軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二、広告

大量に積まれた書類、順番待ちをする文官、たまに顔をのぞこうとどこからともなくやってくる官女。

壬氏はいつもどおりの仕事を行っていた。いつもどおり、いつもどおりとは本当に幸せだと思うのは、壬氏の幸せの基準がくるってきている証拠だろうか。

普段から忙しい仕事は西の巫女がやってきてから倍になった。その後、巫女を呼んで宴が行われ、その最中に毒殺騒ぎ。結局、事件は巫女側の自作自演だったが、巫女は死んだことになっている。

無茶をさせると壬氏は思う。

巫女は存命で、現在、元上級妃の 阿多(アードゥオ) の元にいる。あそこは、色々駆け込み寺のようになっていて申し訳ない。

しかし、巫女が死んだことに対する後処理は壬氏を含む、少数の人間がやらなくてはいけなかった。

砂欧(シャオウ) が巫女を大義名分にして攻めてくるのでは、と煽る官もいたがそんなことはない。砂欧は交易を主な産業とする国である。戦争を仕掛けるというのなら、余程の後ろ盾がなければできることではない。

なので、彼等が提示した案件は予想通りの物だった。

関税の緩和だった。特に食糧に関して下げるようにとある。

あからさまに「食糧が足りない」と言ってくるわけがないとは思っていた。砂欧の元巫女は、砂欧の王や官についてよく知っている。性格と政治的判断を踏まえて予想範囲内の対応だった。

予定調和すぎて肩透かしを食らったくらいだが、だからといって外交問題が簡単というわけではない。

結局、今の山積みの書類さえ懐かしくなるような仕事に追われていたのが、数日前のことだった。

「壬氏さまこちらを」

馬閃が新しい書類の山をよこしてくれる。これでも、仕分けして半分以上減らしたほうだ。

「もう半分くらいには減らせないものか?」

「そう言われましても」

書類の印はほとんど高官が押したものだ。仕分けする文官たちは、上の印が入った書類を無下にできない。なので、くだらない案件でも壬氏の元に来る。

壬氏はため息をつきながら判を押す。

そんな中、仕分けをしている文官が立ち上がる。ちらちらと壬氏のほうを見る。以前、壬氏の茶に毒が入れられた時に一緒にいた文官だ。馬閃が完全復帰するまでのつなぎとして一時的に入ってくれた人材だが、優秀な仕事ぶりなのでそのまま引き留めてしまった。本人としては、早く元の職場に戻りたそうにしていたが、万年人手不足なので壬氏としては放す気はなかった。

