、嫌な気分ではない。

このスピード展開は、剣神ガル・ファリオンに稽古をつけてもらった時と似ているからかもしれない。

それにしても、大銅貨1.8枚。

本の値段にしては安いかもしれないが、ニナの手持ち金額から見ると高額である。

だが、道を教えてもらった上、何も無しでは剣王の名がすたる。

(だから、これでいいのよ……)

そう思い、ニナは歩き出した。

サアルテン通りは、大通りより2メートルほど下を通っていた。

ややジメジメとしていて、トンネルが多い。、まさに地元民の下道という感じだが、道幅は広く、商人の言ったように大通りに比べてすいていた。

あくまで比べてという事なので、人でごった返してはいるのだが……。

それでも町の中心へと向かう人の流れと、町の外へと向かう人の流れできっちりと別れていたため、ニナもスムーズに移動を再開することが出来た。

「これなら、なんとか夕方までにはイゾルテの道場につけるわね」

大銅貨1.8枚は、情報料としては悪く無かったかもしれない。

そう思いつつ、ニナは手元にある人形と絵本を見た。

槍を持った魔族の人形で、絵本の表紙には同じ人物が描かれている。

恐らく、主人公なのだろう。

珍しい事に、スペルド族だ。

どういう物語かは知らないが、ニナも武人の一人として、スペルド族と戦ってみたいと思った事はある。

友人であるエリスの話によると、スペルド族は悪魔のように強いらしい。

エリスは狂犬だ。悪魔すらも目線をそらして道を譲るような殺気立った犬だ。

そんな彼女が誇らしげに語るスペルド族。

少し興味があった。

(それに、商人の言うとおりこの本で勉強できるなら、稽古の合間に勉強するのも悪くないかもしれないわね)

なんて考えつつ歩いていくと、大通りの方で歓声が上がった。

どうやら、パレードが始まったらしい。

騒いでいるのを見ると少し興味が湧いてくる。

まずはイゾルテの所に、と思っていたが、今から大通りに向かって、見ていってもいいのではないか。

「え?」

なんて思ったニナの視界の端に、チラリと。

どこかで見たことのある、赤毛の女が映った。

「エリス?」

なんでここに彼女が?

