軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編:名づけ

畑の広がるのどかな風景の中に、不釣り合いな洒落た馬車がやってきた。

だが作業をしていた領民たちは驚きもせず顔をほころばせて手を振る。

すると、車窓から笑顔で手を振り返すのは、紛れもなくこの土地の領主であるボッツェリ公爵夫妻だった。

以前なら――先の公爵の時代なら、領民たちはすぐに膝をついて頭を下げなければならなかったが、新しい公爵夫人からは、そのような挨拶は必要はないとのお達しがあったのだ。

それでも最初は半信半疑だった民も、公爵夫人が大鎌を持って自分たちと一緒に刈り入れを始めた姿を目にして信じた。――今までの厳しく偉ぶった貴族たちとは違うのだ、と。

しかも、それからもちょくちょく様子を見に来ては不自由していないか何か必要なものはあるかと気さくに声をかけてくれる。

領民たちは新しくやってきた公爵夫妻を受け入れ、敬愛するようになっていた。

今はもう貧しさに苦しむことも、反乱軍の拠点となって怯えることもないのだ。

それどころか、見たこともなかった農機具で仕事は楽になり、畑は広がり家畜は増えた。

貴族たちが狩りだ何だと馬で畑を踏み荒らすこともない。

領民たちの顔は明るく希望に満ちていた。

「オパール、ピクニックは楽しかった?」

「ええ。三日前までの雨の影響は川が少し増水しているくらいで、家屋にも農作物にも影響がないようでよかったわ」

「それはピクニックじゃなくて視察だよ、オパール」

「雨が特に強かった地域に誘ったのはクロードじゃない」

オパールが笑いながら文句を言うと、犬のクロードも「わんっ!」と鳴いて人間のクロードの膝に両前足を乗せた。

そのせいでクロードのズボンは乾いた泥で汚れる。

普段は行儀のよい犬のクロードだが、たまにこうして人間のクロードに悪戯するのだ。

「クロード……。お前、まだ足を拭いていないだろう。ジルに叱られるのは俺なんだぞ?」

わざとらしくため息を吐いて従僕に叱られるとぼやくクロードの顔には笑みが浮かんでいる。

堪えきれずにオパールは噴き出して笑い、クロードも声を出して笑う。

犬のクロードは「何がおかしいんですか?」と言わんばかりに首を傾げ、それがまたおかしかった。

その明るい笑い声に、馬車の外にいる御者や従者たちも笑顔になっている。

しかし、しばらく進んだところで、犬のクロードが尋常ではない声で吠えだした。

「クロード、馬車を止めましょう」

「ああ、そうだな」

外に向かって激しく吠えるクロードをオパールがなだめ、人間のクロードが馬車を止めてくれるように車外へ合図を送った。

そして扉が開いた瞬間、クロードが飛び出す。

「クロード!」

土手を駆け下りるクロードを追いかけようとしたオパールは、腕を掴まれ引きとめられた。

まだ踏み台も出されていないのだ。

「俺が行くから、オパールは後から来てくれ」

「ありがとう、クロード」

クロードは馬車から飛び降りると、あまり整備されていない土手を器用に下りていく。

その様子を心配げに見ながら、オパールも従者が用意してくれた踏み台を使って馬車から降りた。

犬のクロードは川岸までいくと、足踏みしながら中州に向かって吠えている。

川の流れの中で傾いている草を見るに、あの中洲は普段は陸続きなのだろう。

「中州に何かあるのか? あ、おい!」

「クロード!」

人間のクロードが追いついた途端、犬のクロードは川へと飛び込んだ。

従者が探してくれた歩きやすい場所から土手へと下りていたオパールも思わず叫ぶ。

流れはそれほど早くないが、やはり危険だ。

しかし、オパールたちの心配をよそに、犬のクロードはあっさり中州へと泳ぎ着いた。

そのまま茂みに顔を突っ込んで尻尾を振っている。

「何かいるみたいね」

「イタチかネズミかな?」

ようやく追いついたオパールに答えながら、クロードは辺りに落ちていた枯れ枝を拾って川へと突き刺した。

どうやら深さを測っているらしい。

「まさか渡るの?」

「何がいるか見てくるよ。どちらにしろ、あのやんちゃなクロードを連れ戻さないといけないだろ?」

「……気をつけてね」

「ああ」

用心深いクロードのことだから大丈夫なのはわかっているが、心配せずにはいられない。

従者たちも急ぎ追いかけてきたが、二人とも彼らに代わりに行かせることは考えもしなかった。

慎重に渡るクロードを、オパールは固唾を飲んで見守る。

実際はそれほどの距離ではないのだが、だからといって安心できるわけもない。

