作品タイトル不明
第182話 マスターたちの談話と炎帝の惑い
レオニードさんたちは王都付近を見回り、竜翼兵の襲撃に備えていたとのことだった。襲撃は一ヶ月ほど前に始まり、騎士団は壊滅的な打撃を受け、王都の住民は王宮に避難することを許可された。しかし全員を収容することはできず、まだ多くの人々が竜翼兵の襲撃に怯えながら暮らしている。
私たちが降りた位置は、王都の東側にある森だった。徒歩でもすぐ王都に着く位置なので、私はレオニードさんたちと一緒に徒歩で移動することにした――師匠も思うところがあるようで、一緒に歩いていくことになった。他の仲間はバニングに乗り、王都の周辺を見回ったあと、広い場所を選んで降下することになった。
王都アルヴィナスの作られた位置は、元の世界と全く同じというわけではない。だが、浮遊島が地上に落ち、それを師匠たちのパーティが封印して、王都が作られたという経緯に変わりはなかった。
――変わっているのは、この世界では師匠がディアーヌの後を引き継いで『蛇』と一体化したということ。
しかし、その師匠とは別に、元の世界の師匠がここに存在している。
「ディノアちゃん、気づいてるみたいだね。ユマちゃんは同じ魂を持つ人は一人しかいられないって言ってたけど……」
前を行くレオニードさんたちの後をついて、最初は何も言わずに歩いていた師匠は、王都東門に入るところの石橋に差し掛かったところで話しかけてきた。
周囲の城壁は破壊されて崩れ、補修が間に合っていない。警護している兵士たちも負傷していて、竜翼兵の襲撃を恐れていることが見て取れた――無理もない、彼らとは力の差が大きすぎて、決して戦わず逃げることが最良の選択になる。
レオニードさんたちが見回りに出ていなかったら、ここで死者が出ていた可能性もあった。元の世界と同じように、王都の危機となれば人々を守るために戦う――私の知っている皆と何も変わらない。安堵だけではなく、心配にもなってしまうけれど。
「……少しの可能性のずれで、元の世界にはいて、この世界にはいない人がいる。魔王討伐隊のみんながいてくれて、ディー君がいて……『蛇』はそれでようやく何とかなる相手だったんだよね。だから、ディアーヌの後を引き継いだこの世界の私と、元の世界の私は交わらないんだと思う」
「こんな経験が今までに一度もないので、色々考えてみても推測でしかないのかもしれません。この世界にはもう一人の私がいて、転移してきたときにその身体の中に入った……とか、そういうことかもしれない。でも、師匠はそうはならなかった。この世界の師匠がまだ生きているのなら……」
できるならば、助けたい。私のそんな考えを、師匠は首を振って否定した。
「一番大事にしなきゃいけないことは、元の世界に戻ること……皆がいる世界に、無事で帰ることだよ。今『蛇』の眠りを妨げたら、『蛇』と一体化した私と戦うことになるだけ……それは、この世界の私も、本来のディノアちゃんも望んでないと思う」
「本来の、私……」
「うん。今は、眠ってる状態なんじゃないかな? 『ディー君』の魂の力が強いから」
「そうだとしたら……この借りた身体は、できるだけ早く返さないといけませんね。これから戦う相手のことを考えると、無傷というのは難しいですが……」
「それは気にしても仕方ないことだよ。だって……『異空の神』を倒せなかったら、この国だけじゃなくて、この世界が消えちゃうんだから」
世界が消える。誰も生きている人がいなくなったら、歴史を観測する者はいなくなり、人の歴史は終わる――まだそんなことが起こりうるなんて、実感を持って考えられない。
けれど、私たちがこの世界に来て初めて戦った竜翼兵は、その数だけでアルベインを滅ぼすには十分だった――もし、SSSランクの冒険者がこの国にいないのなら。
「SSSランクの人は、千年に一人しか生まれない……私たちの世界は、その奇跡を幾つも集めた、奇跡の集合体みたいなものなんだよ。でも、この世界はそうならなかった。こんな言い方するとディー君は怒るだろうけど、普通はきっとこうなんだよ」
「……人が生まれてくるかどうかは、運命に左右される。それなら、私は……元の世界に生まれたことを、感謝しないといけませんね」
「うん。この世界の私だって、不幸じゃなかったって思いたい……本当はね、ここに近づく前から分かってはいたの。王都の地下にはやっぱり『蛇』がいて、この世界の私はそこにいるって。でも、この世界のディノアちゃんと一緒に遺跡迷宮に入ったのかは分からない。『ディー君』は分かってる?」
分かっている。分かっているけど、その記憶は断片しか見られない。
