軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第2話 オタク王子、エデンの土に感動して号泣する

「……美味しい」

エデンのダイニングルームに、震えるような呟きが漏れた。

声の主は、隣国フルール王国の第二王子、シルヴィオ様だ。

時刻は夕食時。

世界樹の枝で作ったシャンデリアが温かな光を投げかけるテーブルには、今日の収穫物を使った料理が並んでいる。

メインディッシュは、『虹色大根と厚切りベーコンのポトフ』だ。

シルヴィオ様は、スプーンに乗せた大根を口に運んだまま、彫像のように固まっていた。

碧色の瞳から、ツーーーッと静かに涙が流れている。

「な、なんてことだ……。口に入れた瞬間、繊維がほろりと解けていく。大根特有の辛味や土臭さは一切ない。あるのは、洗練された甘みと、出汁を吸い込んだ芳醇な旨味だけ……」

彼は恍惚とした表情で天井を仰いだ。

「まるで、口の中で光が弾けたようだ。これが『虹色大根』……! 文献では『観賞用』とされていた植物が、これほど美味だったとは!」

「気に入っていただけて嬉しいです! その大根、煮崩れしないギリギリの柔らかさを目指して、魔力を調整しながら育てたんですよ」

私がニコニコと解説すると、シルヴィオ様はガバッと身を乗り出した。

「やはり! ただ煮込んだだけではこの食感は出せないと思っていました! フローリア先生、貴女は『煮込み』の工程まで計算して、土壌の魔力濃度を調整したのですね!?」

「はい! 大根は水分量が多いので、成長期に少し水を絞って味を凝縮させるのがコツなんです」

「素晴らしい……! 結婚して……いや、その技術を我が国に……!」

「おい」

ドスン、とテーブルが揺れた。

私の隣に座っていたレンさんが、ジョッキ(中身は麦茶)を叩きつけるように置いた音だ。

「食事中に騒ぐな。消化に悪い」

レンさんの声は氷点下だった。

不機嫌オーラが凄まじい。

それもそのはず、シルヴィオ様が来てからというもの、私と植物の話ばかりしていて、レンさんが会話に入る隙がないのだ。

「公爵殿下、貴方は何も感じないのですか!? この奇跡のような大根を食べて!」

シルヴィオ様が問うと、レンさんは冷めた目で大根を口に放り込んだ。

「……別に。俺にとっては、これが『日常』だからな」

「ぐぬぬ……! なんと贅沢な! この味を当たり前だと思っているのですか!?」

「フローリアが俺のために作ってくれる飯だ。文句があるなら食うな」

レンさんはそう言って、私の皿に切り分けたベーコンを乗せてくれた。

「フローリア、もっと食え。あんな細い男の相手をしてたら体力が持たんぞ」

「あ、ありがとうございます。レンさんも野菜食べてくださいね」

「ああ。……君が『あーん』してくれるなら食べる」

「えっ!? お、お客様の前ですよ!?」

「関係ない。俺は今、両手が塞がっている」

レンさんは両手にナイフとフォークを持っている。塞がっているというか、持っているだけだ。

完全に甘えん坊モードに入っている。

シルヴィオ様への当てつけだろうか。

「……はい、どうぞ」

私が大根を差し出すと、レンさんは私の指ごと食べる勢いでパクついた。

そして、シルヴィオ様に向かってニヤリと勝利の笑みを浮かべる。

「……味はどうでもいいが、妻の手料理は格別だ」

「ぐわぁぁぁ! 見せつけられている! 神聖な植物談義の場が、ただの 惚気(のろけ) 空間に!」

シルヴィオ様は頭を抱えた。

私は恥ずかしくて大根になりたかった。

夕食後。

レンさんは執務(という名のお父様への言い訳手紙作成)のため、書斎に籠もった。

その隙を見計らって、シルヴィオ様が私に声をかけてきた。

「フローリア先生。……お願いがあります」

彼の表情は真剣そのものだった。

さっきまでのハイテンションとは打って変わって、学者のような鋭い眼差しだ。

「何でしょうか?」

「土を……見せていただけませんか?」

「土、ですか?」

「はい。あの大根の味、そしてこのエデンの植物たちの生命力。ただの魔力操作だけでは説明がつきません。秘密は『土壌』にあるはずです」

さすがは植物オタクの王子様だ。

目の付け所が鋭い。

植物にとって、土は命の揺りかご。

私が一番こだわったのも、実は土作りだった。

「わかりました。……でも、少し汚れますよ?」

「望むところです!」

夜の帳が下りたエデン。

