軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十七話 参戦

「総員、抜刀せよ!」

モーガン・スカイシープの 勁烈(けいれつ) な声が周囲の木々を震わせる。一行の指揮官として、 こ(・) の(・) 場(・) に(・) い(・) る(・) す(・) べ(・) て(・) の(・) 旗(・) 士(・) に全力戦闘を許可したのである。

同時にみずからも心装を顕現させたモーガンは、オウケンが放った攻撃を真っ向から受け止めた。

暴風と化した不可視の刃を受け止めた刀身から、鉄塊を叩きつけられたような衝撃が伝わってくる。並の 旗士(きし) なら心装ごと吹き飛ばされていたかもしれない。

しかし、モーガンはかつて 青林(せいりん) 第六旗の 旗将(きしょう) まで昇りつめた練達の 旗士(きし) である。老いたりといえど精妙な技の冴えは健在であり、風の猛威を巧みにいなし、オウケンの攻撃を 躱(かわ) しきった。

それを見たオウケンが 嗤(わら) うように 嘴(くちばし) の先端をカッカと打ち合わせる。

両者が 対峙(たいじ) している間、シドニーと 祭(さい) の二人も動いていた。二人が向かった先はオウケンではなく、背後で 妻妾(さいしょう) に襲いかかった鬼人である。

『心装励起!』

祭(さい) の低い声とシドニーの伸びやかな声が重なり合い、それぞれの手に心装があらわれる。

祭(さい) の心装は兄 淑夜(しゅくや) を 彷彿(ほうふつ) とさせる槍で、形もよく似ていた。ただ色だけは異なっており、兄の槍は影のように黒く、弟の槍は血のように赤い。

「 捻(ねじ) れて伸びろ、 聖人殺し(ロンギヌス) !」

使い手の声に応じて赤槍が凄まじい速さで宙を駆ける。穂先は雷光のごとき軌跡を描いて鬼人に襲いかかった。

これに対し、鬼人はつかまえていた 側妾(そくしょう) の身体を盾にしようとする。

祭(さい) はそれに気づいたが、攻撃を止めることはしなかった。そして、赤槍が 側妾(そくしょう) の身体を貫こうとした瞬間――穂先が変化した。

ぐにょり、と先端が 捻(ね) じ曲がったのである。あたかも蛇のような動きで 側妾(そくしょう) の身体を迂回した赤槍は、そのまま鬼人に襲いかかる。

「なに!?」

さすがにこの変化は予測していなかったらしく、鬼人の口から動揺の声が漏れる。とっさに身体をひねって直撃は避けたものの、 聖人殺し(ロンギヌス) の穂先は鬼人の脇腹を深々と断ち割っていた。

「チィ!」

大きく舌打ちした鬼人は、つかまえていた 側妾(そくしょう) を力任せに地面に放り投げると、自らも地面に降りた。空中では 祭(さい) の不規則な槍撃に対処しづらいと判断したのだろう。

地面に叩きつけられた細腰の女性が甲高い悲鳴をあげるが、 祭(さい) はそちらには目もくれなかった。主君の正妻であり、ラグナの母である御剣エマならともかく、名前もろくに知らない 側妾(そくしょう) のために危険を冒す義務はない。鬼人の拘束からは解放してやったのだから、逃げるくらいは自分で何とかしてくれ、というのが 祭(さい) の本音だった。

そんな 祭(さい) とは対照的に、シドニー・スカイシープは、鬼人を討つこと、主君の 側妾(そくしょう) を助けること、この二つを両立させるべく奮闘していた。

「泣け、 村雨(むらさめ) !」

シドニーの心装 村雨は武器としての性能はもとより、外観の美々しさで知られている。 青林(せいりん) 旗士(きし) たちが理想とする造形をしており、鬼ヶ島 最麗(さいれい) と名高い。

その刀身は常に 露(つゆ) で濡れており、一振りすれば 霧(きり) が起こり、二振りすれば 氷雨(ひさめ) が吹き荒れる。また、霧を利用して敵に幻影を見せるという 搦(から) め手もとれる。

