軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

72.夜の森のキャンプ

気づけば、周囲はすっかり夜の闇に包まれていた。

パチパチと爆ぜる焚き火の音が、静寂に沈んだ『奈落の森』に響き渡る。

ソフィアがハッと我に返って顔を上げると、目の前には既に立派なキャンプの用意が整っていた。

魔道具の設計図に夢中になるあまり、完全に時間を忘れていたのだ。限界を迎えたお腹が、きゅるる、と可愛らしい音を鳴らした。

「あう……」

ソフィアが恥ずかしそうに幻の犬耳をペタンと伏せると、香ばしく肉が焼ける匂いが鼻腔をくすぐった。

「あ……ギルさん……」

「ああ。一段落ついたか?」

「はい……あ」

ソフィアが周りを見渡すと、いつの間にかテントが張られ、くつろげるキャンプ用の椅子も用意されていた。

「夜の森を歩くのは危険だからな。今日は野営だ」

「わかりました。その……すみま……もごもご」

ソフィアの柔らかい唇に、ギルバートが笑顔でそっと人差し指をのせた。

「役割分担だ。お互い仕事をしたまで。すみませんはいない」

「ふぃるふぁん……」

(ああ、優しいなぁ。大好きだなぁ……)

ほわほわとした甘い雰囲気が、焚き火の熱とともにその場に漂う。

ギルバートは静かにソフィアから指を離した。

「今、夕飯を作っていた。といっても、大層なものは作れてないんだが」

パチパチとはぜる焚き火の周りには、太い串に刺された分厚い肉が炙られていた。表面に浮いた脂が滴り落ち、食欲をそそる匂いを立てている。

軽く塩と胡椒を振っただけのそれを、ギルバートはソフィアへと手渡した。

「どうぞ」

「ありがとうございます、ギルさん。ふぅ、ふぅ。んっ、おいしい……」

肉に塩胡椒を振って直火で焼いただけの、極めてシンプルな料理だ。しかし、これがとてつもなく美味しい。

「これ……ふあ……なんだか、お肉がすごく柔らかいです」

「 黒猪(ブラック・ボア) をさっき倒して、血抜きしたものだ」

「なるほど……。新鮮なお肉だから、こんなに柔らかいんですね……」

「それもあるが。まあ、外で飯を食うっていうシチュエーションも味に寄与してるんだろうな」

ギルバートの言う通りだった。

頭上には木々の隙間から満天の星空が瞬き、足元では焚き火の炎が暖かく揺らめいている。静寂に包まれた森の中で、パチパチと薪が爆ぜる音だけが心地よく響き渡っていた。

そんな非日常の空間で、冷たい夜気を肌に感じながら熱々の肉を頬張るのは、どんな高級レストランの料理にも勝る格別の味わいがある。

「そうかもしれないです。ギルさんと一緒にご飯を食べてるってシチュエーションが、何倍にも美味しくしてくれてます」

「ごほっ」

「? どうしたんですか?」

「君は……はぁ」

(無自覚に可愛いことを言うんだから……。そこが可愛いところだが。やはり心配になる。たくさんの男どもを勘違いさせてしまっていないか……)

ギルバートが手際よく作ってくれた夕飯を、ソフィアは幻の尻尾をぱたぱたと揺らしながら幸せそうに頬張った。

「それにしても、フィーは夜の森を怖がらないんだな」

「へ……?」

「いや、普通は魔物がうようよしている夜の森など、怖がるものだと思ってな」

ギルバートの言葉に、ソフィアは首を横に振った。

「全然怖くないです。昔、お爺ちゃんと一緒に森の奥深くに入り浸っていたことがありますから」

(はっ。これでは、可愛げがないって言われちゃうかも)

