軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

85.ヴォルグ公爵邸からの手紙

魔力を持たないがゆえに婚約を破棄され、故郷を追われたソフィア・クラフト。

しかし彼女は、素材の声を聴き取る特異な才能を武器に、帝都の路地裏で魔法杖工房『銀のフクロウ亭』を開いた。

そこで出会ったのは、強大すぎる魔力で杖を破壊し続ける帝国軍大佐、ギルバート・ヴォルグであった。

ソフィアが作り上げた杖は彼の規格外の炎を見事に制御し、やがて彼女は伝説の魔法杖職人として名を知られるようになる。

国家の命運を懸けた魔導士試験では、公式杖職人としての大役を見事に完遂した。

迫り来る魔族の脅威から命懸けで守り抜いてくれたギルバートとの絆も深まり、二人は職人と顧客という垣根を越えた特別な関係を築き上げていたのだった。

季節は巡り、冬の寒さが和らいだ四月。

柔らかな春の陽射しが帝都の石畳を照らし、通りは希望に胸を膨らませる新入生たちの活気に満ち溢れている。

「良い陽気……」

窓から差し込む暖かな光を浴びて、ソフィアはふうと息を吐いた。

小柄な体躯に、短く切り揃えられた緋色の髪が、通りを吹き抜ける春風にふわりと揺れる。

カランコロンと、銀のフクロウ亭のドアベルが軽やかな音を立てた。

「いらっしゃいませ。あら、レオン様、グリフィス様」

店先に立っていたのは、深い紺色を基調とした帝国立魔法学院の真新しい制服を着こなした二人の少年だった。

彼らはかつてこの店を訪れ、ソフィアの眼力によって自身の魔力に最適な『双子の杖』を見出された兄弟である。

「お久しぶりです、ソフィア殿っ」

「ご無沙汰しております」

以前は兄の才能に引け目を感じ、おどおどと俯いてばかりいた弟のグリフィスは、見違えるように堂々としていた。

誇らしげに胸を張り、優秀な兄と肩を並べて晴れやかな笑顔を浮かべている。

「実技試験、二人ともトップの成績で合格できたんだ。ソフィア殿が選んでくれた杖のおかげだよ」

「グリフィスの風の魔法、試験官の先生たちも大絶賛だったんだ。僕も負けていられないよ」

「兄さんの炎の制御も、前よりずっと精密になっていたじゃないか。これからも切磋琢磨していこう」

兄弟は互いの才能を称え合い、心から信頼し合っている様子を見せる。

その温かなやり取りを見て、ソフィアは幻の尻尾をパタパタと振るような仕草で、嬉しそうに目を細めた。

「お二人の波長が、杖と完全に馴染んでいますね。職人として、これほど嬉しいことはありませんわ」

「今日はそのお礼がしたくて伺いました。何か僕たちにできることはありませんか」

グリフィスが身を乗り出して尋ねるが、ソフィアはふんわりと微笑んで首を横に振った。

「そのようなお心遣いは不要です。お二人が健康で、楽しそうに魔法を学んでおられる姿を見せていただけただけで、わたしは十分幸せですから」

「えっ。でも、それじゃあ僕たちの気が収まらないというか」

ソフィアの欲のない返答に、兄弟はあからさまにシュンと肩を落としてしまう。

せっかくの恩返しを断られ、二人は行き場のない思いを抱えて顔を見合わせた。

そこへ、奥の厨房から芳醇なアールグレイの香りと共に、一人の女性が優雅な足取りで現れた。

丸眼鏡の奥の瞳は優しげだが、どこか猫をかぶっているような腹黒さを隠しきれていないメイドのヨランダである。

「あらあら。若いお二人の熱いお気持ちを無下にするなんて、ソフィアちゃんも罪な店主ですわね」

「ヨランダさん。でも、わたしは本当に何も」

「それなら、うちのお得意様になっていただけばよろしいんですわ」

ヨランダはソフィアの言葉を遮り、兄弟の前にティーカップをことりと置いた。

上品な陶器の触れ合う音が、店内に心地よく響く。

「魔法学院の授業は激しいですから、いずれ必ず杖のメンテナンスが必要になります。その時はぜひうちのフクロウ亭にいらしてくださいな」

「なるほどっ。それなら僕たちも嬉しいですっ」

「真新しい制服を着た将来有望なお二人が定期的に通ってくだされば、それだけで最高の宣伝になりますわ。お友達にもどんどん宣伝してくださいな」

「はいっ。寮の友達にもたくさん宣伝しておきますっ」

兄弟は温かい紅茶をごくりと飲み干すと、満足げな笑顔で立ち上がった。

またメンテナンスに来ますと元気に手を振り、二人は春の陽気の中へと帰っていく。

ドアが閉まった途端、ヨランダは上品なメイドの仮面を脱ぎ捨て、悪徳商人のように口元を歪めてほくそ笑んだ。

ソフィアはぷくっと頬を膨らませて抗議する。

「もう。ヨランダさんったら、あんな風にお客様に営業するなんて気が引けます」

「ソフィアちゃん、お店を構えている以上、少しは営業というものを身につけなさいな」

ヨランダはエプロンの埃を払うふりをしながら、呆れたようにため息をつく。

「一番は杖と使い手様が幸せであること。それは立派な職人魂ですけれど、そうやって常に自分の幸せを後回しにするから、話がちっとも前に進まないんですの」

「話、ですか」

きょとんとするソフィアに対し、ヨランダは恨めしそうな視線を向けた。

「ヨランダババは、いつになったら孫をこの腕に抱けるんですの。すっかり乳母になる準備はできているというのに、肝心のあなたたちが奥手すぎますわ」

