軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二、趙迂

糞餓鬼はやはり糞餓鬼である。

猫猫(マオマオ) はつくづく思う。

(なにが思い出せるかもしれないだ)

趙迂(チョウウ) は頭にたんこぶを作りながら嬉しそうに筆を動かしていた。この糞餓鬼が欲しがっていたのは、玩具の類ではなく意外にも紙と筆だった。

筆は猫猫が持っているものをやるとして、紙は案外高くついた。元はよいところの出だからだろうか、紙屋で粗悪品と高級品の区別がつくのだ。あれは駄目、これも駄目といって店で一等高いのを欲しがった。

もちろん、そんな贅沢、猫猫はさせたりしないので、いくらか質が劣るが十分使えるものを選んで買った。

紙は消耗品として高いが、買えないような値段ではない。毎度、もっと普及すれば安くなるのにと思う。

紙の束を嬉しそうに抱える趙迂を見て、とりあえず拳骨一発で許してやった。

緑青館に帰るなり、趙迂はそういうわけでしきりに何か描いている。猫猫としては、頼まれていた堕胎剤と風邪薬の調薬で忙しい。今日は茶ひきの妓女や、年頃の近い 禿(かむろ) たちに、悪さをしないようにと頼んで、薬屋に籠もる。

頼まれた薬を作り、余所の妓楼へと届けに行き、戻ってきたころだった。

(なんだ?)

玄関(エントランス) に人だかりができている。妓女や禿、それ以外にも男衆も集まっていた。

なにかと思って目をこらすと、その中心に生意気そうな餓鬼がいた。

やらかしたのか、と猫猫は速足で趙迂の元へと向かう。人だかりをかき分けて、糞餓鬼の前に立つと、そこには白い紙に流麗な線が踊っていた。

「なんだ? そばかす。順番待ちだぞ」

「なにやってんだ?」

趙迂は平べったい板を 卓子(テーブル) 代わりに紙を置き、絵を描いていた。趙迂の前にはすまし顔をした妓女が椅子の上にちょこんと座っている。

「なにって、絵描いてる」

さらさらと筆を動かし、描いていく。そこには目の前の妓女に少し色をつけた美人があった。

「はーい、出来上がり」

趙迂は筆を墨壺の上に横にすると、ぴらぴらと紙を持つ。 被写体(モデル) となった妓女はおすまし顔から笑顔に変わり「あらあら」と言いながら、懐から財布を取り出した。

「まいどありー」

鐚(びた) でもない綺麗な銭を五枚受け取ると、趙迂は懐に入れた。餓鬼の小遣いには過ぎた額だ。

「次は俺だな」

男衆の一人が椅子に座る。見張りもせずなに遊んでいるのだろうか。やり手婆に見つかったら折檻を受けるだろうに。

「あっ、悪いにいちゃん。もう紙はねえんだ。ちょっと今から買ってくるから、明日にしてくれよ」

「なんだよー、ずっと待ってたんだぞ!」

「ごめんよお。明日は一番最初に男前に書くからさあ」

ずいぶん、慣れたものである。

そういって、たったと走ってまた紙屋のあるほうへと向かっていった。

確か十枚束を買っていたのにもうなくなったということか。

似顔絵を描いてもらったのはここにいるだけで三人はいるようだ。それだけで元手をとってやがる。

(あんな特技があったなんてなあ)

猫猫はぽりぽりと首の裏をかきながら、似顔絵を覗き込んだ。

「あんたたち! なにやってんだい!」

しわがれた婆の叫び声が聞こえてきて、いままで和気藹々とやっていた面々の顔が青くなる。

「さっさと店の準備をしな、客が逃げちまうよ」

竹ぼうきを振り上げながら婆がいうものだから妓女も禿も男衆も蜘蛛の子を散らすように散らばっていった。

猫猫もさっさと自分の持ち場に戻ろうとしたら、がしっと骸骨のような手が猫猫の肩を掴んでいた。

「なんだい、婆」

「なんだいじゃないよ、あの餓鬼。いくら預かりもんで養育費を貰っているからって甘やかすんじゃないよ」

「金せしめてんのは婆じゃないか」

なぜか、受け取った金子は婆が預かっている。ある程度、緑青館で趙迂が好き放題やっているのはそこのところが関係している。けれど、子どもとはいえ男を妓楼に住まわせるわけにいかず、男衆の住む長屋に突っ込むわけにもいかず結局、猫猫のあばらやに住みついている。

