軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

三十八、作戦

時は少し前にさかのぼる。

壬氏(ジンシ) は馬車に揺られながら、苦手な相手と面と向かっていた。

馬車というが、馬を十頭つなげたそれは、車というより移動式住居に近い。床に獣の毛皮が敷き詰められ、中央に円卓が置かれている。

いつもにやにや笑いのはずの御仁、 羅漢(ラカン) は、今は苛立たしげな顔で地図を睨んでいた。その後ろでは、彼の養子が羅漢と壬氏の顔色を窺いながら、懐の請求書を出し入れして状況を窺っていた。地獄の沙汰も金次第、状況に応じで対処しますよ、といわんばかりだ。

羅半という男は、今まであった中で一番の守銭奴だが、今回は立ち会ってくれて助かったと壬氏は心底思った。

壬氏は羅漢に、いつ殴られても仕方ない状況だった。

後ろに控えている 高順(ガオシュン) も腰にはいた刀をいつでも引き抜けるよう準備している。

壬氏に手を上げるということは、高順に斬られても仕方ない、そういうことであるが、今の羅漢はそんなもの関係なく壬氏に馬乗りになって殴りたいと思っているだろう。

すでに壬氏は、出発前、羅漢に襟首を掴まれている。

娘である 猫猫(マオマオ) が後宮から消えたことを伝えたときだ。

羅漢は猫猫を溺愛している。たとえ、自身が父親などと思われず汚泥や地虫以下の扱いを受けようと関係ない。先日、宴の席で羅漢が切った啖呵を思い出す。あの時怪我した手はまだ包帯に巻かれており、筆を持つのも難しそうだった。

元上級妃、楼蘭の脱走、猫猫はそれについていったあるいは連れて行かれたと推測される。

後宮からの脱走である以上、壬氏の責任に当たる。

子昌およびその近親者は、すでに屋敷にはいなかった。砦に一族で立てこもっていると推測される。

そして、後宮に三度も突撃を決め玉砕した羅漢は、そんな壬氏を許せないだろう。自分の手もとにいれば、そんなことはなかったと耳が痛くなるほど間近で叫ばれた。

壬氏とてわかっている。

たとえ、後宮に抜け穴があり、その存在を関係者が誰も知らなかったとしても責任逃れするつもりはなかった。

抜け穴は、当時施工した業者を当たり、それらしいものはないか吐かせた。素直に、抜け穴を作りました、なんていう正直者はいなかったが、すでに死んだ職人がそれらしい作業をしていたと掴んだ。