恋人の前で少しは女の子らしく振る舞わなければと焦ったソフィアは、咄嗟に両手を胸の前で握りしめた。

「きゃ、きゃー」

可愛げを見せてみた結果、とんでもない棒読みの悲鳴が静かな森に虚しくこだました。

「「…………」」

自分でやっておきながら、あまりのわざとらしさに顔から火が出るほど恥ずかしくなった。

「すみません……」

幻の尻尾を股の間に巻き込み、がっくりと膝から崩れ落ちて項垂れるソフィア。

そんな彼女の隣に、ギルバートがすっと肩を寄せてきた。

「そうか。フィーも怖いものがあったんだな」

「で、ですですっ。そんなに怖くないですけど」

優しくフォローしてくれる彼に甘え、ソフィアはぴったりと体をくっつける。

「フィーは温かいな」

「ギルさんだって、すごく温かいです。ん……」

焚き火の熱以上に温かい恋人の体温を感じながら、二人は甘く身を寄せ合う。

そのときだった。

「ソフィア。あまり心配をかけるな」

バサバサッと巨大な翼の羽ばたき音が響き、空から人間の姿をしたファフニールが降り立ったのだ。

「ファフニール様!?」

驚く二人をよそに、牙の賢者が突如として姿を現した。

「あんた、何しに来たんだ」

帝国軍の大佐として古竜と直接干戈を交え、幾度も死闘を繰り広げてきた過去があるからだろう。あるいは男としての意地か、ギルバートは伝説の老竜を前にしても決して敬語を使わず、鋭い視線を向けた。

「我が弟子が帰ってこない。心配で様子を見に来たのだ」

「そうか。俺がいるんで、大丈夫だ。帰ってくれ」

「ふむ?」

二人をよそに、老竜の視線は焚き火のそばに置かれた串肉へと向けられた。

「なんだ、この飯は」

「俺が作ったものだ。って、おいっ」

ギルバートが制止する間もなく、ファフニールは勝手に串を掴み、残っていた男飯をガブガブと豪快に平らげ始めた。

「うむ。なかなか美味ではないか」

「それはフィーのものなんだが……」

「弟子のものは師匠のもの」

「あんた、俺の師匠じゃないだろ」

「弟子の家族のものは、師匠のものだ」

「家族……」

強引な理屈に呆れつつも、不意に飛び出した家族という言葉の響きに、ソフィアとギルバートは思わず顔を見合わせて照れてしまった。

「なんだ貴様ら、まだつがっていないのか」

ファフニールの爆弾発言に、空気が凍りついた。

「つがう……?」

純粋なソフィアがきょとんと首を傾げる一方で、それが何たるかを完全に理解しているギルバートは、頭を抱えて天を仰いだ。

「あんた、純真な子になんつーことを……」

「まあいい。それより、結界は作れたか?」

突如として、ファフニールが真面目な雰囲気に切り替えた。

(せっかくの甘い雰囲気だったのに……)

ギルバートが内心で深くため息をつく中、ソフィアはピンと背筋を伸ばした。

「はいっ」

ソフィアが手渡した設計図を、ファフニールが真剣な眼差しで覗き込む。

「どれ。ほう」

「わかるんですか?」

複雑怪奇な回路図を見てギルバートが尋ねると、ファフニールは鼻を鳴らした。

「馬鹿にするな。四代目八宝斎だぞ、余は」

ファフニールはカッと目を剥き、図面からソフィアへと視線を移した。

「ふざけているわけじゃないんだな」

「はい」

ソフィアが真面目に頷き返すと、老竜はワナワナと体を震わせた。

「破格だ」

「はかく?」

「この発想はなかった。とんでもない天才の発想だぞ、これは」

興奮気味に設計図を掲げ、ファフニールがギルバートに向けて解説を始める。

「奈落の森の木、そのものを巨大な杖に見立てて結界を張る気だ、この娘は」

「奈落の森の木を……? そんなこと、可能なんですか?」

「無論だ。そもそも杖というものに決まった大きさはない。持ち運びの観点でコンパクトになっているだけだ。中に魔力炉となる芯材さえあれば、見上げるほどの巨大な杖があっても何の問題もない」

