軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

八、玉牌の主

猫猫(マオマオ) の元に、 雀(チュエ) が迎えに来た。

宿舎から少し離れた位置に馬車があり、それに乗って 壬氏(ジンシ) の宮に向かう。

「猫猫さん猫猫さん、ご所望のすけすけ―――」

「いりませんってば」

猫猫は雀が差し出した布包みを叩き落とす。多少、失礼な行動にも思えるが、雀が相手なので気にしない。

「猫猫さん、雀さんへの扱いがひどくないですかねぇ」

「いえいえ、雀さんには雀さんにちょうどいい対応をしております」

雀は、これくらいでいじけるたまではない。勿論、他の人にはできない。

「よよよ、ひどいですよぅ。是非、猫猫さんにはこのすけすけの手触りとか確かめていただきたく思いましたのに。何と今なら、この下着もつけて」

「下着というより、数珠にしか見えませんけどね」

(まあ、花街では全く見かけないわけじゃない代物だが)

食い込みそうだ。それ以外、思うところはない。

「寝間着は、ちょっと手触りだけ」

「ほいほい」

「織り方に特徴がありますね」

「そうなんですよぅ。近くで見てくださいな」

そんなこんなしているうちに壬氏の宮につく。

「月の君―。忠実で聡明な雀さんが猫猫さんをお連れいたしましたー」

以前よりも、雀は好き勝手にやっている気がした。前は多少なりとも 水蓮(スイレン) あたりを恐れていたのだが、大怪我を理由に胡坐をかいているのだろうか。

「あらあら、ずいぶんな口調ね」

水蓮が音もたてずにやってきた。にこにこ笑いながら雀を見ている。雀の頬にひと筋の汗が流れていたので、やはりあまり調子に乗らないほうがいいのだろう。

「猫猫、奥へどうぞ」

水蓮に案内されて、奥へと向かう。護衛には 馬閃(バセン) ではなく、馴染みの武官がついていた。

壬氏はいつも通り部屋の椅子に偉そうに座っていた。ただ、猫猫を見るなり少し気まずそうに視線を外す。

逆に猫猫と言えば――。

色々気まずさもあったが、行ってみたらそうでもない。なんというか、休み明けの職場に行くだるさに似ている。行ってみたら、さほど思うほど憂鬱じゃないという気分だ。

「な、なにか用があると聞いたが、なんだ?」

壬氏は声からして緊張していた。猫猫が案外平気なのに対して、壬氏はまだまだ気まずいらしい。

猫猫はどう話を切り出そうかと思った。まずどこから話を切り出せばいいか迷い、とりあえず牌を墨で写したものを出した。

「これに見覚えはありませんか?」

猫猫は壬氏に裏返して透かして見せる。

拓本のように写し取れたらよかったが小さくてできなかった。

「うーん、何だこれは?」

「これは……、知人が持っていた牌の側面を写し取ったものです」

「牌の側面? なんでそんなものを?」

「何か見覚えはないかと思いまして。いえ、知らないのであれば申し訳ありません」

どうでもいいことで訪問してしまったな、と猫猫は目をそらす。

「いや、ちょっと待て」

壬氏は目を細めつつ、写し取った図を見る。右手を手持ち無沙汰に動かしていたところ、水蓮が壬氏の指に筆を差し込む。壬氏はそのまま筆で側面の紋様を描き始めた。

「ふむ」

壬氏は紋様の一部を拡大して描いていた。

「これは……」

のぞき込んでくるのは水蓮だった。

「なんなんでしょうかー?」

雀も興味津々だ。

猫猫にはさっぱりわからないが、文字のような紋様のようなものだ。

「 花押(サイン) に見える」

「花押ですか?」

花押とは、名前の代わりに用いられる記号のようなものだ。元々の字を崩して作ってあるため、字にも紋様にも見える。

壬氏は側面に描かれた紋様の一部を花押と認識したらしい。猫猫のような庶民には、花押は馴染みがなく、紋様に紛れ込んでいて気づかなかった。

「よくわかりましたね?」

猫猫は素直に感心した。

「印の代わりに花押を使う者は多いからな。一日に何十枚と見せられる」

猫猫は、壬氏の執務机にはいつも書類が重なっていたのを思い出した。

「なにより、俺の玉牌も似たようなものが彫られているからな」

水蓮が立ち上がり、どこからか桐箱を持ってくる。中には翡翠牌が入っていた。

「ほらな」

壬氏の翡翠牌の側面にも似たような紋様が彫ってあった。

割れた翡翠牌よりも一回り大きく、より丁寧に緻密に細工が施されていた。

猫猫に見せたあと、水蓮はまた翡翠牌を片づける。

「……誰の花押かわかりますか?」

「そこまで覚えていない。ただ――」

壬氏は描いた花押の上の部分を指す。

「花押にはいくつか書き方がある。草書体を崩したもの、名の一文字を崩したもの、他には、名前の二文字を組み合わせたものなどだ」

「これは、二文字でしょうか?」

「ああ、おそらく」

壬氏は、書いた花押の隣に何かを描く。

「二文字を組み合わせたものは二合体と言って、片方の左側ともう片方の右側を組み合わせたりする。これの場合、上下で組み合わせているように見える」

「上下」

壬氏が追加で書き加えた部分は、『草冠』のように見えた。

猫猫はだらだらと汗をかく。

「皇族によく使われる花押だ」

「そ、そうですか」

壬氏の翡翠牌にも確かに似たような花押があった。

(うわあ)

