軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13.職人の願い、そして悪徳商会の終焉

バタン、とクラウスが出て行った扉が閉まり、執務室には静寂が戻った。

残されたのは、真っ赤な顔のギルバートと、不思議そうに首を傾げているソフィアだけだ。

「……ええと」

「お腹、空いてますよね? 冷めないうちにどうぞ」

気まずい沈黙を破ったのは、ソフィアの明るい声だった。

彼女は手際よくバスケットを開け、中身をテーブルに広げていく。

焼きたてのパンからは香ばしい匂いが立ち上り、具沢山の野菜スープからは湯気がふわりと漂う。

分厚いハムととろりとしたチーズが挟まったサンドイッチに、デザートの果物まで入っている。

ヨランダ特製、愛情たっぷり(主に二人の仲を進展させるための)お弁当だ。

「……ああ、ありがとう」

「はいっ。スープ、熱いので気をつけてくださいね」

ソフィアがカップにスープを注ぎ、手渡してくれる。

その何気ない動作一つ一つに、ギルバートの心臓は早鐘を打っていた。

二人きりの食事。

しかも、執務室という閉鎖空間で。

こんな状況、任務でドラゴンと対峙するよりも遥かに緊張する。

「いただきます」

「どうぞ、召し上がってください」

ギルバートがおっかなびっくりサンドイッチを口に運ぶと、ソフィアも自分の分を手に取り、大きく口を開けた。

「んっ。美味しい……」

ソフィアは幸せそうに目尻を下げ、リスのように頬を膨らませて咀嚼する。

その無防備な食べっぷりに、ギルバートは見惚れてしまった。

上品ぶるわけでもなく、かといって下品でもない。

本当に美味しそうに、生命力に溢れた食べ方をする人だ。

見ているだけで、こちらの食欲まで刺激される。

「……ん?」

ふと、ギルバートの視線がソフィアの口元に止まった。

夢中でサンドイッチを頬張ったせいか、パン屑がちょこんと頬についている。

「ソフィア殿」

「はい? もぐもぐ」

「ついてるぞ」

「えっ、どこですか?」

ソフィアが慌てて手で拭おうとするが、見当違いの場所を擦っている。

「いや、反対だ。……じっとしててくれ」

(やましい気持ちはないぞ、これは……ほんとだぞ……)

誰に言い訳をしているのやら。

ギルバートは自然と手を伸ばした。

剣だこのある無骨な指先が、ソフィアの柔らかな頬に触れる。

その感触に、触れたギルバートの方がビクリと震えたが、何とか冷静を装ってパン屑を取り除いた。

「……取れた」

「あ、ありがとうございます!」

ソフィアは花が咲くようにニコーッと笑った。

照れる様子は微塵もない。

まるで、兄に世話を焼かれた妹のような、純真無垢な笑顔だ。

(……くっ、破壊力が凄まじいな)

ギルバートは心臓を押さえ、悟られないようにスープを啜った。

熱いスープが、さらに体温を上昇させる。

「あ、ギルバートさんも」

「む?」

「トマトソースが、ついてますよ」

今度はソフィアが手を伸ばしてきた。

彼女の細い指が、ギルバートの口端をスッと拭う。

「はい、取れましたっ」

「~~~~ッ!!?」

ギルバートの顔が、一瞬でスープのトマト色よりも赤く染まった。

心臓が破裂しそうだ。

不意打ちすぎる。

無自覚すぎる。

この距離感の近さは、一体何なんだ。

「ギルバートさん? 顔が赤いですけど、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ! スープが少し熱かっただけだ!」

「そうですか? ふーふーしましょうか?」

「いやいい! 自分でやる!」

これ以上甘やかされたら、軍人としての理性が保てなくなる。

ギルバートは勢いよくサンドイッチをかじり、動揺を誤魔化した。

嵐のような(主にギルバートの内面で)昼食が終わり、二人は食後のお茶を飲んで一息ついていた。

ギルバートはカップを置き、真剣な眼差しでソフィアを見た。

「ソフィア殿。……改めて、礼を言う」

「え?」

「君の情報のおかげで、ようやくザフールを追い詰めることができる。必ず、あの連中には法の下で裁きを与えることを約束しよう」

ギルバートの声には、強い意志と怒りが込められていた。

ソフィアを不当に扱い、多くの人々を危険に晒したデリックたちを、絶対に許さないという決意だ。

しかし、ソフィアは静かに首を横に振った。

「……あの人達のことは、もういいんです」

「いい?」

「はい。私にとって、彼らがどうなるかは重要じゃありません」

ソフィアの瞳に、復讐の色はない。

あるのは、職人としての純粋な願いだけだ。

「それよりも……お願いがあります」

「なんだ? 何でも言ってくれ」

「ザフールの魔導具を使っている人たちを、助けてあげてください」

「…………」

「不良品が出回っているなら、それを知らずに使って、怪我をする人が出るかもしれません。私はそれが一番怖いです。だから……彼らを裁くことよりも、被害が出るのを防ぐことを優先してほしいんです」

ギルバートは息を呑んだ。

彼女は、自分を虐げた相手への恨み言など一言も言わず、ただ見知らぬ誰かの安全を案じているのだ。

その心根の美しさに、胸が熱くなる。

(ああ、やはりこの人は……)

