軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9 未練なんてとっくの昔に

ロウェルにアドルファスの話をしたからだろうか。その晩、久しぶりに彼の夢を見た。幸せだったあの夜の夢を。

夢の中で私は、彼に強く抱きしめられている。

恋い焦がれた人と結ばれた喜びと、胸に疼く痛みが混ざり合い、目尻に涙が滲む。

頭の芯が痺れたようになり、何度も夢と現を行き来するうち、きつく蓋をして押し込めていた気持ちが不意にこぼれ出た。

『ごめ……ごめんなさい……』

『……なぜ謝る?』

耳元で響く低い声が予想外に優しくて、心の蓋はさらに緩んでしまう。

『好きになって、ごめんなさい……』

彼が深い青の瞳を見開くのが、滲んだ視界に映った。

『あなたが俺を好き……と、そう言ったのか……? ああ、本当に? ……いや、たとえこの場限りの嘘でも構わない。どうかもう一度言ってくれ、その唇で……』

『好き、好きなの、デュアー将軍……』

ぽろりと零れた涙を彼の指が掬い取る。

掠れた声が耳元で囁いた。

『名前を呼んで。アドルファス、と』

『アドルファス……アドルファス、好き、好き……!』

『……っ! 俺もあなたが好きだ、ロザリンド。俺の方がずっと、ずっと……!』

私を抱きしめる彼の手に力がこもる。苦しいほどに、強く、強く。

『好きだ、愛している、ロザリンド、たとえあなたが俺を嫌っていても、俺はあなたが……!』

次第に熱を帯びていく彼の声が、私の胸を震わせる。

『これからは俺があなたを……この世の全ての悪意からあなたを守る。だからお願いだロザリンド、どうかずっと俺の腕の中に……!』

ひときわ熱い波が押し寄せる。

それを受け止めた私の意識は、溺れるように幸福の海に沈んでいった。

ハッと目覚めると、早朝の薄明りの中、すっかり見慣れた天井が視界に映った。隣に目をやれば、すやすやと眠るロウェルのあどけない顔。

(んぎゃ~! またあの夜の夢を見てしまった~~!)

気恥ずかしさに火照った顔を両手で覆ってジタバタと見悶える。あ、もちろんロウェルを起こさないように、こっそりと。

三年も経っているというのに、いまだに繰り返しあの夜の夢を見る。そして、幸福感の名残が切なくて、泣きたいような気持ちで目覚める。

……いや、これは私が煩悩の塊だとかそういうことではなくてですね、単にアドルファスとの思い出がそれくらいしかないせいだと思うんですよ。うん、そうです。そうに違いない。

(いやそれにしても今回の夢はちょっと盛りすぎというか……)

好きだとか愛してるとか守るとか、なんか記憶にない台詞がバンバン登場していた気がする。

(え、やだ、それって私の願望ってこと? いやいやいや、あれからもう三年も経ってるんだよ⁉ とっくの昔に未練なんか捨てたはずでしょ私……⁉)

悪妻はさっさと退場しよう。そう決めて、結婚からわずか五日でデュアー伯爵家を飛び出した私だけど、決断までに全く迷いがなかったと言ったら嘘になる。

だって、前世ではウェブ小説を読み漁るのが趣味だったのだ。

悪役に転生した主人公の物語も数えきれないほど読んだ。

むしろ最近では、悪役に転生したところから逆転してハッピーエンドになる方が王道だということも知っている。

だから、ちらっと、本当にちらっとだけど、考えなかったわけではない。

私が悪妻らしい行動を取らなければ、アドルファスとちゃんと夫婦として思い合える未来もありうるんじゃないかって。

だけど、そんな考えは封印することにした。

原作カップルを壊したくないとか、処刑を回避したいとか、そういう気持ちがあったのも嘘ではない。

だけど一番の理由は、アドルファスを振り向かせる自信がなかったからだ。

だって私は、王女としての価値もない、出来損ないの嫌われ王女。

一方、いずれ現れる物語のヒロイン、リリアナは、それはもう素敵な女の子なのだ。

その名にふさわしく百合の花のように可憐で清純な容姿。ドアマットヒロインだけあって、性格は真面目な努力家。

その上リリアナは、とある事情から特別な才能を秘めていて、それがヒーロー、アドルファスの愛によって開花するのだ。

そんな特別な存在を――物語のヒロインを差し置いてアドルファスに選ばれるなんて、そんな夢みたいなことを考えるには、当時の私の自己肯定感は低すぎた。

あれから三年経ち、少しは自分のことが好きになれたと思う。

この辺境の町には、私の悪評を知る人なんて一人もいない。

家族同然のダンさんとハンナさんもいる。

そして何より、私にはロウェルがいる。

(さてっと。今日もお仕事頑張りますか!)

ロウェルを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、素早く着替えを済ませる。

小さな鏡台の前に座り、赤毛を丁寧に梳かし、一つにまとめてポニーテールにする。

身支度の最後に、私が持っている唯一の装飾品、銀のネックレスを身につけた。ネックレスに通した結婚指輪は、三年前と変わらず私の胸元で輝いている。

(すっかり御守り代わりになっちゃったな……)

王都から辺境までやって来た時も、初めてリコリス亭で働いた時も、それからロウェルが生まれた時も。

お風呂と寝ている間以外はいつも身につけていたもんだから、もはや身につけていないと落ち着かないまでになっている。

(そう、ただそれだけのことで……)

アドルファスに未練があるとか、そういうわけではない。

(ないったらないの!)

深い青の宝石を指先でそっと撫で、私は指輪を服の中に仕舞い込んだ。