軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十四話 急転直下

ブリュンヒルデは平素の優し気な表情のまま、軽やかに下馬をしてから略式の礼をした。一方のクレインは硬い笑顔だ。

彼は一瞬で不吉な気配を察知したが、戦慄に足る要素はそこかしこにあった。

「ず、随分と早かったな」

まずは帰還の時期だが、これは当初の予定と大幅に違う。ブリュンヒルデはアレスを隠すための囮として、北部での活動を継続するはずだったからだ。

偽りの目撃情報で敵の上層部を攪乱するなり、放たれた刺客を引き付けるなりと、作戦ならばいくらでもあった。

しかし北までの距離と時間を考慮すれば、任期はあってないようなものだ。

ざっくりと計算をすれば、アレスがヨトゥン伯爵家に滞在した時間と、さほど変わらない程度にしか、北部に滞在していなかったことになる。

だからクレインは絞り出すような声で、改めてブリュンヒルデに事情を聞いた。

「それで、どうしてここに?」

出向先がアースガルド領であり、守るべきアレスも避難してきているのだから、傍に 侍(はべ) ること自体は当然だろう。

ラグナ侯爵家に後を任せて、彼女が戻ってきてもおかしくはないはずだ。

悪あがきでしかない、そんな正当化の考えを並べるクレインに対して、ブリュンヒルデは鈴を転がすような声で端的に告げた。

「火急のご報告がございます」

「……そうか」

北部での作戦を中止せざるを得ないほど、事態が変わる何かがあった。それは進行上の大きな変化だが、それよりも特筆すべき点がある。

それはこの報せを持ち込んだのが、ブリュンヒルデだという部分だ。

過去の今時期に照らすと、この頃には既に第一王子派閥の解体が済んでいた。そしてアレスの暗殺に巻き込まれなかった者たちは、謀略を避けるために潜伏していたのだ。

そして彼女を始めとした生き残りたちも、限られたコミュニティ内でしか活動をしていなかったのだから――歴史に与えた影響という意味では――誰もが死人に等しかった。

世間から消滅していた人物が持ち込んだ案件ならば、もちろん未知の出来事に決まっている。しかし初見の課題を解決して、その上で更に最適解を目指していくとなれば、どうなるか。

