軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二十五、林小人 前編

(大丈夫なんだろうか、この爺さん)

猫猫は読書にいそしみつつ、震える 林大人(リンたいじん) を見ていた。時折、お付きの男が水を含ませた綿で唇を濡らしてやっている。一度は、抱えて立ち上がらせたかと思うと、厠へと連れて行っていた。

年齢からして子か、孫くらいだろうか。

今、まだ生きているのはあの甲斐甲斐しい男のおかげだろう。

さすがに 半時(いちじかん) も待っていれば、雀の腹も満たしたようで、 李白(リハク) と 音操(オンソウ) の三人で、 紙牌(カード) をやっている。猫猫も誘われたが読書のほうがいいと断った。なお、小銭がちらちら視界の端に映るのだが見なかったことにしよう。可愛らしい額の賭け事なら、問題ない。雀はともかく音操には気晴らしも必要だ。

(でも、雀さんには勝てない気がする)

現に雀の一人勝ちだ。あのどこからともなく旗を出す人だ。いかさまだとわかっても、その種は見破れない気がする。

猫猫がぼんやりしていると、がくっと林大人の体が崩れた。

猫猫はびっくりして、試合中の二人に駆け寄る。

「おや、猫猫」

にへらっと笑う変人軍師。

猫猫は邪魔だ、と変人軍師を押しのけて老人に触れようとした。

すると――。

「問題ない!」

大きな声を上げたのは介護をしていた男だった。男は、林大人の体を支えると耳を老人の口に近づける。

林大人は何か言っているようだ。

「……」

「うん……。うん」

猫猫の耳までは届かない。介護の男は、小さな老人の声を聞き取り、書き付けている。猫猫はのぞき見て、意味不明の単語の羅列にこれまた首をかしげる。

老人のつぶやきが終わったのだろうか。男は老人の背をさすりつつ、また水を含ませた布で唇を濡らしてやっている。

「終わったかな、 林小人(リンしょうじん) ?」

猫猫をちらちら見ながら、変人軍師が言った。

(小人って)

子どもという意味もあるが、小悪党とかそういう意味合いが強い。林大人に合わせたとしても、普通に失礼なことを言うのが変人軍師だ。

「疲れたので少し休ませます」

林小人は気にした様子もなく、老人をゆっくり寝かせる。そして、棋譜をつけ始めた。

「介護も大変ですねえ」

饅頭を頬張りながら他人事のように言う雀。 高順(ガオシュン) 、 桃美(タオメイ) の老後はどうなるのか。

「猫猫~」

ぬるい声が聞こえて猫猫は顔をゆがめる。

「これ以上近づかないでください。雨に濡れた犬の匂いがします」

「普通に聞いていてひどいな」

李白が突っ込む。

しかし、どんなことを言っても聞く耳を持つ御仁ではない。

「しょっぱいものが好きだって言うから、塩気のある 点心(おやつ) たくさん用意したぞ。酒はどうする? 飲むか?」

「酒……」

ちょっと心ひかれつつ、だめだだめだと首を振る。

しかし、猫猫の顔の歪みがさすがにひどかったのか、間に雀が入ってきた。

「お酒なら雀さんには特産の果実酒をいただきたいです。あと、一応仕事もしないといけないので、あのおじいさんの話について詳しくお願いします」

自分の要望をしっかり言った上で、仕事もついでにしてくれる雀。横で「酒はあとでなー」と李白が断る。

変人軍師といえば、雀を見て首をかしげる。

「桂馬か?」

なんとなく変則的な動きをする人物にとられたようだ。審美眼だけは確かだ。

「祖父については私が説明いたします」

林小人がやってきた。林大人はくうくうと寝息を立てている。

なんとなく料理を取り囲むように輪になって座った。雀がお茶を用意して、皆に配る。猫猫は取り皿をそれぞれの前に置いた。

「祖父について、皆様はどのような説明を受けていますか?」

林小人は落ち着いた声で猫猫たちの顔を見ながら聞いてくる。

(祖父かあ)

年齢は四十代くらいだろうか。髪は黒いが、癖のある髪と色素の薄い目をしている。

(林じいさんも、ちょっと異国人っぽい風貌だものなあ)

この年齢の殿方が、甲斐甲斐しく祖父の介護をするのは、猫猫としては珍しく思ってしまう。

猫猫や雀に対しても丁寧な口調だ。

(末っ子なのかな?)

遊牧の民の中には、末っ子を親の世話をさせるために残すという風習があると聞く。林小人もそういう文化の中育ったのなら、立ち振る舞いもおかしくない。

「西都の生き字引だと聞きました」

「昔はそう呼ばれていたのですが、今はこの通りです。十七年前のあの事件まではしっかりした記憶を持っていました」

「十七年前、というと……」

「戌の一族の粛清です」

(そうきたかあ)

猫猫は自分の額をぺしっと叩きたい気持ちを抑える。

林小人は寝ている祖父の薄い髪をかき上げた。くっきりと縫い目が見える。

「当時、祖父は西都の歴史書を 編纂(へんさん) する役割を担っていました。しかし、戌の一族の粛清の際、祖父もまた反逆者とみられたようです。家族にまで類は及ばなかったのが幸いでしょうか。あれは粛清という大義名分を得た暴徒でした。祖父は捕らえられ、編纂していた書、または元とした書物はすべて焼かれました。数ヶ月後、戻ってきたときはこのありさまです」

