作品タイトル不明
第147話 水瓶亭の看板娘とグランドマスター
飛行戦艦の制御室で、グラスゴールは幻燈晶に映し出された空を見ていた。
彼女はクヴァリスが一度はアルヴィナスに向かって加速を始めたとき、自分以外の全員を戦艦から脱出させ、クヴァリスを止める最後の手段を使うつもりでいた。
――飛行戦艦による突撃と、自爆。それでクヴァリスを止められるのかが分からなくとも、グラスゴールはそれを選択しなくてはならないと思っていた。
「贖罪のつもりとはいえ、あなたの死にたがりにも困ったものですね」
ディックから目付役を託されたシャロンが、制御室に入ってくる。グラスゴールはシャロンを見るが、その表情は穏やかなものだった。
「……彼は、私の想像の全てを超えていた。彼の仲間たちも、そして何より、スフィア・シルバー……彼の娘も」
「当然です。私のことを御した方なのですよ、彼女は」
この世に、彼ら以外にクヴァリスを止められるものがいただろうかとグラスゴールは思う。
彼らは世界を救ってみせた。それも大きな称賛を受けることなく、アルベイン王国の民のほとんどが、何が起きたかを知らないままに事が終わったのだ。
「ディック・シルバー……彼の名前は、歴史の表には残らないのかもしれない。あれほどの英雄に敗れたこと、彼のために力を尽くせることを誇りに思う」
「ええ、私もです。これからも楽しみですね……彼らが何を成していくのか。それよりも何よりも、今はスフィア様にお会いしたい気持ちでいっぱいですが」
シャロンの言葉に同意しながら、グラスゴールは胸に手を当て、アルヴィナスの方角に敬礼する。
心服する主人である、『銀の水瓶亭』のギルドマスター――ディック・シルバーに、心からの敬意を込めて。
◆◇◆
スフィアを連れ帰ったあとの皆の反応はそれぞれだったが、誰もがスフィアを抱きしめ、泣いて、スフィアがそこにいることを確かめて、安心し――そして、笑い合った。
「はぁ~、やっぱりスフィアちゃんがいる。ねえディック、どうしてスフィアちゃんはこんなに可愛いの?」
「親馬鹿もほどほどにな、アイリーン……店を手伝ってくれるのはいいが、その制服はちょっとスカートの丈が短くないか?」
「すごく似合ってるよ、アイリーンお母さん。お父さん、私はどうかな?」
「めちゃめちゃ似合いすぎてて、うちの方がどきどきしてます。嬉しいなあ、スフィアちゃんと毎日お仕事できるやなんて」
アイリーンはしばらくスフィアと一緒に店の手伝いをすると言って、ウェイトレスが増員された――ミラルカとマナリナも手伝ってくれるというが、魔法大学もあるので毎日顔を出すわけにはいかず、隔日ということでお願いしている。
「……ディック、迷宮九十七階層を一人でなんて……フットワークが軽くていいんだろうけど、また一人で行くなんてひどくないかな?」
「またじっくり潜るときは、騎士団長殿にも付き合ってもらうさ」
「私も行く。ディックと一緒に、パーティを組んで冒険したいから……」
「それならば、私も店主業は休んで付き合わなくてはなるまい。家族で迷宮探索というのも良いではないか」
コーディとシェリーも店に顔を出してくれている。二人とも昼間から酒を飲んでいて、すでに上機嫌だ――こんな時くらいは、無礼講ということにしておく。嬉しいときは徹底的に喜ぶ、それが何より正しいことだと俺は思う。
「……ディー君、一人で行っちゃったことは大変不本意なんだけど、かっこいいから許してあげる。次からは置いていかないでね? スフィアちゃんと一緒に、どこまでも追いかけていっちゃうから」
「し、師匠……迷宮に行くことは一応伝えてただろ。そのことは大目に見てもらってだな……」
言い訳をしようとしたところで、開店前の店に、三人の女性が入ってくる――ミラルカとユマ、さらにもう一人。『水瓶亭』の前ギルドマスターのセレーネ・ラウラだった。
「ディック、店の外で偶然合流したのだけど……」
「セレーネさんも、そろそろこちらのギルドに本格的に復帰したいとおっしゃっておいでです」
「だって、色々楽しそうなんだもの。弟くん、奥さんが七人どころか、娘さんまでできちゃうなんて……私、忘れられたショックで家出してる場合じゃないわよね」
セレーネは俺より年上とはいえ、相変わらず『弟くん』扱いなので、師匠とヴェルレーヌ、そしてミラルカが不穏な反応を見せている――せっかく日常が戻ってきたのだから、どうか穏便に願いたいところだ。
「ディック、ティオのことで世話になってるから挨拶に来たぜ!」
「なんじゃ、開店前というのにずいぶんと賑やかじゃな……ディック、聞いたぞ? 一人で迷宮を踏破するなど、相変わらず人間業ではないのう」
レオニードさんとカスミさんも顔を出して、いよいよ活気が出すぎて収集がつかなくなる。レオニードさんは俺にずいっと迫ってくると、低い声で耳打ちをしてきた。
「ところで、グランド・ギルドマスターの話だがよ……やっぱりディック以外には代行でも務まらねえ。もう一度、考えてみちゃくれねえか」
「ええ、わかりました」
「……なに? ディック、良いのか、そんなにあっさりと」
レオニードさんは自分で言っておいて面食らったような顔をしており、カスミさんも驚いている。
「俺も当面は、王都に留まることができる見込みです。誰かに代わりをしてもらっていたら、気楽に飲んだくれることもできませんしね」
「……言っていることが矛盾しておるようじゃが。お主という男は……本当に素直ではないのう。まあ、そこが可愛いのじゃが」
頬に手を当てて言うカスミさん。そんな仕草をされると色気が凄まじいことになるので、多少は自覚してもらえると俺も安心できるのだが。
「まさか王都で一番働いてるやつが、ここで飲んだくれてるなんて思いやしねえよなあ。全く、お前さんは……」
俺も責任から逃げてばかりもいられない。グランド・ギルドマスターといっても、目立つような立ち回りをせずに役目を果たすことはできるはずだ。
「ディックよ、お前はやっぱり俺の見込んだ通りの男だ。こうなったら仕方ねえ、器のでかさも甲斐性も、おまえが王都一だと認めてやる!」
「レオニード殿に認められずとも、もとから私はそう思っておるがのう」
「はい、お父さんは王都一……いえ、世界で一番素敵なお父さんです!」
スフィアが話に入ってきて、皆が笑う――俺も照れるよりも、スフィアの言葉を素直に嬉しいと思う。
やがて開店時刻になり、スフィアとアイリーン、そしてミヅハの三人は、並んで元気な挨拶をして、今夜最初の客を出迎えた。
「「「いらっしゃいませ、『銀の水瓶亭』へようこそ!」」」