シドニーはこれを利用して鬼人の背後に偽りの自分を出現させ、敵が怯んでいる間に一気に距離を詰めて人質を解放した。

人質にとられた三人のうち、たちまち二人を奪い返した 青林(せいりん) 旗士(きし) たち。

そして最後の人質もほぼ同時に解放された。

赤子を捕らえていた三人目の鬼人が悲鳴をあげて地面に落ちてくる。空中にいた鬼人の背後に一瞬で回り込んだのはゴズの妹セシル・シーマだった。セシルの手には、いつの間にか青く輝く長刀が握られている。

「やった、母上!」

右手に心装を、左手に赤子を抱えて地面に降り立った母を見て、セシルの子イブキが歓声をあげる。

この 幼子(おさなご) の声に耳をくすぐられながら、モーガンは静かにオウケンに告げた。

「これで四対四、まったくの五分じゃな、泰山公とやら。これよりは小細工など弄さず、正面から挑んでくるがよかろ――――ぐむッ!?」

言葉が終わるか終わらないかのうちに、モーガンの脇腹に激痛が走った。焼いた鉄串を突き刺されたかのような灼熱の衝撃。

正面のオウケンは動いていない。背後の鬼人はシドニー、 祭(さい) 、セシルの三人がおさえている。

顔を歪めて後ろを振り返ったモーガンが目にしたのは五人目の鬼人の姿だった。いや、五人ではない。モーガンが姿なき襲撃者に背後から襲われたように、シドニーたち三人もそれぞれ奇襲を受けていた。

すなわち、数の上では四対八。愕然とするモーガンの耳にオウケンの嘲笑が響き渡る。

「四対四? まったくの五分? フフフ、見当違いにもほどがありますね。泰山公たるこの身に配下が三人しかいないとでも思いましたか? 私が何の意図もなく長広舌を振るっているとでも思いましたか?」

人質をちらつかせて御剣の伏兵をあぶりだし、口舌を 弄(ろう) して泰山の伏兵を忍ばせる。それがオウケンの狙いだった。

オウケンにしてみれば、このような小細工を弄さずとも正面から敵を蹴散らすことは可能である。だが、それをすれば多少なりとも犠牲が出てしまう。

今回オウケンが連れて来たのは、中山軍と関わりないオウケン個人の私兵である。元をたどれば 泰山(たいざん) 直属の戦士だった者たち。オウケンは光神教徒の立場を利用し、独自に姿隠しの神器を借り受けて配下に貸与していた。

すべては、打ち続く戦乱で数を減らした配下の損耗を減らさんがため。モーガンを即死させなかったのも、この小細工の一環だった。

血を吐きながら地面に崩れ落ちたモーガンを見て、シドニーが悲鳴のような声をあげた。

「おじいさま!」

「シド、敵から目を離すな!」

祭(さい) の叱咤ですぐに我に返ったシドニーだったが、ただでさえ一対二という不利な状況だったのだ。そこで隙を見せてしまえば挽回の目はない。

二人がかりの攻撃にたちまちシドニーは追いつめられる。幻影を生み出す余裕もなく、左右からの斬撃を懸命にしのぐが、そうしている間にもモーガンの苦悶の声は止まない。

シドニーは砕けんばかりに奥歯をかみ締めた。

敵の狙いは、モーガンをいたぶってシドニーたちの集中を殺ぐこと。そうとわかっていても、シドニーは敵の術中に 嵌(は) まってしまう。若くして両親を亡くしたシドニーにとって、モーガンは唯一の肉親である。親代わりに自分を育ててくれた祖父の苦しげな声を無視できるわけがなかった。

そして、泰山公直属の戦士たちは、再度の隙を見逃すほど愚かではなかった。

「しまッ!?」

左の鬼人が身体ごとぶつかるように突進してくる。避けきれないと判断したシドニーは正面からこれを受け止める。

当然のようにがら空きになる背後。右の鬼人はすばやく後ろに回りこみ、シドニーめがけて太刀を振るった。

間違いなく致命傷になったであろう斬撃は、しかし、シドニーの身体を切り裂く前に、横合いから突き出た赤槍に弾き飛ばされた。

九門(くもん) 祭(さい) が割り込んできたのである。

この救援によってシドニーは危ういところで致死の斬撃をまぬがれたが、かわりに 祭(さい) は背と右腕に浅からぬ手傷を負った。これは 祭(さい) と戦っていた二人の鬼人の仕業である。

