軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

失われた日常

「皆には迷惑をかけた。私の……未熟と、不勉強故だった。すまない」

ギルドに到着し報告を済ませた後、ブリジットは小さく頭を下げた。

森の中でキンキンに冷えていた鎧もなんとか常温に戻して着込み、彼女は既にいつでも帰れる姿になっている。

……報酬を渡された時の呆気に取られていた顔はあれだな。すごかったな。

ブリジットの中では「もらっても良いのか?」という思いと「しっかり満額もらえてこれ?」という思いがあったことだろう。実際、今回の任務はショボ過ぎて誰もやらないレベルだからな。

もちろんブリジットのために用意された虚無なお仕事ではあるが、報酬額そのものは正規に算出されたものなのだから世知辛い。

やっすい宿に泊まって不味いポリッジを飲めるかどうかってとこかね。

「私は……家に戻り、もう一度家族と話すことにする。仕事についても、よく考えるつもりだ」

「そうしなさい。……貴女に合った道を、選べると良いわね」

「うむ。シーナ、貴女には助けられたな」

シーナは薄く微笑んでいた。

ほとんど故意で挫折させた相手にこのスマイル……すげー役者だよ。俺なら自責の念に負けて泣きながら「ごめんなぁ……!」とか言っちゃいそうだもん。

「もしも……あらゆることが駄目になって、何もかも失って路頭に迷うようなことがあったなら……ブリジット、その時はアルテミスを訪ねてきなさい」

「……ありがとう、シーナ」

そうして、別れを告げたブリジットは貴族街の方へと帰っていった。

彼女の後ろ姿が見えなくなると、俺たちは示し合わせたわけでもないのに揃ってため息を出した。

いや、疲れるよこれ。ブリジットも大変だったろうけど、心労が……。

「本当に……気の進まない仕事だったわね」

「ほんとっスよ……」

「可哀想だよねぇー……仕方ないんだろうけどさぁ」

面々の中で平気そうな顔をしているのはナスターシャだけだ。さっきから興味なさそうに爪をいじっている。

人の心とかないんか……?

「けどね、ギルドマンなんてあのくらいの歳でなるもんじゃないよ。せっかく良い仕事があるんだから、まずはそっちで頑張るのが普通だよ。私の子だったら引っ叩いてるね」

まぁ、確かに。家庭を持つ母であるジョナにそう言われると、正論だなーと思う。親心としてはそうだよな。

……続けられるかどうかは本人の心持ちによるところがデカい。

貴族の護衛騎士なんて大変そうな仕事だけど、やれるとこまで頑張ってみてほしいもんだな。無責任な考え方だけども。

「やれやれ。アルテミスの仕事は大変そうだな」

帽子を脱いで、包帯をスルスルと解く。

頭を覆い尽くす格好も冬場は悪くないけど、いつもと違うのは落ち着かねえや。

「モングレル先輩、この後うちらのクランハウスでお風呂入るんスよね?」

「ああ。けどその前に宿に戻らせてくれ。一度お湯をもらって来て身体拭いてくるわ」

「……? え、お風呂入るんだよね? なんでその前に身体を洗うの?」

「知らんのかウルリカ、よそ様の風呂に入る前には身体を綺麗にしておかなきゃいけないんだ」

「……???」

「聞いていた以上に変人なのね」

こらシーナ、そういう言い方は良くないぞ。

それに、準備する物だって色々あるからな。

「では、ここで解散だな。私は先にクランハウスに戻っていよう。湯の準備はしておくぞ」

「ありがてぇ。んじゃまた後で」

さあ、退屈で辛い時間はここまでだ。

久々のお湯を張った風呂、全力でエンジョイさせてもらうぜ!