ギルバートは深く頷き、立ち上がった。

「承知した。……君の願い、必ず叶えてみせる」

彼は軍服の襟を正し、敬礼を送る。

それは上官に対するものではなく、一人の尊敬すべき女性への、最大級の敬意だった。

「行ってくる。……吉報を待っていてくれ」

「はい! 行ってらっしゃいませ!」

ソフィアに見送られ、ギルバートは執務室を出た。

その背中には、もう迷いも疲れもなかった。

愛する人を守るための、英雄の顔をしていた。

それから、しばらく経ったある日のこと。

銀のフクロウ亭に、いつもと同じ朝が来た。

開店準備をしていたソフィアの元へ、買出しから戻ったヨランダが血相を変えて飛び込んでくる。

「そ、ソフィアちゃん! これ!」

ヨランダがカウンターに広げたのは、インクの匂いが残る朝刊だった。

「え……?」

ソフィアは手を止め、紙面を覗き込んだ。

一面のトップに、衝撃的な見出しが躍っていた。

『老舗ザフール商会、巨額脱税と不正発覚 ~先代の死を隠蔽し、相続税を逃れる~』

記事には、王宮魔導師団・情報局と国税局の合同調査の結果として、ザフール商会の悪質な実態が詳細に記されていた。

代表取締役デカント氏は二年前に病死していたが、店長代理のデリック容疑者がその事実を隠蔽していたこと。

その動機は、事業承継に伴う莫大な「相続税」の支払いを逃れるための、意図的な偽装工作であったと断じられている。

さらに、記事は続く。

『また、同容疑者は脱税の裏で、利益を優先するために故意に資材の質を落とし、欠陥があることを認識しながら市場へ流通させていた疑いが持たれている』

ただの過失ではない。

金への強欲さゆえに国を欺き、さらに消費者を騙して危険な製品を売りつけた、極めて悪質な犯罪である。

そして、紙面の末尾には、決定的な行政処分が記されていた。

『当局は、デカント氏死亡後の二年間に製造された製品について、発火や暴走の危険性が極めて高いとして、全品のリコール(回収・無償修理)を命じた』

「……リコール」

「ええ。街中大騒ぎですわ。やっぱり壊れやすかったのはそのせいか、って」

記事の横には、うなだれて連行されるデリックの写真が小さく載っていた。

だが、ソフィアが安堵したのは、デリックの逮捕そのものではない。

当局からの『直ちに使用を中止してください』という呼びかけだ。

ソフィアは深く、深く息を吐き出した。

胸の中に溜まっていた重い鉛が、すっと溶けていくようだった。

「……よかった」

ポツリと、言葉が漏れた。

「ソフィアちゃん?」

「よかった……。これで、もう誰も傷つかなくて済むんですね」

あの時、ギルバートに伝えた日付。

それが、間違いなく境界線として採用されていた。

市場に出回っていた数万台の「危険なストーブ」は、これで回収される。

ボヤ騒ぎや、火傷で泣く子供はいなくなるのだ。

自分の伝えた情報が、多くの人々の平穏を守る役に立った。

それが、職人である彼女にとっては一番の救いだった。

「よぅし、今日は坊ちゃんを呼んで、パーティですよ!」

ヨランダがパン、と手を叩いて宣言した。

「? なんのですか?」

ソフィアが目をぱちくりさせる。

「よくやった、坊ちゃん! お疲れ様パーティに決まってるじゃありませんか!」

そうか、とソフィアは納得した。

ギルバートが頑張ってくれたから、こんなに早く粗悪品がリコールされることになったのだ。

それに、多忙な任務の合間を縫って、私なんかのために動いてくれたのだから。

「やりましょう、パーティ」

「ええー!? いいのぉ!?」

ヨランダが仰け反って驚いた。

どうして自分で主催を宣言しておいて、驚いているんだろう。

ソフィアは不思議そうに小首をかしげる。

「ギルバート様に、大変お世話になりましたので。感謝を伝えたいんです」

「なるほどぉ。うむうむ、良きことです。少しずつデレてきてますね、ソフィアちゃんっ」

ヨランダがにまにまと笑う。

(デレ……?)

恋愛脳全開のヨランダが言っていることを、職人脳のソフィアには理解できないのだった。

一方その頃。

ザフール商会本店、支配人室。

かつては栄華を誇ったその部屋は、今や地獄の底のような空気に包まれていた。

「くそっ……! くそぉぉぉっ!!」

デリックは、デスクの上の書類を壁に投げつけた。

それは、当局から突きつけられた『製品回収命令書』と、さらに分厚い『追徴課税通知書』だった。

「リコール費用に賠償金、その上、脱税のペナルティまで払えだと!? ふざけるな! こんな額、払えるわけがないだろう!」

桁を数えるのも恐ろしい金額だ。

相続税をケチった結果、その何倍もの重加算税が課せられていた。

今までの利益など一瞬で吹き飛び、一生かかっても返せない借金だけが残る。

四方八方から、金の請求だけが押し寄せてきていた。

「ど、どうするのよぉ、デリックぅ……」

ソファで頭を抱えていたリサが、泣き濡れた声で叫んだ。

「ねえ、嘘よね? 私には関係ないわよね? 私のブランドバッグも、宝石も、全部差し押さえられるなんて……そんなの嫌よ!」

「うるさいっ!!」

デリックが怒鳴り声を上げ、リサがビクリと震える。

「俺だって被害者だ! なんでバレたんだ……。父上の死さえ隠し通せば、税金も払わず、丸儲けできたはずなのに……。一体誰が……」

デリックは髪をかきむしり、爪を噛んだ。

完璧な計画だった。

国を出し抜き、客を騙し、私腹を肥やし続ける黄金の日々が続くはずだった。

なのに、ピンポイントで「あの日付」を突かれたことで、全ての不正が芋づる式に暴かれたのだ。

「おのれ……おのれぇぇぇ……」

破産は確実だ。

そしてその後には、脱税と詐欺罪での長い投獄生活が待っている。

欲に目が眩み、職人の誇りを捨てた男の末路。

その悲鳴は、誰にも届くことなく、冷たい部屋に吸い込まれていった。