作品タイトル不明
第九話 嗣子
轟くような大鐘の音が 柊都(しゅうと) の内外に響き渡る。
生まれてから十三年、この島で暮らした俺の記憶にもない警鐘の乱打。
その原因が直前の巨大な 勁(けい) の発露であることは火を見るより明らかだった。今も西の方角からは、警鐘の音に混じって落雷のような轟音と地鳴りが断続的に響いてくる。
へたをすると 柊都(しゅうと) の西部がまるまる消滅しているかもしれない。それくらい巨大な 勁(けい) が炸裂していた。
当然のように、仕合場を取り囲んでいた 旗士(きし) たちの注意は残らず西の異変に向けられている。
今の今まで 旗士(きし) たちの視線を独り占めしていた俺にしてみれば、一瞬で主役から 端役(はやく) に転じてしまった感があった。
本音を言うと、ちょっと残念である。かつては俺に 洟(はな) も引っかけなかった連中の注目を浴びるのは、これでなかなかに 愉(たの) しかったから。土蜘蛛をすぐに片付けなかった理由の一つはこれだった。
「ま、ちょうどいいと言えばちょうどいいか」
苦笑して、眼前でうねうねと動いている 瘴気(しょうき) の 塊(かたまり) に目を向ける。
すでに土蜘蛛は死に体だ。赤い眼を刀で突き破ってからの狂乱状態は、文字どおり最期のあがきだったに違いない。すでに身体もほとんど原形を保っておらず、黒い球体のような姿に変じている。
その球体に無言で刀の切っ先を突き入れると、口と思われる部分から金属片をこすり合わせるような絶叫があがり――唐突に途切れた。
それが土蜘蛛の最期だった。
この瞬間、俺は幻想一刀流の試しの儀を超えたのである。
胸奥からこみあげる達成感をかみ殺すのに、幾ばくかの時間が必要だった。
大広間ではっきりと言明したように、今さら幻想一刀流の門下に加わるつもりはない。ないのだが、それでも俺の中には五年前の記憶が残っている。
この場所で竜牙兵に一刀で木刀を叩き落され、 空(から) になった自分の手を呆然と見下ろしたときの絶望が胸にこびりついている。
この五年、あのときのことを思い起こして何度夜中に跳ね起きたことか。
あの悪夢をようやく 祓(はら) い落とすことができたのだ。
もし周囲に 旗士(きし) どもがいなければ、拳を突き上げて歓喜の声をあげていたかもしれない。
もちろんこの場でそんなことをするつもりはない。くっと小さく 喉(のど) を鳴らす、それが俺が表に出した感情のすべてだった。
そうこうしているうちに、西の様子を見に行ったらしい 旗士(きし) が駆け込んできた。息せき切って当主の前にひざまずき、大声で報告をおこなう。
「申し上げます! 西の城壁が崩壊しております!」
その報告に、この場に集った 旗士(きし) たちがざわりと揺れた。
彼らの疑問を代弁する形でギルモア・ベルヒが口をひらく。
「崩壊とはどういうことか? 一部が崩れたという意味か?」
「完全に崩れ去っております! この舘の 櫓(やぐら) から壁外が遠望できまする!」
「なんと!?」
「急ぎ防備をかためねば、 柊都(しゅうと) の中に魔物を呼び込むことになりかねませぬ! 御館様、お指図を――」
旗士(きし) が当主の指示を仰ごうとした、そのとき。
「ぬっ!?」
ギルモアをはじめとした 旗士(きし) たちの口から驚愕の声がもれる。
北の方角から先刻と同じ強烈な 勁(けい) の発動を感じ取ったのだ。その後に爆音と地鳴りが鳴り響いたのも先刻と同じだった。
さらに東の方角でも同様の現象が起こる。
それらが意味することは明白だった。 柊都(しゅうと) はこの短時間のうちに三つもの巨大な侵入路を 穿(うが) たれたのである。
柊都(しゅうと) の中央に位置するこの舘から外が遠望できるほどの大穴。とうてい一朝一夕に 塞(ふさ) げるものではない。
それ以前に、この異変が自然現象でないことは明白で、それはつまりこの状況を意図して実現させた者がいるということである。
その者は城壁に穴をつくっただけで満足するだろうか? むろん、そんなわけはない。
西から、北から、東から。それぞれ魔物の大群が接近している 旨(むね) が報告されたのは、それから間もなくのことだった。
