軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十五話 反乱鎮圧

カガリの 同源存在(アニマ) である 饕餮(とうてつ) は鬼神 蚩尤(しゆう) と極めて近しい存在である。 同源存在(アニマ) の格だけを見れば、鬼界最高といっても過言ではないだろう。

その力はすさまじく、近くにいたランはカガリからあふれ出た 勁(けい) をまともに浴びて、あやうくその場で気絶するところだった。へたをすれば命を失っていたかもしれない。弟を、そしてクリムトを守らなければ、という思いがなければ踏みとどまることはできなかっただろう。

懸命に意識を保とうとするランの視界では、カガリと 蔚塁(うつるい) が激しい戦いを繰り広げている。武術に心得のないランには、両者の動きは 陽炎(かげろう) のように揺らめいて判然としないが、それでも震えるほどの 勁圧(けいあつ) と耳を圧する轟音が戦いの激しさを物語っていた。

今、眼前でおこなわれているのは神域の激闘だ。自分などが巻き込まれれば、瞬きひとつの間に肉片となって四散する。それがわかったから、ランはカガリたちの戦いに関わろうとはしなかった。

そもそも関わる必要もない。自分を殺そうとした 蔚塁(うつるい) は言わずもがな、中山の王弟であるカガリもランにとっては敵なのである。カガリは 蔚塁(うつるい) からランを守ってくれたが、ランから見れば、その行動は獲物の横取りを防ぐためのものとしか思えなかった。

ふたりが共倒れになってくれれば幸いだが、有るか無しかも分からない可能性にすがって時間を浪費することはできない。ふたりが戦っているうちに、できるだけこの場から遠ざかっておかなければ。ランはそう考えた。

「――姉上!」

低く、短い呼びかけを聞いて後ろを振り返ると、右腕を断ち切られたクリムトの近くでヤマトが膝をついている。ヤマトがやったのか、それともクリムトが自分でやったのか、クリムトの右腕には血止めのための紐がきつく巻きつけられていた。

クリムトは意識こそ失っていないようだったが、息は荒く、顔つきはひどく険しい。とうてい自力で動けるようには見えない。

ランはクリムトに肩を貸してカガリたちから離れる。クリムトの血で服や身体が汚れたが、ランはまったく気にしなかった。ヤマトも姉を手伝い、クリムトが倒れないように腰を支える。まだ小さいヤマトは姉のように肩を貸すことができないので、そうするしかなかったのである。

「……俺の、ことは……放って、おけ」

「お断りします!」

かすれ声のクリムトの指示に、ランは明快に否を突きつける。クリムトは眉間に深いしわを寄せ、ランを払いのけるような動きをしたが、その動きはランがあっさりおさえこめるほど弱々しいものだった。

その事実にクリムトの衰弱を感じとったランは焦燥で顔を強張らせる。このままでは、たとえこの場から逃げのびたとしてもクリムトは死んでしまう。あふれかえる血臭がその不吉な推測を肯定した。

大声を出して助けを呼ぶ、という選択肢がランの脳裏をよぎる。そうすれば、カササギをはじめとした崋山兵たちが助けに来てくれるかもしれない。

だが、へたに大声を出せば、間違いなくカガリと 蔚塁(うつるい) の気を引いてしまう。崋山兵に対処するためにふたりが手を組みでもしたら最悪だ。その思いがランに声を出すことをためらわせた。

ためらいの底にはカササギたちへの不信感がある。助けを呼んだところで駆けつけてくれるのか。仮に駆けつけてくれたとしても、カガリたちを退けてクリムトを助けることができるのか。そういった不信感だ。

とはいえ、自分たちだけで窮地を脱する力がないこともまた事実。ランは迷い、悩み……結果として機を逸した。自分の判断で状況を変える機会を手放してしまったのである。

――後方でひときわ甲高い金属音が鳴り響く。

とっさに振り返ったランの目にうつったのは、砦のかがり火を反射しながら夜空を舞う 蔚塁(うつるい) の刀だった。

儺儺式(ななしき) は人間が心装と戦うために生み出された剣技だが、 礙牢(げろう) が効いていない状態、すなわち相手が心装を出した状態での戦闘は 蔚塁(うつるい) といえども厳しいものにならざるをえない。