「場所代貰わないと」

(強欲婆)

口に出したつもりはなかったが、不思議と婆の拳が猫猫の頭に落ちてきた。

「ほら、おまえさんはその筆や墨壺片付けな」

「なんで」

「だまってやらないと、今日は蝗汁だよ」

(この婆)

猫猫は頭を押さえながら、しぶしぶ墨壺を片付け始めた。

夕方、猫猫はあばら家に帰ってきた趙迂を不機嫌な顔で見た。

趙迂はどこからかまた筆を借りていたのか、かきちらした紙の束を持っていた。

「そばかす、筆どこ?」

「片付けない奴にはもうやらない」

ぷいっと背中を向け、竈に薪を入れる。猫猫は上掛けを羽織っている。日が落ちると一気に寒くなる。

「けちけちすんなよ」

「けちはやり手婆譲りでね」

猫猫は土鍋をかき混ぜて中の粥をすくって口に入れる。ちょっと味気ないので塩を加える。

「婆が場所代とるって言ってるよ」

「わかってる、今度はもっと別の場所でやるから」

その言葉を聞いて、猫猫は眉を寄せる。おたまを土鍋につっこむと、そのまま置いて筵の上でくつろぐ趙迂の前に立つ。中腰になってじっと趙迂を見る。

「なんだよ?」

「場所代払っても、緑青館の周りだけにしときな。男衆から離れた場所にいくんじゃない。あと紙を買いに行くのも一人では駄目だ」

「んなもん、俺の勝手だろ」

ぷいっと顔を背ける趙迂の頭を猫猫はがっしり掴んだ。ぐいっと無理やり顔を向けさせる。

「肉塊になりたければ、好きにしていいぞ」

「にくかい?」

じっと睨む。『肉塊』という言葉は冗談じゃない。和気藹々とした緑青館だが、ここは花街だ。元々、都の表と裏が入り乱れる場所だ。

猫猫はそっとあばら家の窓を示す。建てつけの悪い戸の隙間から指さした。

「あんなのにからまれるぞ」

隙間から夕闇にぽつりと灯りが浮かんでいる。

頭から衣を被り、手には提灯と筵を持っている。一見、普通の女のようだが。

「!?」

がたっと音を立てて趙迂が立ち上がった。

遠目で見えたのだろう。鼻の欠けた 夜鷹(よだか) の顔を。まともな宿も持たず、道端で客をとることしかできない最下級の遊女は、性病の類で身体のあちこちにがたがくる。あれでは長く持つまいが、それでも今日の飯代を稼ぐために男をとらねばならない。

ここらへんに住み着いているのは、おやじが仏心を出していたためだろう。

面倒くさいことをやってくれると猫猫は思う。

「ここは綺麗な場所じゃない。銭を持った餓鬼がいたら、殺してでも奪おうなんて奴はごろごろいるさ」

死にたくなかったら、言う事を聞けと。

趙迂はぶすっと唇を尖らせて、目を少し潤ませながらこくりと頷いた。

「わかったら、さっさと飯食って寝るぞ」

そう言って、猫猫は竈の前にうつると、もう一度粥をかきまわした。

翌朝、猫猫が起きると、すでに趙迂は起きていた。

なにかごそごそやっている音がして、見ると卓子の上に紙が散らばっている。趙迂はしきりに筆を動かしていた。

(あの餓鬼勝手に……)

猫猫は拳骨の一つでも落としてやろうかと起き上がった。すると、卓子から一枚、なにかが描かれた紙が落ちてきた。

(ん?)

