軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

十五、玉鶯という男

陸孫(リクソン) は、さらさらと羊皮紙の上に 羽筆(はねぺん) を滑らせた。速記に向いた崩した形の 署名(サイン) はもういくつ書いただろうか。たまに最初の署名と見比べて形が変わっていないか確認する。

都にいたときは印を押すだけだったので、今ほど手が疲れることはなかった。合間に手首を振りながら、書面を確認する。

「陸孫さま。こちらをお願いします」

新しい書類を文官が持ってくる。ここに来るのは通算五度目の官で、訛りが少ないことから華央州出身だと思われる。耳たぶが大きく福を呼びそうな形だ。普段、右ばかりで荷を持つことが多いのか、体が右肩下がりに傾いている。

「ありがとう。ではこちらを」

「かしこまりました」

渡された書類は雑務と言っていいものだ。少なくとも、ここの領主は雑務だと思っている。

戌西州の人口のほとんどは、東西をつなぐ交易路にある街に集中している。

ここでいう雑務というのは、その交易路から離れた土地の住民の訴えだ。街というより村、集落だろうか。放牧、もしくは葡萄など乾燥に強い作物の栽培がほとんどだ。灌漑のため水路を作って欲しい、夜盗が頻発し家畜が盗まれたなどなど。

「ははは」

思わず声に出して笑ってしまい、出ていこうとしていた文官に怪訝な目で見られてしまった。

王都から西都へと呼び出されてもう半年以上になるだろうか。都の 政(まつりごと) がわかる人物が欲しいとの建前でやってきた陸孫だったが、どうにも渡される仕事は 雑務(・・) ばかり。当初から変わったのは、その処理する分量が増えたことだろうか。

「あまり信用されてないようですねえ」

与えられた執務室で一人ごちる。

腱鞘炎になりつつある右手を動かしつつ、書類を確認する。

陸孫とて、毎日膨大な書類を見ていると傾向がわかってくるものだ。人の顔を覚える以外にも自分には多少の特技はあると思いたい。

「ちゃんと報告しているんだけどね」

仕事をふっているのは 玉鶯(ギョクオウ) だ。気づいたことを報告しないでおくと、下手に何かあったときに尻尾切りにされる可能性はある。

あえて、そのために陸孫を呼んだのではないだろうかと勘繰りたがる。

玉鶯、現在の西都の仮の主だ。中央に行った 玉袁(ギョクエン) が帰って来なければ、長子である彼が跡を継ごう。

「失礼します」

また次の文官が書類を持ってくる。今度は追加の書類ではなく、陸孫が上にあてた書類の返却だ。玉鶯直属の文官であり、二度ほど顔を合わせたことがある。一度目は、昨年西に旅した際に、二度目は玉鶯に挨拶しにいった際にすれ違った。

「お返しします」

書類には何も書かれていなかった。署名も印もない。

「不許可ということですね」

「はい。確かに必要なことであるかもしれませんが、もっと重要な仕事はいくつもある。優先順位をつけてやるようにと」

はっきりきっぱり言ってくれる。

陸孫は口角を上げながら、返却された書類を引き出しに入れた。

「あともう一つ」

「なんでしょうか?」

「玉鶯さまがお呼びです。今すぐではなく、午前の執務が終わったら茶会をしようという話ですがいかがなされますか?」

疑問形だが、ここに断る選択はない。

「かしこまりました。午後の鐘の前に、中庭の 四阿(あずまや) に行けばよろしいですか?」

「はい」

涼しい顔で文官が出て行った。

いつも玉鶯が茶会をしている場所だ。 水源(オアシス) のすぐそばで、他よりも涼しい場所だ。茶会をする前には朝から虫よけの香が焚かれているのでよくわかる。

玉鶯という男は無能ではない。有力者の子ということもあって、しっかりした教育を受けている。元は商人であった玉袁の影響だろうか、西都を発展させようとする気概は陸孫でもよくわかる。

彼の目には若い頃から変わらぬ、野心にも似た向上心がある。

そのためか危うさすら感じることもあった。

「……これも私の管轄でしょうか?」

執務室にこもることが多くなったので、人と話すことが減ってしまった。独り言をつぶやく癖ができても仕方ない。

「もっと人と話がしたいんですけどねえ」

人の顔を覚えるという特技は同時に趣味でもあった。一度顔を見たら忘れないということは、同じ人ばかり見ていると飽きるということである。

出てきたのは絹や宝石といった装飾品の請求書だ。交易地ということで、都で買うよりずっと安い値段には違いないが、それでも桁が違う。何に使ったのかは、簡単に予想がついた。

