軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十九話「帰還」

北方大地には雪がちらついていた。

旅立ってから、約4ヶ月。

秋も、獣族の発情期もとっくに過ぎて、

長い冬に入ろうという季節だ。

胃袋の森も、うっそうとした森に 踝(くるぶし) まである雪が積もっていた。

もうあと一ヶ月、帰るのが遅かったら、雪は腰ぐらいの深さになっていただろう。

そうなれば、シャリーアまでの距離を移動するのも困難になったに違いない。

「俺とエリナリーゼさんで先導します」

俺はそう言って、先頭を歩く。

何かあれば全て倒そう。魔力は問題ない。

ゼニスは疲れを訴えずに歩いている。

アルマジロはブルブル震えているが、時折魔術で暖めてやれば大丈夫だ。

問題はない。

---

その日の夜。

見張り番は俺とエリナリーゼだった。

彼女は唐突に切り出した。

「ルーデウス、話がありますわ」

話の内容については、俺もうすうす感づいていた。

ロキシーとの事だろう。

俺はエリナリーゼの真正面に正座する。

責められれば、即座に土下座が出来るように座った。

エリナリーゼは、足を崩して座っている。

どんな言葉で怒られるのか。

シルフィを蔑ろにした事か。

それともロキシーを抱いてしまった事か。

「ルーデウス、あなた、ミリス教徒ではありませんでしたわよね?」

エリナリーゼの第一声は、そのどちらでもなかった。

「……?」

俺はその言葉の真意がわからない。

しかし、俺にとって、神と呼べる相手はただ一人だ。

今も昔も変わらない。

「違います」

「ですわよね。シルフィもミリス教ではありませんわね?」

「ええ、そのはずです」

シルフィは宗教を持っていない。

というか、俺の知り合いで敬虔なミリス教徒はクリフぐらいだ。

クリフは常にミリス教団のシンボルを首から提げているし、七日に一度、町の教会までミサのようなものに行っているらしい。

少なくとも、シルフィはミリス教団のシンボルは持ってないし、教会にも行かない。

クリフと比べての話だから、実は信奉しているのかもしれないが。

少なくとも俺は、そういった話は聞いていない。

「わたくしのクリフは、敬虔なミリス教徒ですわ」

「そうですね」

丁度クリフの事を考えた所だったので、すぐに同意する。

「知ってます? ミリス教徒というのは、妻を一人しか娶ってはいけないという決まりがあるんですのよ」

「らしいですね」

「その妻を生涯を掛けて愛しなさいという、少々堅苦しいけれど、実際に愛される側に回ってみると心地よい教えですわね」

そうだろうとも。

一人の相手を全力で愛し、そして愛してもらうというのは、それはもう心地よいものだ。

だと言うのに、俺の流動的な浮気心はロキシーに流れてしまっている。

俺はロキシーが好きだ。それは間違いない。

けれど、あの惨めだった不能時代はよく覚えている。

それを治し、満ち足りた生活をくれたのはシルフィだ。

それに報いるだけの愛を返したい。

その気持ちも、間違いない。

「けれどルーデウス」

「はい」

「わたくしは別に、複数の相手を同時に愛する事が悪いとは思いませんのよ」

「エリナリーゼさんは、そういう人だろうと思っていますけど、それは不誠実ではないんですか?」

聞き返すと、エリナリーゼは首を振った。

「あなたがシルフィを捨てたならまだしも、きちんと愛している限りは、不誠実ではありませんわ」

「でも、対象が二人になれば、割ける労力も半分になりますよね」

「別に一日中一緒にいるわけではないでしょう? 半分にはなりませんわ、ちょっと減るかもしれないけど、それだけですわ」

減るなら問題ではないのだろうか。

人間、増えた分には鈍感でも、減った分には過敏なのだ。

前より愛されていない、などとシルフィに思われてしまったら、それは大問題だ。

「思い出して御覧なさい。パウロがリーリャを娶った後、ゼニスは不幸になりました?」

不幸か幸福か。

少し論点がズレている気がしないでもない。

だが、確かに、言われて見ると、別に不幸にはなっていない。

今まで通りだった。

むしろ、リーリャと今まで以上に仲良くなっていて、より幸せそうにも見えた。

妻二人に攻撃されるようになり、パウロはちょっと不幸になったかもしれないが。

それもまた、幸せの形の一つだろう。

そんな幸せは、もう戻ってこない。

「……結局、エリナリーゼさんは何が言いたいんですか」

俺はそう聞いた。

パウロの事を思い出し、少しだけ悲しい気分になった。

これ以上話すと、もっと悲しい気分になるかもしれない。

だから、結論を聞きたかった。

「ルーデウス。あなた、ロキシーを娶りなさいな。ロキシーの事、好きなのでしょう?」

その言葉に、俺は少しだけ、カチンときた。

「……本気で言ってるんですか?」

「ええ、もちろん本気ですわ」

「エリナリーゼさん。あなたが言うんですか? シルフィの祖母のあなたが、シルフィの幸せな生活を願わなければならないあなたが」

俺にエリナリーゼを責める権利はない。

浮気をしたのは俺だ。

シルフィとの誓いを破って、ロキシーを抱いた。

その経緯がどうであれ、事実は変わらない。

が、つい責めるような口調で言ってしまった。

「ええ、わたくしが言いますわ。わたくしでないと言えませんもの」

エリナリーゼは傲然とした表情で俺を見た。

「こういう言い方をしてはいけないと思っていますけれど、

わたくし、シルフィの祖母になる前から、ロキシーの親友だったんですのよ」

意味が一瞬わからなかった。

しかし、すぐに出会った順番の事を言っているのだと気づいた。

エリナリーゼはロキシーと出会い、その後にシルフィと出会った。

「正直、今のロキシーは見てられませんわ。あの子、本当はずかずかと入り込んで、あなたに思う存分甘えたいのに、身を引くつもりですのよ。自分の会うタイミングが悪かったというだけで」

そう聞くと、ロキシーは確かにかわいそうだ。

しかし、シルフィの立場に立って考えると、シルフィがかわいそうだ。

「あの子、このままあなたと別れたら、きっと酷い人生を送りますわ。悪い男に騙されて、粗雑に扱われて、最後には借金のかたに娼館に売られて、名前も知らない男の子供を産ませられる可能性もありますのよ」

