軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 外道(後)

方相氏はふたつの種族が和解するための生贄にされるかもしれない――ソフィアの推測を聞いた一真は、常から眉間を去らぬ 皺(しわ) をひときわ深くした。

十分にありえることだ、と判断したからである。

もっと言えば、ソフィアに指摘される以前から一真はその危惧を抱えていた。最悪の事態を避けるために行動もしていた。

だが、なにしろ幻想種という敵が強大すぎて、戦後をにらんだ動きは小さいものにならざるを得ず、具体的な成果は何ひとつ挙げられていないのが現状である。

幻葬(げんそう) の志士である仁を通じて鬼人族と接触する、という手もあったのだが、これに関しては考えただけで実行に移していない。

方相氏の上位者たちや 儺儺式(ななしき) 使いは馬鹿ではない。彼らの目は間違いなく御剣家にも向けられている。一真としては、仁の存在を方相氏に悟られるような事態は極力回避したかったのである。

それに、これ以上御剣家のことで弟に負担をかけたくないという思いもあった。

ともあれ、ソフィアの指摘は正確に一真の危惧を突いていた。当然、指摘してそれで終わりではないだろう。

一真はかすかに目を細めて眼前の神官を見やった。

「奥歯に物が挟まった言い方だ。私と一対一で話をするために他者を眠らせたのだろう? 胸襟(きょうきん) をひらけとは言わぬが、持って回った物言いは興を 殺(そ) ぐ」

「ごもっともです。では単刀直入に申し上げましょう」

そう言うと、ソフィアは一呼吸いれてからその言葉を述べた。

「鬼人族を大陸から駆逐いたしましょう、一真様。鬼人族だけではありません。御身にとって目の上のこぶである方相氏をも大陸から追い放ち、御剣家の名を 不朽(ふきゅう) のものとするのです。 不肖(ふしょう) ながら、この身がお手伝いいたしましょう」

臣下のごとく深々と頭を垂れるソフィア。

だが、むろんというべきか、一真は喜んで頷いたりはしなかった。

「 痴人(ちじん) の夢想だな。私がそのような妄言に乗ると思っているのなら、侮られたものよ」

「ここで決断せねば、遠からず御剣家は 族滅(ぞくめつ) の憂き目を見ることになりましょう。それが鬼人の手によってもたらされるのか、同族の手によってもたらされるのかは分かりませんが、いずれにせよ、一真様と配下の方々の命運は尽きてしまいます。そのことは理解しておいでと存じますが」

「そうなると決まったわけではあるまい」

段々と言葉に熱を込めてくるソフィアとは対照的に、一真はひどく冷めた声で応じた。

御剣家当主の胸中では眼前の神官に対する疑念が一秒ごとに膨れあがっており、今や無視できないほどに大きくなっている。切れ長の双眸に疑念と警戒を宿したまま、一真は言葉を続ける。

「物いわぬ幻想種とは異なり、人間も鬼人も言葉を使うことができるのだ。たとえ過去に因縁があったとしても、語り合って乗り越えることができる。それこそ仁とアトリ殿のように、種族を 異(こと) にして結ばれる者たちもあらわれよう」

一真はその言葉を意図して発したわけではなかった。アトリのことで弟から特別に何かを言われたわけでもない。

ただ、ふたりが互いに想い合っていたのは傍目にも明らかだったので、それを思い出して口にしたにすぎない。

――反応は想像を超える激越さで返ってきた。

ソフィアの細い身体からあふれ出すおぞましいほどの魔力。とうてい生身の人間のものとは思えない力の奔流に晒された一真は、ほとんど本能的に腰の剣を抜き放っていた。

幻(・) 葬(・) 一刀流 颯(はやて) 。一真が仁から伝えられた最初の剣技。

踏み込み、抜刀、斬撃、いずれも要した時間は瞬きひとつにも満たない。

一真の攻撃は人間として可能な限界を極めており、よほどの達人でもなければ、 躱(かわ) すことはおろか攻撃されたことさえ気づかなかったに違いない。

その 手練(しゅれん) の一閃を、ソフィアは止めた。 躱(かわ) したのではない。後ろにさがらず、かえって前に踏み込み、一真の振るった 笹雪(ささのゆき) の刃を素手でつかんでのけたのである。