猫猫は女華を思い出す。本人は、商売で皇族の末裔をほのめかしていたが、実際にそうなるとどうなるだろうか。

牌が本当に皇族のものであれば、女華は本物のご落胤だ。牌が偽物であれば、皇族を騙ったとされる。

「質問だが、この写しの元の牌はどこにある?」

さっきまでの気まずそうな顔が、どこかへ行っていた。壬氏もまた仕事人間なので、気まずさより問題を優先したのだろう。

「写しの元を渡すとして、その持ち主はどうなりますか?」

猫猫はひやひやしながら聞いてみた。

壬氏はそこらの役人とは違うと思うが、とはいえ、身内を売るような真似はしたくない。女華小姐になにかあるようでは困る。

「持ち主はその牌を盗んだのか?」

「いいえ」

母親が客人から貰ったと聞いている。

ただ、皇族を装う真似をしましたと言うべきか迷うところだが、あくまで女華は自分から言いふらしていない。客人が勝手に勘違いしただけだ。

「ならば、問題なかろう。牌の持ち主は誰だ?」

「牌の持ち主を何にも罰しないと?」

猫猫は念を押す。

猫猫が話さずとも、壬氏の情報網を使えば翡翠牌の持ち主など簡単に調べられるだろう。

「疑い深いな。そんなに信用がないのか?」

壬氏はかすかに眉をひそめる。不快にさせてはいけないなと思いつつ、ここは線引きをすべきじゃないかと猫猫は考える。

「壬氏さまには壬氏さまのお立場があります」

壬氏は立場的に非情な処罰もしなくてはならない場面がある。猫猫が明確にしないことで、誤魔化しがしやすくなるはずだ。

「おまえの悪いようにはしない」

壬氏は壬氏で、言葉に嘘はないだろう。壬氏にとって頭が痛い内容であろうとも、約束を違わぬよう実行するはずだ。

「……」

猫猫と壬氏はにらみ合う。

「まあまあ」

間に入ってきたのは雀だった。

「月の君、猫猫さんになんでも話してもらいたいのはわかりますけどー、信頼されていないとか思っているようですけどー」

「信頼とは、そういうものだろう?」

「それって、信頼ではなく征服じゃないでしょうかぁ?」

雀の言葉に、壬氏はびくっと体を震わせた。

「猫猫さんは猫猫さんで、月の君の負担を減らしたい気持ちもわかりますけどー、つん、が過ぎますからねえ」

「つん……」

猫猫は目を細める。

「まあ、月の君をお相手にするなら、皆が皆、話すべきことは話すものでしょうけどねぇ。あっ、雀さんはこれ以上何も申しませんよぅ」

雀はそれだけ言うと一歩下がり、ちらりと水蓮の顔を窺った。水蓮は、表情を変えぬまま、壬氏の部屋を出た。雀がわかりやすく胸をなでおろし息を吐く。

「では雀さんはこれにて」

もう邪魔はしませんよ、と雀も水蓮のあとに続く。

部屋には二人きりになったが、翡翠牌のことで頭がいっぱいになっていた。

壬氏はむむっと酸っぱい物を食べた顔をしたが、数秒で元の表情に戻る。

「罰するべきことをしたのか?」

「いいえ、滅相もない」

壬氏はこれ以上、追及する気はないようだ。

猫猫は懐から布包みを出す。

「こちらです」

猫猫は割れた牌を見せる。

壬氏は手に取り、観察した。

「表面が削られているな」

「はい。削り取られてないのは側面だけでしたので」

「しかも真っ二つに」

「最初から割れていたそうです」

「ふむ、側面の花押はこれでも判別しづらいな」

故意に削られていないものの、擦れたり潰れたりしている。

