軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

十二、三毛猫

水銀というものはその不思議な性質から昔から不老不死の妙薬として語り継がれている。

その材料は顔料にも薬にも使われる赤い石でこれを熱し、その蒸気を冷やすことで水銀ができる。

その赤い血を思わせる石が、気となり、流れる銀となることで古人は永遠の命を手にすると信じていたという。

古人というが、今現在もそれを神秘と思う者も少なくない。

知識がないまま、その不可思議な形状の変化を見せられたら、ころりと信じてしまう者はおろう。薬の製法は、それをあつかう業者が秘密にしている場合が多い。それが利益の元になるのであれば、ごく自然なことだろう。

猫猫もまた、養父の教えがなければ、実験と称して水銀を飲むことくらいやっていただろうに。

件(くだん) の 白娘々(パイニャンニャン) が消息を絶ったことで、相手が何をしようとしたのかいくつかわかる。

少なくとも都の中を引っ掻き回したいというのはわかった。豪商たちが食中毒で死んだとあったが、おそらく白娘々の真似をして水銀を摂取したからだろう。水銀はその形状で、毒性が変わる。ああやって目の前で飲んでみせたら、自分も飲んで害はないとおもうだろうに。

(世間をお騒がせしたかったのか?)

そういう人間もいる。ただ、慌てふためく者たちを見て喜ぶ物好きな奴らは多い。ただ人を斬りたかったという理由で斬りつける輩もいれば、施しを装って物乞いに毒まんじゅうを食わせる者もいる。

しかし、相手が悪い。豪商や高官を狙ってわざわざ仙女と流布する真似をしようとは。その結果、死亡者をだして。

(なにが目的だ? それに)

錬丹術、いや流れとしては錬金術に近いことをしていたのも気になった。東方の紙を使った見せ物もしていたので、流浪の民といってしまえばそれだけだが。

錬金術は西方のものである。それについて思う事があった。

気になるけど、それを考えるのは猫猫の仕事じゃない。子一族の後始末、蝗害の対策、もろもろ忙しいだろうが、そういうのは壬氏たちに任せるのが正しいだろう。

しかし、過労で死んでも元も子もない。

実の弟だかなんだか知らないが、皇帝もずいぶんこき使うものである。それが役目といえば仕方ないがまるで……。

(まるで後継者を育て……)

と、ここで思考を放棄した。

現在、東宮は玉葉妃、いや后の産んだ皇子である。それでもって、梨花妃もまた、男児を産んでいる。

帝はまだ三十半ば、まだまだ健康な偉丈夫である。東宮が成人するまで何事もなければ、ご健在であろう。

不穏なことは考えないようにする。気分転換に掃除でもしようかと考え、薬屋の戸を開ける。

すると、さえないおっさんがよたよたと歩いているのが見えた。見覚えのある小太りなおっさんだった。

おっさんは猫猫に気が付くと大きく手を振った。その背には大きな布包み、手には籠を持っている。

「嬢ちゃーん」

大きく手を振るのは、後宮にいるはずのやぶ医者だった。

(なんでここに?)