――この世界の師匠は、書き置きだけを残してディノアの前から消えた。王都に起こっている天変地異の理由と、それを鎮める方法が何かを伝えて。
心の傷は、人の記憶を封じ込めてしまう。『元のディノア』は私の胸の中にいるのに、全く語りかけてはこない――けれど。
目の前に師匠がいることで、かすかに感じ取れるようになった。私の中にいる『元のディノア』の感情が、抑えきれずに出てきているから。
「……ディノアちゃん、また泣いてる。ううん、元のディノアちゃんが泣いてるっていうこと……?」
それは泣くに決まっている、と『ディック』の私なら言っている。
元の世界でも、師匠が死ぬことを望まなくなってくれたときには自然に涙が出た。私にとってはどちらの世界でも、師匠はそういう存在ということだ。もしいなくなったら、身体の一部を失ったような痛みを感じるだろう。
「この胸の痛みが、元のディノアの痛みなら……仕方がないです。今の私は、師匠に何でもしてあげたいって思っているけど、それは元のディノアのせいだと思います」
「……私って、ディー君のことも、ディノアちゃんのことも、困らせてばかりなんだね。ごめんね、こんな師匠で」
「謝ることなんてありません。ただ、生きてさえいてくれれば十分ですから……し、師匠……?」
師匠は私の前に回ると、急に抱きついてくる。女性になると身長があまり変わらなくて、けれど感触が全然変わって――胸が少し苦しい。
「……ディノアちゃん、私と同じくらい胸があるんだね。そこだけは、師匠の私を早々に追い抜いちゃいそう」
冗談めかせて言う師匠。胸がつかえて、男性の時と感覚が全然違うというのを、こんな形で確認させられるとは思わなかった。
「長居はできませんから。元の『俺』に戻ったら、そういうことにはならないです」
「うん……そうだね。やっぱり、他の誰にも渡したくない……」
「っ……し、師匠……?」
抱きしめる力が強くなったあと、師匠はそっと身体を離す。その目が昔の彼女を思い出させたけれど、それはごく短い間のことだった。
「あ……ご、ごめんなさい。ディノアちゃんが何でもしてくれるくらいの気持ちっていうから、甘えたくなっちゃって……こんなことじゃ、お師匠さま失格だね」
「……師匠は私の師匠ですよ。違う世界に来ても、それは変わらないです」
「私の……?」
「い、いえ、そういう意味ではなくて……」
「ふふっ……ディノアちゃんはディー君より照れたとき分かりやすいね。男の子のときも可愛いけど、女の子になったら文字通りの『可愛い』になっちゃうんだね」
「……こほん。あまりからかわれるのは、いい気分はしません」
軽く咎める意味合いで咳払いをしても、師匠は楽しそうに笑うばかりで、足取りも軽くなっている。
前を歩いていた四人も気になるようで、だんだん歩くペースが遅くなって、私と師匠が普通に歩いていても追いついてしまう。
「……ディノア、その人との関係は? きっととても強い人なんだと思うけど、初めて会うから……」
「この人は私の師匠で、リムセリットさんです。昔、一人前になるまで戦い方などを教えてもらいました。今回は、縁あって王都を守るために力を貸してくれるそうです」
「リムセリットさん……ディノアさん、私たちは親友だと思っていたんですけど、ディノアさんの先生なんて大事な人を紹介してもらっていなかったなんて、寂しいです」
シェリーとロッテとの関係は、元のディノアとは親友という感じだったのだと思う。
眼帯をつけるようになったのは何故なのか。それは竜翼兵と戦って負傷したことによるものではなく、もっと前からのようだった――原因は気になっても、簡単に聞けるようなことじゃない。
「私は不肖の師匠だから、ディノアちゃんが秘密にしてくれてたの。今はね、昔よりは更生したつもりなんだけど、まだまだ反省しなきゃ」
「……ディノアはリムセリットさんといると、少し幼くなったように見える。ディノアより年下の私が言うのも変だけど」
「そう……ですね。最近は、ディノアさんはいつも張り詰めていましたから。久しぶりに笑顔が見られたのは、嬉しくはあります」
シェリーもロッテも、私のことを案じている。それは元のディノアが、二人が心配するような状態にあったからなのだろう。
元のディノアが張り詰めていたというなら、理由は一つ――竜翼兵の襲撃から人々を守るために、彼女は一人で行動を起こした。
けれど今の私なら、『ディック』としての強さを、ディノアが果たしたかったことを成すために使うことができる。
私はシェリーとロッテに近づくと、その頭にぽんと手を置いて撫でる。
