軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24.忍び寄る影

それから数日。

ソフィアは毎日、正午の鐘と共に作業を止め、『白銀の猫』へ通うようになった。

しかも、かなり楽しそうに。

まるで、この時間を待ちわびていたとばかりに、小走りで店を出て行くのだ。

今までのソフィアを知る者からすれば、これは異常事態である。

かつての彼女は、仕事が乗ってくれば食事など平気で抜いていたし、見かねたヨランダが口にパンを突っ込んで、ようやく咀嚼するような有様だった。

それが、どうだ。

毎日楽しそうに、少しおめかしをして、お昼になると決まって出かけていくのである。

その劇的な変化を、銀のフクロウ亭の守護者であるヨランダが見逃すはずがない。

「……おかしいですわね」

カウンターで頬杖をつき、ヨランダは呟いた。

ソフィアが自発的に休憩を取るようになったのは、喜ばしいことだ。

だが、あまりにも定期的すぎる。

それに、出かける前に鏡を見る回数が増えた。

髪を直したり、服の埃を気にしたり。

まるで、誰かに会うのを楽しみにしているような。

「でも、なんで急に。あんなにお洒落して……まさか」

ヨランダの脳裏に、一つの可能性が閃いた。

「はっはーん……。坊ちゃん……もー、隅に置けないんだから」

おそらく、こういうことだろう。

ソフィアは外で、誰かと一緒にお昼を食べているのだ。

その相手など、一人しか思い浮かばない。

ギルバート・フォン・ヴォルグ、その人である。

「あたしの見てないところで、ちゃーんと進展してるんですね」

きっと毎日、二人でランチを楽しんでいるのだろう。

そして美味しい食事と会話を楽しんで、帰ってくる。

ヨランダはニマニマと口角を吊り上げた。

「ガンダールヴル様に報告しなくては。我らの草の根運動、実を結びつつあり、とね」

ヨランダが店に設置された魔導電話に手をかけた、その時だった。

カランコロン。

軽やかなドアベルが鳴り、一人の男性が入ってきた。

「こんにちは、ソフィア殿……。って、ヨランダか」

ギルバート・フォン・ヴォルグ、ご本人だった。

「は……? ぼ、坊ちゃん……?」

これには、流石のヨランダも驚愕である。

そして、盛大に困惑した。

「なんだ、その顔は」

「あ、いや……だって……なんで坊ちゃんがここに? ソフィアちゃんと毎日、お昼は外で一緒に食べるんじゃ……」

「いや、そんなこと一度もしたことないが」

(一度もないんかいっ)

ヨランダが心の中で盛大に突っ込むと同時に、大賢者と彼女の地道な努力が、全くの水の泡であることが確定した瞬間だった。

そして、即座に思考を切り替える。

これは、また別の事案……否、緊急事態の発生である。

「坊ちゃん。大変ですわ」

「何かあったのか?」

「ええ、大変なことが起きてますのよ」

ヨランダはカウンターを乗り越えんばかりの勢いで、かつての主人であるギルバートのもとへ詰め寄った。

「ソフィアちゃんが。ここ数日、毎日お昼に出かけておりますの。それも、ウキウキとお洒落をして」

「な……なんだと?」

ギルバートの表情が凍りついた。

「毎日? 誰かと会っているのか」

「ええ。最初はてっきり坊ちゃんだと思ってましたの。でも今思い返すと、恋愛偏差値5の朴念仁な坊ちゃんが、意中の女性を食事に誘うなんて高度なこと、できるわけありませんでしたわ」

「お前……俺は一応お前の主人なんだぞ……」

随分な言われようだが、ギルバートは反論する気力もなかった。

それよりも気になる事実が、頭をもたげているからだ。

「ソフィア殿が……毎日会ってるというのは、本当なのか」

「ええ。本当ですわ」

ヨランダは嘘をつくような性格ではない。

本当に、誰かに会いに行っているのだ。

あの、仕事一筋のソフィア殿が。

「それって……誰に会ってる」

「分かりませんわ。でも、あんなに楽しそうなソフィアちゃん、仕事以外で初めて見ましたもの。きっと……殿方ですわ」

「…………」

ギルバートは絶叫したり、暴れたりはしなかった。

ただ、顔面からサァーッと血の気が引いていき、彫像のように固まった。

それを見て、ヨランダはキラーン、と目を光らせる。

(ピンチかと思いきや、これはチャンスですわ。鈍感鈍足お坊ちゃんに最大の試練。愛する女に男ができてるかもしれない。そうなれば焦る、進む……進展する……恋仲っ)

ヨランダはこの件を、二人の中を進めるための「恋愛イベント」として、前向きに解釈しようとした。

しかし……一方のギルバートの思考回路は、全く別のベクトルへ爆走していた。

「ソフィア殿……悪い男に騙されているやもしれん」

「は……? 騙されて……?」

「ああ。甘い言葉で近づいて、高価な壺を買わせたり、連帯保証人にさせたりする悪い勧誘かもしれん。あの 女性(ひと) は、押しに弱いからな」

「…………」

ヨランダは口をポカンと開けた。

この男、恋愛イベントだとは微塵も思っていないらしい。

純粋に、ソフィアの身を案じているだけだ。

(いやまあ、その可能性も確かにゼロではないかもですけど……)

ソフィアは「ド」が幾つつくか分からないほどの、純粋培養な箱入り娘だ。

悪いビジネスや、悪事に巻き込まれている可能性もなくはない。

なくはないが……。

(そこはっ。焦るとこでしょうが。恋のライバルが現れたかも知れないとっ)

