軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

十二、診療所

「ちょっとだるいかもしれない」

卓子に顎をのせ、半分潰れかかった目で 愛藍(アイラン) が言った。

猫猫はその額に手を当てる、微熱があるようだ。

場所は、厨房で点心を食べて一息ついていたところだ。お目付け役の 紅娘(ホンニャン) はおらず、ゆえにまったりと時間を過ごしている。

「ちょっと風邪とかやめてよ。玉葉さまや公主にうつったらどうする気よ」

桜桃(さくらんぼ) をつまみながら 桜花(インファ) が言った。桜桃は後宮の果樹園でとれたものだ。一応言っておくが、勝手に猫猫がとったものではない。ちゃんとした差し入れなのであしからず。

「気を付けてたんだけど」

むうっとだるそうな顔を上げる愛藍。

猫猫は風邪薬を煎じようと部屋に戻ろうとしたが、桜花に引きとめられた。

「悪いけど、薬作ってくれるならついでに、診療所に連れていってくれない?」

「診療所? ですか?」

猫猫は首を傾げる。それは、医局のことだろうか。ならば、連れていっても疲れるだけだと猫猫は思っていたら、それを察した桜花が首を振る。

「医局とは違うわよ。なんていうの? 医官はいないんだけど、かわりに違う人がいるっていうか。とりあえず愛藍が知ってるから、連れてってあげて」

猫猫はわかりました、と首をこくりと頷いた。

診療所とやらは、後宮の北側にあった。洗濯場の裏側に、離れがあり、そこには白い服をきた女官たちがいた。

(こんなところにあるんだ)

猫猫の行動範囲とはずれている。知らないわけだな、とつぶやいていたら、咳混じりの愛藍に苦笑された。

「たぶん、ここへ入ったとき簡単に説明されなかった?」

残念ながら猫猫はこちらに不貞腐れながら入ってきたため、よく話を聞いてなかったのだ。たぶん、ここらまで連れてこられて説明を受けている最中、道端に生えている 蓬(よもぎ) でも観察していたに違いない。

そういう性格である。

隣の洗濯場で、てきぱきと女官たちは洗濯をしている。手もとに抱えているのは 敷布(シーツ) のようだ。

(合理的だな)

洗濯場に近ければ、すぐに衣服や布団を洗濯できる。身の回りを清潔にしておくことが大切な医療の場なら、よい立地条件だ。

「すみません。風邪をひいたのですが」

愛藍がてきぱきと動く女官の一人に声をかける。忙しそうな女官は一瞬怪訝な顔をしたものの、洗濯籠を置き、愛藍の額に手をおいた。

「微熱だね、舌だしてみ」

年季の入った声だ。女官の頬には、深いしわがきざまれている。後宮内では、珍しい中年の女官だ。

女官は目を細めたあとで、愛藍の下まぶたを下げてみる。やぶ医者よりよっぽど手慣れた仕草だ。

「ふーん。そこまでひどくないようだけど。二、三日無理をしなければ問題ない程度だよ。どうする?」

女官は愛藍に聞く。見立てもしっかりしている。

「妃にうつすわけにいかないので、泊めてもらえませんか。念のため」

「ふーん」

女官は洗濯籠を持つと、すたすたと診療所へと入っていく。籠を置いて、手招きをした。

診療所の中は、華美さがまったくない質素なつくりだった。柱はつるんとしていて飾りもなく、廊下はただの板張りだ。窓も、角窓が定間隔でつけられているだけにすぎない。ただ、装飾が何もない分、掃除がしやすそうで十分いきとどいている。窓が多く、風通しもいい。これからの季節、とても過ごしやすそうな場所だった。

漢方の独特な匂いはしない。だが、 酒精(アルコール) のような匂いがぷんと漂った。

愛藍が顔をしかめている。どうやら、来るのに渋ったのはこの匂いが嫌いだったらしい。しかし、猫猫としては消毒がいきとどいていると感心するより他なかった。強い酒精は、傷口の表面についた毒を殺す。口に含んで拭きかけるのは、言わずと知れた消毒法だ。

以前、あんなやぶ医者しかいない後宮で病気が流行らないのかと不思議に思っていたが、こんなところがあったとは、と。

「じゃあ、明日には帰るって伝えて」

「わかりました」

愛藍は、中年の女官から木でできた札を貰うと、その札の番号が書いてある部屋へと向かった。

猫猫は面白そうに診療所の中を見ていたが、首根っこをがしっと掴まれた。

「ほら、あんたは仕事にもどんな。付き添いだからってさぼれるとか思うんじゃないよ」

「……」

「なんだい? それとも、ここの洗濯物、全部洗ってくれるかい?」

にやりと笑う小母さんに、猫猫は首を横に振って否定した。

猫猫は仕方なしに、翡翠宮へと戻ることにした。

やり手婆もそうだが、やっぱりおばちゃんには勝てないものである。

(もっと見ていたかったけど)

それもできそうにないので諦める。帰り道をてくてくと歩く。猫猫がのんびりする中、周りは洗濯籠を持った女官たちがせかせかと道を歩いている。

雨が多い季節なので、たまに晴れるとたまった洗濯物を片付けるのが大変らしい。そういえば、猫猫もあとで洗濯物を取りに行かなくては、と用事を思い出す。

(それにしても)

あの小母さん以外にも、女官は数名いたが、どれも年嵩のいったものばかりだった。

後宮という場所であるが故、女官は齢をとったら半強制的に入れ替えられるようになっている。大体、三十路になる前に暇をわたされる。残るとすれば、宮官長といった位の高い人物か、もしくは妃の側仕えの侍女といったものばかりだ。