そう思い、赤毛の女を目で追う。

すると、確かにいた。

2メートル上の高さにある大通りから、赤い頭がぴょんと出ている。

後ろ姿だったが、その物腰を見てニナは確信した。

間違いない。

エリスだ。

「エリッ――」

なんでこんな所にいるのかわからないが、懐かしさを胸に声を掛けようとして、ニナは言葉を詰まらせた。

「ほら、ルーシー、見える?」

「見える! キラキラしてる!」

彼女が唐突に、近くにいた少女を肩車したからだ。

「エリス、俺が肩車してあげたかったんだけど」

「ダメよ、どうせルーシーの太ももを舐めまわすんでしょ? 昨日私にしたみたいに!」

「失敬な! 実の娘にそんなことするわけないだろ!」

「どうだか!」

「確かに舐めまわしたいぐらい好きだけどさ……」

その会話は、エリスの隣に立つ男性とのものだった。

男性の方は、見覚えがあった。

ニナにとってトラウマともなっている、魔王バーディガーディ。

彼を一撃で倒した、あの魔術師だ。

最近は『龍神の右腕』と目され、各地で目撃情報のある男。

ルーデウス・グレイラットだ。

「……」

ニナは、何やらショックを受けていた。

エリスがルーデウスの所にいったのは知っている。

龍神オルステッドと戦うというルーデウスの元に行ったのを知っている。

その後、手紙も送ってこなかったから、てっきり死んだものと思っていたが、風の噂でルーデウスと一緒にアスラ王国にあらわれたという話も聞いた。

その後、ルーデウスが『龍神の右腕』となったのだから、エリスも龍神の軍門に下ったのだろう、と勝手に思っていた。

きっと強くなってるのだろうな。

あの頃よりも、とは思っていた。

しかし、今見えるエリスは、ニナの想像とはかけ離れた所にいた。

男と二人で冗談を言い合いながら、笑い合っている。

あの肩車をしているのは、娘だろうか。

エリスが結婚して子供まで生んでいるなんて、考えたことも無かった。

あのエリスが、あの野獣が、狂犬が、あんな風になってるなんて。

夫と仲良く二人っきりでパレード見物にきて、イチャついているなど……。

「……イゾルテに会おう」

ニナはそう思い、エリスから視線を外した。

剣王になって、ようやくエリスと並んだと思っていたはずなのに、凄まじい敗北感を抱えながら。

ちなみに、ニナの位置からは見えなかったが、ルーデウスの脇にはちゃんとロキシーとシルフィが立っており、すぐ近くにはザノバとジュリの二人もいたことを明記しておこう。

---

その後、ニナはイゾルテの道場へと赴いた。

汗臭くて、浮ついた雰囲気のない道場は、ニナの心をほっと落ち着かせた。

イゾルテに挨拶をしたのち、門下生たちに紹介される。

誰も彼もが女っ気、あるいは男っ気のない朴訥とした雰囲気を持っていた。

(やはり、剣士とはこうでなくては……)

ひと通り道場の案内を受けた後、ニナはイゾルテに連れられて、彼女の住居へとお邪魔した。

首都アルスに滞在している間は、彼女の家に泊めてもらう手はずとなっていた。

イゾルテの住んでいる家の部屋が、一つ余っていたからだ。

かつて、水神レイダの暮らしていた部屋であるが、すっかり片付いている。

ニナは、レイダの事より、イゾルテに男っ気が無いことに安心していた。

水帝で、剣術指南役で、騎士。

さぞモテるだろう。

あのエリスですら結婚して子供がいるのだから、この玲瓏たる雰囲気を持つイゾルテに相手がいてもおかしくない。

家に戻ったら夫と子供を紹介されてもおかしくない。

そう予想していたがゆえの、安心であった。

「ニナさん。実は今日、パレードが終わった後に小さな集まりがあるんです。長旅でお疲れかもしれませんが、そちらの方にも参加していただけませんか? 是非とも剣王様を、色んな方に紹介したいのです」

ニナが荷物を置き、ほっと一息ついた所でイゾルテはそう提案した。

「ええ、いいわよ」

ニナはあっさりとそう答えた。

小さな集まりというのが何かはわからないが、どうせ夜に予定があるわけではない。

観光は明日からでもできるだろう。

そう思っての事だった。

そして、一時間もしないうちに、その返答に後悔した。

無論、後悔するまでの間にも経緯はあった。

最初に思ったのは『何かおかしい』。

それは、イゾルテに連れられて、王城近くにある巨大な館を前にした時に思った。

あれ、小さな集まりの割に、全然小さくないぞ、と。

次に思ったのは『騙された』。

それは、豪華そうな部屋に連れられ、豪華そうなドレスを一つ選ばされ、複数人のメイドに半ば無理矢理着替えさせられた時。

これ、絶対に貴族のパーティか何かだ、と。

そして『こなければよかった』だ。

なぜ、あっさり了承したのか。

なぜ、のこのこ付いてきたのか。

なぜ、無抵抗に着替えさせられたのか。

普段のニナであれば、どこかで抵抗し、その場を脱していただろう。

そうしなかったのは、やはり普段と違ったからだろう。

剣を使った戦いではないのだ。

着慣れないドレスに身を包み、歩きにくい靴を履かされ、剣も取られ。

腰は寂しく、足回りもおぼつかなく。

そんな状態のニナはイゾルテに連れられて、パーティ会場にいる人々に紹介された。

そこで、ニナは少しだけほっとした。

紹介された人々が、高貴な人物ばかりではなかったからだ。

貴族は多かったものの、平民出身の騎士や、他国から引きぬかれた魔術師団の若きエースといった、ニナにとってもわかりやすい世界の人間がいてくれた。

彼らの中にも、ニナと同じように、騙されて連れられてきたのか、戸惑っている者がいた。

自分だけでは無いと知ると、人は心に安堵が生まれるものである。

落ち着いてしまえば、ニナも剣王である。

相手を見極め、己が勝てるかどうかの品定めをすることぐらいはできる。

周辺にいる相手が雑魚ばかりと知れば、心にゆとりもできてくる。

心にゆとりが出来たニナ。

彼女が次に思ったのは『お腹すいた』だった。

食い気である。

思えば、昼から何も食べていなかった。

剣神流の剣士は全員が健啖家である。

修行のため、数日森にこもるような時ぐらいしか、食事を抜かない。

そんな彼女が、パーティ会場にある色とりどりの料理に目を奪われたのも、仕方のない事であろう。

そして人目を憚らず、大いに飲み食いをして、その結果トイレが近くなり、中座することになったのも、仕方のないことであろう。

メイドの案内でトイレまで辿り着いたのはいいが、用を足した後、着衣を直そうと四苦八苦しているうちにメイドがいなくなり、迷宮のような館の中、元の会場の場所がわからずに迷ってしまったとしても、全ては仕方のないことなのだ。

