軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

25. 異変

暖かな胸に抱かれて心を落ち着かせること、どれほどだっただろうか。永遠にこの腕の中にいたいという気持ちと、一刻も早くこの腕から抜け出したいという気持ちが衝突した。

薄い息を吐き出したまま目を閉じていたユフィがゆっくりと彼の体を押し戻すと、彼が徐々に腕から力を抜いた。

彼女が望まないことは決してしないというその立ち振る舞いに安堵しながらも、どこか寂しさを覚える自分自身に呆れてしまう。

(認めるべきことは認めるとしても、それ以上は駄目よ)

ユフィは相反する二つの感情を理性で抑え込みながら言った。

「ハル、ありがとう。おかげで落ち着きました」

「もう大丈夫か?」

「ええ。もう何ともありません」

「私が少しでも役に立てたのなら幸いだ。時間が遅い。もう休んだ方が……」

乱れたユフィの髪を愛おしげにそっと撫で下ろしながらハルが言った。しかし、彼の言葉は、何かが砕け散る鋭い音にかき消されて最後まで届くことはなかった。

驚いたユフィが反射的に音のした方へと視線を向けると、自分の部屋の窓が激しく叩き割られているのが見えた。

そして、割れた窓の向こうには……。

「シフ?」

ユフィが呆然とシフの名前を呼ぶと、シフのあまりにも赤い眼差しが彼女を捉えた。濁った光を湛えて爛々と輝くその瞳には、歪んだ衝動だけが満ちているように見えた。滴る唾液が、割れたガラスの破片の隙間からぽたぽた、と流れ落ちた。

背筋が凍りつくような悍ましい殺気を感じると同時に、ハルがユフィを抱き寄せた。そして床に置かれていた木剣を足で蹴り上げて手に取ると、シフの方へと突き出した。

「ハル?! 何をする……」

「動かないで」

低く響く彼の声に、反射的に身体が強張った。大きく見開いた目でハルとシフを交互に見つめること、しばし。生臭い息を吐き出していたシフが、突如として身を翻すと、そのまま森の中へと猛スピードで駆け去っていった。

「一体、何が……」

何が起きているのか、まるで理解が追いつかない。ユフィが当惑したように瞬きをしていると、ハルが真剣な眼差しでシフが駆け去った方向を見つめた。

「どうやら、慎重な調教師がようやく行動を開始したようだな。ユフィ、君はここに……」

「シフは私の使い魔です。私も行きます」

ハルの言葉が終わるよりも早く、彼女が強い口調で遮るように答えると、彼女を見つめていたハルは深く頷き、即座に身を翻して走り出した。

ハルほど速く走れるわけではなかったが、ユフィもまた、この二年間を森や山を駆け回って体力を培ってきたのだ。

いくら魔法で一定の体力を確保しているとはいえ、病人に遅れをとるなどあってはならないことだった。

幸いなことに、森にはシフが駆け抜けた痕跡が数多く残されていた。へし折られた木の枝には、黒ずんだ血痕がそこここに付着している。

操られているせいだろうか、自らの傷を省みることなくただ突き進んだようなその痕跡を目にするうちに、ようやく落ち着きを取り戻しかけていた彼女の心が、再び激しく揺らぎ始めた。

(よくも。私のものを。こんな目に……)

瞬間、視界が鮮明に明るくなる。無意識のうちに魔法を扱ったユフィは、ハルをも追い抜く速度で駆け抜け、森を飛び出した。シフが向かった先は、大迷宮の入り口であり、かつてシフが無残に捨てられていた、あの開けた広場だった。

(どこにいるの? 私のシフはどこ?)