「それは言いすぎじゃないですか?」

「わたくしの知り合いには、そういう人生を送った女もいますのよ」

随分と真に入った声音だった。

まさか実体験じゃないだろうな。

「わたくし、控えめでもいいから、ロキシーには幸せになって欲しいんですの」

「そりゃ、俺だって、そう思いますけど」

「ルーデウス。あなたなら出来ますわ。シルフィとロキシーを同じぐらい愛する事が。パウロの息子ですもの。それぐらいの甲斐性はあるはずですわよ」

出来るのだろうか。

出来るだろう。

うん、出来る。

だって、同じぐらい好きなのだから。出来ないはずがない。

でも、本当にいいのだろうか。

そんな都合のいい事を言って。

俺にとって都合のよすぎる事を言って。

ダメだ。

……これは悪魔の囁きだ。

耳を貸しちゃいけない。

「いや、俺はシルフィだけを――」

「これは、言うつもりは無かったんですけど」

俺の言葉を遮って、エリナリーゼは声をはりあげた。

そして、静かに言った。

「バザールでお酒を飲んだ時にロキシー、あの日が来ないと言ってましたわ」

「…………え?」

生理ってなんだっけ。

いや、そういうのはいいから。

え、だってそんな。

「まあ、まだ確定ではありませんけれど……」

いやでも、出来る事はした。

なら、可能性はある。

そして、あの日、ロキシーは力なく俺の胸を叩いた。

あれはなにかの合図だったのではないか。

エリナリーゼはこちらの顔を覗き込むように、言った。

「ルーデウス、あなた、もしロキシーに子供が出来ていたら、どうしますの?」

その言葉を聞いた時。

俺の脳裏には、ありし日のパウロの姿が思い浮かんでいた。

そう、リーリャを孕ませた時のパウロだ。

あの時のパウロは、情けなかった。

どちらとも取れない行動をして、俺に助けられた。

パウロは、尊敬すべき男だ。

けど、あれは真似しちゃいけない。

「……責任を、とります」

「どうするんですの」

「結婚します」

結婚しますと、俺はそう言った。

言わされた感もある。

あるが、しかし言わざるをえなかった。

しかし、言ってしまえば。

心の中にストンと落ちるものがあった。

俺はシルフィが好きだ。

けど、ロキシーとも結婚して結ばれたいのだ。

ロキシーが別の誰かに取られるのは嫌で、俺のものにしたいのだ。

虫のいい話だ。

シルフィにあんなことを言って、子供まで作らせて。

それでいて別の女もほしいなんて。

許されることじゃないだろう。

こんな事を考えるのは、人間のクズだ。

今まで、俺はさんざん、パウロをクズだと言ってきた。

けれど、俺だって男だ。

好きな女が二人できて、二人ともがほしいと思ったのなら。

二人を同時に手に入れる努力ぐらい、してもいいんじゃないだろうか。

パウロみたいに。

それでシルフィに幻滅されて、ロキシーにも見捨てられて。

結局、両方とも失う事になっても。

ん、そうだ。

これは俺だけの問題じゃない。

「……でもロキシー先生とシルフィがイエスと言ってくれるかどうかはまた別の話でしょう」

「そうですわね。じゃあロキシーを呼んできますわ」

「えっ」

エリナリーゼはそう言うと立ち上がり、

さっと近くに張られたテントの中へと入っていった。

素早い。

しばらくして、ロキシーだけが出てきた。

眠そうな顔はしていなかった。

緊張の面持ちでこちらを見ていた。

もしかすると、エリナリーゼに何か言われたのかもしれない。

「話というのはなんでしょうか、ルディ」

ロキシーは俺の目の前に正座をした。

俺もつられて居住まいを正す。

なんて言えばいいんだ。

ちょっと早すぎる。

何も言葉を考えていなかった。

いや、考える必要なんか無い。

俺のロキシーが好きだという気持ちは考えて出てくるものじゃない。

「えっと、ずーっと前にも、言ったかと思いますが」

「はい」

「俺、先生の事、好きです。昔から今に至るまで、ずっと好きでした。ただ好きなわけじゃなくて、尊敬もしています。先生は俺より魔術が出来ない事を気にしているようですけど、それに関係なく、俺は先生の教えには何度もたすけられました。俺は先生がいたから、ここまで生きてこれました」

