作品タイトル不明
第百三話 無知
「なんと……!」
ヒュドラの首を残らず叩き切った俺を見て、かつての 傅役(もりやく) が目を 剥(む) いている。 傅役(もりやく) だけでなく、黄金世代と称えられた二人の同期生も同様だった。
一度は剣を交えた間柄だ。三人とも、俺が五年前と違うことは理解していただろうが、それでも 単独(ソロ) で竜種を 屠(ほふ) れるとは予想だにしていなかったのだろう。
三人の間の抜けた顔に心地よく優越感をくすぐられる。
心装を 一振(ひとふ) りし、刀身についた血肉を払い落とした俺は、ことさらゆっくりとした口調で三人に声をかけた。
「『我ら三名、これより助太刀いたす』? いらんよ、お前らの助けなぞ」
あざけるように言い放つと、ゴズがなにやら感嘆した面持ちで言葉を返してきた。
「言葉もありませぬ。空殿の成長は理解したつもりでござったが、まさか幻想種を単身で 屠(ほふ) ってしまうとは……見事でござる! 御館様もさぞ喜ばれましょう。他の 旗士(きし) たちも、この勲功をきけば空殿の帰参に異を唱えることはありますまい」
「……それをきいて俺が喜ぶとでも?」
見当はずれのことをいうゴズに冷めた返事をすると、向こうはさらに熱を込めて語りかけてきた。
「空殿、ここは思案のしどころでござる。これは御館様の御心次第でござるが、今の空殿であれば、嫡子の座に返り咲くことも夢ではありますまい!」
「……む」
鼻で笑おうとした俺だったが、嫡子の一語を耳にした瞬間、不覚にも心が動いてしまった。
地位に未練があったわけではない。ただ、 竜種殺し(ドラゴンスレイヤー) の称号をもって帰還し、嫡子の座に返り咲き、俺を見限った者たちに目に物見せてやる――そのシチュエーションに惹かれたのである。
なんとなれば、それは五年前の俺が何より望んでいた結末だったからだ。もし、島を追放された直後に心装を会得していたら、きっとゴズの誘いに乗っていただろう。
そんな俺の反応に手ごたえを感じたのか、ゴズが勢い込んで言葉を続けようとする。
俺は左手をあげて、そんなゴズを制した。
あらためて考えるまでもない。過去は過去、今は今。俺は遠からず御剣家に戻るつもりではあるが、それはゴズが望む形とはまったく別のものになるだろう。どう転んでも、今この時点でゴズの誘いに乗ることはありえない。
気がつけば、一度は揺れた心も落ち着きを取り戻していた。
「そんなことより、ゴズ。お前たちがここにいるということは、スタンピードは止まったと思っていいんだろうな?」
帰参の話を打ち切り、話を別のところに移す。ゴズはまだ何やらいいたげな顔をしているが、かまわずに自分の疑問を優先させた。
どうして、スタンピードの原因であるヒュドラが倒れる前にゴズたちが姿を見せたのか。
俺がヒュドラと戦い、その間ゴズたちがスタンピードを食い止める――それがイシュカで交わした約定である。もし、ゴズたちが勝手な判断で約定を破棄したのだとしたら、大急ぎでイシュカに戻らなければならない。
魂喰い(ソウルイーター) の柄を握りしめながら問いかけると、ゴズは大きくうなずいてこちらの疑問にこたえた。
「ご安心めされよ。おそらく、この三日で吐き出せる魔物はすべて吐き出したのでござろう。我らが森に踏み入った時点で、森から出てくる魔物は数えるほどでござった」
あの程度なら防衛線の兵士や冒険者で十分に食い止められる、とゴズは主張する。
――その言葉に嘘はない、と俺は判断した。ゴズに対して思うところは多々あるが、見えすいた嘘をつく人間でないことはわかっている。
これで『ヒュドラ』と『スタンピード』という当面の危機は去ったわけだ。
むろん、問題のすべてが片付いたわけではない。ヒュドラを討っても、ヒュドラの毒は残っている。すでにティティスの森の汚染は深刻を通り越して絶望的なレベルに達しているし、ケール河の汚染も進んでいることだろう。イシュカどころか、カナリア王国が崩壊しても不思議はない状況が続いている。問題は山積みだ。
しかし、こちらに関しては俺ひとりの力でどうこうできるものではない。原因であるヒュドラは排除した。あとは国王なり貴族なり、冒険者ギルドなり法の神殿なり、地位と責任と金がある連中にがんばってもらいたいというのが偽らざる心境である。
――ただ、そういった者たちの中にも俺の知己はいる。
アストリッド、クラウディアらドラグノート一族は国内貴族の筆頭だし、セーラ司祭も法の神殿の一員だ。
彼女たちに「あとはよろしく」といって他国に逃げこむのはさすがにカッコ悪い。それに、剣だけでは乗り越えられない苦境を打破することで得られるものもあるだろう。
ここで俺が――『 血煙(ちけむり) の剣』が問題解決のために尽力すれば、ヒュドラを討った件を含め、カナリア国内における名声は不動のものになる。そういう形で俺を見限った者たちに目に物見せてやるのも一興だ。
