軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十七話 あの大馬鹿者を出せ

浪人同然で燻っていた、若手の人材を引き抜いたまではいい。補強に手間取ったとは言え、侯爵家への仕官希望者は掃いて捨てるほどいるからだ。

――しかしただ一人、ビクトールに関して言えば話が別だった。

「任せた仕事を唐突に放り出して、ここで一体何をしていたのやら」

家出の余波として真っ先に考え付くものは、この2年ほどで新規の人材供給が滞ったことと、卒業生の質が落ちたことだ。

何せ私塾がその後十分に機能していたのか、クレインも詳しく調べてはいない。

精々が高弟たちに近況伺いをした程度であり、特別な事件がないならば、特に問題は起きていないのだろう――という考えが精々だった。

「行方を調べ上げるまでに、随分と時間が掛かったものさ」

「……左様ですか」

「ああ。突飛な報告書の出所を探るために、それなりの苦労をしたよ」

お役目を放棄して失踪した男が、家の行く末に関わる案件を次々と丸投げしてきたのだ。しかも肝心の送り主が雲隠れしていたのだから、ヴィクターの怒りは当然でしかない。

更に言えばビクトールの役職が、「有名な私塾の先生」だけでないことは、クレインも既に気づいている。

まずは彼が手紙を送るだけで、ヘルメス商会の撲滅作戦が打たれたこと。

他領へ出奔したにもかかわらず、命運を左右する同盟の全権を握っていたこと。

そして王都脱出作戦の際は、幾つかの中央貴族が彼の指揮下に収まったこと。この辺りを切り取るだけでも、一介の教育者と言い張るのは無理があった。

「ヘルモーズ商会の職員を締め上げても、口を割らないとは。商会との繋がりは強固なようだ」

「え、ええ。まあ」

「うむ、ここは加点要素としておこうか」

背後にラグナ侯爵家がいるとは言え、どれも本人の影響力によるところが大きいだろう。そんな人物を引き抜いたのだから、政治的には間違いなく大問題だが――話はまだ終わらなかった。

「実のところ、奴には当家の軍事政策を一任していたのだよ」

「軍事責任者……ですか」

「他家への橋渡し役も含めた、顧問という位置づけだがね」

つまりクレインの立場に置き換えれば、教育係としてのノルベルトと、軍事教練担当のベルモンドと、外交責任者のエメットと、裏方相談役のマリウスを丸ごと引き抜かれたに等しい。

というよりも現場に出ない責任者の大半だ。しかも引き抜きをかけてきたのは、名も知らぬ小貴族ときた。

ラグナ侯爵家からすれば、アースガルド子爵が何者かを調べるところから始めねばならない。

「ああ、断っておくが当家の人材は豊富だよ。その上で複数分野の統制を任せたんだ」

「……そうですよね」

そもそもクレインとて、ビクトールが推挙すれば、侯爵家への仕官が確実なことは知っていた。訪ねてきた高位貴族と、会食に行く機会が多いことも知っていた。

彼の下で2年半も働いていたのだから、侯爵家関連の仕事で塾を空ける機会が多かったこと、それ自体は知っていたのだ。

つまり隠居したいと愚痴を零していたのは、仕事と責任が山積みだったことの裏返しでもある。

しかし当時は、「偉い人に顔が広い」以上の情報は何もなかった――というよりも、傷心中で調べる気力がなく、マリーとの逃避行にしか意識がいっていなかった。

要するに彼のツケは真相を知る前の段階から、既に支払いが溜まっていたということだ。

「そこまで重要な役職者だったとは、はは」

「……全く気が付かなかった、とでも?」

「いえ、薄々は」

そもそも直視したくないがゆえに、無意識でこの話題を遠ざけていただけであり、クレインにもある程度の確信はあった。

つまりラグナ侯爵家において、ビクトールは相当の重臣。どころか当主の側近なのだろうと。

しかし彼の勧誘を取りやめた場合は、北部からの人材確保と、統制が難しくなる。そうなれば王国暦500年4月以降の作戦が――つまり改良版生存戦略の全てが――根底から崩れるのだ。