これを受けて、この場に集まっていた二旗から八旗までの 旗将(きしょう) と副将は、文字どおり飛ぶようにそれぞれの持ち場に駆け戻った。 一桁(ひとけた) 台の上位 旗士(きし) たちもそれに続く。
そのすべてが心装使いだ。たとえ城壁が崩れたところで、魔物相手に後れをとることはないだろう。だいたい、本当の意味で精鋭といえる者たちはまだ当主のもとに留まっているのである。
三百年ぶりともいえる大異変の最中にあって、御剣家はいまだ十分な余裕を有していた。
――それらを一通り見届けてから、俺はようやく動いた。
といっても、刀を腰の鞘に戻しただけであるが。
柊都(しゅうと) を守るのは 青林(せいりん) 八旗(はっき) の役目だ。俺がしゃしゃり出る必要はないし、しゃしゃり出る意思もない。
土蜘蛛を倒して自分の力を証明した今、この地に留まる理由はなくなった。さっさとイシュカに帰るとしよう。
母さんの墓については心配するだけ無駄である。たとえ攻め手が誰であれ、この地に剣聖がいるかぎり御剣家に敗北はない。母さんの墓は守られる。
仮に敵が剣聖を打ち破るほどの実力者だとしたら? そんな化け物相手に俺ができることなんてない。俺が立ち去ろうと留まろうと結果は変わらないのだ。
そんな「もしも」を考える暇があるなら、帰路の心配をする方が建設的だろう。この状況で連絡船が出るとは思えないから、帰りは自力で海を渡ることになる。大海原を 勁(けい) で駆けるのは初めてだが……まあ、これも経験か。今の俺ならば、やってやれないことはないだろう。
そう思って仕合場から出ようとした俺に声をかけてきた者がいた。
「――動くな、空」
貴族の血を示す金髪を風になびかせ、青い双眸に勁烈な光を宿したその人物が誰であるのか、俺は一目で理解した。
外見は五年前とだいぶかわっている。以前はもっと髪を短くしていたし、身長もずいぶん伸びた。顔つきも少年から青年のものにかわっている。五年前との共通点はかなり少ない。だが、特徴的な髪と眼の色、なによりもこちらを見据える刃のような眼光は見まがいようがない。
御剣ラグナ。父を同じくする弟だった。
もっとも、向こうは俺を兄とは思っていないだろう。五年ぶりの再会を 寿(ことほ) ぐ気がないのも、険しい眼差しと 傲然(ごうぜん) たる呼びかけが証明している。
ラグナの隣にはアヤカの姿も見える。こちらは外見的特徴が五年前とほとんど変わっていなかったので、考える必要さえなかった。
こうして見ると、並んで立つ二人は 一幅(いっぷく) の絵画のようで、実にお似合いである。 後嗣(こうし) に憂いがないのは御剣家にとって、そして御剣家に仕える者たちにとって良いことだ。
俺は素直にそう思った。そう思うことにわずかな痛みも感じなかった。
今にして思えば、俺はこの島に、この家に、そしてここで暮らす人々に、いったい何を求めていたのだろう。
そんなことを考えながら、俺は帝国貴族たるラグナに礼節をもってこたえた。
「つつしんでお断りいたします、 嗣子(しし) 殿」
そう応じた俺は、実際に足も止めなかった。
そんな俺にラグナはさらに言葉を重ねる。
「動くなと言っている―― 心装(しんそう) 励起(れいき) 」
ラグナの右手に壮麗な黄金の両手剣があらわれる。かつてのラグナはこれを両手で操っていたが、今のラグナならば片手で扱うこともできるだろう。
俺はじっとラグナの心装を見つめた。この輝きを目にするのは五年ぶりである。かつてはこの剣を見るたびにラグナと自分の差を思い知らされて、ひどく惨めな気分になったものだ。
だから、気になった。心装を会得した今の俺は、この剣を見てどういう感情をかきたてられるのか。
答えは――特に何も感じなかった。
かつてのように畏れ、怯むことはない。かといって、逆にこちらが軽んじ、蔑んでやろうとも思わない。
なるほど、ラグナの心装は相変わらず壮麗で力強く、五年前よりもはるかに力を蓄えていることがわかる。それはこの五年の間、御剣家の 嗣子(しし) たるラグナの魂が、正しく、健やかに成長してきた証である。
だが、それだけだ。
剣聖はもちろん双璧にも届かない、そんな相手を警戒する必要もなければ敵視する必要もない。嘲る必要はさらにない。
そういった感情を一言であらわせば、そう。
――喰いたいとさえ思わなかった。