(はぁ、調子狂うなぁ……)

薄暗い廊下をボンヤリと歩きながら、ニナは心のなかでため息をついた。

どうにも、アスラ王国に来てからというもの、場の空気に圧倒されっぱなしで、本調子を取り戻せない。

剣王になって、世界に通用するレベルだと思っていたのを、木っ端微塵に打ち砕かれた気分だ。

「昔はもっと、考えずに動けたんだけどなぁ……」

剣王になり、弟子もできたせいだろうか。

それとも、エリスと知り合い、彼女の性格に影響を受けたからだろうか。

昔と違って、後先考えずに動くことはできなくなってしまった。

その分、剣士として強くはなれたと思ってはいるが……。

「そういえば、エリスのこと、イゾルテに言うの忘れてた」

エリスが町に来ているなら、また三人で稽古の一つもしたい。

なんて考えた途端、ニナの脳裏に昼間見た光景が浮かび上がり、ブンブンと首を振って打ち払った。

(あれはもう、私の知っているエリスじゃない……)

なんでもいい、早く会場に戻ろう。

そして適当な所で切り上げてもらい、帰ろう。

ここは居心地が悪いが、アスラ王国には名所がたくさんある。

イゾルテに案内してもらって……彼女が忙しい日は、自分でも散策してみよう。

町はお祭りみたいだし、きっと楽しいこともあるはずだ。

なんだったら、町にある剣神流の道場とかも訪ねてみるのもいい。

(よし…………ん?)

決意を新たにしたニナの視界に、ふと、明かりの漏れている部屋があった。

扉は小さく、パーティ会場ではないだろう。

だが、会場を知っている人はいるはずだ。

彼らに道を尋ねればいい。

半ばほっとしつつニナはその扉に近づいて……。

「――アリエル陛下も、あの事をバラされたくないでしょう?」

あからさまな脅しの声を聞いて、立ち止まった。

(アリエル……陛下?)

この国で、そう呼ばれる人物が一人しかいないことは、いかに田舎者のニナでも知っていた。

アリエル・アネモイ・アスラ。

10年近くラノア王国に島流しにあっていたにも関わらず、彗星のように戻ってきて、王位を手に入れた、カリスマ女王。

この首都アルスのお祭り騒ぎは、全て、彼女一人のために行われていると言っても過言ではない。

「……あの事? なんのことですか?」

「覚えが無いと?」

ニナは足を忍ばせて、扉に近づいた。

そして、扉のスキマから、中を覗きこむ。

(……!)

そこには、一組の男女がいた。

イスに座る金髪の女性に、一人の明るい茶髪の男。

女性の脇に立つ男の顔は、見覚えがあった。

「心当たりがありすぎて……」

「それは――」

ルーデウス・グレイラット。

彼は、昼間エリスに笑いかけていたのとまったく違う、別人のようないやらしい笑みを浮かべながら、アリエルの頬に顔を近づけていた。

ニナは咄嗟に思った。

(肉体関係を迫ってるんだ!)

ルーデウス・グレイラットという人物は、エリスの他にも二人の妻を持っている。

好色な人物であるという噂も、どこかで聞いた気がする。

また、アリエルが王になるにあたり、裏でかなりの尽力をしたという話も、道中で耳にした。

オルステッドの配下になったのなら、その手先としてアリエルを支援したのだろう。

そして、おそらく、その時の何かをネタに、アリエルを抱こうと考えているのだ。

(斬ろう)

