作品タイトル不明
46.竜の溜息
「ファフニール様……って、まさか、六大陸魔導協会・会長にして、 神域の八賢者(プラネテス) が一人…… 牙の賢者(タスク・メイジ) 、ファフニール様!?」
ギルバートは目を見開き、翡翠色の髪の幼女を見て叫んだ。
牙の賢者(タスク・メイジ) 、ファフニール。
その名は、魔法使いならば知らぬ者はいない「生ける伝説」だ。
かつて魔王を討伐した剣の勇者ホワイトノア。そのパーティメンバーであり、当時はまだ存在しなかった「魔法使いの 格付け(クラス) 」制度を創設した人物。
四級から特級までの階級を作り、バラバラだった攻撃魔法を体系化した「現代魔法の始祖」。
師匠であるガンダールヴルが「 光の賢者(ライト・メイジ) 」と呼ばれるように、八賢者は皆「~の賢者」という二つ名を持つが、彼女はその筆頭だ。
「な、なぜそんな神話級の魔法使い様が、こんな路地裏に……」
ふらっと居ていい御仁ではない。
それに、これほど強大な魔力を持つ魔法使いが入ってきたというのに、今まで誰も気づかなかったのは何故なのか。
疑問は尽きない。
ガンダールヴルは溜息交じりに言った。
「建国祭に招待されていたのじゃよ」
「……? 建国祭なら、先週終わりましたが」
なるほど、偉大な魔法使いならば、建国祭に招かれていたとしても不思議はない。
だが、とっくに終わった催し物に、どうして今頃やってきたのか。
ギルバートが首を傾げると、幼女――ファフニールは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「些末なことだ。余がなぜ、貴様ら人間の都合に合わせねばならん」
「は、はあ……」
どうやら盛大に遅刻したらしいが、本人は全く気にしていない様子だ。
ギルバートは改めて、ファフニールを見やった。
尖った耳。額には、角のような飾りをつけている。
どことなく、人間ではない、別の種族の存在に見えた。
だからだろうか、時間の感覚が、人間とは根本的に違うのかもしれない。
「それで、ファフニール様はなぜ帝都を?」
ファフニールはチラリと、ギルバートを一瞥した。
「不合格」
「は……?」
何を突然言っているのだろうか。
不合格とは一体……。
「お前は詰まらん。我が弟子も年を取ってつまらなくなってしまったが」
どうやら我が弟子とは、ガンダールヴルのことを言っているらしい。
「昔のガンダールヴルは、もっとギラついていた。上へ上へと目指すその様、燃えるような日輪の光に、可能性を感じ取った。だからお前を弟子にとったというのに……。今のお前は、全くもってつまらなくなってしまった。その光を、誰かに照らすことばかり考えておる」
昔の 師匠(ガンダールヴル) は非常に尖っていたと聞いたことがある。
そこを、ファフニールは評価していたらしい。
「強く聡い魔法使いを育てることこそ、我が使命と悟ったのですじゃ」
「ふん……。その結果生まれたのが、このような凡骨とはな」
散々罵られても、しかし、ギルバートに言い返す気力は湧いてこなかった。
先ほど見た、ファフニールの発する魔力が、強大すぎたからだ。
おそらくは現在、魔力を制限している。だからこそ、まともに話すことができるのだ。
あの時感じた魔力量。制限された状態でさえ、師であるガンダールヴルのものよりも、遥かに巨大だった。
「話を戻しますじゃ……。 大師匠(マスター) 、何をしに参られたのですか? 貴方様の魔力を検知し、飛んできたわけですが……」
ガンダールヴルの質問にだけ、ファフニールが答える。
どうやら彼女の中で、ギルバートはもう路傍の石ころと同じくらい、無価値だと決めつけたのだろう。
「知り合いに会いに来たのだ。……ヴィル・クラフト。奴は余の弟子だ」
「っ!?」
ギルバートは息を呑んだ。
ソフィアのお祖父様は、この人の弟子だったのか。
「…… 大師匠(マスター) 。残念ですが、ヴィルは数年前に亡くなりました」
ガンダールヴルが静かに告げると、ファフニールは少しだけ目を細めた。
「……そうか。なんだ、もう死んだのか。人間の一生とは、瞬きのようなものだな」
その言葉には、寂しさよりも、種族的な「時間のズレ」が滲んでいた。
まるで、数百年生きることが当たり前の存在が、短命な生物を憐れむような。
その時だ。
ギルバートの懐で、通信用の魔道具がけたたましく鳴り響いた。
『おいギルバート! 大変だ! 魔物の群れが帝都に向かってる!』
クラウスの緊迫した声だった。
「なんだと!? さっき逃げていった連中か?」