好いた女が誰かに取られるかも、と考えず、純粋に「事件性」を疑うギルバート。

(やだ……うちの坊ちゃん……恋愛経験値……低すぎ。坊ちゃん、綺麗な女性には、男が自然と寄ってくるんですよ? 自分と同じ考えの男がいるんですよっ)

ヨランダが頭を抱えている間に、ギルバートの騎士道精神(という名の過保護)は限界に達していた。

「ソフィア殿はどこに行ったか知ってるか」

「え、あ、確か『 白銀の猫(ホーリィ・ロウリィ) 』ですけど……」

「ちょっと様子を見に行ってくる」

ギルバートは決死の覚悟で、冬の通りへと飛び出した。

心配と、わずかな殺気を纏い、彼はソフィアの後を追って『白銀の猫』へと向かう。

カフェ『白銀の猫』。

ギルバートは肩で息をしながら、勢いよく扉を開けた。

「(ソフィア殿。待っていてくれ、今助ける……)」

鋭い視線で店内を走査する。

狙うは、ソフィアに言い寄る不埒な男の姿だ。

窓際の席。そこに、愛しい茜色の髪を見つけた。

彼女は楽しそうに微笑んでいる。

その対面に座っているのは――。

「え……? 女性?」

ギルバートの思考が一瞬停止した。

そこにいたのは、男ではなく、オレンジ色の髪をした可憐な少女だった。

ソフィアと同年代くらいだろうか。

拍子抜けしつつも、ギルバートは安堵の息を吐きながら近づいていく。

「ソフィア殿」

「えっ? あ、ギルバートさん」

ソフィアが驚いたように振り返る。

ギルバートは居住まいを正し、対面の少女へと視線を向けた。

ソフィアの友人にご挨拶を、と思ったのだが。

その顔を見た瞬間、ギルバートの全身が氷像のように硬直した。

「ッ……」

見間違うはずがない。

帝国の第五皇女、メルティア殿下その人ではないか。

「メ、メル……ッ」

ギルバートが反射的に敬礼しそうになるのを、メルティアが素早く人差し指を唇に当てて制した。

パチリ、と片目を瞑る。

『お忍びよ。バラしたら承知しないわよ』という無言の圧力が、ギルバートを貫いた。

ギルバートは冷や汗をダラダラと流しながら、直立不動の姿勢を取った。

「お、お久しぶりで……ございます」

「あら、ギル。久しぶりね。相変わらず堅苦しいのね」

メルティアは優雅に微笑み、親しげに手を振った。

そのやり取りを見て、ソフィアは目を丸くした。

(ギル……? ギルバートさんが、こんなに緊張してる……?)

普段は冷静沈着なギルバートが、顔を赤くし、言葉に詰まっている。

それに、この少女の態度。

ギルバートを「ギル」と呼び捨てにし、ギルバートもそれを当然のように受け入れている。

(知り合い……なんだ)

それも、ただの知り合いではない。

二人の間に流れる空気は、ソフィアの知らない「高貴な世界」のものだ。

美男美女で、立ち居振る舞いも洗練されている。

まるで一枚の絵画のように、二人はお似合いだった。

最近、ギルバートと過ごす時間が増えて、少しだけ心が近づいたような気がしていた。

もしかしたら、この関係がもっと特別なものになる日が来るのかもしれない。

そんな、淡い期待を抱いてしまったこともあったけれど。

(……やっぱり、違うわよね)

ズキリ。

ソフィアの胸の奥が、小さく痛んだ。

彼らは、雲の上の住人。

地べたを這う職人の自分が、並んで歩ける相手ではないのだ。

自分が急に、場違いな存在に思えてきた。

素敵な二人の時間を、無粋な自分が邪魔をしてはいけない。

ソフィアは引きつりそうになる頬を必死に上げ、笑顔を作った。

「あ、あの。私、急用を思い出しました」

「えっ? ソフィア?」

「お二人とも、お知り合いだったんですね。じゃあ、私はこれで。ごゆっくりしてください」

早口で告げると、ソフィアは伝票を掴み、逃げるように席を立った。

「あ、待っ……ソフィア殿っ」

ギルバートが慌てて手を伸ばすが、ソフィアは振り返らずに店を出て行ってしまう。

「……ギル。追いかけなさい」

メルティアが、真顔で言った。

「あの子、何か勘違いしたわよ。……早く」

「は、はっ。失礼いたします」

ギルバートは一礼し、慌ててソフィアの後を追って飛び出した。

路地裏まで走り、ソフィアは壁に手をついて息を整えた。

白い息が冬の空気に溶けていく。

「はぁ……はぁ……」

胸が苦しい。

走ったせいだけではない。

目頭が熱くなり、視界が滲む。

「あ、あれ……なんで……逃げちゃったんだろ。私……」

お似合いの二人を見て、どうしてこんなに胸が痛むのか。

自分でも分からない感情に、ソフィアは戸惑っていた。

心にぽっかりと穴が空いたような、寒々しい感覚。

(……馬鹿ね、私。何を期待していたのかしら)

分不相応な夢を見た自分を、心の中で嘲笑う。

(そうよ。私には仕事があるもの。……最高の杖を作ることだけが、私の価値なんだから)

自分に言い聞かせるように、強く念じる。

その心の隙間に、冷たい風が吹き込んだ。

「――ようやく見つけたぞ。役立たず」

背後から響いたのは、聞きたくなかった声。

忘れたくても忘れられない、悪夢のような声だった。

ソフィアが弾かれたように振り返る。

そこには、以前よりもやつれ、狂気を孕んだ瞳をした男――デリックが立っていた。