ニナは即座にそう判断した。

アリエルがどんなネタでゆすられているのかはわからない。

ルーデウスがどれだけ強いのかも分からない。

自分は今、剣を持っていない。

だが、そんなことはお構いなしに、ニナは目の前にいる男を斬ると決めた。

悩む事は無かった。

イゾルテはアリエルの配下だ。

友人の上司が強請られているというのなら、斬ることにためらいなどあるはずもない。

もっとも、最近のニナなら「少しまてよ」と考える所である。

この数時間で、彼女もストレスが溜まっていたのだ。

しかし、次の瞬間。

ニナの背後で殺気が膨れ上がった。

「っ!」

慌てて背後を振り返る。

すると、そこには血のような真っ赤なドレスを着た、悪鬼が立っていた。

「エリス!?」

なんでここに、と思わなくは無かった。

エリスはルーデウスの隣にいた。

ルーデウスはここにいる。

なら、この館に来ていても、なんらおかしくはなかった。

「ニナ……?」

エリスは訝しげな顔を一瞬作ったが、すぐに顔を引き締めた。

「あんた、誰に向けてそんな殺気撒き散らしてんのよ」

まずい、とニナは思った。

この状態になったエリスは止まらない。

一戦交えれば、部屋にいるルーデウスにも気づかれる。

二対一、エリスは剣を持っていないが、魔術師と挟まれれば……。

「あれ? エリス、戻ってきた?」

ニナがそう思った時には、すでに遅かった。

背後で扉が開き、ルーデウスが顔を出した。

その時点で勝てないとニナは瞬時に悟った。

それでも猛獣のように向かっていくのが剣神流である。

ニナは丹田と足に力を込めて。

「さぁ、ルーデウス様、そろそろ参りましょう。

お客様を待たせてしまっています」

ルーデウスの横ですまし顔をしているアリエルの顔を見て、ニナの力が抜けた。

彼女は助けを求めるような顔も、切羽詰まった顔もしていなかった。

何かがおかしい、とニナは感じた。ここ数時間で何度も感じた感覚である。

「……脅されていたのでは?」

「……?」

アリエルはしゃがみ込むニナを見て、首をかしげた。

ニナとアリエルに面識はない。

だが、アリエルはニナの体勢と表情、エリスの表情、自分たちの会話を考え、瞬時に何があったのかを悟っていた。

「いいえ、私の方がルーデウス様に頼み事をして、それを断られただけですよ。

どうしても頼まれて欲しかったので、少々ルーデウス様の弱みをつついてみたのですが、

見事にカウンターをもらいまして……。

後半部分だけを聞いて、私が脅されていると判断し、助けようとしてくれたのですか?」

ニナは目を白黒させながら、コクコクと頷いた。

アリエルはそんな彼女の腕をそっと掴んで、ゆっくりと立ち上がらせた。

「ありがとうございます。お初にお目に掛かりますね。アスラ王国次期国王アリエル・アネモイ・アスラと申します」

「えっ、あ、え?」

次期国王アリエルに、こんな間近で、しかも先に名乗らせてしまった。

その事に理解が追いつかず、慌てたニナは、咄嗟にエリスの方を見た。

彼女はムッとした顔をしていたが、ため息をついてニナに助け舟を出してくれた。

「そいつはニナよ」

「エリス様のお知り合いですか?」

「そうよ、剣聖ニナ・ファリオン。剣の聖地で一緒に修行したわ」

なんでここにいるか知らないけど、とエリスは付け加えた。

「も、もう剣王になったわ! あなたと同じよ!」

「……そうなの? おめでとう」

エリスにそっけなく言われて、ニナは押し黙った。

まるで、意味もなく剣王であることを誇ってしまったかのような気分だ。

ただ訂正しただけなのに。

「なるほど、ニナ様。今宵のパーティは、私とルーデウス様で主催したものです。あとでお話をする機会もあるかと思います。まずはゆったりと楽しんでいってください」

「あ、は、はい……」

アリエルは優しく微笑むと、ルーデウスと共に廊下を歩いて行った。

ニナはそれを見送り、はぁとため息をついた。

今日は本当に、調子が狂うことばかりが起きる。

「で、なんでここにいるのよ」

そして、背後に居残っていたエリスに声を掛けられて、ゆっくりを振り返った。

真っ赤なドレスに、アップにした赤い髪がよく似合っている。

首飾りやイヤリングといったアクセサリも、決まっていて、本当の貴族令嬢のようであった。

「…………エリス……ドレス、似合ってるね」

「ふふん、ルーデウスに選んでもらったんだから、当然よ!」

自慢気に胸を張るエリスは、先ほどの野獣と同一人物とは思えなかった。

だが、ニナは思った。

(エリス、あんまり変わってない)

