軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11 レクスさんは優しい

レクスさんの返事がないからドアの外から謝った。

「心配してくれたのに関係ないなんて言ってごめんなさい。今日、ショックな話を聞いて落ち込んでいたんです。あなたに八つ当たりしました。本当にごめんなさい」

レクスさんの返事がない。情けなくて申し訳ない。

ふと、焦げ臭いことに気づいた。

(しまった! ミートパイ!)

階段を駆け下りて台所に飛び込んだら、台所には煙がうっすらと漂っている。

急いでオーブンの蓋を開けた。ミートパイが真っ黒になって煙を出していた。

黒こげのパイをお皿に移して、ナイフとフォークで焦げている部分を剥がした。食べ物を無駄にしたくない。

焦げたパイ皮を丁寧に剥がして、無事そうな具をそっとスプーンですくって味見してみた。焦げ臭いけど、食べられなくはない。

レクスさんには少し時間を置いてからもう一度謝ろう。

そう思っていたらドアが開いた。レクスさんは台所に入って来るなり「うわ、煙が」と言って窓を開けた。

「ごめんなさい。せっかくのミートパイなのに焦がしてしまいました」

「それを食べてるの? 焦げた食べ物は身体に悪いよ」

「食べ物を無駄にするのは大罪ですから」

「パイくらいで大げさな。『食事は楽しく食べるもの』と言ったのはニナでしょ?」

レクスさんが戸棚から紙袋を取り出し、美味しそうなパンをお皿に載せた。

パンに切れ目を入れて、ベーコンと海老とチーズを詰めて焼いてある。

「これ、レクスさんの明日の昼ごはんなのでは?」

「そうだけど、この状況でこれを出さなかったら、騎士道精神に反する」

「騎士でもあるんですか!」

「違うけど、そこは気にしないでいい。食べてよ」

「ありがとう……ございます」

レクスさんはヤカンを火にかけ、戸棚から見慣れない道具を次々取り出して、ゴリゴリと茶色の豆を挽き始めた。

「コーヒーは好き? 飲んだことある?」

「飲んだことありません」

「初めてか。じゃあ、特別に美味しく淹れなくちゃ。最近の僕のお気に入りの飲み物なんだ」

挽いた豆の粉を布製の濾し器のような道具に入れ、レクスさんがお湯を少しずつ注いでいる。初めて嗅ぐいい香りがする。

二つのカップにコーヒーを等分に注ぎ、「飲んでみて」と私の前にカップを置いた。

「砂糖を入れると飲みやすいし、ミルクを入れるともっと飲みやすい」

「あっ、ミルクを入れます。今日買ったので」

コーヒーにミルクだけを入れて飲んだ。苦いけれど香りがいい。飲み慣れたら好きになりそう。

レクスさんは何も加えずにコーヒーを飲んでいる。

「美味しいです」

「よかった。ニナ、いったい何があったの?」

「長い話になるので、お時間があるときに聞いてください」

「僕は今、時間があるよ」

泣かずに話せるか自信がなくて、黙ったままミルク入りのコーヒーを少しずつ飲んだ。するとレクスさんが思いがけないことを質問してきた。

「ニナの師匠は何をしたお礼にこの城を貰ったのかな。ここをプレゼントするって、相当なことだと思うんだけど」

「失せ物を探し出したと言っていました。それしか聞いていません」

「失せ物か……。ベアトリス・アシャールという女性は、極度の人間不信だった。彼女は財産のほとんどを犬猫の保護組織に遺したんだ。僕以外の親戚には、コイン一枚さえ遺さなかった」

「じゃあ、なぜレクスさんはここを相続できたんですか?」

レクスさんが曇りが取れたメガネの中で少し遠い目になった。

「僕は彼女の思い出話に興味があったんだ。工業が発達する前の貴族の話は優雅で豪奢で享楽的でね。彼女の思い出話はどれも興味深かった。暇ができると話を聞きに彼女の家を訪問していた。そこが気に入られたんだと思う」

「その貴族の思い出話は、比較文学の研究に役立つんですか?」

「研究のためではないよ。話が脇道に逸れたな。それで? 何が起きたの?」

頭が疲れていて上手に話せそうにない。泣かないように気をつけて、正直に順番に話すことにした。

私が魔女の卵と思われて二十年も師匠に世話になったけれど、魔法は習得できなかったこと。

本物の魔女候補が登場して弟子生活が終わったこと。

今日出会った人は、最初から私に素質がないと鑑定していたこと。

「魔女は、と言うより魔法使いは何ができるの? 僕はそれさえも知らないんだ」

「師匠ができたことは……数えきれないほどありますが、わかりやすいところだと魔法薬作り、カードを使った各種占い、長期の天候占い、植物の生長促進、などですね」

「魔法薬って、どんなもの?」

「髪と目の色を一時的に変えたり、疲れを取ったり、吹き出物を治したり、咳止め、視力回復などです。でも、お客の数は減る一方でした。そして魔法使いは絶滅寸前です」

しばらく考えていたレクスさんが「なるほどね」とつぶやいた。

「今は魔法を使わなくても髪の色を毛染め剤で変えられるし、薬は病院で処方されるからねえ。僕はまず魔法の存在から受け入れる必要があるな」

「信じられない気持ちはわかります」

「ニナは魔法を使えなかったから師匠に申し訳なくて苦しんでいるんだね。師匠は恩返しを期待して君を育てるような人なの?」

「いいえ! そんな人じゃありません」

「だったら君は『ありがとうございました。お世話になりました』でいいんじゃない?」

「そんな簡単な話ですか?」

「そんな簡単な話だよ。君が恩返しできずに苦しむことを、師匠は望まないと思う。だから申し訳ないと泣くことはない。さ、パイは諦めてこっちのパンを食べて」

コーヒーの湯気でメガネが曇っていて、レクスさんの表情が読めない。でも、優しさは伝わってくる。

私はパンを温めずにそのまま食べた。

顔を泣き腫らすほど悲しくてもおなかは空いていたし、パンは美味しかった。

「ニナは魔法を使えなくても占いの腕がいいんだ。それでいいじゃない。僕は君の占いを信じてダンテ鉄道の債券を買ったよ。占い師さんには自信を持っていてもらわないと、僕まで不安になる」

「ダンテ鉄道にしたんですか? 新聞はミーガン鉄道をもてはやしていたのに」

「せっかく占ってもらったからダンテ鉄道にしたさ。でも、占いが外れてもニナは気にしなくていい。最終的にダンテ鉄道を選んだのは僕だ」

レクスさんはとても優しい人だ。占いが外れたときのことまで心配してくれている。

「今夜は早く眠ったほうがいいよ。睡眠不足だとろくなことを考えない」

「そうします。ここを片付けたら寝ます」

「片付けも僕がやるから。もう寝なさい」

「……ありがとうございます」

おなかいっぱいになって萎れた気分も多少は持ち直した。

部屋に戻り、天井画の天使に「私、ちょっと元気が出たわ」と話しかけた。

天使は変わらずご機嫌な顔で飛びながらラッパを吹いている。

コリンヌさんにもらったカスタードクリームパイは、明日の朝にレクスさんと食べることにした。