祭(さい) の浅黒い肌を伝って、傷口からポタポタと血が垂れ落ちていく。そうして血が落ちるつど、右手の握力が失せていく。シドニーと背中合わせに立った 祭(さい) は、小さく舌打ちして槍を左手に持ち変えた。

「…… 祭(さい) 、ごめん」

「ふん。こういう時はありがとうって言うもんなんだろ?」

「……そうだね、ありがとう、 祭(さい) 」

二人が短い言葉を交わす間にも鬼人は徐々に距離を縮めていた。一対二が二対四になっただけ、とはとても言えない。 祭(さい) は深手を負い、シドニーはモーガンを人質に取られたも同然。

事実上、勝負は決した――少なくともオウケンはそう判断した。

残るは 側妾(そくしょう) に混じっていた女 旗士(きし) であるが、こちらは思いのほか難物だった。二人がかりの鬼人の攻撃をたくみにさばいて寄せ付けず、周囲の 側妾(そくしょう) や子供たちにも目配りを怠っていない。

旗士(きし) が 側妾(そくしょう) に扮していたのか、あるいはかつて 旗士(きし) だった 側妾(そくしょう) がいたのかはわからないが、いずれにせよ油断できない相手だ。

――であれば、弱みを突くのが戦術の基本である。勝ち 易(やす) きに勝つのがオウケンの、ひいては泰山王家の兵法だった。

ザッ、と土を蹴ってオウケンが向かった先には一人の子供がいた。先刻、この子供があの女 旗士(きし) を母と呼んだことをオウケンは聞き逃していなかった。

「御剣の 旗士(きし) は子を質にとられてなお掟を守れるのか。フフ、なかなかに興味深い」

すでにモーガンは地に這いつくばり、身動きできないように両足を地面に縫い付けられている。 祭(さい) とシドニーは前述したとおりであり、セシルは周囲の者たちを守るだけで精一杯。

オウケンは警戒する素振りも見せず、大股でイブキに近づいていく。このオウケンの動きに気づいたのは、イブキを後ろから抱くようにして守っていた御剣エマだった。

立ち上がったエマはイブキを背に隠し、懐から短刀を取り出す。

エマに武術の心得はない。その短刀は護身のためではなく、いざ敵の手に捕らわれた際に辱めを避けるための道具だった。

オウケンはたやすくそのことを見抜き、あざけるように 嘴(くちばし) を打ち鳴らす。

「そのような 鈍(なまく) らで私を傷つけることはできませんよ。服装からして 妾(めかけ) とも思えませんが お名前をうかがっても?」

「……礼を知らぬ 狼藉(ろうぜき) 者に名乗る名前は持ち合わせていません」

「そうですか。まあ、あなたが誰であろうと末路は同じです。この場にいる女子供はすべて目玉を 刳(く) り 貫(ぬ) き、御剣の当主の前に並べてさしあげますよ。そうすれば傲岸不遜な 彼(か) の者もさぞ青ざめることでしょう、フフフフフ!」

脅すようなオウケンの冷笑に対し、エマは何も言葉を返さなかった。

ただ唇を真一文字に引き結び、短刀を握る手に力を込めただけである。それを見て、オウケンがさらに言葉を重ねたときだった。

「その綺麗な碧眼を味見するときが楽しみ――む?」

「やああ!」

甲高い気合の声をあげて、エマの背後から飛び出す人影があった。

エマにかばわれていた御剣イブキである。

「イブキ!? やめなさい!」

オウケンの 勁圧(けいあつ) に懸命に耐えていたエマの口から悲鳴のような制止が放たれる。が、イブキは当然のように止まらない。エマを守るために飛び出したのだ、止まるわけがなかった。

「くらえ、悪者め!」

イブキは気合の声をあげて 伯父(ゴズ) の手になる木刀を振るう。大きく振りかぶったと見せたのはフェイントで、狙ったのは膝から下―― 脛(すね) の部分。鍛えようのない人体の急所だ。