「ま、まごっ。な、なにを言っているんですかっ」

ソフィアの顔が一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まる。

両手で顔を覆い、恥ずかしさのあまりその場に膝から崩れ落ちてしまった。

カランコロン。

ソフィアが身悶えしていると、再びドアベルが鳴った。

静かに、しかし確かな存在感を持って、長身の男が店内へと足を踏み入れる。

漆黒の軍服に身を包み、鋭い眼光と引き締まった体躯を持つ男。

帝国軍の若き英雄にして、ソフィアの恋人でもあるギルバート大佐であった。

「邪魔するぞ、フィー」

「ギルさんっ」

ギルバートの姿を認めた瞬間、ソフィアは弾かれたように立ち上がった。

先ほどまでの恥じらいはどこへやら、緋色の瞳をキラキラと輝かせて小走りで駆け寄っていく。

ギルバートもまた、普段の氷のように冷たい表情を完全に崩していた。

彼女にだけ向けるひどく甘く優しい瞳で、愛おしそうに微笑み返している。

「少し痩せたか。ちゃんと飯は食っているのか」

「ギルさんこそ、お仕事のしすぎで目の下にクマができていますよ」

ギルバートの分厚い手が、ソフィアの短い髪をふわりと撫でる。

軍服から漂う微かな硝煙の匂いと、春の風の爽やかな香りが混ざり合い、ソフィアの鼻腔をくすぐった。

「む、どこだ」

「ここですよ……ここ……」

ソフィアはつま先立ちになり、彼にぴったりと近づいてその顔に手を触れる。

白く柔らかな指先が、幾多の戦場を潜り抜けてきた彼の無骨な肌をそっと撫でた。

「ち、近い……近いぞ……」

「ふふ、ギルさんの魔力、乱れてます」

至近距離で見つめられ、ギルバートが狼狽したように視線を泳がせる。

その鼓動の早さが伝わってくるようで、ソフィアの胸の奥もじんわりと温かくなった。

「フィーめ。からかったな。なら……」

ギルバートの大きな指先が、ソフィアの顎をくいっと持ち上げる。

有無を言わさぬ雄の顔つきになり、ソフィアの心臓が早鐘のように鳴り始めた。

「そんな意地悪な口には、俺の口づけで塞いでやろうかな」

「そ、そんな……破廉恥な……」

熱を帯びた声で囁かれ、ソフィアの顔が再び真っ赤に染まる。

逃げ場を失った視線が宙を彷徨うのを見て、ギルバートは満足そうに目を細めた。

「ふ……フィーも可愛いな」

「もー、ギルさんひどいです。きらい」

ソフィアはぷいっとそっぽを向き、分かりやすく頬を膨らませた。

しかし、背中の幻の尻尾はパタパタと忙しなく揺れており、本心が完全に透けて見えている。

「フィーのきらいは嘘だものなぁ」

「嘘じゃないもん」

「はは、すまない」

ギルバートは楽しそうに笑い、ソフィアの肩を抱き寄せた。

逞しい腕にすっぽりと包み込まれ、ソフィアの身体からすっと力が抜けていく。

「むぅ……まあギルさんならいいけど」

ソフィアは彼の広い胸元にこつんと額を預け、甘えるようにすり寄った。

春の陽気よりもさらに温かく、とろけるように甘い空気が二人の間に流れ始める。

完全に二人の世界に入り込み、いちゃこらと見つめ合う男女。

その光景を横目で見ていたヨランダは、無表情のまま羽ばたきでカウンターをバシッと叩いた。

「おい、そこのメガロドンカンギルモン。いちゃつく暇があったら、そろそろ結婚に向けて具体的に動きなさいな」

「だ、誰がメガロドンカンギルモンだっ。お前、雇い主の俺に対して、メイドとしての主従関係を忘れすぎじゃないか」

ヨランダの辛辣なツッコミに、ギルバートが顔を赤くして反論する。

ソフィアも結婚なんてそんなまだまだと照れて、もじもじと身をよじっている。

「てゆーかですね。お二人には、現実を見ていただきますわ」

ヨランダはエプロンのポケットから、ピシッと音を立てて一通の封筒を取り出した。

上質な紙で作られ、豪奢な金糸で封蝋が施された、ひと目で大貴族のものと分かる手紙である。

「ヴォルグ邸より、お手紙が届いておりますわ。お茶会のお誘いですの」

「ヴォルグ邸からだと。いったい誰からだ」

ギルバートが怪訝な顔で眉をひそめる。

彼の実家であるフォン・ヴォルグ家とは複雑な事情があり、彼自身も長らく距離を置いていたはずだった。

ヨランダは手紙の宛名を確認し、悪戯っぽく口角を吊り上げた。

「メガロドンの母上様。エスメラルダ・フォン・ヴォルグ様からですわ」

「エスメラルダ……って」

ギルバートの口から、間の抜けた声が漏れた。

思考が停止し、数秒遅れて手紙の意味を理解した彼の顔色が一気に蒼白になる。

「は、母上からだとっ」

ギルバートはのけぞるようにして驚愕し、手紙を奪い取るようにして見つめた。

強大な魔族を前にしても決して揺るがない男が、ただの一通の手紙を前にガックリと項垂れている。

「え、ええーっ。ギ、ギルさんのお母様からですかっ」

ソフィアも事態の重大さに気づき、再び膝から崩れ落ちるようにしてへたり込んだ。

英雄の母であり、大貴族の奥様。

そんな雲の上の存在からのお茶会の誘いに、しがない平民の職人であるソフィアの思考回路はあっさりとショートしてしまった。

春の穏やかな午後のフクロウ亭に、次なる波乱の幕開けを告げる絶叫が虚しく響き渡ったのである。