軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

67. 平行線の男たち

夜の帳が下りた帝都。

冷たい夜風が吹き抜ける中、ジュリアンはソフィアの工房の前に立っていた。

一次試験の過酷なサポートを終えた彼女のことだ。きっと今夜も、倒れるまで杖の調整に没頭しているに違いない。

そう危惧して仕事を止めに来たのだが、出迎えたヨランダの言葉にジュリアンは目を丸くした。

「ソフィアちゃんなら、とっくにスヤスヤと寝ておりますわよ」

拍子抜けだった。

以前の彼女なら、絶対に体を壊しかねない勢いで仕事をしていたはずなのだ。

「そうですか。夜分に訪れた非礼をお詫びします。ゆっくり休ませてあげてください」

ジュリアンが踵を返そうとした時、奥から私服姿のギルバートが歩いてきた。

ソフィアを寝かしつけ、ちょうど帰路につくところだったらしい。

「ジュリアンか。どうした」

「フィアが無理をしているのではないかと思いまして。ですが、杞憂だったようです」

ジュリアンが微笑むと、ギルバートは小さく息を吐いた。

「まあ、あれだ。飯でも行くか」

「いいですね」

二人が足を運んだのは、裏路地にひっそりと佇む酒場『 黒い迷い犬(ノワール・ナベリウス) 』である。

重厚なオーク材の扉を開けると、芳醇な葡萄酒と香ばしい肉を焼く匂いが漂ってきた。

薄暗いランプの光に照らされたカウンター席に並んで座り、琥珀色の液体が注がれたグラスを傾ける。

氷の触れ合う乾いた音が、静かな店内に響いた。

「ギルバート様。あなたのおかげで、フィアは前よりも無茶をしなくなりました。感謝します」

ジュリアンが深く頭を下げる。

しかし、ギルバートは渋い顔をしてグラスを置いた。

「いや、仕事となれば三徹とか平気でするし、まあまあ無茶はするぞ。そこは全く変わっていないな」

「えっ」

予想外の返答に、ジュリアンはパチパチと目を瞬かせる。

どうやら、ソフィアの仕事の亡者ぶりは完全に治ったわけではないらしい。

「それより、ジュリアン」

ギルバートの声音が、ふと真剣なものへと変わった。

鋭い眼光が、隣に座る兄弟子へと向けられる。

「フィーの元婚約者のことは、どこまで把握していたのだ」

その問いに、ジュリアンの顔からスッと表情が消えた。

ソフィアがデリックのもとでどれほど酷い扱いを受けていたか。それを知った時の怒りと無力感は、今もジュリアンの胸の奥で黒く燻っている。

「あの婚約は、師匠であるヴィル殿が決めたことでした。外野である僕には、口を挟む権利などありませんでした」

ジュリアンはグラスを強く握りしめる。

「それに、手紙を出しても、彼女はいつも『大丈夫です』の一点張りで。でも、僕が無理やりにでも、彼女をあの家から連れ出すべきだった。今更悔やんでも、仕方ないことではありますが」