そこを思いきり打たれれば「ゴズおじちゃんだって泣いちゃうくらい痛い」とはアヤカお姉ちゃんの言である。

法衣をまとったオウケンは足に防具をつけていない。稽古では故意に打ってはいけない場所と教えられたが、悪者相手なら遠慮する必要はない。イブキは相手の 脛(すね) めかげて力いっぱい木刀を叩きつけ――

「あうっ!?」

鉄の柱を叩いたような強い衝撃を受け、思わず木刀を取り落としてしまった。いかにゴズお手製の業物といえど、 勁(けい) の守りを打ち砕くほどの威力は秘められていない。

イブキは慌てて落とした木刀に手を伸ばす。だが、イブキの手が木刀の柄を握るより早く、オウケンのつま先が勢いよくイブキの腹にめりこんだ。

容赦のない蹴りをまともに食らい、イブキが腹をおさえて激しく咳き込む。オウケンはそんなイブキを 傲然(ごうぜん) と見下ろしながら、落ちていた木刀を拾った。

「ふむ、細工物としてはなかなかですが、 魔力付与(エンチャント) もされていない木刀で私を傷つけることはできませんよ」

言うや、オウケンは 鉤爪(かぎつめ) の生えた指に力を込め、メキリ、と木刀をへし折った。蹴られた腹部を押さえながらオウケンを 睨(ね) めあげていたイブキが、それを見て怒気と悲痛の混ざった声をあげる。

「こ、このぉ……!」

「フフ、良い目です。十年も経てば、あるいは良い戦士になれたかもしれませんね」

オウケンの声はやわらかく、どこか優しささえ感じられる。

だが、次にとった行動は優しさの対極に位置するものだった。イブキの顔を右手で鷲づかみにし、そのまま宙に吊り上げたのである。

オウケンが右手に力を込めると、小さな頭蓋がミシミシと 軋(きし) み、さらに五本の鉤爪が皮膚を裂いて頭の中にめりこんでいく。

はじめ、イブキは悲鳴をあげまいと歯をくいしばっていた。のみならず、拘束から抜け出ようとオウケンの右手をがむしゃらに叩くこともした。だが、オウケンはそんなイブキの反抗を容赦なく潰しにかかる。大樹の幹さえ砕けるほどの握力で幼子の頭を締め上げたのだ。

小さな口から悲鳴があがるまで、かかった時間はごくわずかだった。

「あああぁぁ! いたい、いたいいたいっ!!」

その声は鬼人と戦っていた母セシルの耳にはっきりと届いた。オウケンは武器を捨てろなどと口にしない。口にせず、幼いイブキをなぶるがごとく痛めつけている。

セシルの剣筋が 鈍(にぶ) ったのはいたし方のないことであったろう。セシルと対峙していた鬼人はその隙を見逃さず、たちまちセシルを押さえ込んで地面を這わせる。

それを確認したオウケンはイブキの顔をつかんでいた右手をぱっと離した。唐突に拘束から解放されたイブキは、重力に引かれて地面に落ちる。

わけもわからず、再び泣き叫ぼうとするイブキ。オウケンは膝をついてイブキにずいっと顔を近づけると、至近から 勁(けい) を放ってイブキを威圧した。

間近から強烈な 勁(けい) を浴びせられたイブキは、ひ、と小さく悲鳴をあげ、がくがくと身体を震わせる。そこに先刻までの威勢の良さはない。そのイブキに対し、オウケンは猫なで声で言った。