解決から先の展開が刷新されるため、これは単なる展開の分岐では収まらない。つまりこの伝令は、クレインが経験した範囲の歴史を、完全に通り過ぎた合図とも取れる。

「アレスの暗殺は無事に回避したことだし、これからも不測の事態は増えていくはずだ。それは考えていたけど……」

もちろんクレインとて、展開の変化による波風は予想していた。しかし問題は、綿密に組まれたはずのプランが中止された理由だ。

どれほどの死人が出ようとも任務を完遂してきそうなブリュンヒルデが、仕事を半ばで放棄してきた点に、彼は言い知れない恐怖を感じている。

「急ぎの報告とは、どの程度の?」

「非常事態です。緊急の任を与えていない家臣には、残らず召集をお命じください」

どう切り取っても不穏しか残らない上に、子爵家全体で対処に当たるのが前提という、とてつもない大事が持ち込まれてきたのだ。

ここで、いつもの如く狼狽するかと思いきや。クレインは死期を悟った賢者のように澄んだ目のまま、ブリュンヒルデの瞳をしかと見つめ返しながら、落ち着いて言葉を重ねる。

「分かった、北で何があったのかを教えてくれ。対応を考えるから」

解決できるか否かは別として、クレインは現状を把握するためにも、冷静に思考を回し始めた。

無理難題はおろか、自害すらも日常茶飯事なので、ここまでくればもう癖だ。一体今から何が起きて死ぬのだろうかと、どこか他人事のような感覚すら抱いている。

そんな彼に告げられた事柄は、予定にない来訪者のことだった。

「ラグナ侯爵家より、使節団が参ります」

「ああ、それは……来るだろうな。もう少し先だと思っていたけど」

ラグナ侯爵家の外交団は誰もが優秀だ。治安が悪かった頃の旧小貴族領を頻繁に往来して、最速で同盟を締結させたほどの組織的行動力もある。

それらを考慮すると、ラグナ侯爵家に同盟の打診が持ち込まれて1ヵ月以上が経過した、この時点でのファーストコンタクトならば、特段慌てるような話ではない。

折衝の準備は終わらせてあったため、彼は胸を撫で下ろしながら言う。

「南伯の使者とは、もう細かいところまで話し合ったんだ。そもそも草案を出したのは俺だし、歓待の用意も滞りなく終わらせられると思う」

「左様でございますか?」

「ああ、確か派遣されてくる外交官は甘党だったはずだ」

強いて言えば、初動が予想よりも更に、数週間早かったという程度のことだ。

事実として過去のクレインも、交渉を進める上での無礼や欠点は何もなかった。屋敷での持て成しもそれなりに満足してもらえたと見ている。

「新しく雇った使用人の中に、菓子作りが得意な料理人もいたからな。すぐに指示を出そう」

「恐れ入りますが、違います」

クレインは様々な料理を出した上で、アースガルド家によく来ていた若手外交官の好物は、甘味だと判断していたのだ。

彼が苦手なものを笑顔で頬張り、心中をおくびにも出さず演技していたのであれば、クレインは外交を円滑に進めるための、本職の技術に感心するしかない。

「……実は嫌いだったのに、合わせてくれていたのか?」

しかしこの考えが既に違った。ブリュンヒルデからしても、クレインが何か勘違いをしているとはすぐに分かる発言だ。

だが遠回しに訂正をしている時間はないため、彼女は単刀直入に言う。

「そうではなく、使節団の代表者はヴィクター様です」

「ああなるほど、担当が変わっ――」

何気なく話を流していたクレインは、言葉の途中で絶句した。

聞き間違いかと思った彼は、数秒を置いてから、改めて口を開く。

「誰が来るって?」

「ヴィクター・フォン・アマデウス・ラグナ様です」

クレインが視線を上に向けると、まばらな白い雲が青空を流れていく様が見えた。今日は実にいい天気だ。

世界が平和なことを確認しつつ、彼は落ち着いて言葉を反芻する。

「……なるほど?」

ブリュンヒルデは明瞭に伝達してきたため、聞き間違いや人違いはあり得ない。

クレインは自分の耳と、頭の認識機能を疑いかけたものの、時間を置くと次第に納得の気持ちが強くなっていった。

「ああ、確かにそうか。この近辺では予定が空けられたはずだ」

クレインが思い返すと、アレスが暗殺された直後のヴィクターは王都に上り、情報収集をする傍らで、事態の収束を図るための打ち合わせをしていたのだ。

時期が2ヵ月ほどずれているものの、国や家を揺るがす重要事項が発生したとすれば、動ける状態にあったことは間違いない。

それ自体はいいだろう。しかし今回は連絡の時系列が合わないため、クレインは首を捻った。

「いや待て。そのうち顔合わせはするつもりだったけど、ラグナ侯爵家にはまだ、ヨトゥン伯爵家からの返答が届いていないのでは?」

というのも彼はアストリの嫁入り後に、いつもの使者と協議して同盟案を詰めていた。

南伯の参画を伝えるための使者を送り出したのは、資料を基に数日間をかけて推敲し、大筋の合意が取れてからだ。

そのため使者とブリュンヒルデが出発したのは、ほぼ同時と推測できる。つまりヴィクターの来訪が決定されたのは、ヨトゥン伯爵家への同盟打診が返送されてくる前だ。

「左様でございますね。私と入れ違いであれば、本日の到着かと存じます」

「返事がくる前に予定を立てるとは、気が早いというかなんと言うか。……経緯を考えれば、間違いとは言えないけどさ」

過去のクレインは王都でヴィクターと対面し、トップ会談による合意に基づいて、その場で同盟締結を約束していた。

しかし現在のヴィクターは、ヨトゥン伯爵とはまだ疎遠であり、クレインに至っては顔すら分からないのだ。知らない相手と運命共同体になれるはずがなく、どこかでは会合する必要があった。

ここまで食い気味に来るとはクレインも思っていなかったが、話を進める前段階で会っておきたいと考えるのは、自然なことではある。

「まあ薬物の蔓延は阻止したことだし、先生からの連絡もあっただろうからな。安心して乗り込めると思ってもらえる程度には、信頼を勝ち取れたか」

「ええ、そのようでした」

直接会って確かめるのは当たり前。それはクレインにも十分に理解できた。放火事件の影響で荒れている王都に集合するよりは、アースガルド領を訪れた方が、早くて安全なのもその通りだ。

更に言えば、今は王都で大規模作戦が展開されているため、ヴィクターが収拾を図る必要もないのだから、わざわざ回り道をする必要がなかった。

「理には適っているし、北侯の決定に異議を唱える場面でもないからな。歓待の件は早めに周知するとして、先方はいつ頃に来る予定なんだ?」

肝心要である来訪の予定日だが、ブリュンヒルデは端的に予想を告げる。

そして、その部分こそが今回の核心でもあった。

「到着 予定時刻(・・・・) は、概ね3時間後です」

「そうか、さん――」

クレインは今度こそ耳を疑った。大物が訪問するとなれば、応対側にもそれなりの用意が必要となるからだ。

名門伯爵家の当主ですら、1ヵ月前には訪問の予定を先触れするのがマナーであり、侯爵家の当主ともなれば、半年後の予定が決まっていてもおかしくはない。

「……3週間後や、3ヵ月後ではなく?」

「本日の午後から、夕方にかけての到着予定となっております」

クレインも念のために聞き返してはみたが、数時間以内にヴィクターが到着するという言葉を、別な表現で再告知されただけだ。

だから彼は悟る。事態は切迫しており、悠長な前準備をする時間などもう残されてはいないと。

「ラグナ侯爵領から同行して参りましたが、私は旧男爵領で別れて先行いたしました。使節団は既に、領内の中央部に入っているものと存じます」

「えっ」

つまりあの、尋常ではない威圧感を放つ恐怖の大王のような男が、既にクレインの膝元にまで迫ってきているのだ。

貴族として守るべき格式や手順の一切を無視した、不意打ちのような電撃訪問に晒された彼は、今度こそ本当に固まった。

「一刻の猶予もございません。緊急招集のご命令を」

「ちょっと待ってくれ。歓待の……いや、ええと、まず心の準備が」

先ほどまでは妻と穏やかにデートを楽しんでおり、午後も適当に街をふらつく予定だったものが――急転直下だ。

クレインの日常は今、この時をもって終了した。