軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二、宮廷官女(13.01.01改)

「てっきりまた後宮に戻るものと思っていたのですが」

猫猫は、地味だが麻ではなく木綿を使った衣を着ていた。後宮女官の下働き時代は、麻を着ていたため想像以上に待遇がいいことがわかる。

「いえ、一度やめさせた手前、そう簡単に戻ることはできませんので」

宮廷内を案内してくれるのは、武人のようにりりしいが誰よりもまめな 高順(ガオシュン) だ。いつもの地味な官服を着て、建物の名前と部署を猫猫に教えていく。その数は広大な宮廷を考えると、手足の指の数では足りないだろう。猫猫としては、正直自分の興味を引くもの以外は覚える気がないので、聞いているふりをして頷きながら庭園の植生を目視で調べる。

(やっぱ、後宮のほうが材料になるものがたくさんあるな)

昔、親父である羅門が後宮にいたときに、使える植物を移植していたのだろう。限られた空間ながら、数多くの薬草が生えていた。

次々と高順が説明していく中、猫猫はちりちりと首筋に感じるものに気が付いた。目線だけ斜め後ろにずらすと、女官たちが猫猫たちを見ていた。いや、正確には猫猫だけだろうか、その眼差しはなんともいえない嫌なものである。男同士にしかわからない感覚があるように、女同士にしかわからない何かというものがある。男が相手に対する攻撃を肉体に行うのに対し、女が相手に対する攻撃は精神に行うものが多い。

(やーな感じだ)

猫猫はちらりと舌をだしながら、次の部署へと歩いていく高順のあとを追った。

猫猫の仕事は、後宮下女となんら変わらない。頼まれた部署の掃除を行い、たまに雑用を頼まれるくらいだ。本来なら、もっと文官に似た仕事も任されるのが宮廷官女であるが、猫猫にはその資格はない。その試験に合格しなかったからだ。

壬氏も高順も驚いていた。猫猫は簡単に合格するのだと思っていたのだ。たしかに、内容としてはそれなりの努力が必要なものだった。それでも、猫猫は遊郭育ちのため字も書けるし、詩歌や二胡も最低限の教育は受けている。試験といっても科挙ほど難しいものではない、物覚えのよい猫猫であれば、落ちることはないと壬氏は確信していたのだが。

(ごめんなさいねえ、落ちちゃって)

猫猫はきゅっきゅっと窓の桟を拭く。仕事は真面目に、猫猫の行動指針である。

だけど、勉強は別だ。正直、興味がないものの物覚えは人並み以下である。薬学またはそれに関わりのある知識ならともかく、歴史などならって何になろうか。法律など覚えても、いつ変わるかわからない代物だ、覚えても意味がない。そんなわけで、いくら才能があろうとなかろうと、やらないことには意味がないのである。残念ながら猫猫はそちらの方面に努力する才能がまったくなかったわけだ。落ちて当たり前だ。

(案外汚れてるなあ)

そりゃあ、あんなに広ければ手の届かないところはあろう、と猫猫は思う。だが、一方で手抜きなのでは、と思わなくもない。宮廷の官女たちは、資格を有してこの場所に来ている。後宮の寄せ集めの女官たちとは大違いだ。家柄と教養があり、それだけの自尊心を持ち合わせている。下女の真似事をするなど、あってはならぬことだと思っているのだろう。たとえ埃が溜まっていても掃くこともない。

(まあ、それは仕事じゃないですからね)

官女は書記官のようなものだ。たしかに、掃除は仕事には含まれない。する必要はない。だからとて、しなくていいということでもない。官奴婢は、先の皇帝以来廃止されているので、雑用は個人で行うのだ。

なので、高官の多くは掃除専用の下女も雇い入れている。今の猫猫も同じく壬氏の直属となっている。

(さて、次はどうしようか)

猫猫の掃除場所は、壬氏の執務室である。広いが豪奢でなく無駄のない造りの部屋だ。家主は忙しい身の上らしく、あまり執務室には戻らない。おかげで猫猫には掃除がしやすいのだが、問題があるとすれば。

「あなた、何様のつもりかしら?」

気が付けば、見知らぬ官女たちにからまれていた。官女たちはどれも猫猫よりも大きく、中には頭一つ分高いものもいた。

(餌がいいと、育ちもいいんだなあ)

猫猫は思わず背丈とともに胸元にも目をやってしまう。体格からして、異国の血が混じっているのかもしれない。色白で肌も美しいことから、一度生で拝見したいところである。

「ねえ、話聞いてるの!」

(おお、いかんいかん)