後宮内で死んだ女官たちを祀る小さな祠があり、そこの床に巧妙に隠されていた抜け穴を見つけた。

羅漢が壬氏に手を振り上げようとしたときに止めたのは羅漢の甥御であり養子の羅半だった。

「義父上、たとえばの話ですが、皇族に手を上げた場合、その非は当人のみで終わるのでしょうか?」

そんな遠回しな言葉で羅漢を止めた。

壬氏に手を上げることは、家の断絶を意味する。羅漢の娘である猫猫とてその対象にあたる。

羅漢は壬氏が何者か知っている。彼の目にかかれば、人などそうそう欺けるものではない。

羅半も、先日交渉に来たときに、もしかしたらと思ったがやはり気づいていたらしい。

どうしたものかと、羅半にたずねてみたら、やはり羅の一族らしい答えが返ってきた。

「背丈と体重、胸寸、胴寸等がすべて同じ数字ですから。そんな人間、そうそういません」

羅半もまた、およそ他人には理解できないものの見え方をしているのだとわかった。

そうなれば、とこうして文官でありながら特別に羅漢の補佐としてやってきてもらった。

今日の壬氏は、壬氏という名前の宦官ではなかった。束ねた髪には銀の簪をさしている。いつもの黒い官服ではない、厚手の綿入れに紫紺の甲冑を身に着けている。

壬氏たちは行軍していた。そして、同時進行で作戦の練り直しをしていた。

「本当に大丈夫だろうか」

「問題ありません」

それに答えるのは羅半だった。

広げられた地図は、山地を背にした砦の周辺図だ。

長らく使われていなかった砦で、その地図はずいぶん古いものだが、そこに駐屯したことのある古参の武官たちを集め改めて編集した。

背後に山があり、平野を前に位置している。

そのうえ、羅半の予想だと銃火器の類が作られている可能性があるという。

あの地方は木材が多い。森林資源として喉から手が出るほど欲しい土地柄だが、代々、子の一族が守っていた。

近場には温泉がわきでている。そこで硫黄をとることも可能だという。

「硝石はどうなる?」

火薬を作るのに、もう一つ必要な素材だ。

「温泉があるためでしょうか。小動物が越冬しやすく、近場には巨大な洞窟があるそうです」

洞窟には大量の蝙蝠の糞が堆積しているという。動物の排泄物を材料に、硝石をとりだすことは可能らしい。

壬氏は唸る。火器を使うとすれば、 飛発(じゅう) の類といったものじゃないだろう。城壁から敵をまとめて狙う武器を配置する。

砲を使われると少々厄介だ。

壬氏が考えつくことなら、羅漢はすでにわかっている。

今、広げている地図も、彼には碁盤にしか見えていないだろう。

羅漢の指は砦の後方の崖をさしていた。

「理論上可能です」

羅半がはっきり言う。

「可能だというなら、一番、合理的なやりかただろう」

羅漢の立てた作戦は、砲を使わせぬまま制圧するというものだった。

砲に使う火薬は、とても湿気やすい。随時、砲のそばに置いておくぶんの火薬があるとしても、普段は湿気ないように武器庫に保管しているだろう。

特に、砦は高地にあり、雪がよく降る地形である。斥候の話によると、今宵もしんしんと雪が降り積もっているらしい。

普通に進軍すれば的になりにいくようなものだ。

なので羅漢は、砲を使えないようにまず武器庫を落とすといいだすのだが、そのやり方が突飛すぎた。突飛だが実現可能だというのが、この男の恐ろしいところだ。

「これなら大変経済的なやり方かと思います」

羅半が推し進めるのは『経済的』という言葉につられてではなかろうか。短期間にこの小男の性格は十分すぎるくらいわかった気がする。

「さっさと制圧して、猫猫を助け出さねば。 爸爸(パパ) が助けてやるからな!」

『爸爸』という言葉に苦笑いを浮かべそうになったが、そういうわけにはいかない。

壬氏はぐっと口を噛みながら、小柄な娘を思い出した。

質として取られたのか、それとも別の理由か。もしくは、自分の意思でついていったのかわからない。

ただ、敵中にいるのであれば、すぐさま助け出してやりたい。痩せこけ折れそうな身体だ。まだ、体調は万全じゃないはずだ。

ぎゅっと壬氏が拳を握る。

「それでいこう」

「お待ちください」

壬氏の決断に口をはさむのは高順だった。

「問題があります」

高順は、眉間に皺をよせて膝をついて提言する。

「なにが問題なのだ?」

壬氏の他に、羅漢も羅半も首を傾げている。

「お忘れでしょうか、今回の行軍について」

率いる軍勢は一旅団、砦の規模を考えて十分すぎる人数といえる。羅漢の立てた計画が上手くいけば、こちらの被害はほぼないと考えているのだが。

「禁軍が奇襲ですか?」

んぐっ、と壬氏は一瞬つまった。

ゆっくりとその手を頭の簪に触れる。麒麟をかたどった皇族の印に。

宦官でいる時間が長いと、時折自分の立場を忘れそうになる。今の壬氏は、壬氏ではない。高順もまた高順ではない。

己の立場を考えれば、それにふさわしい堂々たる態度で制圧せねばならない。

わかっているが、口に出たのは違う言葉だった。

「大尉の意見に賛同する」

「……わかりました」

高順は、大人しく引き下がった。

その目線は、後ろの男へと向けられていた。

ぎらぎらした眼差しが壬氏の首の裏を突き刺すようだった。

「それはよかった。しゃれこうべで盃を作る趣味はないのでね」

そういって羅漢はふっと鼻を鳴らし、天幕の外へと出る。笑えない冗談だった。

羅半は算盤をはじきながら、計算に間違いがないか確かめている。

「……さま」

壬氏の本当の名を呼んだのは、高順だった。

その眉間には、深いしわが寄っている。

「今後、あの娘との接し方をかえねばなりませぬよ」

子どもをあやすような口調で高順は言った。

「わかっている」

壬氏は大きく息を吐いた。大気が冷え、息が白くなる。

ぶるりと身体を震わせると、頭まですっぽりとかぶれる白い外套を羽織った。

〇●〇

轟音が響いたのは夜半過ぎのことだった。

子昌はなにごとか、と起き上がると枕元においた刀をはいた。

寝台に入ったものの、眠れるわけがなかった。狸おやじと宮廷で言われようとも、眠れぬ夜を過ごすくらいの繊細さくらい残っている。

眠れるわけがない。

ここ十数年、眠ろうとも眠れなかった。おかげで目蓋が黒ずみ、まさに狸のようなくまができた。

轟音に驚いたのか、隣の部屋で響いていた嬌声が静まった。盛りのついた女たちの声がざわめきへと変わる。

壁一枚隔てたところに、 吾妻(わがつま) が酒をあおっているのだろう。見世物とばかりに、一族の女たちにみだらな格好をさせ、金で買った男たちと楽しんでいる。それが、娘楼蘭が生まれてからの妻の日課だった。

