軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

終、花街の薬屋

それからが忙しかった。

壬氏からは何もなかった。子どもを放置しろとも、やっても無駄だとも言われなかった。すぐさま処刑場へ送られることもなかった。

よくわからないが、猫猫には幸いだった。

猫猫は、子どもたちを蘇生させることに必死になった。そのまま、都へと戻らず途中の村に滞在することを許されたのがよかった。今はすたれているが、元は湯治場として栄えていた場所で、療養にはもってこいだ。

あれだけ騒いでお湯やら何やら、しかも壬氏に用意してもらったのであれば皆がおかしいと思わないわけがない。わらわらと馬車の周りに人が集まっていた。

高順の咄嗟の判断で、猫猫の調子が悪くなったことにしたが、それはそれで騒動になった。ぎっくり腰の片眼鏡軍師が幽鬼のごとく地面をはいずりながらやってきたからだ。

その後、変人軍師が羅半とその他部下たちに布団で簀巻きにされ、睡眠薬を飲まされ、一番早い馬車にのせられて都へと帰っていったのは、嘘のような本当の話だ。

あとで仕返しが怖いだろうが、羅半ならなんとかするだろうと猫猫は思った。一応、あの男の養子については、猫猫も知っている。見た目によらずかなり食えない奴だ。

ついでとばかりもうひとつ頼み込んで、 翠苓(スイレイ) を連れてきてもらった。立場上、監視に馬閃がついてきて一緒に村に滞在した。馬閃は片頬を大きく腫らして、いつも以上にむすっとしていたが、言われた仕事をしてくれる点についてはありがたい。護衛がやたら多い気がしたが、手が多いほうが有難いと思うことにした。

翠苓は、無気力なままただ猫猫が子どもを温めるのを見ていた。猫猫は腹が立ち、翠苓の横っ面をぶっ叩いた。

薬というのは万能ではない。身体の小さな子どもに毒薬を飲ませるとしてその分量は難しい。結果、最後の一人はなかなか目を覚まさなかった。

このまま目覚めないことは死を意味する。

「どうせお前が調合したんだろ? 仮にも薬師が、失敗しましたなんて、軽々しく言う気か?」

頬に手を当て怯える翠苓をかばうように馬閃が入ってきた。翠苓が子の一族でありながら、生きながらえているのは貴き血筋であることを示す。それを猫猫がぶっ叩いたのだ。

「おい。お前!」

「邪魔しないでください! それよりお湯! あと火鉢!」

神美(シェンメイ) に 継子(ままこ) いじめを受けていたみたいだが、猫猫には関係ない。他人の不幸に深く感情移入できるほど、猫猫は優しい性格じゃない。

本当なら、 楼蘭(ロウラン) はこの仕事を自分の姉に頼みたかったに違いない。でも、今の翠苓は抜け殻のようだ。

これでは、何の役にも立たない。それを見越して、猫猫を予備として連れてきたのだろう。

「お前のせいで、私はこんなところに来る羽目になったんだ。自分でやったことくらい責任持て」

翠苓は、びくりと反応しつつもよたよたと動き始めた。まだ、目覚めない子どもの元へ行くと眼球を調べたり、口の中を見たりした。

猫猫はそのあいだに、まだ、容態の危ない子どもの世話をした。

なんだかんだあって、五人の子どもが全員息を吹き返した。

仮死状態が長かったせいか、子どもたちは最初大人しく、数日経つとようやく意識がはっきりしていった。

最初に目覚めた子どもたちは、母親がどこかとたずねていたが、最後の目覚めた子どもはずっとぼんやりしていた。

それでも、食事はちゃんと食べるし受け答えははっきりしていた。猫猫はその子どもだけ別の部屋で療養させた。

翠苓は、元々しっかりした官女だったので、一番働いてくれた。なにか変な気を起こさぬよう、馬閃が見張っていたがしばらくは大丈夫そうに見えた。少なくとも、子どもたちの世話をしているうちは大丈夫そうに見えた。