「小さな戦士よ、あなたの勇気に敬意を表し、あなたと、あなたの他にもうひとりだけ命を助けてあげましょう」

「…………え?」

「あなたと、あなたの大切な人は殺さないと言っているのです。ほら、私にわかるように指を指してごらんなさい」

そう言うとオウケンは猫の子でも抱えるようにイブキの首をつまんで、再び宙吊りにする。

ここではじめてイブキは母が地面に押さえつけられていることを知り、悲鳴をあげた。

「母上ぇ!」

「フフ、苦しそうですね。このままではあなたの母親は腕を切られ、足を切られ、ついには首を切られて死んでしまいますよ?」

「いや、いやだ! やめて!!」

「やめてほしければ、ほら、母親を指して言いなさい。ぼくと母親を助けてほしい、と。そうすればあなたたちは助かります。もっとも――」

オウケンは愉快そうに 嘴(くちばし) を反り返らせた。

「そのかわり、あなたたち母子以外はここで全員死にますがね」

「…………え?」

「言ったでしょう。あなたと、あなたの大切な人だけは助けてあげる、と。つまり、あなたにとって大切でない人たちはまとめて殺してあげるということです」

「な、なに、それ……」

「つまり、これから死ぬ者たちはあなたに殺されたも同然ということです。彼らはあなたが大切だといえば助かったのに、そうしなかったから殺される。殺すのは私たちですが、殺させたのはあなた、ということですよ」

イブキはいやいやするように首を左右に振る。オウケンの言っていることがわからない。わかりたくない。そんな気持ちがあらわだった。

そんなイブキにオウケンは嘲笑とともに告げる。

「選ばないならそれも結構。そのときはあなたも、あなたの母親も、それ以外の全員も殺すだけです。さあ、選びなさい、小さな戦士――」

「おやめなさい!」

あくまでイブキをなぶろうとするオウケンを大声で制したのはエマだった。いつもは温和な 相貌(そうぼう) を憤りで染めたエマは、雷火のごとき眼光でオウケンを見据えた。

「仮にも公を名乗る者が、年端もいかない 幼子(おさなご) を脅しつけるとは何事ですか! 私は御剣エマ、第十七代剣聖 御剣 式部(しきぶ) の妻です。功が欲しいなら私を討って手柄となさい!」

「おお、これはこれは。礼を知らぬ 狼藉(ろうぜき) 者にわざわざ名乗って頂いて光栄の至り。なるほど、剣聖の妻ならばその気品もうなずけるというものです」

「納得したのなら、皆を解き放ってください。人質にするのか、 贄(にえ) にするのか、手柄にするのか、いずれにせよ、剣聖の妻にまさるものはないはずです」

「フフ、そういうわけにはいきません。戦いが始まる前、互いの戦力が定かならぬ状況ならば交渉の余地もあったでしょうが、すでに勝敗が決した今、あなたは私の手中にあるも同然。そのあなたを得るために他の者たちを見逃す理由はどこにもありません」

そう言うと、オウケンはエマが持つ短刀に目を向けた。

「その短刀で自害なさるつもりならご自由に。あなたが死んでも亡骸は残る。臓腑をひきずりだして、この子供に食わせてやるのも一興です」

その一言でエマの動きを封じたオウケンは、つかみ上げていたイブキを自分の顔に近づけ、 嗤(わら) うようにささやいた。

「ちょうどいいです。小さな戦士よ、あなたはあのエマという女性とも親しいようだ。母親か、エマか、どちらかを選びなさい。あなたが選んだ方を助け、選ばなかった方を殺します。 十(じゅう) 数える間に決められないようなら両方を殺します。 刳(く) り 貫(ぬ) いた目玉は、あなたと山分けにしましょうか。さあ、はじめますよ、そぉれ、一、二――」

「ま、待って……」

「三、四――五六七八!」

いきなり数える速度を速めたオウケンに、イブキが泣き声を張りあげる。

「待ってよぉ!」

「待ちませぇん! さあ、九まで来てしまいましたよ、どちらを助けるのです? どちらを見殺しにするのです? それとも両方殺して私と一緒に目玉団子を味わいますか? さあ、さあさあさあ、早くしないと手遅れになりますよ、最後の数字を言ってしまいますよ? そぉれ、じゅ………………う?」

勝利を確信し、喜悦の表情で最後の数字を数えようとしていたオウケン。

その声が不意に戸惑いの響きを帯びて、ぴたりと止まった。

――オウケンの視界にひとりの人間が立っている。

遠くの方に、ではない。互いの息づかいが聞こえるくらいの至近距離。文字通り目と鼻の先に黒髪の人間が立っている。

オウケンを 睨(ね) めつける 双眸(そうぼう) は古びた井戸を 覗(のぞ) くにも似た 昏(くら) さで、こうして向き合っているだけで全身の毛という毛が逆立っていく。