ロキシーの顔がみるみる赤くなる。

俺も相当赤い顔をしているだろう。

面と向かってこういうのは恥ずかしいな。

「それは、ありがとうございます」

「でもその、ええとですね。俺にはもう、妻がいます」

「はい、お聞きしました」

二番目の妻になってください。

というのだろうか。

それはあまりにも、失礼ではないだろうか。

いい言い回しが思い浮かばない。

どうしよう。

でも、言うのだ。

どう言い回しても、結局は同じ事なのだ。

俺はシルフィとは別れない、その上で、ロキシーを手に入れようとしている。

しかも、シルフィへの相談を後回しにして。

シルフィに事後承諾させようとしている。

まさにクズの所業だ。

しかし、今言って置かなければ。

ロキシーはどこかに行ってしまうかもしれない。

彼女は事が終われば、すぐに旅立つタイプだ。

引き止めておかなければ、手遅れになってしまうかもしれない。

……もういい。

後になってああしておけばと言うぐらいなら、俺はクズでいい。

「妻というのは、シルフィエット・グレイラットという名前なのですが、もともとは苗字が無くて、ただのシルフィエットだったんです」

「はい、そう聞いてます」

「ロキシーも、ロキシー・グレイラットに名前を変えるつもりはありませんか?」

ロキシーは一瞬怪訝そうな顔をした。

が、すぐに意味を了解したのだろう、口元を抑えた。

けど、すぐにすまし顔に戻った。

「……そう言ってくださるのは、とてもありがたいです。でも奥さんの了承は取らなくてもいいんですか?」

もちろん、シルフィには話さなければならないだろう。

知らない相手が家族になるんだから。

妹たちにも説明しなきゃいけない。

リーリャにも、言う必要があるだろう。

「取らなきゃいけないです」

「では――」

俺は振られるのだ。

ロキシーはやはり、自分一人を選んでほしいのだ。

そんな思いが、脳裏をかすめた時。

「では、その後で、もう一度聞かせてください」

ロキシーは真面目な顔でそう言った。

雪のちらつく中で。

『その後で、もう一度』、と。

断らなかったという事実が、俺の体を熱くした。

---

魔法都市シャリーアに近づく。

ロキシーとの事は、リーリャにも話した。

彼女はいつもどおりの無表情な顔で、

「そうですか、わかりました」

と言っただけだった。

特に責めてくる事はなかった。

彼女自身、ロキシーと同じ立ち位置にいたからだろうか。

違うな。そもそも、一夫一妻という文化が、ミリスぐらいにしか無いからだ。

ともあれ、ロキシーと約束し、リーリャにその了承を得た事で、心の荷が一つ降りた気がした。

あとは、家に帰って、シルフィたちに旅の経緯を伝えて、ロキシーの事で頭を下げるだけだ。

パウロやゼニスの事をアイシャやノルンに伝えるのは気が重い。

だが、しかし、彼女らにも受け止めてもらわなければならない。

ノルンは怒るだろうか。俺を責めるだろうか。

シルフィは泣くだろうか。俺を責めるだろうか。

俺は逃げずにいくつもりだ。

後悔はしない。

「……後悔?」

その時、俺の中で一つの不安が鎌首をもたげた。

人神の予言の事である。

奴は「後悔する」と言った。

確かに、パウロは死に、ゼニスは廃人となり、俺は左手を失った。

失ったものは多い。

しかし、今の俺は、不思議と後悔はしていない。

ロキシーのおかげで、後悔には至らなかったといえる。

確かに、もっと俺が強かったら、と思う部分もある。

もし剣術をもっと深くまで学んでいたら。

あのヒュドラを倒せるぐらいに強ければ。