おかげで猫猫は、翠苓ががんばったぶんだけ、ゆっくり温泉の湯につかることができた。さぼるな、と馬閃に言われたが知ったことではない。

そんな感じで半月ほどが過ぎ、都から迎えが来た。

やってきたのは、一瞬壬氏かと思ったが違った。それよりも小柄で顔に傷はない。たおやかというより凛とした顔をしたその人物を猫猫は知っていた。

「阿多さま」

元上級妃は、男装をして寂れた湯治場にやってきた。村娘や小母さんが目を潤ませて阿多を見ている。誰も、女性だと気づいていないだろう。

「ちょっと、彼の方は忙しくてね。私が代わりに迎えにきたよ」

そういって阿多はにっこりと笑いながら猫猫たちを見た。

「おいそばかす、 点心(おやつ) 食べたい」

声変わりもしていない少年が、扉を開けて入ってくる。名を 趙迂(チョウウ) という。

顔立ちはいいが、前歯が二本抜けた間抜け面である。

腕白さが見た目に現れているが、ようやく元気よく動き回れるようになったのは数日前のことだった。

それまでずっとぼんやり寝たきりだったのに、こうして動き回れるようになったのは若さゆえか、それとも運がよかったのか。

毒を飲まされ、最後まで起きなかった子ども、それが趙迂だ。

本来、親とともに絞首台に上がるはずの子どもたちは、違う名前を与えられている。他の四人の子どもたちは阿多のもとへ、そして、趙迂だけは花街にいる。

幸か不幸か、趙迂は記憶を失っていた。あと、半身に軽く麻痺が残るもののあの状態を考えると、正直運が良かったとしか思えない。

最悪、目覚めないかと思ったくらいだ。

引っぱたいたが翠苓は薬師としては優秀で、今度、猫猫も教えをこいたいと考える。彼女は四人の子どもたちとともに阿多のもとにいる。

どういう理由か知らないが生かされることになった子どもたちは、今後阿多のもとで育て上げられるという。ばらばらに引き取った方がいいという話もあったが、それはあんまりだと阿多が引き受けたらしい。

そして、翠苓も――。

記憶がないということで、他の子と別に育てたほうがいいと、趙迂はこちらにきたのだった。

なんかいろいろごちゃごちゃしたことがありそうだが、猫猫には関係ない。関係ないはずなのだが、このどうしようもない悪餓鬼がなぜかここにいる。ここがある意味、一番安全だからと言われたが、なにが安全なのかわからない。

猫猫は薬棚を勝手に漁りだす餓鬼の脳天に拳骨を落とした。

「いってー!! なにすんだよ」

「勝手に喰うな」

猫猫は、小姐から貰った高級煎餅の包みを奪うと、一緒の棚に入っていた黒糖の欠片を投げてよこした。

趙迂はそれで満足したらしく、黒糖をかじりながら薬屋を出て行った。気のいい男衆の一人が遊んでくれるのでそちらへ行くのだろう。

子どもは適応力が高いというが本当にその一言だ。記憶がないことをうじうじするより、綺麗な小姐に可愛がられて、男衆に遊んでもらえて今のところそれほど不満はないらしい。やり手婆は懐がほくほくしているようで、しばらくは目じりをつりあげることはないだろう。

猫猫は塩気の強い煎餅をぽりぽり食べながら、だらしなく床の上に転がった。潰れた座布団を二つ折りにし頭の下において仰向けになる。

おやじこと羅門は、花街に戻らず宮廷へと出仕することになった。帝からの直々の願いに断れるものはいないだろう。

玉葉妃は無事、出産した。

生まれたのは赤毛の男児という。普通なら大騒ぎして祝うところだろうが、そうもいかないのが後宮というもので、ひっそりと玉葉妃は後宮を出た。妃が後宮の外にでるということは、妃ではなく后になることだという。つまりそういうことだ。

(薬、材料とりにいかないとな)