『そうだ! どうやら、帝都から放たれた「凄まじいプレッシャー」に怯えて、パニックを起こしてるらしい! 窮鼠猫を噛む勢いで、死に物狂いで突っ込んできてるぞ!』
ギルバートは戦慄し、チラリとファフニールを見た。
原因は間違いなく、先ほど彼女が放った「龍圧」だ。あれに当てられた魔物たちが、恐怖のあまり暴走し、逆に発生源である帝都へ特攻を仕掛けてきたのだ。
「くっ、迎撃を……!」
「……騒々しい」
ファフニールが呟いた瞬間。
彼女の姿が、掻き消えた。
「え……?」
見上げれば、彼女は遥か上空に浮遊していた。
眼下には、外壁に迫りくる魔物の大群。数百、いや数千はいそうだ。
だが、ファフニールは杖を構えることも、魔法陣を展開することもしなかった。
ただ、短く息を吸い――吐いた。
「フッ……」
瞬間。
帝都の上空を「暴風」が駆け抜けた。
それは魔法ですらない。純粋な衝撃波。
魔物の群れは悲鳴を上げる間もなく、枯れ葉のように遥か彼方へ吹き飛ばされ、霧散した。
『……し、信じられん。反応が全部消えたぞ……』
通信機から、クラウスの震える声が聞こえる。
ファフニールが、ふわりと地上に降り立った。
着物の裾一つ乱れていない。
「い、今のは……風の極大魔法ですか?」
ガンダールヴルが問うと、ファフニールは欠伸を噛み殺した。
「魔法? 違うな。今のは余の……ただの溜息だ」
「…………」
ギルバートは言葉を失った。
これが、神域の八賢者。
これが、世界最強の一角。
人間という枠組みで測っていい存在ではない。
「ヴィルがいないのなら用はない。帰る」
ファフニールは興味を失ったように、スタスタと歩き出した。
だが。
ある一軒の店の前で、ピタリと足を止めた。
「……ほう?」
そこは『フクロウ亭』だった。
「ヴィルの残滓を感じるな。独特の魔力の練り方だ」
「ええ。あそこには、ヴィルの孫娘がおりますじゃ」
「孫? ……少し見ていくか」
ファフニールは気まぐれに、ドアノブに手をかけた。
◇
カラン、コロン。
ドアベルの音が響き、フクロウ亭に幼い客が入ってきた。
「あら? いらっしゃい。……迷子かしら?」
店番をしていたリサとヨランダが声をかける。
だが、次の瞬間、二人は動きを止めた。
ブワ……ッ!!
ファフニールが、極めて自然な動作で、その身に纏う魔力を解き放ったのだ。
本能が警鐘を鳴らす。目の前の「幼女」が、絶対的な捕食者であると。
ギルバートも、ガンダールヴルも戦慄した。これが彼女の「本気」だと思ったからだ。
ファフニールは遠慮なく店内を見渡し、中央の椅子にふんぞり返った。
そして、奥から出てきたソフィアを一瞥した。
「ふん。これがヴィルの孫か。魔力ゼロの欠陥品と聞いていたが……つまらぬな」
初対面での罵倒。
リサがムッとして言い返そうとしたが、声が出ない。プレッシャーに喉を潰されていた。
だが、ソフィアは違った。
彼女は怒ることも、怯えることもなく、じっとファフニールを見つめていた。
いや、正確にはファフニールの「お腹」あたりを、心配そうに凝視していた。
「待て。……小娘、お前、何が見えている?」
「あの……苦しくないんですか?」
「あ?」
「体の中にある『三つの巨大な魔力炉』……無理やり人の形に押し込めてますよね?」
ソフィアは、職人として純粋な疑問を口にした。
魔力炉とは、魔力を生み出す仮想臓器のことだ。無論、通常は一つしかない。
そして実在しない器官ゆえに、当然、人間には視認できない。
そう、ただの人間には……だ。
「それに、そんなに魔力を制限して、窮屈ではないのですか?」
「!? そ、ソフィ……ファフニール様は、魔力を制御しているのか!? 今も!?」
「? ええ。本来の魔力量の、一割もいかない程度かなと……」
誰もが怯えてしまうほどの魔力量。
それですら、極限まで制御しての……これだというのか。
店内が、静まり返った。
ギルバートも、ガンダールヴルも、息を止めた。
ファフニールの瞳が、驚愕に見開かれた。
頬に、冷や汗が一筋伝う。
「……小娘。貴様、余の擬態を見抜き、 竜の心臓(ドラゴンハート) を視たのか?」
「ああ。竜の方でしたか。それなら……納得です」
そう、彼女の正体は 古竜(エンシェント・ドラゴン) 。
大賢者ガンダールヴルですら欺く完璧な擬態。それを、魔力ゼロの少女だけが見抜いたのだ。
「! 大師匠様……竜だったのでございますか?」
ガンダールヴルですら驚愕していた。
直近の弟子である彼ですら見抜けなかった真実。それを見抜いたソフィアは、人類初の快挙と言えた。
ファフニールの口元が、ニヤリと歪んだ。
「ククク……面白い。八宝斎の血は死んでいなかったか」
彼女はソフィアを指差し、傲然と言い放った。
「仮合格だな」