軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

善き混沌を

今年も精霊祭がやってきた。

私、ウィレム・ブラン・レゴールはレゴール領の伯爵である。

それ故に、こういった催しの際には率先して動き、貴族街に駐留している貴人らを歓待しなければならない。

近年はレゴールの隆盛を嗅ぎつけてか、こういった催しに訪れる人々のランクが……じわじわと上がり続けている。遠方から人員を派遣してくる大貴族もいて……それだけ街が潤うのは良いのだけども、正直言って、対応に苦慮するというか、これがなかなか、胃が痛い……。

「おはようございます、レゴール伯爵」

「やぁどうも。……明るい場所でお酒を入れていないリービッヒ男爵と話すとなんだかおかしく感じてしまうなぁ」

「ははは! 同感ですな! ですが、この朝食を終えたらばすぐにでも一杯いただく予定ですぞ! なにせ、今日は祭りですからな!」

「我々サムセリアも、昼の特別警備の労いが終わった後は酒が飲めそうです。男爵、そちらと合流してもよろしいかな」

「おお是非! いやぁ、楽しみだ!」

レゴール伯爵家に近い貴族との会話は慣れているから気安くて良い。

だが、この場には他の貴族も多くいる。特に宮廷貴族が多い。いつもならば王都でこの祝祭の日を迎えているのだろうが……。

精霊祭の朝。私の邸宅で行われているこの朝食会は、恒例の行事というわけではない。

つい最近、急遽ねじ込まれたイベントだ。内容も特に奇を衒ったものではなく、用意されたテーブルについてレゴール伯爵領の名産品や料理を味わっていただくというもの。普通だ。しかも朝ということで、酒はない。これは今日が祝祭であることを考えると、少し異様なことであった。

だが、酒が供されないことは事前に言ってある。異論を唱える者はいない。朝の早い時間に行われる集まりだというのに、集まりも非常に良い。

何故か。これは、極めて特別なゲストをお招きする朝食会だからだ。

集まった貴族たちは、その特別なゲストを心待ちにして、ただそれだけのためにここにいると言っても過言ではないだろう。

レゴールを……いや、ハルペリア王国そのものを大きく動かした人間。

発明家ケイオス卿が、もうじきこの場に姿を現すのだ。

「うう、緊張してきた……」

……きっかけは、“光の魔女”サリー殿がこぼした一言だった。

ケイオス卿との繋がりを持っているかのような独り言は本当にさりげないものでしかなかったが、言った場所が悪すぎた。大勢の貴族が集まる只中でのそれは、到底聞き流せるものではなかったのだ。

彼女自身、嘘をつくのがあまり上手くない性格だったことも不運だったろう。あれよあれよというまにケイオス卿との繋がりがあることが露呈し……私はその時点で、こちら主導で場を整えるように舵を切る他なかったのである。

他の貴族が独自にケイオス卿について嗅ぎ回るのは、危険だ。サリー殿にとっても大きな負担となるだろう。ゴールド3、王都にすら認められる大魔法使いとはいえ、ケイオス卿に関わる情報ともなればまた話は別だ。

ケイオス卿は偉大な発明家だが、見方によっては金のなる木であり、また別の見方をすれば商売敵でもある。思惑はどうあれ、ケイオス卿の身柄を自らの手で確保したいと考える者は多いだろう。私だって、保護できることならば保護したいくらいだ……。

しかしなぁ……ケイオス卿自身はきっとそうは望んでないだろうからなぁ……。

だから今日この場で、この私レゴール伯爵主導で場をセッティングした。

どうにかして、ケイオス卿を無事に戻すために……。

……そして、ほんの少しだけども。私自身、彼と話をするために……。

うむ、少しくらいは良いだろう? 少しくらいはね……。

「サリー様とケイオス様のご到着です」

「!」

家令のアーマルコがやってきてそう告げた時、ささやかな賑わいに和んでいた食事会場が静かに緊張した。

空気が変わった。……だが、私も同じだ。ここにいる皆、私を含めて誰もが同じようなことを思っていることだろう。

ケイオス卿とは何者なのか。本当に来るのか。サリー殿の嘘ではないのか。そもそも実在するのか……。

それが今、まさに次の瞬間に明らかとなるのだ。

「呪いは無し。入って良いよ」

まずは杖を手にしたサリー殿が中に入る。彼女はここにいる皆が知っているだろう。王都でも有名な魔法使いだ。問題は、彼女にエスコートされるように入ってくる、次の……。

『……』

来た。ケイオス卿だ。

が……変装している。それも、かなり厳重に!