おやじが花街を出る前に、だいぶ薬を作り置きしておいたらしいがもちろんそんなものとうに無くなっている。畑も荒れているだろう。

猫猫は花街でたくさんやることがあった。

おそらく宮廷よりもずっとたくさん。

あれから、壬氏には会っていない。会おうと思って会える相手ではない。

軍の指揮をとり、顔に傷を受けた男が宦官として後宮に戻れるわけがない。

元の、本当の姿に戻ったのだろう。

傷の手当は、猫猫がいなくとも優秀な医官はたくさんいるし、おやじだっている。きっと猫猫がいたところで、なにもできることはないだろう。

胡散臭い貧相な小娘を手もとに置いておく真似は宦官でなくなった壬氏には無理だろう。こそこそした行動もこれからする必要はない。

こうして、また花街の薬屋に戻るのが一番だ。

やり手婆も、おやじがいなくなればまた売り飛ばそうなんて考えないだろう。

(ああ、眠い)

昨晩は徹夜して薬を作っていた。どうにも、新しい薬を作るのは難しい。効用を高めようと複数調合してみると、ときに毒性など生まれてしまう。

左腕に傷をつけ、何種も試したがやはり効用はぴんとこない。

せっかくなので耳の傷に塗りつけてみたが、それでもわからない。

長年の蓄積のためか、相当痛覚が麻痺しているようだ。

(やっぱ、もっと切らなきゃよくわからんか)

猫猫は左手を見て、小指をきゅっと紐で縛る。起き上がると、戸棚の引き出しから小刀をとる。

(ようし)

小刀を振り下ろそうとしたとき、

「何する気だ」

麗しい声が後ろから聞こえた。

「……」

振り向くと奇妙な覆面をつけた男が扉のところにいた。後ろでは、見慣れた苦労性の壮年と揉み手に愛想笑いを浮かべるやり手婆がいた。

「お仕事は片付いたのですか?」

猫猫は、指に巻いた紐をほどき、小刀を棚に戻す。

「たまには休んでもいいだろう?」

やり手婆が、茶をそっと入れると、にんまり笑って「ごゆっくり」と言った。茶は上等の白茶で、菓子は 軟落甘(らくがん) だった。三姫の客にしか出さないような高級品である。

「場所はここでいいのでしょうか」

なぜか婆はそんなことを 高順(ガオシュン) に聞いていた。高順が頷いたので、少し悔しそうな顔をして「ごゆっくり」と戸を閉めた。

(なにがやりたいんだか)

とりあえず、壬氏がようやく覆面をとる。一本、傷痕が走っているのをのぞけば、まさに至宝ともいえる 顔(かんばせ) が露わになる。

猫猫は、折り曲げた座布団を叩くと壬氏の前に置く。壬氏はどっかりその上に座り込んだ。

「お疲れのようで」

猫猫は茶と茶菓子を壬氏の前に置いた。

壬氏は、とりあえず湯飲みに口をつけた。

「いろいろな。人事はもとより、子の一族の領地についてな」

ふうっと大きく息を吐くと、眉間に皺を寄せた。どこか、仕草が高順に似てきたと思うのは気のせいだろうか。

すでに子の一族の人間は、処刑されたと聞く。そのほとんどが砦にいたものたちばかりだ。

領地は国の管轄となる。北の大地は、森林資源が豊富なので今後、国庫は潤うことになろう。一族が間に入ってとっていた税率を引き下げたとしても十分おつりがくるものだ。

木材があれば、それを使っていろんなものに使える。

(紙にしてくれるとうれしいな)

豊富な森林資源があるのだから、製紙産業をすすめるとうれしい。そうすれば、紙の質は上がり、値段は下がっていくだろう。

これまでそういう産業が進まなかったのは子の一族の介入があったのだろうか、と考えながら、気が付けば薬研で薬を潰していた。

「……おい、俺をいないように扱うな」

「すみません。つい癖で」

「まあいい」

壬氏は、干菓子をかじって茶を飲み干す。空になった湯飲みを見て、猫猫が茶を汲もうと立ち上がろうとしたら手首をつかまれた。

「なんでしょうか」

壬氏が猫猫をひっぱりまた座らせる。まじまじと顔の横を見ている。

「これは治らないのか?」

「機能的には問題ありません」

壬氏はじっと猫猫の耳を見ていた。耳には三角の切れ込みが入ったままだ。

(甘い匂いがするな)