と。

それが切っ掛けだったのだろう。

「あのね……聞いてエリス。イゾルテがね……」

ニナはため息をつきながら、エリスに対して愚痴を始めるのであった。

---

結局の所、ニナにはあのパーティの目的はよくわからなかった。

あの後、エリスと一緒に会場に戻るとルーデウスがやってきて、

「龍神オルステッドはあなたの味方です! 今ご契約いただければ、洗剤もお付けいたします。大丈夫です。契約金は一切かかりません、ただ80年後に奴が戦争を起こした時に備え力を蓄え、龍神オルステッドに力を貸していただくだけでいいのです。そうするだけで、向こう100年、オルステッドコーポレーションはあなたの味方です! どうか、清き一票をよろしくおねがいします!」

と、よくわからない事を言われ、頷いただけである。

ルーデウスは、仲間を集めているようであった。

先ほどの事が誤解であるというのなら、エリスの夫でもある彼に力を貸すのはやぶさかではない。

でも、どこでどう力を貸せばいいのか、ニナにはよくわからなかった。

80年後に戦いが起きるから、そのときにオルステッドに力を貸してほしい、そのときに向けて力を蓄えてほしい、と言われてもピンとこない。

ニナと同様、その場にいた面々も戸惑っているようだった。

だが、最終的には誰もが頷いていた。

アリエルから頼まれて、嫌と言える人物は、あの場にはいないというのもあるだろう。

パーティの後。

エリスの勧めで、ニナはパーティ会場である館に泊まる事になった。

イゾルテも一緒である。

なんでも、この館はルーデウスがアリエルに下賜されたものであるそうで、自由に使っていいのだ、とエリスが自慢気に語っていた。

その夜は、久しぶりに三人で会話をした。

相変わらずルーデウスのことばかり話すエリスに、自分もそろそろ相手が欲しいとぼやくイゾルテ。

二人と顔を突き合わせて話すのは、昔を思い出しているようで、なんとも懐かしかった。

話の内容は昔に比べて少し変わったが、それでも楽しい事には変わりなかった。

この時間があっただけでも、首都アルスに来てよかったと思えるほどに。

そして、翌日になる頃には、変な嫉妬心や敗北感は薄れ、ニナは自分を取り戻していた。

---

アリエルの戴冠式が無事終了するまでの間、ニナはたっぷりと首都アルスを満喫した。

観光名所に、人混みに、道場に。

行こうと思っていた場所には全て赴いた。

一人ではない。

イゾルテは仕事の関係もあってついてこない日が多かったが、なぜかエリスはずっとついてきた。

何故か、と最初は思った。

エリスは口を開けばルーデウスのことばかり話したからだ。

なら、ルーデウスの所にいればいいのに、と思う事も多かった。

だが、長いこと一緒にいたおかげで、ニナにもエリスの言い分がわかった。

どうやらエリスはニナに、ルーデウスの勧誘を受けて欲しいらしい。

口下手な彼女の話は要領を得なかったが、真摯で一生懸命な言葉は、ニナの心を動かした。

よくわからないから放っておこう、と思えたルーデウスの話を、少し考えてみるか、と思えるぐらいには。

---

戴冠式が終わり、ニナは剣の聖地へと戻った。

帰路で彼女は考えた。

80年後の戦争、オルステッドの陣営につく事に同意した自分。

幸せそうなエリス、明るいエリス、元気そうなエリス。

その隣にいたルーデウス。

彼らの事を考えながら、馬を走らせた。

結論は無論、出なかった。

だが、剣の聖地にてニナを出迎えた人物を見て、ふと何かがカチリとハマった。

出迎えたのは自分の従兄弟だった。

自分の後を追うように剣聖になり、そしてもうすぐ剣王になろうとしている青年ジノ・ブリッツ。

彼を見て、ニナは思い浮かんだ言葉をそのまま言った。

ためらいはなかった。

なぜなら、剣神流は即決即断がモットーであるからだ。

「ねぇジノ。私達も結婚しない?」

その後、剣の聖地に一組の夫妻が生まれるが、それはまた、別の話である。