入念に準備したに違いない! つまり、彼はまだ表舞台を望んでいないのだ!

「ま……祭りの衣装か?」

「あれは劇で見られるような……まるでヒドロアの化身のような格好ではないか……」

ケイオス卿は全身を幾重もの飾り布で包んでいた。

見てくれは、今日この日であればどこにでも見られるような布だ。壁や軒先に垂れ下がっている布。それを全身に巻き付け、垂らし、輪郭を隠している。

何より、顔。頭部だ。ケイオス卿は大きなフードで髪を隠しつつ、白い仮面で表情を隠していた。

そこから窺い知れる情報は……ほとんどない。わかるのは背の高さくらいのものだろう。百八十か、それに僅かに届かないか……。

『本日は肌を晒さないこと。声を偽ること。その他、数々の無作法をお許しください』

だが、声は女! 魔道具で声質を変えているんだろう。少し不自然な、変わった声だった。なるほど、常から思っていたがケイオス卿は、素性を隠すことを徹底しているようだ。

本来、こうして身分の定かでない者がそれを徹底的に隠して我々の前に姿を現すことは許されない。だが、今日は特例だ。私があらかじめ、そう定めている。なので、この場で無礼だと声を荒げる者はいなかった。いたら逆にとても困る。いなくてよかった……。

「ようこそ、ケイオス殿。いや、ここはやはり慣れ親しんだケイオス卿と呼ばせていただきたい。……私はここレゴールの伯爵、ウィレム・ブラン・レゴールだよ。……こうしてあなたに会えて、本当に光栄だ」

『……ええ。私もです、レゴール伯爵。本当に』

ケイオス卿の声はやや感じ入ったように、少しだけ震えて聞こえた。私の願望がそう聞かせたのかもしれないが。

『申し遅れました。私は混沌の発明家ケイオス。名はあってないようなもの。とはいえ、どうか親しみを込めてケイオス卿とでも呼んでいただければ幸いです』

ケイオス卿はどこか気取ったような、道化のような恭しい礼をしてみせた。

……どの地方の、どの国のものでもない挨拶だ。これもまた、自らの素性を隠すための工夫なのだろう。

洗練されているようにも見えるし、無秩序な動きのようにも思える。なんとも言えない。

……ああ、嫌だな。

私はケイオス卿の正体を見破りたいわけではなかったのだが。どうしても節々が気になってしまう。

ケイオス卿はあらかじめ用意された席に案内され、そこに腰を落ち着けた。

長く広いテーブルの端、私の向かい側だ。我々と同じ朝食も用意されているが、仮面で隠す都合上食べるわけにはいかないだろう。飲み物もまた同様に。もちろん、それを咎めることはない。あくまでこの食事は形式上のものだ。

「さあ、ケイオス卿はこちらに。サリー殿の席もあるが……」

「僕は結構です。帯杖の上、ケイオス卿の後ろで待機させてください」

「ああ、それが良いだろう」

私は彼と話したいがためにこうして近くの場所に席を指定させてもらったが、この近すぎる位置に関してはうちの者と揉めた。

さすがに危ないのではないか。せめて近くに護衛を置くべきでは。……普段は仕事にほとんど口出ししないステイシーさんからも言われてしまったほどだ。

でも、私はケイオス卿を信じている。そして、私は彼の近くで話を聞きたいのだ。

「……こうして直接会えたことが、本当に嬉しいよ」

『私もです。伯爵』

彼の身にまとう衣装からは、強い香草の香りがした。……ローリエだろう。よく見れば、衣装の内側がローリエの枝葉によって飾られている。おそらく動物対策だろう。体臭を強い香りでかき消しているのだ。きっと精油か何かも使っているに違いない。

『ご結婚、そして奥方のご懐妊。あらためてこの場でお祝いをさせていただきたい。おめでとうございます、伯爵』

「ああ、手紙でも受け取ったよ。ありがとう。順調にいけば、出産は夏前になる。とても楽しみなんだ」

『夏前……なるほど』

「それもこれも、ケイオス卿がこの街に新たな文化の風を吹かせてくれたからだよ。……本当にありがとう」

お互いにお礼を言い過ぎだろうか。いや、けれど私はずっと、こうして直接言いたかったのだ。

今だけはしつこいくらい、言わせてほしい。

……が、中には少なからず、ケイオス卿に対する疑義を持つ者はいる。どうしても。

「なるほどケイオス卿。ここ発明都市レゴールにおいては、その名を知らぬ者はほとんどおりますまい。……しかし、我々はケイオス卿の正体を何一つ知らない。そちらの 女神(ヒドロア) のような方が果たして本物のケイオス卿なのか……? レゴール伯爵と違って交流の薄い我々のような者は、正直に言って信じがたく思っているのだ」