「素材は翡翠。しかも硬玉で、色も濃い」

壬氏は確かめるように口に出していく。

「どうせ猫猫のことだ。すでに皇族の牌である可能性は考えていたのだろう」

「かなり高位の身分の牌である可能性は考えておりました」

本当に皇族の可能性となるとひやっとくるものがある。

「さらに、割られて削られているとなると、表に出したくないが捨てるに捨てられなかったという葛藤が見えるな」

壬氏と猫猫は大体同じ考えのようだ。

「皇族の落胤であったが、お家騒動に巻き込まれないようわざと牌を削って割ったか」

「その可能性は十分あるかと」

「その場合、いつの時代によるかだな。近年では考えにくい。主上がお忍びで市井をまわっていない限りはな」

「主上である可能性はありません。なにせ三十年近く前に貰った物と聞いております」

「三十年か」

壬氏は筆を指先でくるくる回す。筆先はだいぶ乾いているので墨が飛ぶことはないが、もし一滴でも落ちようものなら怖い。壬氏の部屋着一枚で庶民の年収が飛ぶのだ。つい恐ろしくなって、壬氏の指から筆をとる。

「先帝の可能性も限りなく薄いと思うぞ」

「存じております」

幼女趣味で有名なお方なので、女華小姐の母君に手を出すとは思えない。なにより昔聞いた女華小姐の種元らしい男の容姿とは違っていた。

(見た目は良いが、薄汚い男だったかな)

到底、皇族には見えない。

「あと貰った時にはすでに割られ削られていたそうです。翡翠牌ですので、代々受け継がれていたものでしょうか」

「一番近いのは先帝の時代になるな」

女帝統治の時代だ。

先帝が帝位につけたのは、先帝の異母兄たちが病によって倒れたためだ。だが、その後生き残った男系の皇族は、先帝の脅威とならぬよう排除されたと聞いている。

(どこまで本当かわからないけど)

もし、この牌の本来の持ち主である皇族が、先帝の異母兄の一人であった場合、お家騒動に巻き込まれるだろう。そうならぬよう牌を削ってご落胤であることを放棄したのであれば、聡明な判断かもしれない。もっとも、さっさと捨ててしまうほうが安全だったろうが。

「材料が翡翠となるといつの時代か判断しにくいですね」

これが布であれば、まだわかりやすい。布の織り方や模様は時代によって違ってくる。

「いや、できるかもしれんぞ」

壬氏は側面をじっと見ていた。

「皇族の玉牌であれば、職人は限られる。この手の紋様なら、他の皇族と被らぬよう図面を保管しているはずだ」

「では」

「ああ、調べておこう」

猫猫はふうっと息を吐いた。

「猫猫」

「なんでしょうか?」

「なぜこの牌を調べようと思ったのだ? 牌の持ち主が誰か追及されたくなければ、今更牌の元の持ち主を調べる必要もないだろう?」

「実は、先日首つり死体で発見された武官なんですけど、その男がこの牌を売ってくれと話していたそうです。その後、牌が盗まれそうになったことがあったそうです」

「殺された武官が?」

「はい。一応、痴情のもつれで殺されたことになっていますが妙に気になっています」

「皇族の牌を狙っていたとなると、話はおかしくなるな」

「ええ」

壬氏と猫猫は真剣に翡翠牌を睨んだ。

「全然、進展しませんねぇ」

「二人とも仕事人間ですから」

雀と水蓮が部屋をのぞき込んでいたことに、猫猫たちは気付きもしなかった。