そんな疑問を持ちながらも、猫猫は薬屋の入口を開けた。

「いやはや、羅門さんから聞いた住所が間違っているかと思ったよ」

ふうっと大きく息を吐き、汗を拭くやぶ。身体の脂肪が多いので、冬場でもちょっと走るとすぐ暑くなるらしい。

猫猫はわざと冷めた茶を出すと、やぶは一気飲みする。

「ところで、なぜここに。……あっ、やっぱりいいです」

可哀そうに、とうとう解雇されたか、確かに悪い人ではないが給金泥棒もいいところだったので仕方なかろう。

元宦官では新しい職を得るのも大変だろうが、できるだけ親身になろうと思っていると。

「嬢ちゃん、なんか勘違いしてないかい」

じぃっと半眼でやぶが見ていた。

「いえ、気になさらず。そう言う事は恥ずかしがらずに言ってくださって」

「いや、だからさあ」

そんなやりとりをしていると、がさっとなにかが動く音がした。

なんだ、と思うとやぶ医者が持ってきた籠が動いた。そして――。

「にゃあ」

甲高い鳴き声が響いた。

「……猫ですか?」

「うん、猫だよ」

「どうしてまた?」

やぶは籠から猫を取り出す。まだ若い三毛猫で、桃色の肉球を猫猫に見せるようにばんざいしていた。

「後宮じゃ飼えないからねえ」

「そういうことで、追い出されたと」

「いや、だから違うって」

やぶ医者は口を尖らせて、首を横に振る。三毛猫もそれにつられるように後ろ脚をばたばたさせる。

やぶ医者は、猫を籠の中に戻し、おやつの小魚を入れてやる。

「それがね、久しぶりに実家に帰ることが許されてね」

「ほうほう、ようやくお里返しですか」

「嬢ちゃん、わざと言っているだろ?」

さて、これでは話が進まないので、とりあえず黙っておくことにした。

やぶ医者は羅門が宮廷に戻ったことで、しばし休暇を貰うことになったらしい。羅門は後宮勤務ではないが、やぶがいない間くらい後宮に留まる予定だという。一応、医局には必ず医官がいなくてはいけないというのが規則なので、他に医官がいなかった後宮ではずっとやぶ医者は休み無しだったということだ。

ここで野暮に、「毎日、遊んでるようなもんだろ」とか付け加えないのが猫猫の優しさである。

では、この猫は一体なんだというと。

「それがさあ、宮廷をでてすぐねえ」

猫を貰ってくださいという子どもたちに会ったという。身なりは良い子たちで姉と弟らしかったが、どうやらこっそり親には内緒で子猫を飼っていたようだ。

しかし、使用人に見つかってしまい、このままだと遠くへ捨てられてしまうらしい。それならばと、誰かにちゃんと飼ってもらおうと飼い主を捜していたという。

なるほど、宮廷勤めなら皆、ある程度裕福だろう。それでもって気難しそうな文官やいかつい武官を避けていたところに、のほほんとしたどじょうひげのおっさんが来たらこれ幸いと思うだろう。

やぶは見た目も中身もお人よしである。

「あの子たちには悪いけど、後宮に持って行くわけにはいかないから、実家に連れていこうと思ってね。妹は猫が好きだったからね」

十数年ぶりに帰る実家ともあってやぶ医者は嬉しそうである。たしかやぶ医者の実家は紙作りを行っていて、宮廷にも品を出していたはずだ。鼠が紙をかじらぬよう見張り役にはいいかもしれない。

