軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9. 傷跡は業ではない

ハルの手を握ったユフィは、自分の手を包み込んでいる彼の大きな手を見下ろした。包帯が巻かれたその手は, 傷口から流れる膿のせいでじっとりと湿っていた。体は熱に浮かされて熱いというのに, 重なり合った手は薄気味悪いほどに冷え切っている。

(手が冷たすぎる……。血が巡っていない証拠だわ)

滞った血が流れなければ、傷口からじわじわと腐敗が始まってしまう。そうでなくとも体力は限界まで落ちており、回復の遅い患者だ。これ以上の容体悪化は、最悪の事態を招きかねない。

(ここは魔女の村。決して, 誰一人として死なせてはならない場所)

解熱剤と鎮痛剤の比率を調整し, 抗炎症剤を追加で処方しなければならないだろう。

(体力をつけるためには何か食べさせたいけれど……)

患者に合う薬膳料理を考えながら、まるで自分の手が命綱ででもあるかのように縋り付いている彼の手を、ユフィは慎重に離した。

そして湿った包帯を解き、傷を拭っていると、濁っていたハルの視線に少しずつ鮮明さが宿り始めた。彼はうつろな声で彼女の名を呼んだ。

「ユフィ……ネル……。ここで、何を……」

実に久方ぶりに聞く自分の名に, ユフィが黙って視線を向けると, ワンテンポ遅れて彼の瞳が見開かれた。そして自分の手が彼女に触れていることに驚いたのか, 慌てて手を引こうとした。ユフィはその手をしっかりと掴み, 彼の言葉を遮るように告げた。

「ユフィです。包帯が濡れて不快でしょう? すぐに替えて差し上げますね」

「構わない。いや、結構です。あなたの手を汚すわけにはいかない」

淡々とした彼女の返答に, ハルは急いで手を引き剥がそうとした。初日以来ずっと昏睡状態にあったせいで, ユフィが一日に何度も彼の包帯を替えていたことを知らないのだろう。彼女の治療を拒むその姿にユフィが小さく溜息をつくと, ハルの動きが止まった。

赤紫色の瞳には、困惑と罪悪感の入り混じった視線が浮かんでいた。ユフィは彼の手を自分の方へと引き寄せながら言った。

「ハル。あなたに触れたからといって、私の手が汚れることはありません」

「……そういう意味ではありません。被曝は医者ですら忌み嫌う汚れた刻印であり、私が犯した罪に対する業なのです」

「罪に対する業?」

「ええ。これ以上、あなたに忌まわしい記憶を刻みたくはありません。私はあなたが手を差し伸べる価値さえない人間なのだから……」

聞こえるか聞こえないか。途切れ途切れに続く彼の言葉は, 被曝患者から幾度となく聞かされたものと同じだった。彼の手の皮膚は後遺症で大半がただれていたが, その隙間には深く斬られ, 突かれ, 焼かれた傷跡が幾重にも混じり合っている。

(戦場に出て……)

誰よりも勇猛に戦った証だった。国のため、民のため、領地のため、あるいは家族のため。

それでも、彼らの労苦に感謝する者はいない。いや, 最初は感謝の心があったのかもしれない。だが, 時間が経つにつれて悪化する傷と凄惨なトラウマは, 次第に人々の心を利己的なものへと変えていく。

戦争という「利用価値」が終われば, 軍人は厄介者にすぎなくなる。負傷し壊れた軍人ならなおさら, 死を願われ冷遇されるだろう。

数多の軍人たちが死を求めて, この辺境の村へと流れ着いた。戦場に立ったことのないユフィが彼らの心を「理解している」と言えば, それは嘘になるだろう。しかし、蔑まれ, 嘲笑われ, 体よりも先に心が死んでいくその心境なら, 誰よりもよく知っていた。

「ハル。あなたが命を懸けて国を守ったことを、私は知っています。あなたのおかげで、私たちは無事に生きてこられたのです」

傷だらけの手を、彼女の柔らかく温かな手が優しく撫でる。凍てついた彼の手へ, 重なり合った手を通じてぬくもりが染み込んでいった。

「ハル。あなたの傷がいかにあなたを追い詰めようとも、他人のために戦ったあなたの心まで侵食することはできません」

誰かがやらねばならなかった仕事。誰かが手を汚したからこそ, 多くの人々が清らかさを保つことができた。

ここは魔女が創った規律の村であり、傷ついた英雄たちが安息を得られる最期の場所でもあった。雨の降る暗い空の下でも、ユフィの瞳は青空のように澄み渡り、鮮明だった。

「ハル。心を削りながら命を賭して国を守ったあなたは、誰よりも気高い人です。そんなあなたを治療できるのは光栄なこと。ですから、治療を拒まないでください。生きることを諦めないで」

「だが、私は、君に……」

「あなたが抱える傷は業ではありません。あなたの犯した罪が、あなたの功績を曇らせるわけではないのです」

顔を上げたユフィが、ハルと視線を合わせた。

「私はあなたに生き延びてほしい。あなたの幸せを願っています」

「……っ」

頬を伝い落ちる涙が傷口に触れないよう, ユフィは手を伸ばしてそれを拭った。言葉を紡げぬまま涙を流すだけの哀れな患者は、一体何を考えているのだろうか。

何を考えていようと、これ以上治療を拒まないでほしい。

――手間がかかるから。