軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第144話 彼女の本音と膝上の黒猫

スープと軽食を少しだけ摂ったあと、侍女の女性がお茶を持ってきて、どちらも何も言うことなく時を過ごした。

バルコニーで飼われているフェアリーバードが、美しく囀る。夜には話しかけないと鳴かないそうで、ミラルカはこの賢い小鳥を宝物のように可愛がっていた。

やがてミラルカは席を立って、別室に行こうとする。何か用があるのかと思ったが、彼女は振り返ると、俺をじっと見ている。

「……どうした?」

「椅子に座っているのは、少し疲れたから……」

ではそろそろ帰った方がいいのか、とかそういうことではない。俺も、そこまで鈍くはない。

「場所を変えて、少し話すか。まだ俺はいてもいいんだよな?」

「……だめとは言っていないわ」

ミラルカがとても緊張して言葉を選んでいるのが分かる。直接的なことを言えないのは、彼女も部屋に俺がいることを意識しているからだろう。

余計な言葉は必要ない。俺は席を立って、ミラルカについていく――別室には天蓋のついたお姫様のもののようなベッドがあり、ミラルカはその端に座ると、何も言わずに俺を見た。

ミラルカの隣に座ると、彼女は少し俺の方を気にかけて身体を動かしたが、距離を取ったりはしなかった。ベッドに突いた右手を左手で持ち、自分の身体を抱くようにする――すると、柔らかく薄い生地の胸元がせり出すように主張する。

一瞬でも長く視線を送ることは許されないと思えて、俺は目をそらす。異性として意識しているとか、そんな場合ではないのに、この状況では足が地に着かないような気持ちで、冷静でいられない。

しかし、ここに何のために来たかを思い出して、ようやく俺は心を静める。俺はミラルカの身を案じてここに来た――そして、彼女が今何を思っているかを聞くために。

「……少し元気が出たみたい。ディックも久しぶりに食事をしたの?」

「まあ、そうだな。少しは食べたりしてたが……」

「ヴェルレーヌさんやリムセリットさんと暮らしているから、心配はかけられないものね」

ミラルカの声は優しく、けれどそれが俺には、彼女がどれだけ傷ついているのかの表れのように聞こえる。

まだ、何も変わってはいない。癒えてもいない――それで、何を話せばいいのか。

「この三日の間、考え続けていたわ。私たちの今までのこと……ずっと戦ってきて、それで今に至っていることが、本当に正しかったのか」

俺にも、その答えが分からなくなってしまっている。

人々を救っても、自分たちが大切なものを失って、それが正しいことなのか。

――何をしてでも、守るべきではなかったのか。その思いが消えず、考えは同じところを回り続ける。

「……両親に、何か話したりはしたのか?」

「父は仕事だけ見ている人だから……母も離れて暮らしているし、私も魔王討伐隊としてのことは話さないようにしているのよ。母は、私が参加することにはずっと反対していて……今も、それは変わっていないから」

ミラルカの両親のことは、父親のことは少し聞くことがあっても、母親のことはほとんど聞いたことがなかった。ミラルカの肖像画を描いたこと、それをミラルカが大事にしていることくらいだ。

「二人とも、戦いのこととは縁遠いところにいる。家族といえど、巻き込むことはできないわ……そうすればきっと、母にもっと心配をかけてしまう」

「……一人で考えて、答えが出ることでもない。俺は、まだ答えが出せてないんだ。スフィアが望んだ通りに、アルヴィナスは守られた……だけど、それは俺たちが望んだ形じゃない」

何も犠牲にせずに守れる力がなければ、この結果を受け入れるほかはない。否定しても、変わることなどないのだから。

「そんなあなたを見て、私たちは不安を感じずにいられた。あなたは私たちのことを、ちゃんと考えてくれている。けれど、同時に心配してもいたわ。だってあなたは、他の人のために自分が死んでもいいって簡単に言えてしまう人だから」

