軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84. (三章エピローグ):兄のサインと、DBホテルの打ち上げ

波乱に満ちた第二次試験が終わり、帝都にはいつもの穏やかな日常が戻っていた。

爽やかな朝の陽光が石畳を照らし、大通りには焼きたてのライ麦パンの香ばしい匂いが漂っている。荷馬車の車輪が立てる軽快な音が、平和の戻った街に心地よく響き渡っていた。

軍部の人間や魔導士たちの間では、とある心温まる噂が密かに囁かれている。

新しく魔導士となったリヒトとガンダールヴルが、少しずつではあるが、普通の親子としての時間をやり直しているというものだ。

長年の確執が氷解し、二人が街の喫茶店で肩を並べて魔法の議論を交わす姿が目撃されていた。その表情は憑き物が落ちたように穏やかで、彼らの周囲だけは常に春の陽だまりのような温かさに包まれているらしい。

だが、その平和な地上とは対照的に、帝都の地下深くに存在する軍の特別牢獄では、身の毛もよだつような惨劇が繰り広げられていた。

「さあ、知っている情報をすべて吐くのじゃ」

「吐かなくてもいいぞ。その代わり、一日一万回、お前の骨を粉砕しては治癒魔法で繋ぎ合わせてやるからな」

薄暗くカビ臭い地下牢獄に、剣鬼のラーズスヴィズと竜の賢者ファフニールの冷徹な声が響く。

捕らえられた仮面の魔族に対し、絶対に死ぬことの許されない地獄の尋問が絶賛進行中であった。

「ひぃぃっ、や、やめてくれっ」

「ほれ、まずは右腕からじゃ」

分厚い石壁の向こうから、肉が焼け焦げる異臭と共に、魔族の絶望的な悲鳴が昼夜を問わず響き渡ってくる。

ファフニールが極小の炎で魔族の皮膚をじわじわと炙り、ラーズスヴィズが切っ先で急所を寸止めで切り裂く。そして即座に高度な回復魔法が掛けられ、魔族の肉体は再び無傷の状態へと強制的に戻されるのだ。

「お手柔らかに頼みますよ」

牢獄の監視塔からその様子を眺め、ギルバートは深い深いため息をついた。

彼は淹れたてのブラックコーヒーを口に運び、その強い苦味で己の意識を覚醒させる。そして、羽ペンを走らせて分厚い報告書の作成へと戻っていった。

その日の夜。

帝都でも随一の格式を誇る最高級宿泊施設『DBホテル』の最上階レストランは、煌びやかな光と人々の笑顔に包まれていた。

今日は、銀のフクロウ亭のメンバーと関係者を集めた、第二次試験の盛大な打ち上げパーティーである。

天井から吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリアが眩い光を放ち、足元には靴が沈み込むほど分厚い真紅の絨毯が敷き詰められていた。