月光花の街灯がぼんやりと道を照らす中、私はシルヴィオ様を「 堆肥(たいひ) 場」へと案内した。

そこは畑の裏手にある、少し小高い丘になった場所だ。

近づくにつれて、森の腐葉土のような、湿った温かい匂いが漂ってくる。

「ここです。私の『特製培養土』を作っている場所は」

私が覆いを外すと、黒々とした土の山が現れた。

湯気が立っている。

発酵熱によって、土自体が呼吸しているのだ。

シルヴィオ様は、宝の山を見るような目でそれに駆け寄った。

躊躇なく、その純白の旅装束のまま、黒い土の上に膝をつく。

「……温かい」

彼は両手で土をすくい上げた。

「見てください、この団粒構造! サラサラしているのに、握るとしっとりと固まる。水分と空気のバランスが完璧だ!」

彼は土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

「香ばしい……。完熟した果実のような甘い香りがする。……フローリア先生、これには何を混ぜているんですか? ただの腐葉土ではないですよね?」

「ええ、企業秘密なんですけど……特別に教えちゃいますね」

私は声を潜めた。

「ベースは世界樹の落ち葉です。そこに、ゴブリンたちが集めてきた『魔石の粉末』と、レンさんが狩ってきたドラゴンの『骨粉』、そして……スライムの粘液を少々」

「ス、スライム!?」

「はい。保水性を高めるために。あと、発酵を促すために、私が毎日『美味しくなーれ』って魔力を注いで混ぜ返してます」

シルヴィオ様は、震える手で土を見つめた。

「ドラゴンの骨に、世界樹の葉……。国宝級の素材を、惜しげもなく肥料に!? しかも、そこに聖女級の魔力を直接練り込むなんて……」

ポロリ、と。

シルヴィオ様の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

その涙は土に吸い込まれ、一瞬で小さな芽がぴょこんと顔を出した。

「えっ、泣いてるんですか!?」

「泣かずにはいられませんよ! 僕は……僕は今まで、なんと浅はかな知識で植物に接していたんだろう!」

シルヴィオ様は土下座の姿勢をとった。

額を地面に擦り付ける。

「土とは、命の循環。貴女はここで、小さな『 生態系(ワールド) 』を創り出しているんだ! これは農業じゃない……神の御業だ!」

「いやいや、大げさですよ! ただのリサイクルです!」

「いいえ! この土に触れているだけで、僕の植物愛が浄化されていくようです……ああ、尊い。いっそこのまま埋まりたい……」

シルヴィオ様はトランス状態に入ってしまった。

土を顔に塗りたくり、うっとりとしている。

美少年の顔が泥だらけだ。

ファンの人が見たら悲鳴を上げるだろう。

「あのー、シルヴィオ様? そろそろ戻らないと風邪を引きますよ?」

「帰りたくない! 僕は今日、ここで寝ます! この土の温もりと共に朝を迎えたいんです!」

「いや、それは困ります! 発酵中だから、埋まると火傷しますよ!?」

私が必死に止めようとした時だった。

「……何をしている」

背後から、絶対零度の声が降ってきた。

振り返ると、ランタンを手にしたレンさんが立っていた。

執務用の眼鏡をかけ、肩には私の上着を持っている。

「レ、レンさん! 違うんです、これは怪しい儀式とかじゃなくて!」

「夜中に出歩くなと言ったはずだ。……それに、その男はなんだ? 泥遊びか?」

レンさんは、泥まみれで涙を流している隣国の王子を、心底気味悪そうに見下ろした。

「公爵殿下! 貴方も触ってみてください! この土は生きているんです!」

シルヴィオ様が泥だらけの手を差し出すと、レンさんは無言で一歩下がった。

「寄るな。……フローリア、こっちへ来い」

レンさんは私を引き寄せると、持ってきた上着を肩にかけてくれた。

ふわりと、レンさんの匂いが包み込む。

「夜は冷える。こんな泥酔い(土に酔った)男に付き合って、風邪でも引いたらどうする」

「ごめんなさい。でも、シルヴィオ様がどうしても見たいって言うから」

「……はぁ。君のお人好しにも困ったものだ」

レンさんは呆れたように溜息をついたが、その目は優しかった。

彼は私の手を取り、ハンカチで指についた土を丁寧に拭き取ってくれる。

「土作りが大事なのは分かる。だが、俺にとっては君の体の方が大事だ」

「レンさん……」

「ほら、戻るぞ。……おい、そこの泥王子」

