軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14・2 シルヴァン様の危機

ルシールの言葉が、頭の中をぐるぐるとまわる。

『ロクサーヌが辞めてから、シルヴァン筆頭魔術師様はろくに寝食も取らずに仕事に没頭していたの。まるで仕事のこと以外を考える時間がほしくないかのように。誰が止めても聞きやしない。そして昨晩、ロクサーヌを助けたあとに――』

魔法省の筆頭魔術師執務室。そこに向けて全力で走る。

エントランスホールでは、同じく王宮に駆けつけてきたモンベル前筆頭魔術師様に会った。引退して遠方に住んでいたのだけど、陛下に呼び出されたとのことだった。

執務室に通じる最後の角を曲がり、思わず息をのむ。最初に目に飛び込んできたのは、夜空。行く手は破壊しつくされ、瓦礫の山となっていた。

廊下を塞ぐように近衛兵と魔術師がこちらに背を向けて並んでいる。

そのはるか向こうに、巨大な黒い渦があった。そこから黒いモヤが広範囲に広がっている。

「ベルジュ公爵令嬢!」

近衛兵と魔術師の中から、王妃陛下が走り出てきた。

「来てくれたのは嬉しいけど、ここは危険よ。さがりなさい」

「シルヴァン様は……?」

尋ねる声が情けなく震えた。

「あそこよ」と陛下が黒い渦を指す。

やはりあの中にシルヴァン様が……。

ルシールは、『昨晩ロクサーヌを助けたあとに様々なことがあって、シルヴァン筆頭魔術師は魔力暴走を起こした』と言っていた。

「ですがあんな規模の魔力暴走、しかも黒色なんてものは見たことがありませんぞ」と私の後ろから声がする。近衛兵に背負われてここまでやってきたモンベル様だった。

「ああ、モンベル様。よくいらしてくださいました」と王妃陛下が涙を浮かべる。「シルヴァン様を助けてくださいな。魔術師が束になっても抑えられないの。このままでは彼の命が……。もうあなただけが頼りなのです」

目前の魔術師たちを見る。黒い渦に向かってなにかをしているようだけど、効果があるようには見えない。そして居並ぶのは、アロイスをはじめとした高位魔術師たちばかり。誰の顔も疲労が色濃い。

それでも魔力暴走を抑えられないなんて――

「もう半日になるのです」

「半日」と、モンベル様が息をのむ。「よくあの凄まじさでもっていられるな。だが……。陛下。できる限りのことはしますが……」

かつて最強だったはずのモンベル様が、力なく視線を落とす。

「私が助けます」

そう告げると、王妃陛下は驚きの声をあげた。

だけど、もとよりそのつもりで来たのだもの。モンベル様に出会ったときに、防御魔法もかけてもらっている。

「シルヴァン様のおそばへ行って、落ち着かせます」

「いや、ご令嬢。先ほどの魔法では到底あれに太刀打ちでませんぞ」と、モンベル様。

確かに魔術師たちもかなりの距離を取っている。

「威力も甚大だし、あの黒いモヤは恐らく有害だ」

「ええ」と肯定する王妃陛下。「近づくと息苦しくなり、動けなくなるの。とてもではないけど、あなたには――」

「ならば幾重にも重ねてかけてくださいな。おそばにさえ行ければ、きっと大丈夫です。時間が惜しいので議論はしません。さあ、早く」

自信があるわけじゃない。

だけど私はシルヴァン様が助かるためなら、なんだってするのよ。

防御魔法をモンベル様とアロイスに重ね掛けしてもらうと、走ってシルヴァン殿下の元へ向かう。だけれど黒いモヤの中に入ったら、急速に苦しくなった。

全身が重く、手も足もうまく動かない。息が吸えず、視界はぼやけ、頭が重い。

王妃陛下の言ったとおりだわ。

だけどこの中にシルヴァン様はいる。私よりももっと苦しいはずよ。

見えないなにかに圧し潰されそうになりながら、必死に前に進む。

モヤはいっそう濃くなり、私は渦に入った。

その中に黒い人型の塊があった。ゆらゆらと揺れている。

「シルヴァン様!」

名前を叫ぶと、塊は大きく揺れた。

「シルヴァン様!」

彼の名前を呼び続けながら、そばに寄る。口から入り込むモヤのせいで、喉が焼けるように痛い。でも、それがなんだっていうの?