テーブルの上には、香ばしく焼き上げられた最高級の仔牛のローストや、芳醇な香りを漂わせる年代物のワインが所狭しと並べられている。

一口食べれば、とろけるような肉の旨味と濃厚なトリュフソースの香りが口いっぱいに広がり、ソフィアは目を輝かせて幻の尻尾をパタパタと激しく振った。

「ソフィア姉ちゃんっ」

料理を堪能していたソフィアの元へ、真新しい魔導士のローブを羽織った青年が歩み寄ってくる。

今回の過酷な試験を見事突破した、炎の魔法使いフランケであった。

「姉ちゃんのおかげで、俺もこうして合格することができたよ。アドバイスがあったおかげさ。ありがとう!」

「フランケさんっ。わたしは自分の仕事をしただけですよ。合格、本当におめでとうございます」

「おっす! 正式な魔導士として、これからもっともっと頑張りますっ」

フランケは熱く燃えるような瞳でガッツポーズを作り、晴れやかな笑顔でソフィアに一礼した。

その後ろから、今度は見慣れた老爺と、見違えるほどすっきりとした顔つきの青年が連れ立って現れる。

「ソフィア嬢。お主は本当に、美味しそうに食べるのぅ」

「ガンダールヴル様っ。それに、リヒトさんも」

ガンダールヴルは深い愛情のこもった目でソフィアを見つめ、深々と頭を下げた。

「この度は、我が愚息の魂を救ってくれたこと、言葉では言い尽くせぬほど感謝しておる。お主がいなければ、わしらは永遠にすれ違ったままであった」

「い、いえっ。そんな、頭を上げてくださいっ。わたしはただ、思ったことを口にしただけですからっ」

ソフィアが慌てて両手を振ると、横に立っていたリヒトがふっと柔らかい笑みを浮かべた。

かつての狂気に満ちた道化師の影は、もうどこにもない。

「ありがとう、嬢ちゃん。おかげでボクは、新しい一歩を踏み出せたよ」

リヒトは照れくさそうに頬を掻き、少しだけ真面目な顔つきになる。

「ところで嬢ちゃん。新米魔導士となったボクに、何か『二つ名』を決めてくれないか。あんたが名付け親になってくれたら、これ以上光栄なことはない」

「ええっ、わたしがですか?」

ソフィアは少しだけ首を傾げ、リヒトの瞳の奥で優しく揺らめく光の魔力を見つめた。

暗闇を照らすような、それでいて太陽ほど強すぎない、静かで穏やかな光。

「じゃあ……『月光』なんていかがでしょうか。月光の魔導士リヒト」

「月光」

リヒトはその言葉を舌の上で転がすように呟き、パッと顔を輝かせた。

「いいな。最高に気に入ったよ。ありがとう、嬢ちゃん」

リヒトが少年のように屈託のない笑顔を見せると、ガンダールヴルもまた嬉しそうに目尻の皺を深くした。

「ソフィアさーんっ」

二人が去った後、今度は華やかな深い青色のドレスに身を包んだセシルが、駆け足でソフィアの元へとやってきた。

彼女は透き通るようなシャンパングラスを掲げ、ソフィアのグラスと軽く合わせた。

「本当にお疲れ様でしたのっ」

「セシルさんっ。ありがとうございます」

セシルは少しだけ気恥ずかしそうに目を伏せ、ソフィアの手を両手でぎゅっと握り締める。

「ワタクシ、奈落の森で完全に鼻っ柱を折られましたわ。ソフィアさんの圧倒的な職人技を見せつけられて、自分がどれだけ井の中の蛙だったか思い知らされましたの」

「そんなことないですよ、セシルさんも結界作り、たくさん手伝ってくれましたし」

「いいえ。でも、ちっとも悔しくありませんの。ワタクシ、いつか必ず、あなたのような素晴らしい杖職人になるために、死に物狂いで頑張りますわっ」

「はいっ。一緒に頑張りましょうね」

プライドを捨てて素直になったセシルの熱い決意に、ソフィアは嬉しさのあまり頬を緩ませて深く頷いた。

さらにその後、お忍びで訪れたメルティアやラインハルトからも直接の感謝と労いの言葉を受け、ソフィアは心温まる祝福の嵐に包まれていた。

美味しい料理と、大切な人たちの温かい笑い声。最高級ホテルのレストランは、この上なく幸せな空気で満ち溢れていたのである。

宴もたけなわとなった頃。

少し火照った体を冷ますため、ソフィアは一人でレストランの広いバルコニーへと出ていた。

心地よい夜風が、艶やかに結い上げられた緋色の髪をふわりと揺らす。