だからこそ、深くは考えずに流してきた。どんな問題が起ころうとも、多少不可解なことがあろうとも、クレインはビクトールの素性を一切詮索してこなかった。

これは修正方法に見当がつかないので、蓋を閉めて放置していたと言った方が正しいか。

何にせよ問題が起きたら対処するスタンスでいたが、細々とした問題が一切起きずに、何の前触れもなく噴火した瞬間が今ということだ。

「まあいい。ヨトゥン伯爵家を訪れてから、真っすぐ北部に帰還してくる手筈だったのだが……音沙汰がなくてね」

「えっ?」

「出迎えの場にも姿は見えないようだが、奴は今どこにいるのだろうか?」

アレスをアースガルド邸に送り届けて以降、郊外に建築した別荘で悠々と余暇を楽しんでいるところだ。

しかし休暇を満喫しているなどと、今のヴィクターに伝えられるはずがなかった。

「それはですね」

「もう一度だけ、聞こうか」

クレインは誤魔化しを試みたが、もちろんそれが許される状況ではない。

さりとてヴィクターは大人なので、重要な交渉相手であるクレインを、真正面から怒鳴りつけるような真似はしない。否、できない。

だからこそ彼の怒りは現在、 別な方向(・・・・) に向けられている。

「ビクトールは、どこだ」

客将として迎え入れる際に、追手が来ればクレインが対応するとは約束していた。

だがしかしこの状況を、もちろん彼は全く想定できていなかった。

ヴィクター・フォン・アマデウス・ラグナが直に、頬が触れそうな位置にまで接近して、一対一の至近距離で威迫してくるなどとは。

「同盟締結のために送り出したのも束の間。また出奔していった愚か者は、今どこにいる」

「ええ、と」

激怒していることは明らかだ。だからクレインはもう心ここにあらずで、頬を引き攣らせながら遠い目をするしかなかった。

しかし状況はこれ以上の逃避を許さない。

「隠し立てすると、ためにならないとだけ言っておこうか。……さあ、アースガルド子爵」

「な、なんでしょうか?」

明白な怒りを孕んだ平坦な声色で、ヴィクターは明確な要求をクレインに告げる。肩から回した手で胸倉を掴みながら、彼は不可避の要望を突き付けた。

「あの大馬鹿者を、出せ」

人材を引き抜けば侯爵家と揉めるかもしれない。その認識はあったクレインだが、勢力を増した今であれば――同盟を組む際の必要経費――多少の借りで片付くと思っていたのだ。

まさか額の端に青筋を立てて怒る事態に発展するとは、夢にも思わなかった。

「は、はは……」

超至近距離から発せられる怒気と、紛糾する大問題への予感。

いっそノルベルトのように倒れてしまえればどれだけ楽だろうかと、周囲の歓声を背中に受けながら、クレインは強烈な 眩暈(めまい) に襲われていた。

「ハンス。先生を連れてきてくれ。今すぐに」

「分かりました。直ちに向かいます」

不発弾と化したヴィクターを客室に送り届けてから、クレインは早速の迎えを出した。

しかしビクトールの庵に向けて、最速でハンス隊を差し向けたところ――見事に空振りしている。

「駄目です! 別荘はもぬけの殻でした!」

「な、なに?」

使節団の訪問を察知したビクトールは、既に窮地からの脱出を済ませていたのだ。しかし事態は切迫しているため、何としても引きずり出さねばならない。

彼を確実に捕捉するべく、クレインは出迎えの3時間前からまたやり直すことになった。

「ハンス隊は出迎えを免除するから、ビクトール先生を確保してきてくれ」

「ああ、そういえばいませんね。分かりました」

パレードによるお祭り騒ぎを、耳聡く噂を聞きつけて逃走したのだろう。ならば騎兵が姿を見せる前に人を遣る必要があると思い、クレインは先回りを試みた。

だが、それでも失敗した。

ビクトールは来訪の情報をクレインよりも先に入手していたため、当日の午前には庵から抜け出していたのだ。

ハンスが到着したときには既に、逃亡先の手がかりはおろか、 行方(ゆくえ) の特定に繋がる痕跡すらも綺麗さっぱり抹消済みだった。

「じゃあ念のために、3日くらい戻してみるか」

それでも失敗した。何故ならビクトールは3日前の時点で、既に逃亡済みだったからだ。

ハンスたちは庵で数時間待ってから、怪訝な顔をして戻ってきた。

「あの、不在のようでしたが」

「いや、いつ逃げたんだよ!?」

ビクトールが持つ北部への情報網を侮っていたことは、素直に認めるしかない。北部の情報が遮断されていたことも、元から考えていたリスクなので割り切るしかない。

ならばとクレインは、半ば自棄を起こしながら再び時を遡った。

1週間前であれば流石に在宅していたが、しかし今度は迎えを出した時点で意図を察知されており――標的を捕捉した上で取り逃がしている。

「申し訳ありません。何故か、同行を申し出た途端に逃げられました」

「……そうか」

しかし庵にいることは分かったのだから、クレインは気を取り直して命じる。

今度の彼は呼び寄せることを諦めて、捕縛作戦にシフトした。

「人数を増やして対応しよう。グレアム隊の精鋭も送り込んでみようか」

補佐として、荒事に長けた部隊も派遣した――が、これも失敗に終わる。

建築を請け負ったハンスですら知らない脱出路や、隠し通路が付近に増設されており、どうあっても逃走を阻止できない有様だった。

用意周到に過ぎると呆れつつも、こうなればクレインが取る行動は一つだ。

「……埒が明かないな。分かった、俺が直接行く」

彼を取り逃がせば、ヴィクターの怒りは全てクレインに、ひいてはアースガルド家に向かうだろう。

同盟破棄まではいかずとも、どのような責任を負わされるか分かったものではなかった。

「歓待の用意を考える前に、まずは先生を確保しないと話にならないからな」

己の師を全力で連行すると心に決めたクレインは、自らが兵を率いて、再度の捕縛に向かうことになった。