そんな思いもある。

だが、同時に「無理だろう」という気持ちも強い。

俺はこの世界において、戦闘に関する適性があまり高くない。

闘気とやらも纏えないし、方法もわからない。

剣術だって、闘気とやらが纏えなければ、上達は出来そうもない。

また、魔術の効かないヒュドラが相手だ。頑張って王級の魔術を覚えた所で、意味は無いだろう。

もっと別の方法があったのでは、とは思うが……。

だから、そこに後悔はあまり無い。

パウロは死んだ。

しかし、結果としてそれは、過去の自分を見直す事になった。

他の皆には苦労をかけたし、心配も掛けてしまったが、結果として、自分にはプラスになる部分はあったと思う。

後悔はない。

あるのは、悲しみだけだ。

そう、悲しみだけだ。

ベガリット大陸には、悲しみだけが残っている。

後悔ではない。

だから、後悔するとしたら、これからなのではないだろうか。

もしかして。

家に残してきた妹達に何かがあったのではないだろうか。

いや、人神の言葉を思い出せ。

リニアとプルセナとどうこうしろと言っていた。

つまり、彼女らに何かがあるのではないだろうか。

彼女らの助けを得て、何か問題を解決しなければならなかったのではないだろうか。

それとも、まさか。

まさか妊婦のシルフィに……。

もう、それしか後悔しそうな事が残っていない。

そんな不安を抱きつつも、旅の足は急げない。

天候は悪くなり、雪はどんどん強くなる。

他の面々は大丈夫だが、ゼニスがつらそうだったので、土魔術で即席の背負子を作り、彼女を背負った。

アルマジロも大分寒そうだ。

やっぱりおいてきた方がよかっただろうか。

いや、もう遅い。

せめて、いつ死んでもいいように名前を付けてやろう。

ジロー。

ジローでいいや。

頑張れジロー。

行きは5日で行き過ぎた道。

そこを10日以上掛けて戻る。

今までの道中を考えれば、長い道のりとはいえない。

けれど、それまでの旅の中で、一番長く感じた。

---

魔法都市シャリーアへと辿り着いた。

俺は、まっすぐに家へと向かう。

自分の足が急ぎ足になるのを感じる。

「おい、先輩。どうした、真っ青じゃねえか、解毒でも掛けた方がいいんじゃねえか?」

ギースが心配そうな声をかけてくる。

しかし、俺はそれを無視し、どんどん先に進む。

「っと、ここが町の中央か。とりあえず、俺達は宿をとるか。この人数で先輩ん所に邪魔するわけにも――」

後ろで誰かが何かを言っているが、耳に入らない。

「おい、先輩聞いてんの……ルーデウス!」

俺はいつしか走りだしていた。

全員を置き去りにして、一人で家に向かって走る。

一年以上暮らした町の、歩き慣れた道を走る。

道行く人が何事かという目で見てくる。

転びそうになりながら走る。

どうにも、バランスが悪い。

左手首が無いからか、うまく走れない。

転びかけた時、誰かに支えられた。

「何を急いでらっしゃいますの?」

エリナリーゼだった。

「いや、ちょっと」

「……どうしましたの、さっきから何を慌てているんですの? 何かあるんですの?」

「あ、いや、その、なんとなく、シルフィに危険があったような気がして」

「危険? 理由はあるんですの?」

「ないけど」

俺はエリナリーゼをふり払い、また急ぎ足で歩き出す。

この不安を早く解消したい。

もう、家はすぐそこだ。

シルフィは、通常通りならもうお腹も大きくなっているはずだし、家にいるはずだ。

あるいは、もう生まれてしまっただろうか。だとしたら早産だが。