そしてクロードが中州に両足を上げて立つと、そこでオパールはほっと息を吐いた。

クロードはそのまま犬のクロードが頭を突っ込んでいる茂みをのぞき込む。

「あ……」

「クロード? どうしたの?」

「……猫だ。子猫がいる」

言いながら、クロードは茂みに手を突っ込んだ。

確かに、川の流れに紛れて猫のか細い鳴き声が聞こえる。

クロードは片手に収まるほどの小さな子猫を両手に掴むと、岸へと戻ってきた。

「オパール、この子たちをよろしく」

「ええ、任せて」

二匹の子猫を受け取ったオパールは胸に抱きかかえ、中州に引き返すクロードを見守りつつ従者に指示を出した。

従者の一人が急ぎ馬車へと戻っていく。

「これで最後だよ」

三度目にクロードが茂みから体を起こしてそう言うと、犬のクロードが同意するように「わん!」と吠えた。

すると、従者が持ってきてくれた籠に入れた四匹の子猫たちがびくりとする。

「母猫もいたのね。よかった」

「ちょっと弱っているけどな」

「それなら急いで帰らないと!」

馬車から持ってきたタオルを渡すと、クロードは自分を拭くのではなく母猫を包んだ。

オパールは傍に控えていた従者に、籠を落とさないよう預けて引き返したが、すぐに立ち止まる。

「クロードは大丈夫?」

「もちろん」

「わん!」

どちらも元気のいい答えが返ってきたので、オパールはほっとしてまた土手を上る。

その後ろにズボンを濡らしたままのクロードとずぶ濡れのクロードが続いた。

馬車に入ると、オパールのひざ掛けで猫たちを包んで籠に戻し、新しいタオルを人間のクロードに渡す。

念のためにとタオルを多めに持ってきていて正解だった。

「寒くない?」

「ああ、俺は大丈夫だから、クロードを拭いてやってくれ」

「わかったわ」

馬車に乗る前に体を震わせて水分を飛ばした犬のクロードだったが、それでもしっかり濡れている。

もう一枚のタオルで十分に拭いてやった頃には、オパールも泥にまみれて汚れていた。

「これじゃあ、ジルに叱られる程度じゃすまないな」

「私もナージャに怒られてしまうわ。やっぱりナージャを連れていくべきだったって。子猫の世話もできたでしょうし」

「ひとまず母猫がいるんだから大丈夫じゃないか? さっきより元気そうだ」

「本当ね」

母猫はまだ目の開いていない子猫たちの体を懸命に舐めてやっている。

雨続きで川が増水する中、子猫たちを必死に守っていたのだろう。

「よく頑張ったわね」

オパールはひざ掛けに包まれた猫たちに声をかけ、犬のクロードを撫でた。

クロードが喜んで尻尾を振ると、乾いた土が舞い上がる。

「クロードも偉かったわね。猫たちを見つけたんだから」

「オパール、俺は?」

隣に座ったクロードも、オパールに褒められるのを待って尻尾を振っているように見える。

それがおかしくて、答える前にまた噴き出してしまった。

「なんで笑うんだ?」

「クロードといると退屈しないから?」

「それは俺も同じだよ。オパールといれば退屈しないな。こうしてずぶ濡れになるのは何度目だったかな」

「あれはジュリアンが悪いのよ」

子どもの頃にジュリアンの意地悪でオパールが川や池に落ちたことは何度もあった。

そのたびにクロードが助けてくれたのだ。

思い出したらまたジュリアンに腹が立つので、オパールは話題を戻した。

「それじゃあ、クロードも頑張ったんだから、猫たちの名付け親は譲るわ」

「まさか全部飼うつもりか?」

「領館は広いんだもの。猫たちの活躍の場はたくさんあるわよ」

領館の調理場にはすでに猫が二匹いる。

活躍の場はそれほどないかもしれないが、まあいいかとクロードは笑った。

「それじゃあ、この一番元気のいいやつが〝オパール〟だな」

「ちょっと、クロード!」

オパールが抗議の声を上げれば、犬のクロードがまた嬉しそうに尻尾を振る。

どうだと言わんばかりににやりとする人間のクロードがおかしくて、オパールはまた笑った。

「男の子だったらどうするの?」

「それくらい元気があるんだから問題ないだろ?」

「ええ……」

「で、こいつが〝ジュリアン〟。ほら、オパールとさっそくケンカを始めた」

クロードの言う通り、二匹の子猫は母猫のお腹で場所を取り合っている。

もう抗議することもできないほどおかしくてオパールは笑い、クロードも一緒に笑った。

その後、人懐っこい子猫は〝ナージャ〟、いつも落ち着いている子猫は〝トレヴァー〟、母猫は〝マルシア〟と名付けられた。

そしてボッツェリ公爵領館内は、元気に走り回る猫たちの軽快な足音が響くようになったのだった。……時々破壊音と悲鳴も。