ましてや相手は黒狼カガリ、鬼界屈指の心装使いである。

蔚塁(うつるい) がカガリと渡り合えた時間は百を数える程度。 儺儺式(ななしき) 随一の使い手である 蔚塁(うつるい) をもってしても、カガリ相手に生身で戦うのはそれが限界だった。

もっとも、刀を失っても 蔚塁(うつるい) に動揺の気配はない。素手になった 蔚塁(うつるい) はカガリの追撃を予想して後ろに飛んだが、その動きには相手を誘う意図が見え隠れしている。

カガリとしても、敵の武器を弾き飛ばしたからといって気を緩めるつもりはなかった。カガリ自身がそうであるように、武器と素手の戦闘術を二つながら修めている者などめずらしくもない。先刻のように 勁(けい) を封じ込める秘術があるかも知れず、自爆の 類(たぐい) をおこなってくる可能性もある。

常のカガリであれば、戦いの最中にここまであれこれ考えたりはしないのだが、眼前の敵が漂わせる底知れない雰囲気が中山の王弟に慎重な判断を強いていた。

傍(はた) から見ているランにはふたりの意図を読み取ることはできない。 蔚塁(うつるい) とカガリが距離を置いて睨みあう光景を、声も出せずに見つめることしかできなかった。

と、不意に鈍い金属音がその場に響きわたる。宙を舞っていた 蔚塁(うつるい) の刀が床に落ちたのだ。

それを合図としたように 蔚塁(うつるい) の姿が闇夜に溶けていく。退却したのか、それとも次なる攻撃をしかけようとしているのかはわからない。

ランがその答えを知ったのは、ゆっくり十を数えた後だった。カガリが、はあー、と声に出して息を吐きだしたのである。どこか緊張感に欠けるその仕草は、間違いなく安堵をあらわすものだった。

「いやいや、なんなんだよ、あいつは。死神とか悪魔とか、そういう 類(たぐい) か? 反乱軍にあんな奴がいるなんて聞いてないぞ、ハクロ 兄(にい) 」

この場にいない兄弟にぼやきながら心装を 納(おさ) めたカガリは、くるりと振り返ってランたちに視線を向ける。

それに気づいたランは身体を硬くしたが、逃げるにせよ、助けを呼ぶにせよ、すでに手遅れであることは明白だった。仮に今からランが大声をあげようとしても、カガリは一瞬で距離をつめてランの喉を握りつぶすだろう。逃げようとしても同じことだ。

カガリたちが戦っている間に行動すべきだった、と思っても後の祭りである。ランは後悔に 苛(さいな) まれながら、歩み寄ってくるカガリを声もなく見つめる。

そのとき、ランをかばうように小さな人影が前に進み出た。

「中山の王弟、カガリ殿とお見受けします」

そういって進み出たヤマトを見て、カガリは一瞬戸惑ったように目を瞬かせる。が、すぐに相手の正体を悟って楽しげにうなずいた。

「いかにも、俺は中山のカガリだ。そういうそちらは崋山のヤマト殿かな?」

「はい。初対面のあなたに対してぶしつけではありますが、お願いがあります」

「お願い、か。まあ、受けるかどうかは別にして話は聞こうか」

ヤマトの聡明さを一目で見て取ったカガリは、この童子が何を言うのか、と目に興味の色を浮かべた。

もとよりカガリには姉弟を殺すつもりはない。見逃してくれ、というのであれば見逃すつもりだった。ただ、その前にいくつか問いたださなければならないことがある。

そんな風に考えていたカガリは、次のヤマトの言葉を聞いて目を見開く。

「崋山は中山に降伏します。そして、僕の身柄はあなたにお預けします。そのかわり姉上とクルト、それに他の兵たちの命は助けてほしいのです」

「ふむ? 試みに問うが、俺に身柄を預けることの意味をわかって……いるようだな、その顔を見ると」

「はい」

ヤマトは静かにうなずく。

ヤマトは崋山王家の血を継ぐ唯一の男児であり、ヤマトが死ねば崋山の再興は事実上不可能になる。

当然、中山は捕らえたヤマトを処刑するだろう。ヤマトはそのことをしっかりと認識していた。その上でカガリに降伏することを伝え、自分以外の者たちを助けてほしい、と申し出たのである。