「なにか?」

壬氏に代わり馬閃が聞き返す。文官は、びくっと肩を震わせた。

「い、いえ、何もありません……」

何もないと言っている割に、そわそわしている。そういえば数日前から、様子がおかしかった。

もしや、と壬氏は目を細める。

「本当に何もないのか? 正直に言え」

文官に詰め寄ったのは馬閃だった。最近、壬氏の周りでは物騒なことが起きている。何かあった後では遅いと、護衛も兼ねている馬閃は特にぴりぴりしていた。

「ひ、ひい!」

文官は顔を引きつらせ、震えながら懐に手を入れた。馬閃がすかさず文官を組み伏せる。

得物を隠していたのかと、馬閃は遠慮がない。

「どこの差し金だ」

馬閃が文官の手首を掴む。懐から出てきたのは、紙切れだ。

「馬閃放してやれ」

壬氏は紙切れを見てふうっと息を吐いた。

「これが原因でそわそわしていたわけか」

「はっ?」

なんですか、それは、と馬閃が首を傾げる。

「いたたた。は、放してください」

文官を解放した馬閃は壬氏が持っている紙切れを見る。

「こんなもの……」

「いつのまに作ったのか知らないが周到だな」

紙切れには、本を出すという旨が書かれてあった。日付は今日、都の書店にて売り出すとある。

「……ほ、欲しかったんです。本は一度売り切れると、買えるかわからない代物なので」

文官は半分泣きべそをかきながら、右腕をさすっている。馬閃の顔が罪悪感でいっぱいになっている。

書物は高級品だ。余程人気がない限り、もう一度作るということはない。売り切れてしまえば、古書として売りに出されるのを待つしかない。

「しかし、紙にわざわざ刷って配って宣伝しているということは、かなり用意されているのではないのか?」

刷るということはかなりの枚数を用意しているはずだ。その元を取るには、より多くの本を出すだろう。

「……わ、わかりません。人気があると思いますし」

「そんなに人気がある作者なのか?」

壬氏は隅々まで紙切れを見る。しかし、紙に印刷して不特定多数に配るという方式は新しいと感心してしまう。一体、誰が……。

「⁉」

見てはいけない名前を見てしまった。

「ええっと、漢太尉ですか?」

壬氏も題名を見て、頷く。

「一応、質問だが、この紙は誰にもらった?」

「こ、 戸部(こぶ) にいる友人が、太尉の息子と知り合いなので。仲間内に配っていた物を貰いました」

戸部とは、財務関連を司る部署である。

羅半だ。羅半が関わっているなら、本もただの軍師殿の思いつきではなく、本格的に編集されているだろう。

「……碁の本と来たか」

そういえばちらりと噂に聞いていた。碁の本を作ると軍師殿が息巻いていると。

まさか、ここまで大がかりになっているとは思わなかった。

壬氏としては、本を普及してもらうのはありがたい。紙や印刷事業に関して、壬氏もいくらか手を出している。

だが、こんな真面目そうな文官まで軍師殿の本を欲しがるとは意外だった。

「軍師殿に文才があったとは知らなかったが」

「文才なんてどうでもいいんです。あの方の言葉など、まず解読するのが難しいと聞いております。ただ、今まで漢太尉が打ってきた碁の棋譜をのせるというんです。無視するわけにはいきません!」

さっきまでべそをかいていたというのに、今度は語りだす文官。何気なく軍師殿を貶めている。好きなものになると熱中する人間はいるというが、この男にとってそれは囲碁のようだ。

「囲碁はかじる程度にしかしたことがないが、そんなに漢太尉は強いのか?」

馬閃が実に不思議そうな顔をしている。

「強いも何も、この国で太尉に勝てるのは今上陛下の指南役くらいです」

「それは強い」

壬氏も指南役には何度か教えてもらったことがある。最後に碁を教えてもらったときの置き石はいくつだったろうか。

「漢太尉の手順は、実に先が読めず、どう打ってくるのか予測できません。その棋譜がわかるというのであれば、囲碁を嗜む者にとって垂涎の品です」

拳をぐっと握りしめ、目を輝かせる文官。馬閃も組み伏せた後ろめたさが少し和らぎほっとしている。

「しかし、太尉も一応人間なのだな。碁に勝てない相手がいるとは」

これまた馬閃も軍師殿に対しての言いようがひどい。ひどいが本当のことなので、壬氏も納得する。

「何を言っているのですか? 碁では、六対四で指南役のほうが優勢という意味です」

「……」

「あと、将棋では、誰も勝てる相手はいません」

「……」

やはり人間扱いするのはよくない。

「わかった。馬閃、財布は持っているか?」

「えっ、はい」

馬閃は懐から財布を取り出す。壬氏はそれを、文官に持たせる。文官は慌てながら、壬氏と馬閃を交互に見る。

「馬閃が迷惑をかけた。少ないが受け取ってくれ」

「い、いえ。そ、そんなわけには……。なにより、馬閃さまの――」

生憎、馬閃の財布ではない。何かと入用なときのため、壬氏の金を管理しているに過ぎない。相場はよくわからないが、慰謝料としては十分だろう。

「あと、右手が痛かろう。もう仕事は終わりにして、その本屋にでも向かうといい。本代にはなるはずだ」

「い、いえ。多すぎます。こんなにはもらえません」

正直すぎる奴だ。素直にもらえばいいのに。

なら、こう言い換えよう。

「何を言っている? 一冊じゃないぞ。私のぶんも入っている。余裕があれば、馬閃の分も頼む。ほら、早く行け。売り切れるだろうが。それとも、駄賃は別に必要か?」

「い、いえ。わかりました。行ってまいります!」

文官は慌てて、執務室をあとにする。

壬氏は走り去る足音が聞こえなくなると、息を吐いた。

「馬閃。いきなり組み伏せるのはよくないんじゃないのか?」

「そ、そう言われましても」

馬閃は申し訳なさそうにしている。

「まあいい。腕は折らなかっただけ、力の加減はしていたということだな」

馬閃の本来の怪力を考えると、文官の骨は粉々に折れていてもおかしくない。多少は成長していると、認めてやる。

「壬氏さま。私は碁など興味がないのですが」

馬閃の分も買ってこいと言ったことについてだ。

「なに、覚えていて損はないぞ。深窓の令嬢も碁くらいは嗜む。結婚相手と会話ができなくても、碁くらい打てればなんとかなろう」

冗談めかして言ってみたが、馬閃の顔は真っ赤になっていた。

はて、と壬氏は首を傾げつつ、机に戻る。

戻って後悔する。

山のような書類はまだまだあった。

手伝いの文官は今更呼び戻せない。