私は前世の記憶がよみがえったとき、絶対に彼を死なせないと決めたのよ。

やっとのことで目前まできて、塊の中にシルヴァン様の姿があることがわかった。

よかった……!

ほっとして涙がにじむ。

だけど彼はうつろな目をして、揺れているだけ。私のことには気づいていない。

「シルヴァン様」

彼の頬に触れる。氷のように冷たい。

「これを――」

ポケットの中から小さな缶を取り出し、彼の顔の前でフタを開けた。

とたんに芳醇なアップルティーの香りが広がる。

茶葉に魔法で濃縮した香りを閉じ込めたものだ。ベルジュ邸を出る前に、ルシールに作ってもらった。

シルヴァン様の頬がぴくりと動く。

私は必死に優しく聞こえる声を出す。

「『シルヴァン。アップルティーがはいりましたよ。さあ、お母様と一緒にいただきましょう』」

それは彼とお母様の、最後の幸せなひとときに交わされた言葉だ。

小説にはそう書いてあった。

このあと母君様は、都を席巻していた謎の奇病に倒れ、帰らぬひととなった。

そしてそのことが、シルヴァン様が国王陛下に復讐したい原因なのだ。

だからきっと、これでシルヴァン様は正気に戻る。

いまだに彼はアップルティーを大切そうに飲むのだから。

「ほら。アップルティーですよ」

震える声で、言葉を継ぐ。

お願い。

正気に戻って。

彼の瞳がかすかに動いた。

「シルヴァン様!」

「……ロクサーヌ?」

「そうよ、ロクサーヌよ! シルヴァン様!」

彼の瞳がさらに動いて私を見た。

「シルヴァン様っ!」

その頬に触れる。

「あなたの大好きなアップルティーをいれるから!」

魔力暴走なんて失態は晒さないと豪語していたラスボス・シルヴァン様。

そんな彼がどうしてこんなことになってしまったのかは、わからない。

やっぱり復讐の計画が狂ったせい?

でもそのぐらい、なんとでもなるわ。陛下に復讐したいというのならば、私も全力で手伝う。

「シルヴァン様が壊れてしまうくらいなら、私がなんだってする。だから――」

まっすぐに彼の生気のない瞳を見つめる。

「お願い。一緒に紅茶をいただきましょう」

シルヴァン様の目に力が宿った。

「……ロクサーヌ!」

シルヴァン殿下がはっきりと声を出し、私を抱き寄せた。

黒いモヤがみるみるうちに消えていく。

圧し潰されそうな圧も不快感も、あっという間になくなった。

「シルヴァン様」

名前を呼んで、抱き返す。

よかった、正気に戻ってくれたのだわ!

涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

シルヴァン様を守ることができた!

きっともう大丈夫!

よかった……。

よかったわ……。

……あら?

ちょっと待って。まずいわ。

いつの間にかお母様の演技を忘れていた。

「ロクサーヌ」と、頭上から、かすれ気味のシルヴァン様の声がする。

「はい」

というか、名前をシルヴァン様に呼ばれるのは初めてじゃないかしら?

えっと待って。よく考えたら私、大好きなひとと抱き合っている。

彼を正気に戻すためだけど!

どうしよう。シルヴァン様、あとで怒らないかしら。

シルヴァン様から抱きついてきたと言っても、きっと信じてくれないわよね。

彼から離れないと。

「ロクサーヌ、好きだ」と、シルヴァン様。

「はい――え?」

今、なんて?

「好きだ」

シルヴァン様が私をぎゅうぎゅうと強く抱きしめる。

「頼む。いなくならないでくれ。ロクサーヌを失うくらいなら、全世界をぶち壊したほうがマシだ」

ええ――――??

シルヴァン様、壊れてしまったの??