静かな口調の中に、兄弟子としての深い後悔と痛切な思いが滲み出ている。

ギルバートは琥珀色の液体を見つめ、静かに口を開いた。

「フィーを、いつまでも子供扱いしない方がいいと思うぞ」

「なんですって」

ジュリアンが鋭い視線を向ける。

「あの子は強い。自分の足で立ち、己の力で道を切り開く強さを持っている」

「いや、フィアは弱いです。優しすぎるからこそ、他人に利用されてしまう。僕が守ってあげないといけないんだ」

ジュリアンの声には、兄としての絶対的な保護欲が込められていた。

互いにソフィアを心の底から大切に想っている。だが、その根底にあるスタンスは決定的に違っていた。

ソフィアを対等なパートナーとして尊重し、その強さを信じるギルバート。

ソフィアを庇護すべき妹として慈しみ、その弱さを守ろうとするジュリアン。

ギルバートは短く息を吐き、自嘲気味に口角を上げた。

「平行線だな」

「ですね」

交わることのない二人の男は、ただ静かにグラスを打ち合わせるのだった。

そんな静かな男たちの語らいから少し離れた、酒場の奥のテーブル席。VIP達しか入れぬ特別室。

そこでは、三人の老賢者たちが騒々しく杯を交わしていた。

「まったく、なってない。うむ、全然なってないな」

ファフニールが大ぶりなジョッキを呷り、機嫌悪そうにテーブルへドンと置いた。

彼と向かい合って座るラーズスヴィズもまた、酒豪である。二人のウワバミは、次から次へと強い酒を空にしていた。

「一次試験でたった二十五人。なっちょらん」

「またその話ですか」

間に座るガンダールヴルが、まあまあと宥めながら深い溜息をつく。

「昔はもっと骨のある魔導士がいたもんだ。そこの悪ガキとかな」

ファフニールがニヤリと笑い、ガンダールヴルを顎でしゃくった。

悪ガキというのは、ガンダールヴルのことである。長く白い髭を蓄えた今でこそ温厚な長老の顔をしているが、若かりし頃の彼はかなり尖った性格をしていたのだ。

「あの頃の荒々しいお前が丸くなったのは、亡くなった奥さんのおかげさね」

ラーズスヴィズがカラカラと笑う。

「あの糞ガキをここまで立派に育て上げたのは、ふふん、余の手腕と言えよう」

(あんたはほとんど何もしてなかったでしょうが)

偉そうに胸を反らすファフニールに対し、ガンダールヴルは内心でぼやいた。

ファフニールは酒の勢いに任せ、懐かしそうに目を細める。

「しかし、まさか余に単独で挑んでくる阿呆がいるとは思わなかったわ。余の元に突っ込んできたあの悪ガキを、容赦なく打ち倒してやったのよ。あの時、大怪我を負っておったのに、どうして生きておったのだ」

「それこそ、こやつの妻のシンドリが救ったのさ。あの子の治癒魔法は本当に見事だったからね」

「ああ。あの子も、本当にいい魔導士だったな」

ラーズスヴィズが目を伏せると、ガンダールヴルもグラスを見つめて静かに頷いた。

「ですね。わしには、過ぎた妻でした」

神業のような治癒魔法で多くの者を救った、心優しい妻シンドリ。

彼女の思い出に浸っていると、ふとラーズスヴィズが顔を上げた。

「そういえば、お前。子供はいなかったかい」

「ええ」

「尖っていた頃に産み育てた子供さね。あの子、リヒトはどうしているんだい」

リヒト。

その名前が出た瞬間、ガンダールヴルの顔に深い後悔の陰りが落ちた。

「リヒトは、行方知らずです」

「なんだ、喧嘩でもしたのか」

ファフニールの無遠慮な問いに、ガンダールヴルは重々しく頷く。

「ええ。まあ、思想が強かった頃のわしに、ひどく嫌気がさしたのでしょう」

「その通りです。妻が死んだあと、わしは完全に彼と決別しました。『お前のせいだ』と、そう言われましたよ」

かつてのガンダールヴルは、己の強すぎる理想を息子にも押し付けていた。

厳しいスパルタ教育の果てに、妻を喪ったことで親子の絆は完全に修復不可能にまで断ち切られてしまったのだ。

「どこで、何をしているのだろうか」

ガンダールヴルが自嘲気味に呟くと、ファフニールは鼻を鳴らした。

「さぁな。だが、これだけは言える。リヒトは生きている」

「なぜそう言えるのですか、大師匠」

驚いて顔を上げるガンダールヴルに、ファフニールは当然のように言い放つ。

「決まっておる。強い魔法使いだからだ。凄まじい治癒の使い手であったシンドリと、光の賢者であるお前の息子なのだからな。そう簡単に死ぬはずがなかろう」

乱暴だが、確かな信頼に満ちた言葉。

ガンダールヴルは目元を緩ませ、手元のグラスをそっと傾けた。

「そうですね。どこかで、生きているといいのですが」

その息子が、すぐ近くに潜んでいることなど、光の賢者は知る由もなかった。