そう、こんな風に。……彼は王都からの来客だ。レゴールと敵対しているわけでは決してないが、宮廷貴族には彼のようにケイオス卿を疎ましく思う者が多い。

「確かに、この者がケイオス卿だという証拠がない……」

「ケイオス卿を騙る者が多いのは事実だな」

「どうだろうか。ここにいる者に正体を明かしてみては。そうすれば我々としても、納得が……」

貴族の一部がそのようなことを言い始めたその時、ケイオス卿は胸元から一枚の手紙を取り出した。

特徴的な刻印。そして縞模様の手紙だ。その意味がわからぬ我々ではない。先程まで流れを変えようとしていた貴族たちも黙り込んでしまった。

『これは臭気や小動物の逆流を防ぐ排水管に関するちょっとしたアイデアです。私の名刺代わりとして、是非お受け取りください』

私に手渡されたものは、ケイオス卿の手紙。

見返りを求めず、ただ発明品の提案を封書にして贈るだけのもの。

……なるほど、紛れもなく本物だ。中身は試作を経てになるだろうが、これもきっと何らかの光明を見ることになるのだろう。

「“我はこの智慧が広く普及することを望む”。……ケイオス卿、手紙の内容はこの場の皆に共有してもよろしいかな?」

『是非』

「おお、ケイオス卿の……」

「我々にも?」

「それはまた……」

「うむ、わかった。では、この場で手紙の内容が気になっている者もいるだろうが、後ほど中身を複製して皆にお渡ししておこう」

手紙一通。それだけで、この場にいる貴族たちはケイオス卿への無粋な追及をやめてしまった。今では渡された手紙の内容に関して、小声で会話などを交わしている。これが自分たちにどのような利益を齎すのかが楽しみなのだろう。

そうだ。ケイオス卿の証明など、ただこの手紙ひとつだけで十分なのだ。

彼には無数の知識と、智慧がある。まるで未来からやってきた人間のように、豊かで洗練されたものが……。

「……私は、そうだな。ケイオス卿、あなたから多くのものを受け取った立場だ。だから、私はあなたの意向を可能な限り尊重したいと考えている」

『……』

「あなたはきっと、栄達や出世などを望んでいないのだろう。あなたの行動指針は手紙に書かれている文章そのままだ。“我はこの智慧が広く普及することを望む”……本当にそれだけのために、ケイオス卿。あなたは数々の知識をこの街に、この国に与えてくれた。……だからこそ、私はあなたの望みを可能な限り叶えることでお返ししたいんだ」

ケイオス卿の白い仮面を見る。そこに表情はない。

彼は、もしくは彼女は、ただ座って足を組み、静かに私と向き合っていた。

「私に何ができるだろうか」

『……』

僅かな時間、沈黙が大部屋を包みこんだ。

『レゴール伯爵、貴方の領地経営は素晴らしい』

「!」

『私は……知識による繁栄と自由を望む。逆に、腐敗と淀みを嫌悪する』

ケイオス卿が色とりどりの飾り布を撫でた。

『とはいえ、文明の進歩は一足飛びにとはいかないもの。急ぎ過ぎればそれは、社会に悪しき混沌を齎すことでしょう。私はそれを望まない。人の社会が、人の生活があってこそ。我々は生き、積み重ねることができるのだから。だからこそ……レゴール伯爵。私は今のままが良いと、そう考えているのです』

