作品タイトル不明
第七十六話 ウルスラとの再会
「クライア!」
「ウルス……わぶ!?」
室内に足を踏み入れるなりクライアに抱きつく女性旗士と、その旗士に抱きすくめられ、呼びかけを中断させられるクライア。
間近でそれを見ていた俺の脳裏によぎった思考は「誰?」だった。
いや、やってきた女性がウルスラ・ウトガルザであることは承知している。黄金世代のひとりが来ることはあらかじめ伝えられていたし、直前のクライアの言葉からも、この相手がウルスラであることは間違いないのだろう。
にもかかわらず、俺がとっさに相手をウルスラと認識できなかったのは、俺の記憶にあるウルスラと、 今(いま) 目の前にいるウルスラが、あまりにもかけ離れていたからだった。
俺が知っているウルスラは、湖水を思わせる青い瞳と蜂蜜色の髪の持ち主で、肌は日に焼けた小麦色をしており、そばかすの目立つ顔をしていた。動きにくい 女物(おんなもの) の服を好まず、見かけたときはもっぱら男物の服ばかり着ていたような気がする。
背丈も低く、小柄なクライアよりさらに頭ひとつ分小さかった。自分のことを「僕」と呼ぶ言葉づかいや、髪の毛を少年のように短く切りそろえていたこともあり、はたから見れば男の子にしか見えなかったものである。
しばしば女の子と間違われていたシドニー・スカイシープとは対照的で、初めて黄金世代を見た人間がシドニーとウルスラの性別を取り違えるのはお約束だった。
それが俺の知る五年前のウルスラである。
ひるがえって、今のウルスラはどうなのかといえば、まず背が高くなっていた。かつてはクライアより低かった身長は、今でははっきりとクライアを追い抜いている。
変わったのは背丈だけではない。短かった髪を肩口まで伸ばし、肌は白くなめらかで、切れ長の 双眸(そうぼう) は剣士としての鋭さと女性としての美しさを兼備している。
端正な顔立ちにはそばかすの痕跡すらなく、四肢は長くしなやかで、青林旗士の羽織袴がびっくりするくらい似合っていた。衣服越しに見える身体つきも女性らしい丸みを帯びており、抱きしめられたクライアの顔は半ばウルスラの胸に埋もれている。今のウルスラを見て男と間違える者はいないだろう。
――というか、本当にウルスラなの、この人? ほとんど別人なんですけど。
わりと本気で混乱していると、こちらの視線に気づいたのか、ウルスラの目が俺に向けられた。
途端、湖水色の両目が驚いたように大きく見開かれる。
いったい何に驚いたのかと疑問に思ったが、それを確かめるより早く、ディアルト・ベルヒの淡々とした声がウルスラを制した。
「控えよ、ウトガルザ」
「……は、申し訳ございません、 旗将(きしょう) 」
ウルスラは不承不承という感じでクライアから離れたが、ディアルトの声に応じた瞬間、目に鋭い光が走ったように見えたのは気のせいではないだろう。
クライアの話によれば、ウルスラは第一旗に属しているという。当然、第一旗の 旗将(きしょう) であるディアルトは直属の上官にあたるわけだが、ウルスラの目に敬意や信頼は感じられない。むしろ、そこにあるのは敬意や信頼とは正反対の感情だ。
――なんとなくだが、ウルスラはクライアが島抜けをするに至った事情を知っているのではないか、という気がした。そうでなければ、ウルスラは上官に対してこんな態度はとるまい。
そこまで考えた俺は、はて、と内心で首をかしげた。
同行する青林旗士にはベルヒ家の息がかかっているに違いない、と思っていた俺にとって、ウルスラという人選は非常に不可解なものだった。俺が気づいたことにディアルトが気づいていないとも思えない。いったい何を考えているのだか。
俺は無言でディアルトの様子をうかがったが、当然というか何というか、眼前の 旗将(きしょう) の口から真意が語られることはなかった。語られたのは、わかりきった決定事項だけである。
「ウルスラ・ウトガルザ。第一旗十位の旗士であり、鬼門の内部にも詳しい。先刻伝えたとおり、貴公にはこの者と同行していただく」
短く告げるディアルトの顔からはいかなる感情も読み取れない。こちらの洞察を許さない能面のごとき表情は、どことなく 父(ちち) 式部を想起させる。
この顔にどんな質問をぶつけても、鉄のように硬い 面(つら) の皮にはじき返されるだけだろう。そう思った俺は、承知した、とうなずくだけで、それ以上の言葉は口にしなかった。