自分の価値を見据え、自分の死を覚悟した上で、まわりの者たちのために命乞いをする。

自分が八歳のときにこれほどの分別があったろうか。カガリがそんなことを考えていると、ランが大声をあげた。

「ヤマト、またあなたは……!」

姉が目を三角にして弟を睨んでいる。また、と口にしたところを見るに、どうやら今までにも似たようなやり取りがあったらしい。

カガリはくくっと喉の奥で笑った。もとより殺すつもりはなかった相手だが、今の言葉を聞いてますますその気はなくなった。

「わかった。中山は崋山の降伏を 容(い) れる。ヤマト殿にも無体な振る舞いはしないと約束しよう」

カガリは主にランに向けてそう告げると、懐に手を伸ばして小さな 瓢箪(ひょうたん) を取り出した。そして、それをランに向けて放る。

とっさに受け取ったランは、戸惑ったように瓢箪とカガリに視線を往復させた。

「……これは?」

「 薬湯(やくとう) を詰めたものだ。そのクルトって人間の口に含ませて、ついでに傷口にも塗ってやるといい」

光神教の司教であるハクロ謹製の 薬湯(やくとう) は飲んでも塗っても効果がある。カガリはランの問いに応じながら、斬り飛ばされたクルトの右腕に歩み寄った。拾いあげて切断面を見ると、カガリが感心するくらい綺麗である。この分なら腕がつながる可能性もあるだろう。

カガリは腕の持ち主にちらと視線を向け、その特徴的な 白髪(はくはつ) を見やった。

――あいつは間違いなく門番のひとりだ。島で見た記憶がある。ハクロ 兄(にい) の予想どおり、反乱軍の後ろには門番がいたのか? けど、ハクロ 兄(にい) は両者を結びつけたのが光神教だって推測してた。その光神教が門番を斬り、崋山の姫を斬ろうとしていたのは何でだ?

単純に考えれば口封じだろう。崋山の反乱が失敗すると判断した光神教は、自分たちの存在が中山にもれることを恐れて秘密を知る者を消そうと動いた。そう考えれば色々と 辻褄(つじつま) が合う。

だが、カガリの勘は「それは違う」と告げていた。

それゆえ、そのあたりの事情を崋山の姉弟からくわしく聞き出す必要がある。そして、ふたりの口をひらかせるためには、降伏を容れるのが一番てっとり早かった。姉弟のどちらかを痛めつけて、もうひとりの口を割らせるという手もあるが、女子供をいたぶるのはカガリの性に合わない。

それをするくらいなら命を救ってやり、それを恩に着せて口を割らせた方が良い。反乱軍を徹底的に叩き潰せ、というハクロの指示に背くことになってしまうが、そのあたりは現場の裁量ということで勘弁してもらおう。この地で見聞きしたことの重要性を 鑑(かんが) みれば、ハクロも否とは言うまい。カガリはこっそりそう考えた。

と、そのとき、遅まきながら異常に気付いた崋山兵が、ランたちの名を叫びながら駆け寄ってくる。

その数は十に満たず、カガリひとりで蹴散らすことも可能だったが、カガリは念のためにヤマトたちの様子をうかがった。

ふたりが前言をひるがえし、中山の王弟を討ち果たせ、と兵たちに命令するかもしれないと思ったのである。

だが、結論からいえば、これはカガリの邪推だった。ランとヤマトは立ち騒ぐ兵たちに光神教の裏切りを伝え、中山へ降伏する 旨(むね) を明言する。当然、カササギをはじめとする将兵は騒ぎたったが、光神教が裏切ったとなれば今後の補給もおぼつかない。