少々不埒なことを考えているうちに、官女たちを怒らせてしまった。

要約すれば、この官女たちはなぜ猫猫が壬氏直属で働いているのか、と怒っているのだ。そんなこと言われても雇われた身の上なので何ともいえない。だからとて、それを正直に話したところで納得するはずもない。

もし猫猫が、玉葉妃のような胡姫の異国情緒と、梨花妃のような豊満な肉体と、白鈴小姐のような色っぽさがあれば誰も文句は言わなかっただろう、言えるはずがない。だけど、猫猫は、痩せこけた貧相なそばかすまみれの鶏がらのような生き物である。それが、麗しき宦官殿のそばにいることが目障りで仕方なく、あわよくば成り代わりたいと思っているのだ。

(うーん、どうしようか)

猫猫はそれほど口が達者ではない、うまく口が回らないことも多い。でも黙っていても、相手の怒りを逆撫でるだけだろう。

「つまり、あなたさまがたは、私に嫉妬しているということですか?」

単刀直入に言った言葉は、彼女たちを怒らせるに十分だった。やはり、言葉を間違えたな、と頬を引っぱたかれたあとに気が付いた。痛いなあ、と頬を撫でる。

周りの官女は五人で私刑を食らうのは避けたいなあ、と猫猫は考える。女の力でもやはり痛いものは痛い。

仕方ないので言い訳の一つでもしておこうか、と猫猫は思う。

「まさか私が特別扱いされていると? そんなことあるわけないでしょう。このような醜女をあのような天女のようなお方がお相手にするはずないではないですか?」

猫猫がうつむきがちにつむぐ言葉に、怒りに満ちた官女たちがぴくりと頬を痙攣させる。

いけるかな、と猫猫は続ける。

「あなたがたが思う貴人はそんな悪食でしょうか? 目の前に鮑や猪肉があるというのに、わざわざ肉のそげ落とされた鶏の骨を食べたいと思いますか? まあ、それならなんて 特殊趣味(メニアーック) なことでしょうがね」

わざわざ特殊趣味という部分を強調したせいか、その部分に官女たちはさらにびくりと身体を震わせる。

「私にはわかりませんが、あれほど天上の笑みと美貌を持つかのかたが、そのような特殊趣味なのでしょうか?」

「そ、そんなわけないじゃない!」

「そう、そうよ」

官女たちがざわめき始める。だが、その中の一人がまだ疑いの目を向ける。

「でも、ならなんで貴方が雇われているの?」

比較的冷静な官女が言った。あの見事な胸、もとい見事な体格の官女だ。そういえば、この官女だけは、さっきから落ち着いていた気がする。一応、半歩下がって他の官女にならっていたようだが、様子をうかがっているようにも見えた。

(まあ、そこで誤魔化せないのでしたら)

猫猫は、左手を上げると袖をめくった。手首から肘にかけて巻かれたさらしをめくっていく。正直、他人に見せるようなものではないので、見せたのは一瞬だったが官女たちのひきつった表情がそれがよく見えたことを示していた。

(この間、火傷薬の実験したから、ぐちょぐちょなんだよな)

育ちの良いお嬢様がたには大層気持ち悪いものであろう。

「麗しき天女のようなお方はお心まで天女なのですよ。私のようなものにも食い扶持を与えてくださるのですから」

さらしを巻きなおしながら猫猫は言う。

「……行こうか」

興をそがれた官女たちは立ち去っていく。ただ、一人だけちらりと猫猫を見た者がいたが、すぐ持ち場へと戻っていった。

(ようやく終わったな)

猫猫は首の関節を鳴らしながら、雑巾を握りなおした。次の場所にうつって掃除を再開しようとすると、壁に頭を押さえつけたままで突っ立っている麗しき宦官を見つけた。

「何をなさっているのですか? 壬氏さま」

「……なんでもない。それより、いつもからまれているのか? ああいうのに」

「大丈夫です。後宮女官よりは手数は少ないので。ところで、なんでそんな格好をしているのですか?」

あまり麗しき貴人がすべき体勢ではないと思う。現に、後ろに仕える高順は頭を抱えている。

「それでは、次の掃除場所に向かいますので」

手桶を持って猫猫が去っていく中、壬氏の麗しき声は「特殊趣味……」とぽつりと言った。

(別に悪いことは言ってないはず)

先ほどの一部始終を壬氏に見られていたとしても、別に自分になんら落ち度はないと、猫猫は清掃作業に勤しむのだった。