レンさんはシルヴィオ様に視線を向けた。

「そこで寝るなら勝手にしろ。ただし、明日の朝までにその泥を落としておけ。俺の 城(ツリーハウス) を汚すなよ」

「は、はい! ありがとうございます! 心ゆくまで土と対話させていただきます!」

シルヴィオ様は満面の笑みで答えた。

……本当にここで寝る気なんだ。

帰り道。

レンさんが私の肩を抱きながら、ポツリと言った。

「……あいつ、本当にただの植物バカなんだな」

「ふふ、そう言ったじゃないですか」

「少し安心した。……だが、君があいつと楽しそうにしているのは、やはり気に入らん」

レンさんが拗ねたように唇を尖らせる。

その顔が可愛くて、私は思わずクスクスと笑ってしまった。

最強の竜公爵様も、嫉妬すると子供みたいだ。

「大丈夫ですよ。私が一番好きなのは、このエデンの土と……それを一緒に守ってくれるレンさんですから」

私が小声で言うと、レンさんは足を止め、耳まで赤くして空を見上げた。

「……そういう不意打ちは反則だ」

月明かりの下、繋いだ手が少しだけ強く握り返された。

翌朝。

エデンの広場は、出発の準備で賑わっていた。

「準備はいいかー! 忘れ物はないわね!?」

マリアベルがメガホン(ラッパ草)片手に張り切っている。

彼女は今回、お留守番だ。

最初は「私も帝都に行きたい!」と駄々をこねていたが、「私がいない間に新入りのゴブリンたちがサボったらどうするの?」とおだてたら、「仕方ないわね、この農場長が守ってあげるわ!」と引き受けてくれたのだ。

本当に扱いやすくて助かる。

「マリアベルさん、お願いしますね! 水やり当番表はキッチンの壁に貼ってありますから!」

「わかってるわよ! あんたこそ、帝国でハメ外しすぎてレン様に怒られないようにね!」

「善処します!」

私たちは荷物を積み込んだ。

今回の旅のメンバーは、私、レンさん、泥を落としてスッキリしたシルヴィオ様、そしてタケシ(マンドラゴラ)だ。

タケシは専用のベビーキャリー(土入り)に収まり、レンさんの背中におんぶされている。

見た目は完全に「子連れの若夫婦と、親戚の大学生」という構図だ。

「さて、フローリア先生。帝都までは馬車で数日かかりますが……この荷物の量、普通の馬車には載りきらないのでは?」

シルヴィオ様が心配そうに、山積みの野菜コンテナを見た。

博覧会に出品するための特産品だ。

虹色大根、歌うマンドラゴラの兄弟株、爆発する唐辛子など、危険物スレスレの野菜が満載である。

「ふふふ、安心してくださいシルヴィオ様。こんなこともあろうかと、新しい『足』を用意しました!」

私は指をパチンと鳴らした。

「出ておいで、【カボチャの馬車・マークⅡ】!」

ズズズズズ……ッ!

地面が割れ、巨大な植物が姿を現した。

それは、家一軒分ほどもある超巨大なオレンジ色のカボチャだった。

しかし、ただのカボチャではない。

下部からは太い蔦がタイヤのように生え、側面には窓が開き、内部にはふかふかの座席が完備されている。

そして牽引するのは、馬ではなく、二体の『トレント(歩く樹木)』だ。

「な、なんですかこれはァァァ!?」

シルヴィオ様が絶叫した。

「カボチャの馬車です! 童話に出てくるアレを再現してみました! サスペンション機能付きで、悪路でも揺れませんよ!」

「再現の方向性がおかしい! これはもう戦車ですよ!」

「中も快適ですよ。冷蔵庫完備です」

「乗ります! 絶対乗ります!」

シルヴィオ様は目を輝かせてカボチャに飛びついた。

レンさんは、巨大なカボチャを見上げて、深い溜息をついた。

「……親父(皇帝)がこれを見たら、また変な兵器開発に利用しそうだ」

「大丈夫ですよ。動力源は私の魔力ですから、私以外には動かせません」

「そういう問題ではないが……まあいい。行くぞ」

レンさんが乗り込み、タケシが「ウキャッ!」と声を上げる。

私も後に続いた。

「行ってきまーす!」

マリアベルやゴブリンたちに見送られ、カボチャの馬車はゆっくりと動き出した。

目指すは帝都。

世界最大の都市であり、レンさんの故郷。

そして、植物嫌いのハイエルフたちが待ち受ける場所。

「待っててね、帝都の皆さん。エデンの野菜の美味しさを、叩き込んであげますから!」

私の呑気な決意と共に、巨大カボチャは砂煙を上げて荒野を爆走し始めた。

その姿が、後に帝都で「オレンジ色の彗星」として伝説になることを、私はまだ知らなかった。