わざわざ子昌の気づく場所で享楽にふけるのだ。

一緒にいる女たちは、最初は戸惑っていたが今はその遊びを楽しんでいた。すでに子を産み、妻としての役割を果たしたものばかり引き入れ、貞淑な妻が落ちるのを楽しんでいた。

そんな女じゃなかった。

子昌は、 露台(バルコニー) に出ると外を眺める。

敵襲かと思った。軍、おそらく禁軍の灯はまだ遠い。高地にあるこの砦は、その先数十里も見渡せる。仮眠をとるだけの余裕はあるはずだ。

んっ、と子昌は風ともに妙な臭いが混じっていることに気が付いた。

硫黄(ゆわ) の臭いだろうか。

地下で火薬を作らせている。それが爆発したのだろうか、と子昌は気づく。

やはり、とぎゅっと襟を握りしめる。

どうにかしなくては、思っていても動けない。情けない話だ。力が入らない。

女帝のおぼえめでたき人、帝の頭が上がらない御仁、狡猾な狸爺。

宮廷でよばれる子昌と、今の子昌はまったく別人だろう。自分でさえそう思うのだから、仕方ない。

四十路を過ぎたあたりから急激に出てきた腹をかかえ、一歩一歩前へと進む。状況を確認するために、外にでるには、妻のいる部屋をとおりすぎる必要がある。その行為が、とてつもなく苦痛だった。

先帝より賜った 女性(にょしょう) 、いや二十年を経てようやく返してもらった婚約者は、後宮にいるあいだにとげをもつようになった。

彼女がようやく子昌の元へと帰ったとき、すでに子昌には妻がいて、子がいた。それが、 子翠(シスイ) だった。

妻は、とげだけでなく毒を持つようになった。

その毒は、子翠の母を殺すことになり、子翠をいまだ蝕み続ける。

早く対処せねば。

自分に言い聞かせ、ようやく部屋の扉を開けた。男娼は驚き、女たちは多少残っていた羞恥心のためか慌てて上掛けを羽織る。

妻だけは煙管をふかし、長椅子に横たわっていた。その鋭い目には蔑みの色がありありと浮かんでいる。

「なんなの今の音?」

紫煙を吹きながら気だるい口調で言った。

今確かめるところだ、と言おうとしたそのときだった。

がたんと廊下側の扉が大きく開かれた。

そこには、煤だらけの格好をした娘、楼蘭が立っていた。

「なんですか、そのはしたない格好は?」

「お母さまがたにはいわれたくありません」

楼蘭はきっぱりと言い捨て、上掛けを奪い合う女たちを見る。

「子どもたちを放置し、快楽に身を投じるあなた方にだけはいわれたくありません」

楼蘭のその言葉に、ようやく自分の子どものことを思い出した女が飛び出そうとする。しかし、楼蘭はその女の頬を引っぱたいた。横に崩れる女に、事態の重さを知って逃げる男娼たち。

これは私の娘だろうか、子昌は首を傾げたくなった。楼蘭という娘は、従順な子だと思っていた。母に言われた通りの衣を身に着け振舞う人形のような子だと思っていた。

楼蘭は、そのままずかずかと部屋の奥へと入り、並んだ棚の引き戸を開ける。一番、大きな引き戸を開けたとき、その狭い空間に若い女が閉じ込められていることに気が付いた。

「姉さま、ごめん。ちょっと遅くなった」

震える女は手足を縛られ、折檻を受けていた。楼蘭によく似た顔、もう一人の娘、子翠だった。

子昌の顔が歪む。折檻を受けているとは知っていたが、そんな目にあっていたとは。

楼蘭は子翠を解放し、背中を擦る。

そして、父親である子昌を見る。

「お父さま」

楼蘭はにっこりと笑う。

「最後くらい責任を持ってください」

なんの責任を、と聞き返す間もなかった。

ずずずっという音が次第に近くなる。

「!?」

また違う轟音が響いたかと思うと、今度は砦全体が揺れた。壁につかまり、身を支えると何が起きたのかとまた露台に出る。

雪の粉が散っているのが見えた。砦の東側が真っ白になって何も見えない。何が起きたのか、最初わからなかった。

そして、雪煙がすこしおさまったところで気が付いた。そこにあったはずの建物が、雪に埋まっていた。たしか、武器庫があったはずだ。

しかし、雪がなだれ込み、その半分を埋めている。

唖然とする子昌に、楼蘭が話しかける。

「勝てぬ相手とわかっていたはずです。責任を持ってください」

お母さまは、私が責任を持ちますから、と。

娘は少し焦げた髪を揺らしながら、堂々たる態度で己の母の前に立った。

責任を持て、娘のその一言に子昌はぐっと拳を握った。