林大人の痴呆は、 天職(ライフワーク) を奪われたことか、それともひどい暴力を受けた結果か。どちらにしてもいたたまれないものがある。

「過去の歴史書には貴重なものが多く、今なお、焼かれてしまったことが悔やまれます」

林小人はくやしそうに絨毯を叩く。

(焼くのは簡単、戻すのは大変)

しかし、先ほど林大人のつぶやきを聞いていたのは何か意味があるのだろうか。さすがにあの単語の羅列の中から、歴史書を再編成することは難しかろう。

「それで私たちは何をすればいいのでしょうか?」

なんとなく猫猫が仕切った方が早そうなので、率先して話す。変人軍師といえば、昼寝の時間になったのか舟をこぎ始めている。よく見ると雀がにこっと笑いながら酒瓶と変人軍師を指していた。

(盛ったな)

雀はいい仕事をしてくれた。配った茶に酒を混ぜておいてくれたのだろう。猫猫は視線で雀をねぎらう。

「祖父は慎重な性格でした。燃えやすい書物を一カ所にまとめておく性格ではなかったのです」

「と、言うと燃やされた書庫以外に、書庫があったということでしょうか?」

「はい。新しい書を手に入れると、重要な物は読みながら写本を作る人だったそうです」

写本が別の場所に保管されていたら、記録は残る。しかし――。

「見つかっていないということは、その書庫の場所は誰も知らないということですね?」

「その通りです。つまりまだ誰にも見つからずに蔵書がすべて残っているかもしれないのです」

猫猫は寝息を立てているおっさんを見る。変人軍師は、本当に使えなければただやっかいなおっさんだが、困ったことにたまに役に立つのだ。

「それで、時折正気に戻った時に書庫の 在処(ありか) を聞き出そうとしているわけですか」

ずいぶん気が遠くなる。

「本当にそんなんで見つかるんですかね?」

猫猫が言いたいことをずばっと言ってくれる雀。

林小人は困りつつも茶をすする。

「実は見つかったことがあるんです」

猫猫は目を丸くした。

「本当ですか?」

「ええ。ふと祖父が思い出したことを元に、昔使っていた家を探してみたことがあるそうです。そしたら――」

「そしたら――」

「あったんですよ。祖父が昔ため込んでいた棋譜が。納屋の床板の底から出てきました」

「棋譜……」

正直あんまり価値がなさそうなものだ。

「皆さん、がっかりしたんじゃないでしょうか? それだけ大がかりに隠していたのに」

「ええ。竈の焚き付けにしたそうです」

林大人にとっては宝だっただろう。価値観の違いとは酷なことをする。

「なんかもったいないですねえ。いまなら価値があるかもしれないじゃないですかー」

雀が麺料理をとりつつ言った。さっきまで腹一杯という顔をしていたが、また腹に空きができたらしい。

「そうなんです。今更、祖父が将棋を得意としていることを聞きつけて、棋譜があれば売ってほしいという手合いがやってきまして」

「棋譜を売ってほしい……」

なんか聞き覚えがある気がする。

「なんでも華央州では、囲碁が流行っていて、棋譜を集めた本が売れているとか。じゃあ、将棋もいけるのではという申し出があったんです」

猫猫はちらりといびきをかいているおっさんを見る。また変なところで影響を与え続けるおっさんだ。

「金になると聞いて、家族は躍起になっている最中なんです」

「そりゃあ、また。でも、将棋ならそれから指した棋譜ならいくらでもあるんじゃないでしょうか?」

将棋の腕自体は落ちていないようだし、問題なかろうと思う猫猫だ。

「そこが面倒くさくて、過去の棋譜が欲しいそうです。具体的に言えば、羅漢さまと指した棋譜が良いそうです」

「へっ?」

猫猫はまた変人軍師を見る。

(そういえば)

変人軍師は、叔父の 羅門(ルォメン) が後宮を追い出された際、実父に遊説を命じられたと聞いた。どこかというのは猫猫には興味がなく、それから数年帰れなかったという。

(ちょうど期間は合う)

「では、林大人はあのそこに転がっているなんか酔っ払った人と旧知ということですか?」

「遠回しですね。そうと聞いています。あいにく、祖父は覚えていないようですが」

猫猫は音操を見る。

「あの音操さま!」

「そういえば、羅漢さまは『なんか見たことがあるような指し方だ』と言っていました」

変人軍師は、人の顔の判別がつかないので、旧知かなんて覚えていないだろう。

「祖父がいつもより元気なのは羅漢さまと久しぶりに将棋を指せたおかげかと思います。あの、ぶしつけなお願いなのですが、今回の試合の棋譜を私どもにお譲りいただけないでしょうか?」

「かまいませんけど」

「では、もし祖父のつぶやきで隠していた書や棋譜が見つかったとしたら」

「棋譜はすべてお譲りします」

「猫猫さま……」

音操が心配そうに猫猫を見る。

「変人軍師は別に過去の棋譜なんて興味ないでしょう」

「ですが、もし何か言われたら――」

「私が勝手にやったとでも言ってください」

「そうします!」

音操は語尾を強めて言った。つまり猫猫の責任にできる言質を取りたかっただけらしい。

そうなると肝心の書があるかもしれないという場所についてだ。

「先ほど書き留めていたものはお持ちですか? 私どもにも見せてもらってもよろしいでしょうか?」

「はい、こちらです。ここ数日の物です」

「……これこそ棋譜じゃないんでしょうか?」

猫猫は首をかしげる。見ていると「五九銀」や「八三馬」など書かれている。将棋に興味がない猫猫でも、駒の動きを表すものだとわかる。

(これ、本当になにか意味あるのか?)

猫猫はうなりたくなった。