軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

41.王妹の制止

この声は騎士のものほど響き渡りはしないだろう。それでもバーナードが聞き落とすということはあり得ない。

事実、彼は動きを止めた。

つられたように場内の声も収まり、ヒュー・クランヘルが戸惑ったようにリング前で足をとめる。

バーナードはゆっくりとこちらを振り向いた。

闘技場内の視線もまた一斉に集まってくる。

わたしは周囲のすべてを無視して、こげ茶色の瞳だけを見据えていった。

「そこまでです。それ以上は許しません」

───試合前に、最大限の沈黙をと彼は願った。やり方は任せてほしいともいわれた。それを認めたのはわたしだ。今回の件で一番の被害者はバーナードであったからだ。

それでも、ここまでだ。これ以上は認められない。

バーナードは無言でわたしを見つめて、それからギルベルトへ向き直った。

まだ暴行が続くのかと悲鳴が上がる中で、彼は無造作にギルベルトを掴むと、リングの外へ投げ捨てた。

勝敗の条件は、どちらかが降参するか、あるいはリングから落ちるかだ。

バーナードはそれ以上ギルベルトへは眼もくれずに、まっすぐにこちらへ歩いてきた。リングを降りて、長椅子へと近づいてくる。

そして、誰もが固唾をのんで見守る中、わたしの足元で片膝を折った。

先ほどまでの悪夢が嘘だったかのように、主君に仕える騎士そのものの顔をする。

バーナードはわたしを見上げて、切なそうに眉を下げていった。

「お怒りですか、我が姫。俺の美しい殿下」

誰かが息を呑み、誰かが呆気にとられたような声を漏らした。

あれほど人並み外れた力を見せつけて、荒れ狂う暴力そのもののようだった青年が、今や一人の姫の前に膝をつき、許しを請うように見上げているのだ。

それは強烈な印象を与えるだろう。たとえ今は恐怖と混乱の中にあっても、あとになれば誰もが思うだろう。

───あの男を制御できるのはあの姫だけなのだ、と。

この話が貴族の社交界だけで収まるわけがない。平民の騎士たちも大勢応援へ来ているのだ。庶民層にまで恐怖とともに伝わって、今までの悪評や噂話など叩き潰されるだろう。

───もしも人ならざる存在の耳に入ったら、その怒りに触れたらどうするのだ、と。

これは、そこまで計算しての振る舞いだ。

あの人の皮を被った呪いの魔剣には王妹しかいない、アメリア姫にしか抑えられないと思わせることまで含めての仕込みだ。

わかっていた。

だから、それらの意味もすべて込めて、腹の底から声を張り上げていった。

「やりすぎです!」

バーナードがわざとらしくうなだれた顔になる。

腹立たしい思いでそれを無視して、わたしはリングのほうへ視線を向けた。

「衛士兵総官長、試合の進行をお願いします。それから救護班、すぐに騎士ギルベルトを医務室へ運んでください!」

ハッとした様子で、各人が職務を果たそうと動き出す。

総官長がバーナードの勝利を宣言し、怯え混じりの拍手がまばらに上がる中、ヒュー・クランヘルを始めとした騎士団の面々がギルベルトに駆け寄る。救護班が彼を木製の担架に乗せて運び出す。

ガルドはさっと元の位置に戻り、バーナードがわたしの隣に座る。そしてぼそりといった。

「後まで影響が残るような傷は負わせていませんよ。骨だって綺麗に折ってやったんですから、手当てを受けて寝ていたらそのうち元通りになります」

「知っています。わたしはあなたがそういう人だということを知っていますが、この場のほとんどの人間は誤解したでしょうね」

じろりと睨みつけると、こげ茶色の瞳は嬉しそうに笑った。

「それなら俺の望み通りですね。我ながらうまくいった」

「全然、なにも、よくありませんけれど?」

「そうですよ、隊長。反省してください、人生で一度くらいは反省というものをしろ。頼むからしてくれ」

うんざりした口調でいいながら、チェスターが立ち上がる。

ギルベルトが運び出され、場内のざわめきも落ち着いてきた頃合いを見計らって、総官長が第五の騎士たちの名を告げる。

ここに来てようやく、先ほどまでの恐怖を拭い去るように、明るい歓声が響き渡った。

あどけなさの残る令嬢方から妙齢の御婦人方まで、待っていましたといわんばかりにチェスターの名前を呼び、名前を刺繍した布などを掲げる。

チェスターは、去年はまっすぐにリングに向かったものだけれど、今年は、先ほどまでの試合の影響を憂慮したのだろう。

いつもよりゆっくりと歩を進めながら、場内を見回して、応援に応えるようにあちらこちらに手を振ってみせる。その普段とはちがう様子に、またいっそう黄色い悲鳴が上がった。

涙声も聞こえたけれど、それは先ほどまでとはちがい、歓喜によるものだ。

「きゃーっ! チェスター様!!」

「格好良いです~!! 頑張ってくださいーっ!」

「お慕いしております~!!」

「今日も最高に素敵ですっ!」

「勝ってください~! 応援してますっ!」

などなど、闘技場内の空気が明るい熱気に満ちていく。

最終試合がチェスターであったことに、わたしもバーナードも感謝したほうがいいだろう。

祝祭が祝祭らしい雰囲気を取り戻せたのは、間違いなくチェスターのお陰だった。

近衛隊の勝利で終わった御前試合の後は、祝祭は滞りなく進んだ。

騎士団長がアルミナの街から運んできた、春告げ鳥が足を止めたと伝えられる大樹の枝を捧げて、儀式は終了となった。

今は王立楽団が美しい音色を奏でる中、めいめいが祭りの余韻を楽しんでいるところだ。陽は傾きかけているけれど、闘技場内には橙色のランタンが端々まで飾られているため不自由はない。

観覧席から石造りのリングまで降りて行き、手を取り合って踊り出す人々もいれば、観覧席であいさつや社交に励む人々もいる。

久しぶりに会えた遠方の友人とその場で酒を飲み始める人もいれば、近くの店へ食事に行こうと連れだって帰る人もいる。国王陛下と王妹殿下はすでに帰路についた後なので、場内の空気も緩んでいた。

さて、チェスターが護衛につき、サーシャが同乗するふりをした馬車を王妹殿下のものとして帰らせた後で、わたしはこっそりと、闘技場内の一室で待機していた。

天井の灯りに照らされる室内には、木製のテーブルと椅子が数脚あるだけだ。

会議などに使われる部屋なのだろう。通路側の扉の前には近衛騎士が見張りに立っているけれど、室内にいるのはわたしとバーナードだけだ。

わたしたちは今、通路側とは逆側の扉が開かれるのを待っている。

「あなたも座ってください、バーナード」

バーナードは断ろうとしたけれど、わたしが眼をすがめて彼を見ると、諦めたように椅子を一つ持ってきて、正面に腰を下ろした。