驚愕をのみこんだ一真がとっさに刀を引こうとしたが、刀はぴくりとも動かない。

ソフィアは寸前の激情を忘れたようにくすりと微笑んだ。

「お見事です。けれど、無駄なこと。仁様が一を聞いて十を知る天才なら、あなたは一を聞いて一を知る凡才。たとえ仁様の編み出した剣といえども、使い手があなたである限りわたくしには届きません。心装を出したところで同じことです」

「――ッ!」

一真は相手の言葉に応じず、さらに腕に力を込めるが、やはり刀はびくともしない。

心装を出そうともしたが、いまだ仁の足元にも及ばない一真の心装では、眼前の相手を退けることはできないだろう。他人に言われるまでもなく、弟と己の差はわきまえていた。

と、ここでソフィアがさらに言葉を続ける。

「そう、剣士としては仁様に及ばない。けれど、一を聞いて一を知るあなたは、それを十度繰り返すことで十に至る努力の人でもある――少なくとも、仁様はそうおっしゃっておいででした。いずれ兄上は、自分はもとよりアトリと同じ領域にたどりつくだろう、とも。今の一刀を見て、わたくしも同じ考えに至りました」

「ならば、ここで 禍根(かこん) を断っておくことだ」

「それはできません。あなたは仁様が感覚で使っていた剣を理論として修めることができる。理論として修め、他者に伝えることができる。剣士としては仁様に及ばずとも、剣の師としては仁様にまさる。その意味では、あなたもまた仁様に並ぶ天才なのでしょう。わたくしにはその才が必要なのです」

言い終えるや、ソフィアは刀から手を離した。

途端、一真は間髪を容れずに飛びすさり、ソフィアと距離をとる。その額には玉のような汗がにじんでおり、今の短い時間で一真が激しく消耗したことを告げていた。

一方のソフィアはかけらほどの疲労も見せず、熱を込めて己の計画を 詳(つまび) らかにしていく。

「仁様は亡くなられましたが――いえ、亡くなられたからこそ、せめて仁様が生み出したものは世の末まで伝えねばなりません。それができるのは一真様だけなのです。これよりわたくしはアトリをはじめとした鬼人の志士たちを救出すると称し、いまだ大陸に残る鬼人の戦士たちを異界へと導きます。主力となる心装使いを 彼(か) の地に幽閉してしまえば、残るのは心装を使えぬ未熟者や女子供、老人ばかり。人間の戦力でたやすく潰すことができるでしょう」

「そのような虐殺、諸人の賛同を得られるはずもない」

「人間の中にも鬼人族の力を恐れる者はいます。名目さえあれば、すすんで反対を唱える者はいないでしょう。そうですね―― 彼(か) の幻想種こそ鬼人族が崇めていた鬼神だった、というのはいかがです? こたびの大乱の元凶は実は鬼人族であり、あなたはそのことを突きとめて見事鬼神を封印せしめた。そして、元凶たる鬼人族をも大陸から一掃し、歴史に不滅の名を刻み込むのです」

「……そのような企みに同心することはできぬ、と言えばどうする」

「そのときは止むを得ません。ここに横になっている方々を一人ずつ殺していきます」

そういってソフィアは倒れている御剣家の配下たちを 一瞥(いちべつ) した。

「それで足りなければ大陸に残っている方々を。それでも応じないのであれば、残された家族を殺します。あなたが 肯(うべな) うまでずっと。全員が殺し尽くされてもなお意見がかわらないのであれば、そのときは仕方ありません。あなたも殺して、他にめぼしい相手を探しましょう。世界を救った英雄にしてさしあげますと耳元で囁けば、応じる者はいくらでも湧いて出ます」