陸孫が西へ来たばかりの頃、一人の女性とすれ違った。年齢は十五、六。 玉葉(ギョクヨウ) 后によく似た雰囲気の娘だ。

案内をしてくれた官に話を聞くと、玉鶯の娘だと言う。

似ていないけど、とつぶやく官だがそれ以上口にしないだけ賢かったかもしれない。

「本当に向上心を持っておられる」

陸孫は、口角を軽く上げると、またさらさらと 筆(ペン) を走らせた。

真っ黒な髭を蓄えた御仁は、焼けた肌をのぞいてはあまり西都の住人には見えない顔つき体つきをしていた。多少の彫の深さはあるものの、あくまで 茘(リー) における典型的な顔つきをしている。髪は直毛で、比較的丸顔、肉付きは西都の平均的な人間よりほっそり見える。

誰かと言えば陸孫の目の前にいる玉鶯という男だ。

年齢は四十路をいくつかこえているが、酒太りしやすい西都の住人の中だと十は若く見える。快活に笑う白い歯は、好印象に見えるだろう。

まっすぐ伸びた八重歯を見て、陸孫はそっと目をそらした。

「お招きいただきありがとうございます」

陸孫はゆっくり頭を下げる。

「いや、かしこまらなくていい。座ってくれ」

下男が籐椅子を引く。陸孫が座ると、卓の上に果実水が置かれる。

「茶のほうが良かったかな?」

「いえ。文官の仕事は甘いものが欲しくなります」

地下水で冷やしているのだろうか。玻璃の器には結露がついている。

「かしこまっているな。何か裏でもあると思っているのか?」

「ははは。緊張してしまうものですから」

笑いつつ、果実水を口に含む。

「分不相応に私などが王都から派遣され、さぞやがっかりしているのではないかと、心落ち着かぬもので」

「ははは。父上の人選は間違いなかろう。何より、あの 羅漢(ラカン) 殿の下で働いていたおまえが無能なわけがない」

羅漢殿、か。

陸孫は玻璃の器を置く。卓の中心には色とりどりの果実が盛られていた。

「ところで」

玉鶯が立ち上がり、後ろを振り返る。彼の視線の先には商人の一団が見えた。

「あの中に見覚えがある人間はいるか?」

「……三人います。二人は毎年都にやってくる隊商を取りまとめている人物です。もう一人は、海路を中心に交易をおこなっている者」

下男がやってきて陸孫の前に筆記用具を置く。陸孫は名前を書いて渡す。

「名前を憶えているのは二人だけです。あとは初めて見る顔です」

「わかった。照らし合わせてみる」

何か怪しい人間がいないかの確認か、それとも陸孫の特技を試したいだけなのか。

しばらくして戻ってきた文官が玉鶯に耳打ちする。

「ふむ」

満足する答えだったのか、髭を撫でる玉鶯。

「さすがだな。正解だ」

「……たまたま見覚えがあっただけです」

ゆっくり頭を下げて謙遜する。

「不思議だな。人の顔など、日に何十、何百とあるのに覚えているものなのか? もしかして、都で異能と噂される羅の一族と血縁でもあるのか。だから、羅漢殿に仕えていたのではあるまいか?」

「そ、そんな」

今日、初めて陸孫は笑った。むしろ西都に来て一番面白かった話かもしれない。

まさか羅の一族と血縁があろうと思われるなんて、どんな旅芸人の冗句よりも面白い。

「あの一族は枠外の人間ばかりですよ。私の場合は、そうですね。もう癖みたいなものでしょうか?」

「癖?」

「はい。人の顔は忘れてはいけませんと、母から教えられましたので」

「そういえば商家の出と言っていたな」

「はい、お客様の顔を忘れるのは商いに支障を来たします。生きていけないと思いなさいと」

笑いで緊張がとれたのか、つらつらと口から言葉が出てきた。

「厳しい母だったのだな」

「ええ」

陸孫は一呼吸置くように果実水を飲む。軍師様も好んで果実水を飲んでいたな、と思っていると玉鶯が驚くことを口にした。

「羅漢殿もその味なら気に入ってくれるだろうか?」

「羅漢さまが下戸だとご存じですか」

「有名な話だ」

有名なのは陸孫もわかる。あの人の通ったあとはまるで台風が過ぎ去ったように荒れている。

「西都に来た際は、これを含めた果実水を用意しよう」

「西都に来た際ですか?」

思わず陸孫は反芻してしまった。ぬるい汗が浮かんでくる。

「おや、また身構えているぞ。そうだな。初耳か。いいことを教えてやろう」

むしろこちらが本番と言わんばかりに。

「羅漢殿は西都に来る。なんと皇弟殿も一緒にな」

まるで皇族のほうがおまけのように言い放つ。

陸孫は形だけ口角を上げると、心の中で深くため息をついた。