口に出したら絶対しばかれるだろうが、侍女頭である紅娘はとうに後宮から出て行く年齢である。

あの女官の手慣れた様子といい、後宮に必要な存在として残されているのだろうと猫猫は思う。

ただ、気になる点が一つあった。

薬の匂いがまったくしなかったことだ。酒精の匂いでかき消されていたのだろうか。

いや、それとも――。

猫猫は顎を撫でながら考えこんで歩くと、こつんとなにかにぶつかった。柱にでも当たったかな、と思えば、なぜか天女の 顔(かんばせ) がこうこうと輝く太陽のように頭上にあった。

「ひとりごとをぶつぶつ言いながら歩くな。こけるぞ」

「なにか言ってました?」

壬氏は大きく息を吐くと両手を広げて、首を振った。やれやれという表情に、猫猫は思わずむっとなり、水たまりにふやけた蚯蚓を見る目になろうとしたが、ご丁寧に菩薩の表情をたたえた高順と目があった。とりあえず半眼になりかけた目を、無理やり見開いた。

「どこへ行っていた?」

「診療所です。あんなところにあったんですね」

「……女官には初めに案内するように言っていたが、もしかして漏れていたのか?」

「いえ、そういうわけでは」

なんだか妙に深刻な顔をする壬氏を見て、猫猫はどうしようかと思った。たまに、この宦官は自分の仕事に自信がなくなるのだろうか。普段、あれだけ自信たっぷりの態度なのに。

壬氏はゆっくりと場所を人の少ない道へと移動する。麗しの宦官どのが、往来につったっているとそれだけで仕事の妨害になるので賢明な判断だろう。

「思った以上にできた場所だったので驚きました。むしろ、あそこを医局にしたほうがよいのでは」

いや、そうなるとやぶ医者の首がとぶ。そうなれば、猫猫のさぼり場所が減るので困る。

やっぱり先ほどの発言を訂正しようかと思ったら、またもや壬氏が眉を下げていた。

「あれが医局だったらか。それが出来れば苦労しない」

「どういうことですか?」

「医官には男しかなれないからですよ」

猫猫が首をかしげていると、高順がかわりに説明してくれた。

「基本、医官にしか、薬は煎じられない。怪我の手当等も擦り傷ならともかく大怪我の処置は無理だ。禁止されている」

(そういうことか)

猫猫は納得する。薬の匂いがしなかったのは、そういうことなのだろう。

しかし、そうなると。

「私はどうなるのですか?」

猫猫は好き放題、薬を煎じている気がする。もちろん、材料を後宮の外から持ってくることはできないが、後宮内で生えている植物や医局の薬を使っていたりする。

「目を瞑っているということだ。妃の中には、侍女に薬に詳しいものを置くことも少なくない。だが、ああいう場になると、逆に存在が明確すぎて薬を置くことができないのだよ」

壬氏の物言いから、なにやら複雑な事情が絡んでいるのだな、と猫猫は思った。後宮女官の給料制度のように、わけのわからない制度や法律が存在しているかもしれないが、猫猫にはあまり興味がないことなのでまったくわからない。

薬は駄目でも酒なら消毒に使えるため、工夫をこらして利用しているのだろう。

清潔な場所で安静にしておけば、それだけで病気は治りやすい。容態がひどい場合、実家に帰すという手もある。

(めんどうくさいなあ)

だが、一度決めた制度を覆すのはさらに面倒くさいのだろう。世の中、ことなかれ主義の人間は多い。

「これからのためにも、もっと医官を違う形で調達できればいいのだが」

壬氏も猫猫のことをいえない。語りかけているようで、それはひとりごとだった。

「宦官がいなくともできるように」

(宦官かあ)

後宮内に宦官は全体の半分ほど。女官たちと比べ、入れ替わりが少ないため、平均年齢はけっこう高い。

(そういえば、若い宦官はあまりいないよな)

たしか、数年前に宦官となる手術は禁じられたと耳にしたことがあった。たしか、今の帝の代替わりの頃じゃなかっただろうか。

壬氏がいつ宦官になったか猫猫は知らない。しかし、壬氏の年齢を考えると、ちょうど禁止される前くらいにしたのではないだろうか。

(可哀そうに。もう少し待っていれば)

思わず視線を落とし、壬氏の股間を見る。宦官の手術は根こそぎ落としてしまうため、つるんとなってしまう。養父のあそこがどうなっているか知っているため、大体想像がつく。

(つるんつるんだなんて)

猫猫がゆっくりと顔を上げると、壬氏と目があった。

壬氏の顔がなんだか複雑な表情をしている。唇を少しぎざぎざに閉じて、猫猫をじっと見返している。

(もしかして、また口に出してしまったのだろうか)

いけないと思い、口をおさえて視線をそらすと、今度は高順と目があった。彼は菩薩の表情を崩さず、猫猫と同じく憐れんだ笑みを壬氏に向けているように思えた。同じつるんつるん同士、つながるものがあるのだろうか。

高順は、ゆっくり首を振ると、

「壬氏さま、仕事がつかえますゆえ」

と、催促の言葉を言った。

「わかった。そうだ、後程、翡翠宮に向かうと伝えてくれ」

壬氏はそう言うと、優雅な後姿で去っていった。

猫猫は、口を押さえた手をはなすと、

(生える薬作ったら、もうかるかな)

などと不謹慎なことを考えた。