ケイオス卿の背後で、サリー殿が何か考えるように俯いている。

『あなたはこの街の領主として、素晴らしい仕事をされています。それ以上を求めることなど、私にはできません』

よくある褒め言葉だ。良い仕事をしている。伯爵として、一日の間に何度も聞くような言葉だ。

しかしケイオス卿より与えられたそれは、どうしてか私にとって、この世に生まれてから今までにおいて、最も光栄に思えるような言葉だった。

顔は見えず、声質すら偽っているというのに。どうして彼の言葉がこうも、私の心に響くのだろう。

『なので、レゴール伯爵。私は貴方が今の貴方である限り、貴方の街の繁栄を強く祈っています』

今の私である限り、か。

ああ、もちろんだとも。驕らないさ。

「私もだ、ケイオス卿。あなたが今のあなたである限り……私はレゴール伯爵として、あなたの味方だ」

そう、私達はこれでいいのだ。

お互いがお互いを相応しいと思えるようにあり続ける。それこそが、ケイオス卿。あなたの望みなのだろう。

私の心中を察したかのように、ケイオス卿は小さく頷いた。

「……だがケイオス卿。その繁栄がレゴール伯爵領に偏っているというのは、どうなのだね」

ああ、また彼か。王都の宮廷貴族は本当に……なんというか、困るなぁ……。

「そうだ。繁栄というのであれば、王都にこそ相応しいのでは……」

「発明品による影響が、余波が……少なからず、既存の経済機構に悪い影響を与えているのではないかね」

「先程から何を言っているのだ、貴様ら。王都にこそ相応しいだの悪いだの好き勝手に言いおって」

「そちらの王都からのお二方のケイオス卿への認識は相反しておられるようだが。一度方向性を話し合ってみてはいかがかな」

「何を……」

「やめたまえよ。この善き日に言い争うものではない」

「そうだ、客人の前ではしたないことだぞ」

良かった。大事にはならなそうだ。

……それぞれ思惑はあるだろうが、事前に何度も念入りに話を通したおかげか、ケイオス卿への高圧的な態度もほとんどない。

「うむ。そうだね、これだけ人数が揃っていれば、中には違う考え方を持つ者もいるだろう。わかるとも。……しかし先程も言ったが、私は。このウィレム・ブラン・レゴールは。今この時において、ケイオス卿の味方なのだ。もしケイオス卿に良からぬことを考えている者がいるのならば……速やかに、やめていただきたい」

テーブルにつく皆を見回した。

当然、ここにわかりやすく下心などを顔に出すような者はいない。何か企んでいる者が居たとしても、私に見破る術はないだろう。私の言葉も、果たしてどこまで力を持つことやら。

欲望は人の様々なものを鈍らせる。彼らが早まった判断をしなければいいのだが。

『……さて。皆様のご歓談に水を差してしまったことをお許しください。そろそろ街も賑わいましょう。私はこれより、精霊祭を見て回りたく思います』

「おや、ケイオス卿。もう行かれるのか」

「ううむ、いや、しかしケイオス卿が本物であることは証明された……」

「引き止めることも……」

ケイオス卿は立ち上がり、軽やかな足取りで出口へ向かった。私が釘を差した直後、今が最も穏やかに出て行ける好機だと思ったのだろう。

個人的にはまだまだ話し足りないのだが、仕方ない。

「アーマルコ、案内を頼む」

「かしこまりました。お二方、どうぞこちらへ」

『……ああ、そうだ。最後にひとつだけ、伯爵にお伝えできていなかったことが』

「うん?」

最後に扉をくぐる直前で、ケイオス卿は私に振り向いた。

『未来のことは私にもわかりません。申し訳ない』

「! ……なるほど、はあ、そうか……なるほど、わかったよ。教えてくれてありがとう、ケイオス卿」

『またいつか』

「うん、またいつか」

そしてケイオス卿は去っていった。何日も何日も心待ちにしていた機会であったというのに、あっというまの時間だった。

「なんとも、早いお帰りだな」

「……まるで王族の方々のような慌ただしさだ」

「フフッ」

「あれがケイオス卿か……」

「あれは男か? 女か?」

「それよりも彼は、いや彼女か? ケイオス卿は結局、何を考えていたのだ……?」

「自由、繁栄……悪しき混沌。抽象的なことばかりだ。結局、ケイオス卿が何者なのかもまるでわからない」

「背はそこそこあったな。男で間違いあるまい」

「複数人の発明家による名義だと思っていたのだが、違うのだろうか……いや、しかし今回のことで否定されたと考えるには時期尚早か……」

ケイオス卿が立ち去ってようやく、賑やかさが戻って来る。

うん、うん……話したいことあるよね。わかるわかる。私も今すぐ、誰かとケイオス卿について話したいくらいだよ。

しかし……。

「……未来から来た人間ではなかったのか……ううむ……」

私は、自身の予想が外れたことに少しだけショックを受けていた。

ケイオス卿。間違いなく未来の人間だと思ったのだがなぁ……そうかぁ、間違ってたかぁ……。