「そうですか」

しかし、旅は長くなりそうだ。ちゃんと猫は大人しくついてきてくれるのかな、と思ったときだった。

ぱかっと籠の蓋が外れ、猫が飛び出してしまう。

「ああ。 毛毛(マオマオ) が!」

「なんですか! その名前は!」

「いや、子どもたちがつけた名前だよ」

大変不愉快な名前の猫は薬屋の扉の隙間を抜け、緑青館の 玄関(エントランス) へと走っていく。

猫猫とやぶ医者は、履を引っかけ慌てて猫を追う。

朝風呂を浴びたしどけない女たちの間を抜け、部屋の褥を片付ける男衆の股をくぐり、向かった先は食堂だった。

「ん?」

卓につき飯をかっ食らっているのは、 趙迂(チョウウ) だった。隣には、無言の女童、 梓琳(ズーリン) が粥をすすっている。

「なんだ、こいつ?」

箸を噛みながら、趙迂は三毛猫を覗き込む。梓琳もまたつぶらな目をぱちぱちさせて猫を見ている。

猫は前脚をぺたりと趙迂の足にのせていた。

「もしかしてこれか?」

趙迂は箸で魚をつまむ。ただ炭火で焼いただけの青魚だが、味付けせずとも塩の味がする。

「にゃっ!」

趙迂の魚を猫が叩き落とした。

「あっ!」

魚は無残に土間に落ちて、それを猫はがつがつと食べている。

「毛毛、駄目だよ、そんなことしちゃ」

やぶ医者が息を切らしてやってきた。

「なんだよ、この猫! 誰だよ、おっさん」

それに……と。

「毛毛とか、なにその名前」

猫猫をにやにや見ながら趙迂が笑う。梓琳も声ともいえぬ声を殺して笑っている。

猫猫は不機嫌になってとりあえず三毛猫を捕まえた。猫は口にしっかり魚をくわえて、はなす様子はない。

趙迂は魚を残念そうに見ながらも、猫を面白そうに見ている。その桃色に火照った肉球をぷにぷにとつついては「おおっ!」と目を輝かせている。

猫猫としては、さっさとやぶ医者に返して、実家に送り届けてもらいたいところだった。しかし、やぶ医者がここに来たということはなにか理由があるのだろう。

とりあえず猫は逃がさぬように言いつけて、趙迂たちに任せることにした。一応、男衆の一人に声をかけておいたのでそう悪いことはしないだろう。

薬屋に戻ったところで、話の本題はなにかたずねると、やぶ医者は髭をいじりながら話し始めた。

「うちの実家が紙を作っていることは知っているよね」

「はい」

「実は今回帰るのはそれでちょっと気になることがあったからなんだよ」

前に、紙の質が悪くなったといって、やぶの妹が 文(ふみ) をおくってきたことがあった。あれは、もう解決したはずだが、新たに問題が浮上したということだろうか。

「文ではなんといっているのですか?」

「いや、直接帰ってきてほしいっていわれたんだよ」

ふむふむ。なるほど、と猫猫は頷く。

「それで、ちょっと嬢ちゃんについてきてもらいたいんだけどね……」

やぶとしては、前に妹に返した文に偉そうなことを書いていたに違いない。この宦官、気は小さいがそれなりにいいところを見せようとするきらいがある。

つまり、話を聞いて上手い答えが出せるか自信がないようである。

「……」

やぶ医者には悪いが、猫猫はそこまで義理はない。仕事を休んでまで、ついていく理由はない。

そっけない猫猫のそぶりを見て、やぶは目をうるませながらすがりつく。

「じょ、嬢ちゃん、後生だからさあ。そんなに遠くないさ。ここから馬車で半日もかからないところだからさあ」

それでも最低、三日は薬屋を閉めなくてはいけない。それに春に向けて、畑を耕しておきたいのもある。

何よりそんな理由を許さない相手がいる。

「おやおや、それは困るねえ」

示し合わせたかのようにやってきて、壁によりかかるのは、干物、もといやり手婆だった。

「その子は一応、ここで薬屋をやってる。医者なんてもんがここらにはないから、下手に場所を抜けられると万が一ってときがあるんだよねえ」

どこからか取り出したするめを噛みながら婆は言う。

「そんなことを言わずに」

やぶ医者としても兄の威厳を保ちたいのだろう。

「そんなこと言われてもねえ」

そう言いながらちらちらしている。

(あっ)

やり手婆の意図がわかった。多分、さっきから話に聞き耳を立てていたのだろう。その上、最近猫猫がただで上質の薬包紙を手に入れているのを見ていたのだろう。

「婆、そういえば、最近、壁紙を新しくしたいって言ってたよね?」

「そういや、そうだった気がするねえ」

わざとらしくそっぽを向きながらするめを噛む婆。

「あと、常連に送る文もいい紙がないって言ってなかったっけ?」

「そうだったかねえ」

そういって、猫猫とやり手婆はちらりとやぶ医者を見る。

「うちの紙は最高品質さ。壁紙にでも文にでもどうとでもなるよ」

ぎゅっと拳に力を入れてやぶ医者が言った。

「好きなだけ送らせるよ」

やり手婆がこの言葉にそっぽを向きながら、にやりと笑うのを猫猫は見逃さなかった。

本当に守銭奴の婆である。