何より、今しがたの強大なカガリの 勁(けい) をまざまざと感じ取った崋山兵には、この場でカガリと敵対するだけの度胸も気概もなかったのである。

かくて、大興山で起きた反乱は多くの人々の推測を上回る速さで鎮圧されることになった。

一方、 空(そら) とドーガの戦いはまだ続いていた。

戦いはじめから数えれば、すでに太陽の巡りが三度繰り返されている。その間、ふたりはただの一度も休息をとることなく全力戦闘を続けていた。

むろん、常人に可能な 業(わざ) ではない。ここは鬼界、ただ立っているだけで消耗を強いてくる煉獄の地だ。そんな場所で三日三晩、全力状態の 勁(けい) を維持するだけで 常軌(じょうき) を逸している。その状態で休みなく戦い続けるに至っては、もはや狂気の沙汰といってよい。

実際、ふたりの頭にはすでに当初の目的は残っていなかった。そんなことに意識を割いていては、極限まで濃縮された激闘についていけないからである。

湧き出る 勁(けい) はもちろんのこと、激しい疲労も、身体がちぎれそうな苦痛さえ戦闘に注ぎ込む。そうしなければ、次の瞬間、自分の頭は 西瓜(すいか) のように爆ぜわれてしまうだろう――空もドーガもそのように考えており、それは正しく事実を言い当てていた。

どちらかが手を止めた瞬間に死ぬ。どちらかが意識をそらした瞬間に死ぬ。

ゆえに手を止めず、意識をそらさず、ふたりは眼前の敵に対して攻撃し続ける。それは人間と鬼人の戦闘というより、獣と獣の殺し合いだった。本能レベルまで尖鋭化された戦意を叩きつけ合いながら、相手の動きが止まるまで動き続ける。

その異常さは外から見ても明らかであり、クライアやウルスラ、あるいは中山軍の将軍たちは何とか味方を援護しようと四苦八苦していた。

援護が無理でも、せめて一呼吸いれさせないとまずい。 勁(けい) を用いれば多少の身体の無理はきくとはいえ、すでにふたりの戦いは「多少」の範疇をはるか遠くに置き去りにしてしまっている。このままでは敵に討たれる前に心臓が破裂しかねない。

だが、それがわかっていても打つ手がなかった。へたに割って入れば、その者は次の瞬間、空とドーガのふたりがかりで殺されるとわかってしまうからである。今のふたりには互いの姿しかうつっていない。乱入者は双方に邪魔者と判断され、文字通りの意味で潰されてしまうだろう。

それでふたりが正気に戻ってくれるならともかく、ほぼ確実にそうはならない。それがわかっているから、どちらも手を出せずにいる。

――その状況が、ようやく動こうとしていた。

はじめにその鬼人があらわれたことに気づいたのは中山の将軍たちである。

ゆったりとした長衣をまとった姿は武人ではなく文官のそれであり、戦場にあってはひどく目立つ。クライアたちもすぐに気づいた。

クライアにせよ、ウルスラにせよ、その鬼人がかなりの使い手であることはわかったが、脅威をおぼえることはなかった。その鬼人からはドーガほどの威を感じなかったからである。必然的に、この戦いに介入できる人物ではない。ふたりはそう判断した。

だが、鬼人たちは一様に新たに現れた人物に敬意を表し、その場で膝を折っている。そのことから、その鬼人がかなりの大物であることがうかがえた。

鬼人たちがわざわざ呼び寄せた人物なら、この状況を打開する切り札を持っているかもしれぬ。だとすれば、それを使われる前にしとめておく必要がある。そう思ってクライアたちが心装を構えたとき、その鬼人のものとおぼしき声が聞こえてきた。

やわらかい響きの中に強い意志を感じさせる声で、その鬼人は高らかに 同源存在(アニマ) の名を口にした。

「心装励起――笑えや、 渾沌(こんとん) 」

それを聞いた瞬間、クライアとウルスラの視界は一瞬で闇に覆われた。視界を奪われたのである。

異変はそれだけにとどまらない。あらゆる音が消えた。あらゆる匂いが消えた。心装を握っているはずの手の感覚も消えうせた。もしこのとき、ふたりが何かを口に含んだとしても味を感じることはなかったであろう。

五感剥奪。

異変はたちまちあたり一帯を覆い尽くし、激闘を繰り広げている空とドーガのふたりさえ呑み込んだ。