それを見たディアルトは視線をウルスラに転じ、短く問いかける。
「ウトガルザもよいな」
「かしこまりました」
「よろしい。話は以上だが、ベルヒの家長であるギルモアより、貴公がこの島に留まっている間はここを宿として提供する、との言葉をあずかっている。この離れは自由に使われるとよい。不足の物があれば家人に用意させよう」
言い終えたディアルトは俺たちに――というより、俺に 一瞥(いちべつ) をくれると、静かに立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。
遠ざかっていく足音を聞きながら、ふと思う。
結局、ディアルトは一度も妹に声をかけなかったな、と。
その後、部屋に残った俺とクライア、ウルスラの三人は無言で視線を交わし合った。
俺は友人同士の再会に口を挟むのは無粋だと思って黙っていたのだが、クライアはクライアで俺を差し置いて口をひらくことをためらったらしい。ウルスラはといえば、そんな俺たちを見て、何を口にするべきか迷っているように見えた。
このままだといつまでたっても話が進みそうにない。三人で沈黙の砦に立てこもっていても仕方ないので、俺はぽりぽりと頬をかきながら口をひらいた。
「五年、いや、もう五年半ぶりになるのか。久しぶりだな、ウルスラ」
こちらのあいさつを聞いたウルスラは、どこかほっとした面持ちでうなずく。
「久しぶり、空。それで、早速で悪いんだけど、くわしい話を聞かせてくれないかな。 旗将(きしょう) からおおよそのことは聞いているし、僕なりに推測をしてもいるけど、当事者の口から事の次第を聞きたいんだ」
ウルスラの口から出た言葉は、年頃の女性としては少しばかり 粗野(そや) な感が否めなかったが、俺にとっては先刻から続く違和感を払い落とす効果を持っていた。
うん、これだこれ。五年前のウルスラの口調はこんな感じだった。
思わずぽんと手を打つ俺を見て、ウルスラが怪訝そうに眉根を寄せる。
「どうかした?」
「いや、そちらの外見がすっかり変わっていたからな。本当にこの人はウルスラなのかと戸惑っていたところ、今の言葉づかいでようやっと五年前の面影を見つけられた気がしたんだ」
正直に内心を伝えると、ウルスラは予想外のことを聞いたと言うように目をぱちぱちと瞬かせた。
ややあって、桜色の唇から苦笑まじりの声が発される。
「五年も経てば外見のひとつふたつ変わって当然じゃないかな。それに、変わったというならそちらもずいぶん変わっただろう? クライアの隣にいる君を見たときは、あまりの変わりように驚いたよ」
「む、そうか? まあ、人相が悪くなったという自覚はある」
つるりと顔をなでると、ウルスラは「そうじゃない」とかぶりを振った。
「人相がどうこうではなく、すごく生き生きしているように見えたんだ。五年前の君はいつも下を見て歩いているようなところがあったからね。今の君を見れば、アヤカも喜ぶと思う」
歯に 衣(きぬ) 着せぬウルスラの物言いに真っ先に反応したのは、それまで黙って俺たちの会話を聞いていたクライアだった。
「ウ、ウルスラ、それは……!」
あわあわと慌てながら、クライアが焦ったように俺とウルスラを交互に見る。かつての許嫁のことを持ち出され、俺が機嫌を損ねると思ったらしい。
考えてみれば、クライアは今日までアヤカの名を口にしたことは一度もなかった。クライアなりに俺に気をつかっていたのかもしれない。
正直、無用の気遣いである。今さらアヤカの名前を耳にしたくらいで取り乱したりはしない。
ただまあ、聞いていて楽しい話題ではないのは確かなので、俺はとっとと話を進めることにした。
「変わったのはお互い様ということだな。それで今回の 経緯(いきさつ) だが――」
そこで言葉を止め、ぐるりと周囲を見渡す。ディアルトはこの離れを自由に使っていいと言っていたが、もちろん応じるつもりはない。
前述したとおり盗み聞きされる危険があるし、俺の訪問を聞きつけた連中がやってくる恐れもある。
ウルスラを同行者にするという条件をのんで御剣の許可をとったのだ。さっさと鬼門をくぐってしまうべきだろう。
「ここでは何だから、鬼門に向かいながら話そうか」
その言葉にウルスラとクライアは同時にうなずいた。