軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ 狂気と怨嗟の地獄

「ゆるさ、ない」

「貴様だけは」

「あの世へ……道連れに!」

自分が死ぬとしてもクレインだけは殺す。そう決意した者たちが、憎悪の瞳で彼を見ていた。

怨嗟の声を上げながら這いずり、己を殺そうとする元配下の姿に、クレインもやり切れない思いを抱く。

「……俺は」

クレインには彼らの怒りや、憎しみも理解できる。心情が分かるが故に、彼は恨みを受け入れるしかなかった。

目を固く閉じて、唇を嚙みしめることしかできない。

彼らを裏切った。それは事実だからだ。

「だけど、仕方の無いことだ。これ以外に道は無かった」

王子に義理立てしようとする派閥から離脱して、敵対陣営に鞍替えしたのだ。

忠義を捨てて、一人だけ栄華と栄耀を享受している。そう見られても当然の状況ではあった。

「それでも俺は、正しいことをしている。これは皆を守るために、最善の選択をした結果なんだ」

彼らの要求はどう考えても無茶だ。王子亡き後に離脱しているのだから、責められる言われもない。

クレインはそう確信しており、選択それ自体に間違いは無いと思っていた。

「貴様だけは、貴様だけはッ!」

「アースガルドォォオオオ!!」

「絶対に、許さない……!」

しかし深く、どこまでも深く恨まれていること。クレインにもそれは痛いほどに分かった。

腹から内臓がこぼれ、腕を失い、首が半ばまで千切れた者。捨ておいても死ぬ存在までもが、死にゆきながら這いずっているが、これは何故か。

彼らにとっては自分が生き延びるよりも、クレインを殺すことの方が重要だからだ。

この地獄の中で、クレインはただひたすらに、これはやむを得ないことだったと念じるしかできなかった。

悔恨の念はあるが、致し方が無いことだと割り切るしかない。

「閣下」

そして彼女もある種、クレインと同じ思いを抱えて生きてきた。

小さく聞き取りにくいながらも、不思議と聞き慣れた声が、明瞭にクレインの耳に届いた。

「……私は、殿下を介錯しました。私が殺め、ました」

「……君が?」

ブリュンヒルデとて明確な致命傷を負っている。左の脇腹から腕までを両断され、死んでいないのが不思議なくらいの重体だ。

「生きることは、苦しみ続けることです。過酷に生きる、くらいなら。殺すのが慈悲と、あのお方も、よく言っていました」

出血により意識は途切れかけているが、周囲の者が遠巻きに倒れ伏して絶命している中で、彼女だけは存命と言える状態でクレインのもとまで辿り着いた。

しかし、ただ死んでいないだけだ。剣を振る力など、もう彼女には残されていない。

「殿下を殺めてからは、この身の寄る辺が、どこにも……ありませんでした」

「もういい。ブリュンヒルデ」

「殿下はもう、この世にはいません。貴方だけが、私の……」

彼女は満足に力の入らない右手を持ち上げたが、動作は至極遅い。

そのまま振り下ろしたとしても、刺さるかどうかすら怪しい動きだ。

「殿下へ、忠を尽くすのなら。クレイン様を、殺し……殺さなければ、嫌、」

「ブリュンヒルデ」

彼女には、もう声が届いていないのだろう。

これは独白に近いものだったのかもしれない。

「……嫌です。殺したくなど、ありません」

「止めろ」

うわ言を繰り返しながら、彼女はクレインの首筋に剣を添えた。

避けようと思えば間に合い、斬られる義理も無い。そうは思うが、彼の身体は前にも後ろにも動かなかった。

「殿下と、貴方が、私の……全てでした。居場所、を……」

ブリュンヒルデが王子への義理を果たすなら、クレインを殺さなくてはならない。