菓子の匂いではなく、香の匂いだ。相変わらず水蓮は趣味がいいと、ちょっと意地悪な初老の侍女を思い出す。

そんなときだった。

壬氏の顔がさらに近づき、耳に違和感をもった。

「……何なさっているんですか?」

ぬるいような温かいようななにかが耳に触れている、いや包み込んでいる。

「……怪我は唾をつけておけば治るとか、市井のものの間ではいうらしいが」

「何ともいえませんけど、人の唾液には毒がある場合もありますよ」

獣に噛みつかれたあと綺麗に消毒しないと化膿するように、人に噛まれてもおなじようなことが起きる場合もある。

「お前に多少の毒は効かないだろう」

普段ならおののいて離れてくれそうなものなのに、今日はちと違う。

「逆に薬になるやもしれん」

と、懐から包みを取り出すと、猫猫の膝にのせた。

猫猫は包みをはがすと目を光らせた。黄色い土くれのようなものがそこにあった。

「牛黄!!」

猫猫が前のめりになった途端、ぎゅっと抱きすくめられた。おかげで伸ばした手が微妙に牛黄に届かない。

「まずは続きからだ」

そういって壬氏がにんまりと笑った。

正面から見た壬氏の傷は、まだ抜糸前だった。一度、縫い直されているのか、前よりも丁寧な縫い目になっていた。

(おやじが縫いなおしたのかな)

そう思っているといつのまにか手が壬氏の顔に伸びていた。壬氏が目を細めて、なんだかあどけない顔をする。

「お前も毒をためているのか?」

そういって猫猫の顎に手を伸ばしたときだった。

「そばかす!」

ばんっと大きな音がした。

入口とは反対側、客に金と薬の受け渡しをする窓が大きく開かれていた。

「みろー! お前、これ欲しがってたろ!」

えっへんと胸をはった趙迂がいた。右手を大きく上げて蜥蜴を持っている。

「おっ、でかした」

猫猫は、がくんと首を垂れた壬氏をすり抜けて、蜥蜴をとる。それをそのままつぼの中に入れた。

「あれ? そのにいちゃん、なんで床に這いつくばってんの?」

「仕事でお疲れなんだよ。ほら、駄賃」

猫猫はもう一つ黒糖の欠片を渡した。趙迂は走ってまたどこかへ行ってしまう。

「……絞首台行にすればよかった」

低く唸るような声がした、まるで野良犬みたいだ。

傷のせいだろうか、壬氏の中性的な雰囲気はやや薄れ、線が太くなった気がした。

よく見ると、戸に小さな隙間があり、そこから目玉が見えた。

猫猫はがらっと開けると、びっくりしてのけぞるやり手婆と高順を発見する。

「婆、寝床一つ用意して。香はよく眠れるやつね」

「わーったよ」

残念そうに舌打ちをしてやり手婆が寝床の準備を始める。

猫猫は床に這いつくばったままの壬氏を見る。

「ありがとうございます、壬氏さま」

牛黄を持って思わず顔がほころぶ。

壬氏はぽかんと猫猫を見ている。

「ゆっくりおやすみください」

「わかった、休む」

(そのほうがいい)

しかし、壬氏は動く様子はない。

「壬氏さま」

膝をつき壬氏の肩を揺らした。

(そういえば、壬氏のままでいいのかな)

そんなことを考えていると――。

「枕はこれを使う」

正座した猫猫の膝に壬氏の頭がのった。

腹に脳天をつけるように、背中に両手が回されている。

「壬氏さま」

「……」

狸寝入りかどうか知らないが無言だ。

やり手婆がこっそり上等の掛布団と香を部屋の隅において出て行った。

猫猫はふうっと息を吐くと、薬研に手を伸ばした。

ごりごりと薬のすりつぶす匂いに香が混じる中で、壬氏の寝息が聞こえる。

(足がしびれるなあ)

そう思いながら、猫猫は新しい薬を作り始めた。