考えをまとめた俺は、あらためてゴズたち三人を見やった。
「ゴズ、お前はイシュカでいったな。幻想種を討った後、自分たちは報告のためにすぐに島に戻ると。あれは本心か?」
「は、相違ござらん。できますれば空殿にも同道していただきたく存ずるが」
「そうか」
後半の 台詞(せりふ) は聞き捨てにして、無造作にうなずく。
ゴズたちが鬼ヶ島に戻るということは、俺が慈仁坊を斬り、幻想種を討った事実を御剣家に知られるということだ。もちろん 鬼人(スズメ) の存在も伝わってしまう。
それは俺にとっていささかならず都合が悪かった。当然のように「口封じ」という選択肢が出てくる。
もともと、三日前の 仮初(かりそめ) の休戦はそのためのものだった。俺がヒュドラを喰っている間、スタンピードをおさえこむ戦力が必要だったから、心ならずも刀を収めただけである。
ヒュドラを討ち果たし、スタンピードが終息したことで休戦は終わった。スズメたちを襲ったこいつらを斬り殺したところで誰に文句をいわれる筋合いもない。このあたりに人目はないし、死体は毒で溶け去るから、勝った後の手間も最小限ですむ。決着をつけるにはおあつらえ向きの状況といえるだろう。
青林旗士三人分の魂ともなれば、さぞ喰い甲斐もあることだろう――――――――三日前の俺ならば、そう考えていたに違いない。
だが、今の俺は不思議なくらいその気が失せていた。というのも、そもそもの理由である「口封じ」をする必要性が、俺の中でかぎりなく薄れているからである。
俺が慈仁坊を斬ったことを知られる。幻想種を討った事実を知られる。 鬼人(スズメ) の存在を知られる――それがどうしたというのか。
御剣家が俺とスズメの命を狙ってくるなら返り討ちにすればいい。ゴズより上位の高弟が来ようが、八旗の主力部隊が来ようが、今の俺ならば――幻想種を喰った俺ならば勝つことができる。
むしろ、口封じなんぞしない方がいいとさえ思う。ゴズの口から俺の生存と実力を知らされた鬼ヶ島の連中がどんな反応を見せるのか、今の俺にはそれを想像して 愉(たの) しむ余裕があった。
三日前は斬るだけでレベルがあがったゴズたちにしても、今となっては三人まとめて殺してもレベルの一つもあがらないだろう。口封じする意味もなければ、喰らう意味もないとなれば、自然、戦う意欲も殺がれようというものだった。
――むろん、だからといってただで帰してやるつもりはなかったが。
「帰るならとっとと帰れといいたいところだが、一つ、いや、二つきこう。スズメを襲い、俺の仲間を傷つけたことを詫びる気はあるか? 当人たちの前で頭を地面にこすりつけるなら、こちらとしても考えないでもない」
その言葉に真っ先に反応したのはゴズではなくクリムトだった。白髪紅眼の同期生はあざけるように唇を曲げて言い放つ。
「 戯言(ざれごと) を。 空(そら) 、お前は鬼人を亜人の一種だとでも思っているのか? あの娘を放置しておけば、次はお前の隣で幻想種が 現界(げんかい) することになるぞ。鬼人は見敵必殺、無知ゆえにこれをかばうバカも同様だ」
吐き捨てるようにいったクリムトは、こちらの反応を待たずに言葉を重ねた。
「あのエルフも本来なら初太刀で殺していたところだ。命があっただけありがたいと思え。姉さんを邪魔した獣人や魔術師も同じことだ!」
「なるほど、詫びる気はないということだな」
相手の敵意を淡々と受け流して応じる。クリムトがいぶかしげに目を細めたが、俺はかまわずクライアを見る。俺の視線を受けたクライアがゆっくりと口を開いた。
「鬼人ではない方々を傷つけたことは申し訳なく思っています。ですが、鬼人を討つ行為が間違っていたとは思っていません。クリムトがいったように、そして空殿もご存知のように、幻想一刀流の使い手にとって 滅鬼(めっき) 封神(ほうしん) は鉄の掟です」
「お前も詫びる気はなし、と」
あとはゴズだが、こちらはきくまでもなかった。リデル経由でゴズの発言はすべてきいている。鬼人を討つために罪人になることも辞さぬ、などとぬかした奴が今さら鬼人に頭を下げるはずもない。
これで一つ目の問いは終了した。
「では二つ目の問いだ。今もクリムトがいっていたが、どうやら鬼人に関して俺が知らない事実があるらしいな。それについて教えるつもりはあるか? 俺の隣で幻想種が現界するというのはどういう意味だ?」
クリムトの言葉からある程度の推測はできる。鬼人の身体を 依代(よりしろ) にして鬼神が現界する危険性があるとか、そういう話だろう。
だが、もしスズメにそんな真似ができるなら、バジリスクに襲われたときにその力を使っていたはずだ。
スズメにかぎった話ではない。俺が知るかぎり、鬼神が現界した事例は三百年前の一件だけだ。数百年に一度、あるかないかの可能性のためにすべての鬼人を殺しつくすのが幻想一刀流の責務だというなら、それはもう狂信の域に達している。
