軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 ベルヒの兄妹

この地下牢に入れられてから、どれだけの時が過ぎただろうか。

朦朧(もうろう) とする意識の片隅でクライア・ベルヒは考える。

地下ゆえに陽光は差さず、食事は不定期で、時間の経過を測るすべがない。そうして捻じ曲げられた感覚は 時(とき) の流れを 曖昧(あいまい) なものへと変えていった。

ひっきりなしに飢えと渇きを訴えてくる身体。よもや自分はこのまま光の差さない地下で朽ちはてるのかという不安。焦燥が身体の内側でふくれあがり、ときおり無性に叫びだしたくなる。

思い出されるのは青林旗士になる以前、ベルヒ邸で養われる大勢の養子のひとりに過ぎなかった頃のことだ。クライアと弟のクリムトは、当主であるギルモアに命じられて地下牢の掃除をしたことがあった。

おそらく、あれは示威の一環だったのだろう。当主に逆らったらどうなるのか。当主の期待に応えられなかったらどうなるのか。その実例を目の当たりにさせることで子供たちの心身に畏怖を刻み込む。

自分とかわらぬ年の子供が、両の目を張り裂けんばかりに見開いて息絶えている。枯れ木のようにやせ衰えた身体の持ち主が、少し前から姿を見なくなった養子のひとりだと気づいたとき、クライアは懸命に悲鳴をこらえなければならなかった。

当主による囚人の処刑に立ち会わされたこともある。

ギルモアの心装は 神虫(しんちゅう) 。八本の脚と鋼のごとき 顎(あご) を持った、鬼を食う虫。

ギルモアはこれを家ほどの大きさにすることも、爪ほどの大きさにすることもできた。

頑丈な鬼を食えるのだ。当然、人間の身体などたやすく食い破ることができる。そして、ギルモアは処刑をおこなうに際し、外からそれをするよりも内からそれをする手法を好んだ。

つまり、囚人の体内に神虫をもぐらせ、中から腹を食い破るのである。

酸鼻をきわめるその光景を 幾度(いくど) 目にしたことだろう。クライアの心身にはギルモアへの畏怖が刻み込まれており、青林旗士となってからもその 畏(おそ) れは消えていない――神虫が身体の中にいる今は、なおのこと。

これさえなければ、自分は 空(そら) が差し出した手をつかんでいたのだろうか。そう思ってクライアは苦しげに笑う。

できもしないことを未練がましく考え続ける自分がおかしかったのである。

そうして、クライアは重い溜息をはく。

先ごろ任務で島を出るまでは、クライアにとって世界は単純なものだった。ベルヒ家の生活こそが日常であり、息苦しく感じることはあっても逃げようとは思わなかった。

いや、今だとて逃げようとは考えていない。クライアは 養父(ギルモア) に対して畏怖だけでなく恩も感じていたし、青林旗士として戦うことに誇りを持ってもいたからだ。その気持ちに嘘はない。

――ただ、それらを 厭(いと) う自分がいることにも気づいてしまった。

空に敗れて無様をさらしたという意味で、クライアとクリムトの罪は等しい。にもかかわらず、ギルモアがクライアのみを地下牢に放り込んだのは、この変心に気づいたからであろう。

ギルモアにしてみれば長年の「教育」の成果が一朝にして失われたようなもの。このままクライアを放置すれば、弟のクリムトはもとより、他の臣にまで影響がおよびかねない。ベルヒの当主にとって今のクライアはたちの悪い疫病そのものだ。

このままでは本当に殺されてしまうかもしれない。クライアはそこまで考えていた。

しかし、それがわかっていてもどうすることもできない。黄金世代の一角たるクライア・ベルヒの力をもってしても、ひとたび味わった『外』の心地よさを忘れることは不可能であったから。

それからどれくらいの時が経ったのか。

クライアの耳がかすかな足音をとらえた。地下に下りてこようとしている者がいる。堂々としてゆるぎない足取りは、いつも水と食事を運んでくる老人のものではない。

ギルモアがやってきたのかと思い、クライアは身体をかたくする。

だが、ほどなくしてクライアの前に立った人影は、養父とは異なる 容(かたち) をしていた。

「――ひどい姿だな」

くしくも空と同じ言葉でクライアを評したのは、長い黒髪と抜けるような白い肌をもった手練の 旗士(きし) 。

相手の顔を見たクライアの目が驚きで見開かれる。まったく予想だにしていなかった人物が視線の先に立っていた。

「……も、 孟様(もうさま) ?」

孟(もう) とは家の跡継ぎを指す言葉。すなわち、あらわれたのはベルヒ家の次代当主にして青林第一旗の 旗将(きしょう) たるディアルト・ベルヒだった。

クライアにとっては兄にあたる人物である。だが、クライアにせよ、クリムトにせよ、これまでディアルトを兄と呼んだことはなかったし、これからもないであろう。

ベルヒ家におけるディアルトの立場はギルモアに次ぎ、血のつながった弟妹でさえ臣下としての礼をとる。血のつながらない養子に求められる態度は言うにおよばずである。

ディアルトの方も弟妹たちに親しみを見せることはなく、屋敷や街路ですれちがう際、深々と頭を下げるクライアたちをしり目に、口もひらかず通り過ぎるのが常だった。

もっとも、それとわからないくらい小さくうなずいているあたり、まったく無視しているわけではないのだが……

「何の、ご用でしょうか?」

ある意味、ギルモアと向かい合っているときよりも緊張しながら、クライアが問いかける。

すると、ディアルトは淡々とした口調でいった。

「クリムトが死んだ」

「……………………え?」

「先ごろ、鬼人族はアズマという王によって統一された。 彼奴(きゃつ) らが同族同士で殺し合っている間は放置すればよいが、統一されたとなれば手を打たねばならん。クリムトはアズマを討つ任務を帯びて鬼門にもぐり、消息を絶った。 司徒(ギルモア) によれば、仕込んでいた神虫も消滅したそうだ。死んだとみて間違いあるまい」

ディアルトの声に身内を案じる色はなく、ただ確定事項を伝える事務的な冷たさだけがあった。

死が確定したと見なされれば、当然捜索はおこなわれない。

クライアは思わず声を高めた。

「お、お待ちください、 孟(もう) 様! まだクリムトが死んだと決まったわけでは……!」

「決まったわけではない。だが、神虫が消滅したということは臓腑がえぐられるほどの深手を負ったということ。鬼門の中でそれだけの傷を負えば、たとえ生きていたとしても長くはもたぬ。手遅れだ」

「ですが!」

「先に島外で敗れた汚名を 雪(そそ) ぐために志願した任務で、再び汚名を重ね塗りするような愚か者のために青林旗士を動かすことはできぬ。これは 司徒(ギルモア) の考えであると同時に御館様の決定でもある。くれぐれも妄動はせぬことだ」

巌(いわお) のように揺るぎないディアルトの声音を聞けば、ここでクライアがどれだけ言葉を重ねても意味がないことがわかる。

呆然とするクライアを見下ろしながら、ディアルトはやはり淡々と口を動かした。

「牢の中では他にすることもあるまい。弟の冥福を祈ってやるがいい」

言い終えると、ディアルトは 踵(きびす) を返してクライアの前から姿を消す。

遠ざかっていく足音が、クライアの耳の奥でいつまでも鳴りやまなかった。