「というわけではい、お風呂借りに来ました」

「早っ! 走って来たんスか!?」

「楽しみすぎて走ってきたわ」

「宿屋で身体流したのになんで走って汗かくんスか……いや別に答えなくて良いスけど……」

アルテミスのクランハウス前ではライナが矢羽を割いていた。もう薄暗いんだから中に入ってればいいのに。

「ナスターシャさーん、モングレル先輩来たっスー」

「早いな。こっちに案内してくれないか」

「うっスー」

廊下を歩き突き当たりの方へ行くと、そこに「風呂」の看板が掛かった部屋があった。

中からは炎がボボボと揺れる音が聞こえている。どうやらナスターシャがここにいるらしい。

「中入ると脱衣所で、その奥がお風呂っス。モングレル先輩は綺麗好きなんでそんな心配してないスけど、くれぐれも汚さないように使って欲しいっス」

「わかってるさ。アメニティは一通り持ってきたし抜かりはねえ」

「アメ? まぁそんな感じスかね。じゃあ、あとはナスターシャさんにお任せするっス」

忙しそうに廊下を走っていくライナを眺めてると、なんか和むな。

前世であんな女子にマネージャーやってもらいたかったわ。運動部入ってなかったけど。

「お邪魔しまー……おおー、すげえ湯気」

「ようこそ、モングレル。既に湯を沸かしたから、あとは入るだけだ。……パーティーメンバー以外を入れるつもりはなかったのだがな」

風呂は、俺の予想を良い方に裏切ってくれる出来栄えだった。

まず、ドラム缶風呂のような小さな物ではない。現代の家庭用のバスタブと同じ、足を辛うじて伸ばせる横長の造りだったことに驚かされた。

そして金属製ではなく、石造り。やべえ。露天風呂みたいでテンション上がる。

「……この、湯船の壁に埋め込まれている金属製っぽいこれは……」

「これか。これは私が開発した、魔法使い用の湯沸かし機構……とでも言おうか」

「開発!?」

俺が驚くと、ナスターシャは得意げに口元を歪ませた。

「この中に生み出した火魔法の熱を、湯船の水に効率よく伝えるためのものだ。……私の腕前では、これを沸かすだけで魔力は尽きるがね。余裕のない時は焼き石を湯船に放り込んで足してゆく」

「いや……これは凄いな。凄い発明じゃないか」

「……ふ。ケイオス卿ほどでもあるまい。火魔法使いがいなければ扱えない器具など、売り物にはならんさ」

得意げなナスターシャの袖はずぶ濡れだ。沸かす作業中はどうしても濡れてしまうらしい。多分湯船の壁面についた器具でどうにかするせいだろう。

だが人一人で風呂を沸かせる。それだけですげえ発明だと思う。

もうお前がケイオス卿やったら良いんじゃないか?

「さて、私の仕事はひとまず終わりだ。あとはゆっくりと楽しむがいい。……モングレル、今日は助かった。礼を言う」

「気にするな、こっちこそ礼を言わせてくれ。ありがとうナスターシャ」

俺は荷物をまさぐり、そこから一本の陶器瓶を取り出した。

「……モングレル、それは?」

「これは中で飲むための冷やしたエール」

「……」

「そしてこっちの瓶が、風呂上がりに飲む冷やしたミルクだ」

ナスターシャは笑いを堪えるように静かに口元を押さえ、しばらくしてから誤魔化すように苦笑してみせた。

「喜んでもらえて何よりだ。風呂の中で溺死するのだけはやめてくれよ」

「もちろん」

そう言って彼女は脱衣所から出て行った。

残されたのは俺一人。

……久しぶりの、温かな風呂だ。

「……ッ!」

ガッツポーズ。そして超速脱衣。

そして何度か湯船のお湯で体と頭を流した後……中にドボン。

「……ぁあ〜〜〜」

全身が熱に包まれ、これまで深く意識することもなかった肌の細かな傷がヒリヒリする。

痛いといえば痛い。だがこれこそが、気持ちの良い痛みというやつなのだ。

桶に張ったお湯だけでは拭えなかった何かが湯船に溶けていくこの感覚。

その反面、顔に感じる冬の寒さ。

全身に感じる何もかもが懐かしく、涙が出そうになる。

俺は誤魔化すように陶器瓶を呷り、またじじくさい息を吐いた。

「あ〜……エールがうっすいなぁ……」

この国に温泉はないらしい。少なくとも、俺の調べた限りでは。

あるとしたら連合国か、聖王国か……俺のスケールじゃ、遠い果ての果ての話だ。そもそもあるかもわからない。

食は工夫できる。衣類も自分用だけならどうにか誤魔化せる。

住環境も寝泊まりだけなら苦労することはない。

だが、風呂は。前世で当たり前のように入っていたこれだけは、あまりにも価値や重みが違いすぎた。

水と燃料の壁のなんと高いことよ。

だが俺は今、どうにかここで湯船に浸かれている。

「帰りてえよ……」

普段は絶対に出さないようにしている弱音が漏れるくらい、この時の俺は脆く、熱い湯に溶かされていた。

間違いなく幸せな一時ではあるはずなのにな。