はっきりと言葉にしたことはない。しかし俺がしていることは、そう取られても仕方がない――他の誰かが傷つくよりはいいという考えが、常に俺の根底にある。

「……初めは、あなたは私と同じなんだと思っていたわ」

「同じ……冴えないやつとか言ってたのにか?」

「それは……あなたが見るからにやる気がなさそうだったからよ。やる気がないように見せているだけだなんて、初対面では分からないじゃない」

魔王討伐の旅を通して、次第にミラルカは俺のことをパーティメンバーとして認め、一目置いてくれるようになった。

野営や宿の確保など、旅に必要な知識のある俺が、他のメンバーに頼られるようになったというのはある。当時の仲間たちは家族と暮らしていたわけで、野山に一人でいた時間が長かった俺と比べると、ハングリーさという点で大きな差があった。

しかし俺にないものを持っている彼女たちと旅をすることは、俺にとっても発見の連続だった。特にミラルカは、俺とは全く違った人生を送ってきていて、話すこと全てが異邦人のように感じられたものだ。

そのミラルカが、俺と自分が同じだと思っていたという。そんな素振りを、彼女はこれまで一度も見せたことがなかった。

「……強いというのは、度を越すと一人になってしまうものだから。誰にも理解されなくてもいい、でも自分を自分として持っていたい。そんな考えが、似ていると思ったのよ」

「俺は、そこまで深いことは考えてないが……力が恐れられる対象になることだけは、避けたいと思ってたな。そのわりに、魔王討伐隊に志望したわけだが……」

「皆に恐れられないようにするには、力を皆のために使えばいい。一度でもそうして功績を残したら、私達は自分の権利を主張できる……そんなふうに、自分のことだけ考えていたの。当時は子供だったとはいえ……」

「今は反省してるとか、そういうことか?」

ミラルカは笑って、俺の目を見て答える――久しぶりに見る笑顔に不意を突かれ、俺は目をそらせなくなる。

「困ったことに、全く反省してはいないのだけれどね。問題児は私だけではなかったから、その意味でも安心していたわ」

「酒が欲しいって言うアイリーンもいたからな」

「何を言ってるのかしら……一番変わったものを欲しがったのはあなたでしょう。あなたが何を考えているのか、あの時は想像がつかなかったわ」

俺が『銀の水瓶亭』のマスターとなった理由。それを、今はミラルカも理解しているのだろう――俺でも、具体的に言葉にしようとすると困るようなものなのだが。

「……けれど、ギルドマスターになるということは、あなたがいなくならないということだから。私も、皆も安心していた。あなたは魔王討伐を終えたらいなくなってもおかしくないって、みんなで話していたから」