しかし王子亡き今、クレインを殺せば彼女が帰る場所はどこにもない。

彼女が置かれた状況を、クレインも朧気ながらには察した。しかし彼には、彼女が何を思い生きていたのか。それが分からない。

生に執着しないどころか、死は「安息と救い」だと捉えている節がある。

それは何故か。

ピーターは、ブリュンヒルデが洗脳されていたと言っていた。

そんな話は聞いたこともない。

王子と彼女の関係も、ただ王族と近衛騎士の関係だと捉えていた。

実際のところは忠義以上の因果がある、特殊な配下だった。

「……冷静に考えたら、そうだよな。近衛騎士に暗殺なんてやらせないか」

近衛騎士は国で最も名誉ある仕事の一つだ。王族の身辺警護を任されるのだから、普通の騎士がやる雑務ですら免除される。

書類仕事に手慣れていたところからして、おかしかったのだ。ましてや暗殺のために地方の領地へ送られるなど、普通の近衛ならあり得ない。

どこかで、何かが違っていたのだろう。

クレインは彼女を取り巻く事情を、今まで共に過ごす間で想像したことすらなかった。

内心や背景、希望や望みがどこにあるのかなど、気に留めたことすら無い。

「君の生い立ちを、聞いたことが無かったな」

ブリュンヒルデがどのような人物なのか。実のところ、クレインはそれを知らない。

彼女に対しては、何をすれば殺されるのかの判断材料を求めて、ただ、死を回避するための情報を集めていたに過ぎなかった。

「申し訳、ありません。私のせいで……」

「いや、もう……いいんだ」

クレインはこれまでに気が遠くなるほど、何度も、何度も、幾度となく殺されてきた。

しかしそれには必ず明確な利害関係があり、周囲の誰かがクレインを殺した方が得な場合か、或いは立場上殺す必要があったから殺されてきたのだ。

「裏切者に、死を!」

「殺せ! シグルーン卿!」

「それも殿下の、悲願ぞ」

だが、彼らはクレインに恨みを持って殺しにきた。

クレインを殺したくて、殺しにきたのだ。

嘆き、憎悪、苦しみ、怨嗟。

彼らから発されたあらゆる感情は、クレインへの恨みで満ちていた。

「ころ、せ!」

「そいつを、殺せ!」

しかしクレインは、元は田舎貴族のご令息だ。

――殺したいほど憎まれること。それは数十回に及ぶ人生で初めての経験だった。

人生で初めて向けられる、純粋な悪意。それは理不尽に殺されるよりも、不条理に殺されるよりも、遥かに深く彼の心を抉る。

「君も、疲れただろう」

クレインは穏やかな領地で、何不自由なく育ってきた。誰かと殺し合うことはもとより、争いなど彼は求めていない。

だが、どこの誰と手を組んでも敵は必ず現れる。味方ですら、利益が無いなら己を害して、全てを奪おうとする。

死んでも終わらない、この地獄のような人生の終着点はどこにあるのか。

いつになったら平和を勝ち取れるのか。

そんなものは分からない。終わらない。

いつまでも敵を倒し続け、殺し続けなければいけない。

ここで死に絶えたとしても終わらない。また生き返り、次の人生を歩むことになる。

そして暗殺者や新たな敵に殺されて、殺し返して、また敵が現れるだろう。

まるで 無間(むげん) 地獄だ。悲しみも苦しみも終わらない、輪廻に囚われている。

そう考えたクレインの気力は、急速に失せてきていた。

「……俺もだ。何だか、酷く疲れた」

寂しげに微笑んだ彼は、ブリュンヒルデの手を止めるでもなく、避けるでもなく。首筋に沈む刃を、ただ黙って受け入れた。

これで、彼女に殺されるのは何度目だろうか。頭の片隅でそんな自問をしながら、彼はゆっくりと崩れ落ちていく。

「クレイン様、何を――!」

