作品タイトル不明
18、悪い運ではなく幸運の方でした
S級トップの冒険者が身を乗りだした。
「マリちゃん? 初めまして。ありがとうね、君のおかげで七千年の苦労が報われそうだよ。ところで、ちょっといいかな? マリちゃんの発音が故郷の言語に似ているんだ。わずかにね、イントネーションとかアクセントに訛りがあるんだよ。俺ね、聴覚が皆より千倍くらい発達しているんだ」
期待をするように、半分諦めるように、眼差しを揺らして言った。
「…………俺の名前を言えるかな? 俺の名前は凌霄花だよ」
「凌霄花さん?」
グッと凌霄花は唇を噛んだ。
全身に震えが走る。
家族から呼ばれ、友人から呼ばれ、一族から呼ばれていたのに、七千年間、誰からも正確に呼ばれたことのない名前であった。
「そうだよ、凌霄花だ。俺の名前はノーゼじゃない。凌霄花なんだ」
「綺麗なお名前ですね。私の故郷では夏に咲く花の名前なんです。樹勢が強くて、鮮やかな花色で、鳥や蜂が集まる蜜があって、薬にもなるんです。実は私の名前も花の名前で、マツリカ、茉莉花と言うんです」
「花の名前……? そうなんだ。じゃあ、他にも言えるかな? 花蘇芳、鬱金香、遊蝶花、浜万年青、大待宵草、鵞毛玉鳳花、草珊瑚」
「花蘇芳さん、鬱金香さん、遊蝶花さん、浜万年青さん、大待宵草さん、鵞毛玉鳳花さん、草珊瑚さん」
凌霄花の耳に届く名前は、七千年ぶりに聞く家族や親友の名前だった。慕わしく、懐かしい。過ぎし日が蘇って胸をほんのりと春の陽だまりのように温めてくれる名前であった。
凌霄花は両手で顔を覆った。
もっと言って欲しい名前がある。
もっと聞きたい名前もある。
しかし喉が締めつけられたかのように息が詰まり、言葉が出なかった。
「……ありがとう。茉莉花ちゃん」
涙とともに凌霄花がかろうじて絞り出した声はか細かった。
バッと音が鳴るような勢いでジークが凌霄花を凝視した。
すかさず土下座をする。なりふり構わずジークは額を地面につけた。
「師匠になってください! 俺もマリをきちんと呼びたいのです!」
一方、冒険者たちは皇帝からカツアゲにあっていた。
白い髪の冒険者のポケットからうさ耳がピョコっと覗いているのを見た皇帝が、
「見せろ」
と命令をしたのだ。皇帝は絶対権力者である。
仕方なく白い髪の冒険者が、ちびマリちゃんうさ耳キラキライヤリングバージョン人形を皇帝に献上した。
「可愛いな。オレの番は可愛いものが好きなのだ。虹の彼方で番と再び会った時に色々と話せるようにオレも可愛いものを収集しているのだ。貰うぞ」
ヒュン。と、ちびマリちゃんが消えて代わりに大きなダイヤモンドが皇帝の手に乗っていた。皇帝は収納持ちであった。
悲痛な表情の冒険者に大きなダイヤモンドを皇帝が握らせる。
悪意も悪気もない、理不尽な権力の使い方の見本みたいな皇帝であった。帝国では神のごとく崇め奉られているので、周りからどう見られているのか計算することもない。人形の百倍くらいの価値があるダイヤモンドならば代価となるだろう、と単純に皇帝は思ったのだ。
無表情になった白い髪の冒険者がダイヤモンドを見て、それからチラッと他の冒険者たちのポケットへと視線を走らせた。
死なば諸共。
地獄への道連れは多い方がいい。
他の冒険者たちが「売りやがったな!」と察知したが、もう遅い。後方にいた冒険者たちは音も気配もなく走り去っていたが、前方にいた冒険者たちは逃げることができなかった。
「出せ」
無情な皇帝の命令に選択の余地なく冒険者たちが従う。
「ほほう? なかなか可愛い人形ばかりだ」
皇帝の手にダイヤモンドの小山が出現する。
絶望的な顔を冒険者たちがした時、わざとギルド長が皇帝の邪魔をした。
「そろそろ行くよ。コイツを牢獄に入れることの方が優先だ。その人形はヴァイリカスにあるから後であげるよ」
「わかった、よし、転移しよう」
あっさりと皇帝が踵をかえした。この後、帝国では皇帝陛下お墨付きちびマリちゃん人形が爆発的に流行することになるのであった。
「ノーゼたちも転移するよ。牢獄の順番を決めないと」
「ああ、そうだな。茉莉花ちゃん、君は俺にとって幸運の女神だよ。またね」
凌霄花が名残惜しそうに手を振った。
「腕輪をありがとう。後ほどお礼に行くよ、幸運の女神よ」
賢者が優美な所作で頭をさげる。
ふわり、と空気が動く。
ギルド長たち五人が金髪の青年を引きずって風を巻いて転移した。
ギルド長、一生ついていきます! 冒険者たちは心を一つにして両手を組んで感謝を捧げる。
「俺のうさ耳ちびマリちゃん……」
白い髪の冒険者だけが地面に四つん這いになってシクシクと嘆いた。
「ヴァイリカスに帰ろうか」
ジークは優しく茉莉花と手を繋いだ。
嵐のような出来事の連続であったが、結果は最良で終わった。心配の種だった〈声の主〉も茉莉花の前から消え去った。
問題はまだ残っているが、ギルド長、賢者、凌霄花が強力な味方になってくれるのは確実である。
人化して息を吐き出し、ジークは緊張の解けた身体から力を抜いた。足が軽い。整った顔立ちには、太陽を孕んだ雲が空の底を輝かせるような明るい笑みが浮かんでいた。
「凌霄花さん、ヴァイリカスに来てくれるって言ってましたね」
「師匠になってくれると約束した。必ずマリの名前を呼べるようになるからね」
「はい。私は茉莉花です」
「……マ、マツリィーヵ? 特訓するよ。正確に呼べるようになったら求婚するからね」
とろけるみたいなジークの熱い眼差しに茉莉花が頬を染める。
茉莉花は思った。
シンデレラのドレスも靴も12時になったら消えて、シンデレラ自身も王子様の手から逃げたけれども。
私は違う。
シンデレラのように、王子様みたいなジークと素敵な時間を過ごすのは同じでも、違うのは、今日が終わっても消えるものは何もないこと。
ジークに買ってもらった服も靴も消えたりしない。
私もジークの前から12時になっても消えない。
そうして。
明日もいっしょにいるのだ。
「成仏しなくて良かった」
「え、何?」
「ううん、何でもない」
くすくすと茉莉花は嬉しくなって笑う。
ジークも笑った。冒険者たちも。
そして。
茉莉花とジークと、冒険者たちは楽しく喋りながら賑やかにヴァイリカスへと向かって歩いていったのであった。