そう考えていたことも、確かにあった。しかし俺は、ヴェルレーヌと約束をした――魔王の護符を、五年後に受け取りに来るようにと。

その約束を守るためだけなら、五年後に王都に戻ってくれば良かった。それを選ばなかったのは、恥ずかしくて言えないような単純な理由だ。

「……あなたにとって、私たちは……王都に留まろうと思えるような、存在だった?」

ミラルカが、これほど何かを言うときに力を必要としているところを、俺は見たことがなかった。

いつでも聞けるはずだったこと。それこそ五年前、王宮から出たところでも、ミラルカは俺に聞くことができただろう。

しかし、俺はその時に聞かれて答えられただろうか。何も包み隠すことなく、思うままに。

「そのために残ってると言ったら、俺は自分に嫌気がさしただろう。そういうことを言うのは、情けないことだと思ってたからな」

「……そう。それなら、私たちは何も聞かなくて良かったのね」

俺は王都に残り、この五年を過ごした。あの時違う選択をしていたらと、想像することもない。

「スフィアが、あの運命を受け入れていたのだとしても。私達が出会ってあの子が生まれたことは、何も間違っていなかった……」

「……間違っていたとは思わない。俺は、スフィアと出会えて……」

スフィアと出会ったこと。彼女とともに過ごすことができたことを、後悔で塗りつぶしてはならない。

しかし幸せだったと言葉にすること、過去にすることが、俺にはまだできそうにない。

「……私は、あの子のことを考え続ける。でも、立ち止まることはもうしない。時間を止めることはできなくて、あなたにも心配をかけてしまったから」

「ヴェルレーヌが、ミラルカのことを教えてくれたんだ。俺は皆のことを考えられてなかった……今日だって、ミラルカに会えないかもしれないと思ってたよ」

今日、話すことができて良かった。そうしなければ、俺はまだ顔を上げることもできず、時間の流れと向き合えずに過ごしていただろう。

ミラルカが俺を見ている。長い睫毛が震えて、瞳が潤む――それでも彼女は目を逸らさない。

「私があなたのいないところで泣いているなんて、思ったりしないで」

それは強がりではなく、願いだと思った。

拒絶ではなく、ただ俺を安心させるための言葉。

「あなたが私のいないところで悩んでいたら、それを私に教えて。約束しないと、殲滅するわよ」

「……分かった。可能な限り、善処する」

「……不満な返事なのだけど、今は許してあげる。あなたの性格は、変えられるものじゃないから。スフィアも笑っていると思うわ」

そうかもしれない。そういうときは素直に返事をした方がいいと、スフィアなら言ってくれたかもしれない――。

ミラルカのベッドに突いた右手が、動く。俺の膝の上に載せられて、彼女は目を閉じる。

フェアリーバードの声は聞こえない。遠い市街地の喧騒が、わずかに届くだけだ。

金色の髪に触れて、ミラルカの頬に手を伸ばそうとする――その瞬間に。

背後からノックの音が聞こえる。ミラルカは薄く目を開くと、眼前の俺をとろんとした目で見た後で――俺の肩に手を置いて、控えめに身を引く。

『ミラルカお嬢様、よろしいですか? 大学から、封書が届いておりますが』

「え、ええ……少し待って」

ミラルカは席を立ち、封書を受け取ったあと、再び寝室に戻ってきた。入り口の陰から、こちらの様子をうかがうように見てくる。

「…………」

「ど、どうした……?」

何を言うべきかと、俺も上手い言葉が見つからない。ミラルカはしばらく俺を見ていたが、やがて意を決したように部屋に入ってくると、再び俺の隣に座った。

「……今のことは、まだ他の誰にも言わないと約束できる?」

「あ、ああ。それは、もちろん約束するが……」

ミラルカは何かを言いたそうにする。顔は真っ赤で、こちらも顔が熱くなっているのが分かる――俺たちは何をしているのだろう。

「……お礼を、しておきたいから。私は、そういうことには律儀な方なの。知っていた?」

「お礼……?」

疑問を呈してばかりの俺を見て苦笑しつつも、ミラルカは膝の上をぽんぽんと叩く。

「前にも、やむなくしてあげたことがあったけれど……あなたは、私の膝の上が好きみたいだから」

虎人族の集落で、宴に参加したときのこと――俺はミラルカに、事情あって膝枕をしてもらったことがあった。気がついたらされていたと言うべきか。

今はそういった事情はなく、それでもミラルカが膝枕をしてくれると言っている。

「ヴェルレーヌさんと比べたりしないようにね。何も考えずに、私の猫になりなさい」

「ね、猫……?」

「いいから。あなたはいつも黒づくめだから、黒猫みたいなものよ」

その理屈も強引だったが、それ以上の反論は許されなかった。俺は半ば引っ張られるようにして、ミラルカの膝に頭を預けさせられる。

分かってはいたことだが、膝の上で仰向けになると、ミラルカの顔がとても見えにくい。

「私の顔は見なくていいのよ、目を閉じていなさい……そう……それでいいわ……」

「……お、落ち着かないんだが……」

「慣れるまでは我慢しなさい。私も慣れていないんだから」

そうは思えないほど、ミラルカは本当に猫を撫でてでもいるかのように、俺の頭を撫でる。くしゃくしゃとされるが、元に戻してくれるので、文句は言えない。

――ひどく久しぶりに、意識が自然に沈んでいく。目を閉じているうちに、抵抗することもできずにまどろみに落ちていく。

「……そのまま眠っていいのよ。あなたも少しくらい、休むべきなのだから」

ここで俺が眠っていられるのは、夕暮れが迫るまでの決して長くはない時間だ。

それでも今は、このまま眠りたかった。傍にミラルカがいるという安堵に身を任せて。