「仁が生み出したものを後世まで伝えるのではなかったのか?」

「可能であればそうします。不可能であれば諦めます。それだけのことです」

ソフィアの舌の勢いは止まらず、それからも 滔々(とうとう) と語り続けた。

龍とは何なのか。光神教とは何なのか。己がどのような存在になったのか。いかにして大陸の歴史を 改竄(かいざん) していくのか。

それらを聞かされている間、一真はすべての神経を集中させてソフィアの隙を探したが、まったくといっていいほど見つからなかった。それどころか、刻一刻と膨れあがるソフィアの魔力におしつぶされないよう耐えるだけで精一杯という有り様。

視界に映っているのはたしかに人間なのに、感じる圧迫感は最上位の幻想種のそれである。今の己が太刀打ちできる相手ではない、と認めざるを得なかった。

死を覚悟で挑んでもひねりつぶされるだけ。それは同時に配下の死をも意味する。大陸に残してきた者たちも皆殺しにされるだろう。ソフィア自身がそう明言した。

その結果、仁が命を懸けて守ろうとした御剣家も、身命を賭して編み出した剣技も失われてしまう。

――それだけはできぬ。当主として、兄として、それだけは絶対に。

一真は血がにじむほどに拳を握りしめた。

ソフィアの手をとれば、その瞬間に御剣一真の名は永遠の汚濁にまみれてしまう。

命を惜しむ臆病者。他人の功績を奪う卑怯者。背後から盟友に斬りつけた裏切り者。罪なき命を踏みにじる虐殺者。他にも数え上げればきりがない。

そのくせ、表では世界を救った英雄として称えられるのだ。恥を知る者ならば一日とて耐えられぬ地獄の日々。人としての喜びをおぼえることなど二度とあるまい。

だが、それをしなければ御剣家は地上から消え去ってしまうのだ。

奥歯を噛みしめた一真は、どこか恍惚とした表情で口を動かし続けているソフィアを見やる。

ソフィアは御剣一真を英雄にしようと画策する一方で、鬼人族を異界に導こうとしている。

単純に鬼人族を滅ぼすだけなら、そんな手間をかける必要はない。鬼人族の主力は志士として龍と戦ったのだ。残っている心装使いの数は少なく、今のソフィアであれば正面から押し潰すことも可能であろう。

戦勝祝いと称して鬼人族を集め、毒を飲ませるという手だってある。毒を食らわば皿までともいう。今さら毒のひとつやふたつ、躊躇する理由はあるまい。

だが、ソフィアはそれをせずに鬼人族を一か所に集めようとしている。一真の目には、ソフィアが御剣家と鬼人族の対立構造をつくろうとしているように思えてならなかった。

仁が守ろうとしていた御剣家と、アトリが守ろうとしていた鬼人族をあえて対立させる理由は何なのか。

アトリに封じられたという龍の意識がソフィアに伝わっているのなら、己を封じたアトリに対して意趣返しをしようとしているのかもしれない。その可能性は十分にあるだろう。

だが、それだけではないとしたら。

先ほど、仁とアトリが結ばれたと口にしたときの反応が、ソフィア自身の情念によるものだとしたら。

その場合、御剣家と鬼人族の対立を画策したのはソフィア自身だということになる。ソフィアの精神は正常の 轍(わだち) から外れていると言わざるをえない。

――まさかとは思うが、仁の死も……

一瞬、一真はその可能性を考えたが、すぐにかぶりをふって疑念を振り払った。

その答えを知ってしまえば、もうソフィアと戦う以外の道がなくなってしまう。外道に堕ちる覚悟を決めた以上、それについて考えるべきではなかった。

考えるべきは、いかにして仁の遺した反逆の刃を後世に伝えるか。ただそれだけであるべきだった……