手すりに寄りかかり、宝石箱のように輝く帝都の夜景を眺めていると、背後から革靴の静かな足音が近づいてきた。

「フィア。少し、いいかい」

「お兄ちゃん」

冷えたシャンパングラスを手にしたジュリアンが、優しい微笑みを浮かべて隣に並ぶ。

バルコニーには夜の静寂が広がり、遠くから聞こえる馬車の蹄の音が微かに耳に届くのみであった。

「危険な目に遭わせてしまって、本当にすまなかった。兄として、情けない限りだ」

「そんなことないです。お兄ちゃんが裏でたくさん動いて、資材や足場を整えてくれたから、わたしは結界作りに集中できたんですから」

ソフィアが首を横に振ると、ジュリアンは少しだけ自嘲気味に目を伏せた。

彼から微かに漂う葡萄の甘い香りが、夜風に乗ってソフィアの鼻先を掠める。

「いつまでも君を、僕が守らなければならない小さな子供だと思い込んでいた。フィアが自分の手元から離れてしまうのが、怖かったのかもしれないな。僕が間違っていたよ」

ジュリアンは空いている方の手を伸ばし、ソフィアの頭にそっと乗せて愛情を込めて撫でた。

「君はもう、自分の足でしっかりと立ち、愛する人を己の技術で支えることができる。自慢の、素敵なレディだ」

「お兄ちゃん」

初めて兄から一人の自立した女性として認められ、ソフィアの瞳にじんわりと熱いものが込み上げてくる。

その時、カチャリとバルコニーの重厚なガラス扉が開かれた。

「フィー。こんなところにいたのか。体が冷えるぞ」

ソフィアの羽織りものを持ったギルバートが、心配そうな顔で姿を現す。

軍服の隙間から漂う石鹸の爽やかな香りと、彼自身の温かい体温が、ソフィアの周囲の空気を優しく包み込んだ。

ジュリアンはギルバートに向き直り、シャンパングラスをコンと手すりに置いた。

そして、居住まいを正して真っ直ぐに氷炎の魔導士の瞳を見据える。

「ギルバート殿。大切で、自慢の妹だ」

ジュリアンは深く一礼し、顔を上げて力強く告げた。

「彼女を、よろしく頼む」

「ああ。俺の命に代えても、必ず守り抜く」

ギルバートもまた、姿勢を正して深く頭を下げる。

過保護であった兄が、完全にギルバートを恋人として、そして将来の伴侶として認めた瞬間であった。

しんみりとした、感動的な空気がバルコニーを包み込む。

ソフィアが感動の涙をこぼしそうになった、その時である。

「そういうわけだから、いつでも婚姻届にサインするぞ」

ジュリアンが唐突に、悪戯っぽい笑みを浮かべて特大の爆弾を投下した。

「ほへ」

ソフィアの口から、間の抜けた声が漏れる。

ロマンチックな空気が一瞬にして吹き飛び、ギルバートも目を丸くして固まっていた。

「婚姻届には、保証人となる身内二名のサインが必要だからね。君には現在、親戚がいない状態だ。でも安心していい。兄である僕と、ヨランダが責任を持ってサインを書く」

ジュリアンは事も無げに頷き、ギルバートの方へと視線を移す。

「あとは、ギルバート殿の名門たるご実家からオーケーが出れば、君たちは明日にも結婚できるな。うん、完璧な計画だ」

け、けっこん。

突然突きつけられたあまりにもリアルな単語に、ソフィアの思考回路は完全にショートしてしまった。

「ぼっ」

ソフィアとギルバートの顔が、文字通り音を立てて茹でダコのように真っ赤に染め上がる。

ソフィアは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆い、のけぞるようにして幻の尻尾を股の間に巻き込んでしまった。

「お、いジュリアンっ。いくらなんでも話が飛躍しすぎではっ」

「そ、そうですっ。お兄ちゃん、気が早すぎますぅっ」

帝国軍の精鋭である大佐と、神域の杖職人。

どんな困難にも立ち向かってきた二人が、膝から崩れ落ちんばかりの勢いで手足をバタバタとさせて大慌てで取り乱している。

「あらあら。若いって素晴らしいですわね」

ガラス扉の向こうから、ヨランダやセシル、そしてメルティアたちがその様子を覗き込み、温かい笑い声を上げていた。

澄み切った夜空の下、帝都の夜はどこまでも甘く、そして最高に幸せな空気で満たされているのだった。