「ひゃっ……ディ、ディノアさん、急にそんな……っ」
「……くすぐったい。でも、嬉しい」
シェリーとロッテもこの世界に転移してきていたら、こんな反応を見ることは無かった。元の世界の二人にも、なかなかできないことだから。
けれど、いつも感謝している。ギルドマスターとして二人が交流してくれたこと、別の世界の二人でさえ、私を慕っていてくれることに。
「二人も、みんなも、頑張ってくれていたんですね。ありがとうございます……私が偉そうに言うことではないですが」
「いや、お前さんは言っていいぜ……というか、単刀直入に言って、俺はお前さんが何かの危険を予期して、それで王都を出て行ったんじゃねえかと思ってるんだが、そこんとこどうなんだ?」
「レオニード殿、それは直接的すぎるが……いや、そんなことも言っていられぬか。ディノア、私たちはお主を助けるには悔しいが力が足りておらぬ。しかし『竜翼兵』を相手に傷一つ付けられぬということもない。少しでもいい、私たちのことも頼ってはくれぬか」
レオニードさんとカスミさんも、何も変わらない――私はギルドマスターとしての先輩である二人に、憧れに近い感情を持っている。
その二人が、竜翼兵との戦いで傷ついてもまだ力を貸してくれるという。けれど、二人にも誰にも、竜翼兵ほどの強力な魔物と戦って傷つくようなことはあってほしくない。
「……その心意気、なかなかのもんじゃねえか。やはりランクだけじゃ気概は測れねえな」
「腕試しをするようなことを言っておいて、発言がぶれるのは良くないね。まあ、私もスオウに同意見ではあるけれどね」
スオウとミカドが出てきて話に加わる――二人が近くにいるのは分かっていたけれど、そんなに私たちの話に関心があるとは思わなかったので、少し意外だった。
「おっ……な、なんだ? 一体どこから出てきやがった、この坊主たちは」
「坊主じゃねえ、スオウだ。言っておくがおっさん、あんたよりは強えからな」
「もしや……彼ら二人も、ディノアの連れてきた仲間ということかの。ディノアが見込むようなら、彼らも相当な使い手なのじゃろうな」
カスミさんが言うと、スオウはそれ以上レオニードさんを挑発するようなことはせず、ただ右手を差し出した。
「いや、偉そうな言い方をして済まなかった。俺とこっちのミカドはディ……ディノアの連れてきた、用心棒と思ってもらえりゃいい。それなりの働きはするつもりだ」
「お、おう……よろしく頼むぜ、兄ちゃん。確かに坊主って言うには身体ができてるみてえだな」
「おっさんもその歳でその肉体、尋常じゃねえ鍛え方だな」
二人が何か、筋肉という観点で認め合っている――男性冒険者は腕力で物事を判断することが往々にしてあるけれど、女性の立場で客観的に見ると、少年らしさが抜けない仕方ない人たちというように感じられる。
「ここからは私たちも行動を共にさせてもらうよ。君たちと連携するのが最良の選択なのだろうからね」
そう言ってかすかに微笑むと、ミカドが私に右手を差し出してくる。切れ長の瞳は怜悧な光を宿していて、硬質な口調と振る舞いは中性的に感じる。
そんな彼女と握手をすると、やはり師匠とロッテからこう言われてしまう。
「ディノアちゃん、コーディ君ともそうだけど、きりっとした女の人と一緒にいると絵になるよね」
「本当に……だ、駄目ですそんな、二人は女性同士なんですから」
「……ロッテ、そういう勘違いはしちゃだめ。でも、気持ちは分かるかも……」
「ははは、スオウが置いてけぼりになってらぁ。強え女ってのは、なかなか男の方を見向きしねえからなぁ……うちの母ちゃんもそうだったが」
「強え女……まあ、この場合は女っていうかなあ……」
「……スオウ、余計なことを言わないようにお願いします。あなたたちの力は分かっていますが、完全に信頼しているわけではありませんので」
私が元の世界では男だというのは、混乱させるだけなのでこの世界の人たちには教えるべきじゃない。そう思って牽制すると、スオウは素直に口を閉ざしてくれた。
「色々と大変だね、スオウも。私が同じ境遇になっても困惑するのだろうけど」
「っ……ま、まさか……お姉さま、あのスオウという人は、ディノアさんのことを……っ」
「……そうなの?」
「そんなこと、あるわけがありません。あっても困るというか、殲滅しなくてはいけなくなりますし」
師匠が真顔で聞いてくるので、ミラルカの言葉を借りて否定する。スオウは何か言いたげにしていたが、これ以上脇道にそれてはいられない。
他の皆は王都周囲の見回りを終えて、ヴェルレーヌが降りる場所について私に念話で尋ねてきていた。