オウケンは戸惑いを禁じえなかった。寸前までそこには誰もいなかった。当たり前だ、こんな近くに他人がいれば、仮に神器で姿を隠していたとしても必ず気づく。

誰もいるはずはない。泰山公たるこの身が、 愛(めぐ) し子たるこの身が、いかなる気配も察知できずにここまで接近を許すなどありえない。だから、誰もいるはずはない。

そうか、とここでオウケンは思い出した。敵の中に幻影を操る 旗士(きし) がいたことを。これはあの 旗士(きし) が生み出した幻影に違いない。

震える体も、 慄(おのの) く心も、すべては幻覚の為せる業に違いない――オウケンがそう結論づけたとき、人間が動いた。

雷光のように突き出された右手は、つい先刻、オウケンがイブキに対してそうしたように相手の顔面をわしづかみにして――

「ぐおおぉぉぉおおおオオオオオオ!?」

万力(まんりき) のごとく締め上げた。

メキメキと、ミシミシと、頭蓋が 軋(きし) む音がする。容赦など 微塵(みじん) もない締め付けに、オウケンは寸前までの推測を即座に放り捨てた。眼前にいるのは断じて幻影などではない!

イブキから手を離したオウケンは、己を拘束する人間の腕に左右の 鉤爪(かぎつめ) を押し当てた。鋼鉄さえ断ち割る爪にかかれば、人間の腕など骨ごと簡単に砕くことができる。 勁(けい) の防御も、己の 勁(けい) で 相殺(そうさい) してしまえば意味をなさない。

そう考えて思いきり相手の腕に爪を突きたてたオウケンは、次の瞬間、驚愕で顔をゆがめた。

爪がまったく刺さらないのだ。骨を割るどころか表皮の一枚も破れない。バカな、と思って再度突き立てた鉤爪が音をたてて砕けたのを見て、鬼神に愛された者は絶句する。

直後、オウケンの耳にひどく不吉な 旋律(せんりつ) が飛び込んできた。はじめて聞く声音は、間違いなく眼前の人間のもの――

「『その血は煮えたぎり、その髪は燃え盛り、その 眼(まなこ) は沸き返る』」

「きさ、ま!?」

火魔法の発動に先立ち、術者の掌中で 灼熱(しゃくねつ) がうねる。

当然のごとく、その熱はわしづかみにされているオウケンに 直(じか) に伝わった。顔が焼け、目が 灼(や) ける痛みにオウケンは暴れるが、拘束はぴくりとも揺らがない。

「『 纐纈(こうけつ) の城、 髑髏(どくろ) の椅子』」

「やめなさい、他の仲間がどうなっても――ガアアア!?」

顔面を握る力がひときわ強くなり、頭蓋の一部が音をたてて砕けた。たまらずオウケンの口から悲鳴があがる。

それを見て、オウケン配下の泰山兵が一斉に動き出した。

最初に動いたのはモーガン・スカイシープを背後から突き刺した鬼人である。最もオウケンに近い上、モーガンはすでに無力化している。勢いよく躍りかかろうとした鬼人は、しかし、動けなかった。

振り返った人間の鋭い 一瞥(いちべつ) 。ただそれだけで足が地面に縫い付けられた。眼光だけで威圧された。

「『翻るは叛逆の旗、倒れ伏すは凶刃の 贄(にえ) 』」

「ウガアアアアアア!!」

頭蓋を砕かれた痛みに、そして一瞬ごとに増していく熱気に耐えかね、オウケンの口から咆哮がほとばしる。

腕だけでなく脚も使い、拘束から逃れようと滅茶苦茶に身体を動かすが、すべての抵抗をあわせても相手の小指一本動かすこともできなかった。そして――

「『 血眼(けつがん) 炎手(えんしゅ) 、我が敵に死の抱擁を――火炎姫』」

最後の詠唱とともに第五 圏(けん) の火の正魔法が発動する。術者の身のうちより湧き出る魔力を吸い、限界まで跳ね上がった威力が 零(ぜろ) 距離で炸裂する。

大きく上下にひらかれたオウケンの 嘴(くちばし) から、耳をつんざく絶叫がほとばしった。