彼の耳に、遠くからピーターの声が届く。殺戮の限りを尽くしていた剣士は、主君の行為が自殺としか見えずに、珍しく驚愕の表情をしていた。

「はは、本当に。少し、疲れたよ。恨まれるのって、辛いんだな」

だから彼はせめて、最後は何の感慨も無く今生を終えたいと思った。

殺すことが救いを 齎(もたら) すことだと信じて疑わない、彼女の手で今回の生を終えようと思ったのだ。

「なのに、どうして……」

しかし寄り臥せ、傍らにいる彼女が向けた表情。それはいつもの微笑みではない。ただ悲痛な表情のまま涙を流し、クレインの死を心から 厭(いと) うものだった。

それが最後だ。クレインの心を支えていたものが、 軋(きし) んでいく音がした。

「どうして今、そんな顔をするかな……」

一方で周囲の者どもは、死に絶えながらも歓喜に悶えている。今やクレインはラグナ侯爵の仲間であり、仇討ちが成功したことを心の底から喜んでいた。

そこには口を三日月のように曲げ、ケタケタと不気味な笑いを浮かべる、元配下たちの姿があった。

元々は味方で友好的な関係だったはずだ。発展する領地を共に眺めて、共に未来を夢見た仲間だったはずが、どうしてこうなってしまったのか。

「また、間違えたのか。俺は」

彼らを追い詰め、この狂気を生み出したのは己の判断だ。政治的に、安全保障的に、侯爵家の側に付いた方が良いと思ったからそうしたまでに過ぎない。

しかしもう少し早い段階で彼らと話し合えていれば、未来は変えられたのかもしれない。

「いや。もう、遅いか」

だが、全ては手遅れになった。彼らに記憶が残らないとしても、クレインにはこの狂気じみた笑顔を忘れられそうにないからだ。

クレイン・フォン・アースガルドという人間が死ぬことを、心から喜ぶ表情を。

そしてブリュンヒルデがどのような考えで生き、今、何を思うのか。それもクレインには分からない。

彼女に関しても、もう少し気を配り、深い関係性を築けていれば何かが変えられたのかもしれない。

しかしいずれにせよ、思い悩むよりも先に時間の指定が必要だ。いつもの通りに時を巻き戻し、この暗殺を回避するための策を練る必要があった。

「……2週間前から、やり直しだ」

素知らぬ顔をして領主会談に臨み、侯爵家に彼らの存在を伝えて一網打尽にするか。

それとも秘密裏に一人ずつ捕らえて、残党の情報を吐かせるか。手なら幾つかあった。

しかし、どこをやり直せばいいのか。それが彼には分からない。

「状況はこれが最善だ。何を変えれば、いい」

王子の死亡を回避して共闘関係を維持すれば、遺臣たちとは争いにならない。しかしそれでは北侯との同盟が組めず、東からの軍勢を抑えられないのだ。

そのため同盟を継続する以外の手は無い。しかし同盟を継続した場合は、少なくともこの場の全員が死ぬまでは命を狙われ続ける。

仮に残党狩りをして、皆殺しを計画したところで何名かは生き残るかもしれない。

そもそも王子の信奉者は、ここにいる者が全てとは限らない。

いるかどうかも分からない暗殺者から、一生。自分の知らない場所、暗闇から憎悪の目を向けられ続ける。

「どこを、どう直せばいいんだ」

誰にどう話して、どう行動すれば、この地獄から抜け出せるのか。

そんなもの、彼にはもう分からなかった。

「俺は、ただ。平和で、何事も無かったあの日に――戻りたい、だけなのにな」

その道程は長く険しい。

ただ平穏に生きるまでが、遥かに遠い。

この狂気と怨嗟の地獄のただ中にあり、薄れゆく意識の中でただ一つ、彼が願うことがあった。

――もう、こんなことは嫌だ。

王国暦502年10月12日

アースガルド子爵の死が引き金となり、王国を二分する争いは激化した。戦争の中で主だった領地は焼け落ちて、アースガルド領に住む民も戦禍に見舞われる。