身体に過度な負荷がかからないよう徐々に速度を落としたユフィが、広場の周辺へと視線を巡らせた。赤く染まる視界の向こうに、いくつもの生体反応が捉えられる。ハルがすぐ後ろまで追いついてきた、まさにその瞬間だった。

「ユフィ、頭を下げろ!」

ハルの声に反射的に身体を丸めると、彼女の頭上に巨大な影が覆いかぶさった。木剣を振り上げたハルが、シフの前足を辛うじて受け止めた。

「くっ……」

しかし、細い木剣だけで狼の圧倒的な質量をすべて受け流すことは到底不可能だった。木剣が鈍い音を立てて叩き折られるのと同時に、シフが尾でハルを強く弾き飛ばした。

吹き飛ばされたハルの身体が、無残に地面を転がった。

「ハル!」

見事な受身をとったのか、ハルはその場ですぐさま立ち上がった。その瞬間、ハルを阻むようにして暗闇の中から獣たちが次々と姿を現し、彼に向かって牙を剥いた。

(数が多すぎる……!)

ハルに襲いかかる獣の数だけでも、優に七頭は超えていた。まともな武器すら持たない今の彼が、一人で相手にできる数ではない。

ハルを援護するためにユフィは歩みを進めたが、ほんの数歩も進まぬうちに、動きを止めざるを得なくなった。

毛を逆立てたシフが、彼女の目の前に立ちはだかったからだ。

「シフ」

[……]

焦点の定まらない瞳をしたシフがユフィに向かって牙を剥き出しにすると、そのまま彼女に向かって飛びかかってきた。

間一髪のところで身をかわしたものの、シフは「兵器」と呼ばれるにふさわしい凄まじい力を秘めた獣だ。

このままではユフィ自身が命を落としかねない。かと言って……。

(魔法を使うわけには……)

シフは手加減をしながら相手にできるような生易しい存在ではない。しかし、だからといってユフィがすべての力を解放してしまえば、シフは確実に死に至るだろう。

使い魔は、決して主人を裏切ってはならず、攻撃を仕掛けるなど言語道断の規律。その絶対的なルールが破られた以上、ユフィがシフを処分したとしても何ら問題はなかった。

それでも、ユフィにはどうしてもシフに手を下すことなどできなかった。ユフィにとってシフは、リベリカと同じくらい……いいえ、それ以上に、かけがえのない大切な存在だったのだ。

傷つけたくない。死なせたくない。そのためには……。

ユフィの鋭い視線が、暗い森の奥をくまなく探った。すると、それほど遠くない木々の隙間に、人間の人影がぼんやりと浮かび上がった。

ある程度の安全が確保された距離から、悠然と佇んでこちらの窮地を観賞している、その卑劣な輩に対して、激しい殺意がふつふつと湧き上がってきた。

(シフを連れ戻さなければ)

何が何でも、シフを元の姿に戻す。覚悟を決めたユフィは動きを止め、まっすぐにシフを見つめた。好機は一瞬。

シフが彼女を噛み殺そうと飛びかかってくる、その刹那の瞬間に合わせて魔法を発動できるよう精神を研ぎ澄ませた。

魔女にとって、肉体の負傷など些細な問題に過ぎない。シフを救えるのであれば、多少の激痛などいくらでも甘んじて受け入れるつもりだった。

「シフ、大丈夫よ。私が必ず守ってあげるから」

ユフィが無防備にそっと手を伸ばした。その無謀な行動に反応したシフが、彼女を噛み砕かんと猛然と襲いかかってきた。その瞬間。

彼女がいるべき空間に突如として現れた影が、シフの突進を真っ向から防ぎ止めた。

肉の裂ける生々しい音と共に、噛み千切られた腕が地面へと転がり落ちた。

「……!」

自身の片腕を失ったというのに、ハルは全く意に介することなく、残されたもう一方の腕でシフの首を強く締め上げると、そのまま地面へと激しく叩きつけた。

頭部を強打されたシフはまともに立ち上がることができず、ハルはそのシフをユフィの足元へと押し出すように転がすと、弾かれたように身を翻して森の奥へと猛烈に駆け出した。

瞬き一つするほどの、ほんの刹那の間に起きた出来事だった。調教師は一歩遅れて森の中へと逃げ込もうとしたが、ハルの速度がそれを遥かに凌駕していた。

首の骨が容赦なく圧砕される鈍い音と、短い断末魔の叫びが、同時に静まり返った森の静寂を引き裂いた。