その場合、もしかすると……。

何でもいい。

なんでもいいから、もう嫌なことは起こらないでほしい。

家についた。

雪は積もっているが、出てくる前とそんなに変わらないように見える。

庭に、少し木や鉢植えが増えただろうか。

アイシャの趣味か。

少し華やかになった気がする。

俺は荷物の中から鍵を取り出す。

鍵穴に突っ込んで、ガチャガチャと動かす。

鍵が冷たい、手が震える。

開かない、回らない。

「ちっ」

俺はドアノッカーに手を掛ける。

氷のように冷たいドアノッカーを、ガンガンと叩く。

「開いてるんじゃあありませんの?」

後ろから言われて、俺はドアノブを握る。

ひねりながら引くと、扉が開いた。

不用心だ。

そう思いながら中に入ると、ちょうど向こう側から開けようとしていた人物と目があった。

「あ、お兄ちゃん!?」

「アイシャ……無事か」

「無事って、何が?」

アイシャはきょとんとしながら俺と、すぐ脇にいるエリナリーゼを見比べる。

そして、その後ろも。

振り返ると、そこには息を切らしたロキシーもいた。

とりあえず、俺はアイシャの肩をつかむ。

アイシャは右肩の感覚に違和感を覚えたのかそちらを見て、目を見開いた。

驚いた顔で、手と俺の顔を交互に見比べる。

「えっ、なにこれ、お兄ちゃん、手どうし」

「お前は無事なんだな。シルフィは?」

「えっ? えっ……と、シルフィ姉は、そこにいるけど?」

言われ、俺は気づく。

アイシャのすぐ後ろ、きょとんとした顔で立つ、シルフィがいた。

お腹がかなり大きくなっている。

あ、おっぱいもちょっと膨らんでいる。

確か、今で7、8ヶ月ぐらいだったか。

もう母乳とかでるんだろうか。

いや、今はそんな事はどうでもいい。

「ルディ……ど、どうしたの?」

「シルフィ、大丈夫、何もなかった?」

「え? うん、みんな良くしてくれたし、アイシャちゃんも頑張ってくれたから」

シルフィは無事か。

そうだな、見ればわかる通りだ。

「他には、誰か、ノルンは? リニアとかザノバとかは無事か?」

「え? 無事って? 何もないよ?」

「誰も、病気とか怪我とかしてないんだな?」

「う、うん。特には……」

きょとんとしたシルフィの顔。

何を言われているのかわからないという顔。

それを見て。

俺は。

何事もなかったのだと、悟った。

「あ、お兄ちゃん……?」

気づけば、アイシャの顔が高い所にあった。

随分と背が高くなった。

ちがう、俺がへたり込んだのだ。

「そっか」

気が抜けた。

結局、後悔というのは、パウロの死。

そして、過去の両親についての事だったのだ。

俺の取り越し苦労だったのだ。

「はぁ……」

心のそこからそう思い、俺は安堵の息を吐いた。

「よかった」

そこに、シルフィがゆっくりと歩いてきて、俺の肩に手を載せた。

シルフィの暖かな手の熱が、じんわりと肩に広がっていくように感じた。

彼女は、すぐにしゃがみ込み、ゆっくりと、俺の背に手を回した。

俺は彼女の背中に手を回す。

左手がないせいで取りこぼしてしまいそうに思いながらも、ぎゅっと。

嗅ぎ慣れたシルフィの香りがした。

「ルディ……おかえりなさい」

パウロの事、ゼニスの事。

そしてロキシーの事。

言わなければならない事はたくさんあった。

広場にいる連中も迎えにいかなきゃいけない。

一人で来てしまったから。

焦り過ぎたな。

何事もないなら、ゆっくりくればよかった。

けれど、まず、言わなきゃいけないだろう。

「ただいま」

俺は帰ってきた。