それとも、実は鬼神が現界した事例はいくつもあって、そのすべてを御剣家なりアドアステラ帝国なりが消し去っていたのだろうか。
これらの疑問に対し、ゴズが 口惜(くちお) しそうに応じた。
「空殿。それは御剣家の秘事であり、それがしの独断で口外することはできぬのです。空殿が帰参し、幻想一刀流を修めて鬼門に至れば、御館様おんみずからお話になられましょう」
「なるほど。つまりこういうことだな? お前たちは御剣家の掟に従って罪もない者たちを殺そうとした。掟に従ってのことだから謝罪するつもりはない。襲った理由についても掟だから口外できない。くわしく知りたければお前たちの望むとおりに動け、と」
ゴズたちの主張を簡潔にまとめた俺は、ふん、と鼻で笑った。
「一から十まで自分たちの都合のみ。 清々(すがすが) しいくらいに 傲慢(ごうまん) でけっこうなことだ。お前たちがそう来るなら、俺も遠慮なく自分の都合で動くとしよう」
そういって 魂喰い(ソウルイーター) を構えた俺は、無言のうちに 勁(けい) を高めた。
その行動に敵対の意思を感じとったゴズ、クリムト、クライアの三人がそれぞれの心装を構えて俺と対峙する。
と、三人の中からクリムトが進み出てきて、俺の正面にまわった。 剣呑(けんのん) な眼差しで俺をにらみ、吐き捨てるようにいう。
「空、はじめて幻想種を倒して浮かれているお前に一つ教えてやる。鬼門の中には幻想種に匹敵する魔物がいくらでもいるぞ。俺たちはそういう場所で戦っているんだ。 弱者(カス) 相手に心装を振りまわして悦に入っているお前には想像もつかないだろうがな。鬼人のこともそうだが、無知は罪なりとは、まさに今のお前のためにある言葉だよ」
クリムトもクリムトで 鬱憤(うっぷん) がたまっていたのか、色素の薄い唇から堰を切ったように俺への非難があふれてくる。
クリムトの手に握られた深紅の長刀が、持ち手の戦意に呼応するように音をたてて燃え盛った。大気さえ焦がしてしまいそうな猛烈な熱気が俺のところまで伝わってくる。
クリムトの性格なら即座に斬りかかってきそうなものだが、それをしないのは、イシュカで不覚をとった記憶が残っているからだろう。その証拠にクリムトの視線は俺の黒刀に注がれている。
魂喰い(ソウルイーター) とまともに打ち合えば、 倶利伽羅(くりから) の炎さえかき消されてしまう。クリムトが警戒するのは当然のことだった。
そんなクリムトを見て思う。
おそらく、眼前の同期生はイシュカでのリベンジを目論み、やる気になっていると思われる。あのとき、俺は奇襲でクリムトを制した。クリムトにしてみれば、実力で負けたわけではないという思いがぬぐえず、それがこの場での戦意につながっているのだろう。
――その姿がひどく滑稽だった。
俺と同じ舞台に立っているつもりのクリムトを見て、自然と唇の端が吊りあがる。それに気づいたクリムトが鋭く声をとがらせた。
「何がおかしい!?」
「いやなに、お前のいうことはもっともだ、と思っただけだよ。無知は罪なり。そのとおりだが、惜しむらくは発言者が自分の無知に気づいていないところだな」
「は、鬼門を知らず、鬼人を知らない奴が 戯言(ざれごと) を! お前が知っていて、俺が知らないことがあるのなら言ってみろ!」
「それはな――俺とお前の実力差だよ、クリムト・ベルヒ! おおおおおおおおおおおおおおお!!!」
クリムトに現実を教えるべく、咆哮をあげて 勁(けい) を高める。
高めて、高めて、高めて、さらに高めて、高めて、高めて――クリムトの顔が驚愕に染まっていくのを見ながら、さらに 勁(けい) を高めた。
恐怖に染まるクライアを見ながら、愕然と立ちすくむゴズを見ながら、俺はひたすら 勁(けい) を高め続けた。
まだ続ける。まだ先がある。彼方にある限界に向けて、飽くことなく 勁(けい) を高める。
高める高める高める高める、高める高める高める高める高める、高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める高める――――
不意に、ビシリ、と鞭打つような音があたりに響き渡った。見れば、足元の地面が大きくひび割れている。ひび割れは一度だけではおさまらない。ビシリ、ビシリと音をたてながら次々に地面が割れていく。砕けていく。
直後、轟音をあげて大地がひしゃげた。まるで俺という存在に耐えかねたように、俺を中心にして円形に地面が陥没している。
気がつけば、風もないのに土ぼこりが激しく舞い上がっていた。
うねるように、轟々と音をたてて逆巻く土ぼこりはあたかも竜巻のようで、割れ砕けた地面から土砂を巻き上げてみるみる巨大になっていく。ティティスの赤い土を含んだ竜巻の色は、赤。
それは規模こそ違え、 猛毒竜(ヒュドラ) が生み出していた 朱色(あけいろ) の竜巻を想起させる光景だった。