怪訝に思ってそれを拾う。

そこには事細かに描かれた虫の絵があった。

それがいくつも 写実的(リアル) に描かれ、見ているほうは気持ち悪くなるくらいだった。

(あれを思い出すなあ)

虫が好きだった女官、いや妃だった娘を。

子翠(シスイ) と名乗っていた娘もまた、こんな風に描いていたなと。

少ししんみりとなりながら見ていた。

「できたーー」

いきなり趙迂が立ち上がった。

一枚の紙を手に猫猫の前に立つ。

「そばかす、できたぞ」

「何がだよ」

「これだよ、これ」

ぴしっと紙を見せる。

そこには二匹の虫、蝗が描かれてあった。どちらも蝗だとわかるが、その形は微妙に違っている。

「良く思い出せないけど、これだった気がする。不作になる話と一緒にこれを見たと思う」

曖昧な言い方だが、その絵はとてもはっきりしていた。

「こっちが普通のときの蝗でさ。下のが不作になるときの蝗なんだよ」

「それ、本当か?」

「たぶんね。ところどころだけどね」

趙迂の記憶は失ったままだ。でも、ところどころ思い出しつつあるのだろうか。そうなると、不都合なことは多いが、一方でそれよりも重要なことがあった。

二種類の蝗。

これについてもっと調べないといけないと猫猫は思った。

蝗害というものがある。

これは国を滅ぼす天災の一つで、虫の大群に作物を食い尽くされるというものだ。

害虫による農作物の被害は毎年大きいものだが、蝗害の場合、その比ではない。蝗はありとあらゆるものを食らい尽くす。ひどい年では荒縄や草鞋まで食べるということだ。

どういう仕組みで起きるのかわからないが、数年ごとに起きている。ただ、現帝の統治になってから起きていない。

今の帝の統治が素晴らしく、ゆえに天も蝗害をおこさないという、わけがないと猫猫は思う。どうせたまたま来なかっただけだろう。

そうなると今の世で最初の蝗害が起きれば、それだけ帝の力を試す機会となる。先日、この国でもっとも力のある子の一族を罰したばかりだ。

これは 時機(タイミング) が悪い。

もしここで蝗害が起きたなら、子の一族を滅ぼした天罰だととらえる者もでてこよう。

(うん、関係ない、関係ない)

そのはずなのだけど、猫猫は気が付けば街にある書店へと向かっていた。

(あるとは思わないけど)

精密な趙迂の絵を見て思い出した。

前にもああいう絵はみたことがあったはずだ。

猫猫は店が立ち並ぶ中で、細々と表に本が並ぶ店に入る。

ちりんと鈴の音が鳴ると、奥の置物のような主人が軽く会釈する。愛想はそれくらいで、またねてるともねていないともわからない姿勢に戻る。

中の本は大体貸し本か中古のものだ。新品も売られているが、高級品なので受注品でないとほとんどでない。

(あるわけないよな)

ここにあるのは大体、読み物の大衆小説もしくは春画といったいわば低俗と言われるものばかりだ。それでもたまに掘出し物があるのできてみたのだけど……。

「……」

猫猫は目をこすった。

なんだろう、この都合のよいなにかは。

思わず頬を引っ張っていた。

「小父さん、これちょっと見ていい?」

猫猫は店の主人の机の上に重なっている本をさしていった。

「あー、あーー」

なんともいえない返事を猫猫は肯定と受け取って、その本を手に取る。

分厚い書だった。表紙には鳥の絵が描かれている。

(うそだろ)

いや、ありえない。でも、実際ありえている。

その書にはたくさんの鳥の絵と説明、そしてところどころ書き込んだあとがあった。

「これどうしたの?」

「んーー、昨日、売りに来た」

やる気ない返事だった。

「他に売りに来たものってない?」

「それ一冊だけ。だけど、また来るって言ってた」

猫猫の顔が爛々と輝く。

その本を猫猫が手に取るのはこれで二回目だった。

そうだ、あの時見たものとまったく同じ本だった。

子翠に連れてこられてしばし、監禁された部屋。そこで見つけた本のうちの一冊だった。