ソフィアは魔眼を使い、森の瘴気を吸って純粋な魔力に変換する巨大な木を『魔力炉』として既に選定していた。さらに、結界のフィールドを構築するために必要な木々の配列まで、完璧に当たりをつけていたのだ。

「これを一日で考えつくとは。はははっ、さすが我が弟子だっ」

他人の弟子を自分の手柄のように語り、ファフニールはご満悦の表情で高笑いした。

「ふむ。一人で全部食べきってしまったら、なんだか急に眠くなってきたな」

大きく欠伸をしたファフニールが、のそのそと歩き出す。

「あ、テント。あるじゃないか」

「あっ、おい!」

ギルバートが制止する間もなく、ファフニールは持参して組み立ててあった一人用の軍用テントに潜り込み、瞬く間にぐーぐーと高いびきをかき始めた。

「身勝手極まりない人だ」

呆れ果てるギルバートの横で、ソフィアは激しく動揺していた。

急いで森へ追ってきたギルバートが持っていたテントは一つだけ。それを奪われたことで、二人の寝床がなくなってしまったのだ。

「や、やましい気持ちは、ないんですよっ。ほんと、一人で日帰りで来ようと思っていたのでっ」

ソフィアは顔を真っ赤にして、あり得ないほどの早口で弁解する。

そのてれてれと慌てふためく姿が可愛くて、ギルバートはつい意地悪な笑みを浮かべた。

「そうか。てっきり、二人で一つのテントに入りたいと思っていたのかと思ったよ」

ソフィアは両手で真っ赤になった顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。

「意地悪なギルさんなんて、キライです」

むすっと頬を膨らませてそっぽを向くソフィア。

だが、魔力から伝わってくる彼女の感情に、微塵も傷ついた様子はない。『キライ』と思っていないのに、口先だけでいやいやと言っているのが丸わかりだった。

それがたまらなく愛おしくて、ギルバートの胸の奥がさらに嬉しさで満たされていく。

「しかし、樹木を加工して直接杖に変えるか。かなりの大がかり、というか、もはや土木工事だな」

ギルバートが話題を変えると、ソフィアも真面目な顔に戻って頷いた。

「ですね。ですので、セシルさんやジュリアンお兄ちゃんの手助けがマストとなります。それに、他にもたくさんの人の手助けが必要で」

「疲れるか?」

「……少し」

素直に吐露したソフィアの緋色の髪を、ギルバートが優しく撫でる。

「そうか。フィーは本当に頑張っているな。立派な職人だよ。魔導士を選ぶ試験の運営にちゃんと携わって、立派に八宝斎をやれている」

「……あの、秘密ですよ」

ソフィアはふんわりと微笑み、ギルバートの顔のすぐ近くまで身を乗り出した。

「ギルさんに、こうして仕事を褒められるのが……世界で一番うれしいです」

「っ」

ギルバートは言葉を詰まらせ、慌てて視線を逸らした。

「毛布を。あー、その、あれだ。夜は冷える。一枚じゃ寒かろう。それに、横になった方が良い」

「はいっ」

二人は焚き火のそばに敷物を広げ、一枚の大きな毛布に一緒にくるまった。

「ギルさん、温かい……」

安心しきったソフィアは目を閉じ、すぐにくうくうと規則正しい寝息を立て始めた。

ギルバートは眠らない。古竜の親玉がテントで寝ているせいで周囲の魔物たちは完全にビビり散らしているが、死地であることに変わりはない。何が起きてもソフィアを守れるよう、彼は静かに警戒を続けていた。

「ふん」

ふと、テントの入り口からファフニールが顔を覗かせた。

「なんだ、手を出さないのか」

「当たり前ですよ。外ですし、そもそも相手の同意もなくては手など出せません」

「そうやって紳士ぶっているから、いつまで経っても進展しないのだ。まったく、見ているこっちがやきもきするわ」

呆れたように鼻を鳴らす老竜に、ギルバートはただ苦笑いを返すのだった。